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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第一章 元師団長と孤軍の残兵
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26.王都にて 聖皇教会

 日もとっぷりと暮れ、闇夜が世界を優しく包み込んでいる時刻。

 既に多くの人間が現から夢の世界へと旅立っているだろうそんな時に、ランプの明かりを頼りにまだ机に向かい続ける男が一人、その部屋にはいた。


 ランプは魔法石――魔石に魔法陣を刻んだものだ――を組み込んだ高級品で、火を付けるタイプのランプよりも明るく周囲を照らしている。

 その光に照らされた彼の顔には、己の経験深さを物語るようないくつもの深い皺が、はっきりと刻まれていた。


 机に積まれている書類を一つ手に取り、目を走らせる。数枚(つづ)りのその書類に一通り目を通し終わると、疲れからか問題が山積であるための頭の痛さからか、男は目頭を押さえてぐりぐりと揉みだした。


「まだまだ終わらんか。いい加減疲れたわい」


 彼、王国宰相デュミナス・モルト・バージェスは、瞑目しながらそう一人呟いた。


 魔王ディムヌスを封印しパレードを成功に収めても、彼の戦争は終わっていなかった。

 むしろ宰相として、執務という名の戦が生み出す荒波にもまれるのは、これからが本番と言っても過言ではない。

 今も嘆願書やら報告書やら、何やらかにやらが彼の元に集中し、その対応に老骨に鞭を撃ち不休の対応をしているところだった。


 彼にここまで業務が集中するのには理由がある。今回の戦争によって魔術師部隊として駆り出された文官達にも負傷者や死亡者が少なくない数で出ており、全くと言っていいほど人手が足りていないためだ。

 まだまだ現役と口では虚勢を張りつつも、実情は寄る年波に勝てないことを、彼は今嫌というほど感じていた。


 確認した書類にさらさらとサインを入れる。そして一息つこうとしたところ、不意にドアをノックされそちらに目が向いた。

 こんな時間に何だろうか。彼は不審に思いながらドアの向こうにたたずむ使用人へと声をかけた。


「何用じゃ」

「旦那様、失礼いたします。ルートヴィッテ様がお見えになっておりますが、いかがなさいますか?」


 ドアを開けて入ってきた執事の言葉に思わず眉をひそめる。ルートヴィッテと言えば、デュミナスには思い当たるのはたった一人しかいなかった。

 そして彼には、こんな時間に来た理由にも心当たりがあった。恐らくその件だろうと察した彼は、また目頭をぐりぐりと揉みこんだ。


 ルートヴィッテ・ジョン・ボルドウィン。彼は神聖アインシュバルツ王国が信仰する主神フォーヴァンを掲げる教会、聖皇教会の最高位に位置する枢機卿その人であった。

 そして、今回の事態を引き起こしたデュミナスの共謀者でもあった。


 正直気は乗らなかった。だが流石に追い返すわけには行かないと、彼は渋々椅子から立ち上がる。


「会おう。どちらにおいでじゃ」

「応接間にお通ししております。こちらへ」


 立ち上がったとき、彼は見ないようにしていた掛け時計につい癖で視線を送ってしまう。

 デュミナスの口から漏れた長嘆息は一体、何に対してのものだったのだろうか。



 ------------------



 応接間へ続くドアを開けると、ソファに座る一人の男と、その後ろに控える二人の騎士がデュミナスを待っていた。


 ソファに座る男、ルートヴィッテは、ゆったりとした祭服をまとい聖職者然とした服装をしているが、その厳めしい体躯と顔つきは、狂戦士かはたまた暗殺者かと言った様子である。

 そんななりで柔和な笑みを浮かべようとしている彼の風貌は、第三者から見れば胡散臭さが凄まじく、まるで腹黒いですと自己主張しているようにしか見えなかった。


 彼はデュミナスが入ってくるのを見ると立ち上がり、その笑みを更に濃くして彼へと向ける。思わずデュミナスの口元は引きつったが、それは致し方のないことであろう。


「夜分遅くにお伺い致しまして、申し訳ございません。デュミナス殿」

「いや、まだ起きておりましたので構いませぬ」


 デュミナスは手でかけるように促し、自分もルートヴィッテの正面へと腰掛ける。その機を見計らい執事がティーカップを配ると、胃に優しそうな香りがデュミナスの鼻孔へと届いた。


「して、何用ですかな? 火急の用件かと存じますが」

「まずはお骨折り頂いたお礼を。それと共に――少々相談事がございまして」


 もうこのような時間なのだ、口上など不要だろう。デュミナスが挨拶もそこそこに切り込むと、ルートヴィッテはちらりと部屋の隅にたたずむ執事へと視線を送った。


「すまんが外してくれ」

「承知致しました、旦那様。失礼致します」


 パタンと静かにドアが閉じ、コツコツと廊下を歩く音が静かに聞こえてくる。それが遠ざかり聞こえなくなると、部屋にはただ、ランプの魔法石が魔力を放出するときに発する、かすかな音だけが残った。


「……それでご相談と言うのは?」


 デュミナスが口を開くと、ルートヴィッテはにっこりと笑みを浮かべた。その、まるで悪漢が獲物を見つけたかのような笑みに背筋がぞわりとするが、それをデュミナスが表情に出すことは無かった。


「まずは先ほど申し上げました通り、デュミナス殿にはお礼を申し上げます。デュミナス殿のおかげで、あの男を王都から追い出すことができましたので。流石の手管に脱帽いたしました。どのような手をお使いに?」

「何、あの男の存在を良く思わないものは沢山おりましてな。ちょいと突いただけで勝手に転げ落ちて行きましたわ」

「ははは。師団長といえども所詮は卑しき身の上。デュミナス殿にかかれば形無しですな」


 表情をピクリとも動かさないデュミナスに対し、ルートヴィッテは愉快そうな表情を見せる。そして笑顔のまま右手を軽くあげ、後ろの騎士に合図を送った。


 騎士はそれを受けて前へ進み出ると、机の上に何やら入った包みを静かに乗せる。そしてまたルートヴィッテの後ろへと下がって行った。

 ルートヴィッテがその包みを開けると、その中からは見事な装飾がなされた箱が一つ姿を現す。デュミナスが何かと視線を向けるのをチラリと見たルートヴィッテは、満足そうな表情で口を開いた。


「時にデュミナス殿。ご子息様はご健勝ですかな?」


 デュミナスの眉がピクリと動く。


「そのようで。ただ今はお互いに顔を合わせる時間もございません故、人伝に聞いた限りですがの」

「そうですか。それは良かった。今は休む間もないでしょうからな。このような状況ですから、将来この王国の中枢を担う若者には息災であっていただかねばと思い、私も微力ながら毎朝主に祈りを捧げさせて頂いております」

「それはまたありがたいことでございます。我々もその期待に応えられるよう尽力しなければなりませんな」

「ただ最近、そのご子息様が何やら王子殿下の(たわむ)れで要らぬ業務を押し付けられ、苦慮されているとお聞き致しまして……。私共はご子息様の身を案じているのです。差し出がましくも、デュミナス殿からも一言ご子息様に助言などして頂ければと思い、こうして伺った次第でございます」


 ルートヴィッテの表情がさらに凶悪なもの――本人は笑っているつもりだ――へと変わる。一方それを聞いたデュミナスは、国の内情が教会に筒抜けであることに内心ため息をついていた。


 聖皇教会とは、三百年前より神聖アインシュバルツ王国の国王を教皇とし、主神フォーヴァンを崇める宗教組織である。

 あくまでも宗教組織であるため国政には基本的に加わらない立場を貫く一方で、教皇である国王個人とのパイプは恐らくこの国の誰よりも太い。

 つまりそれを利用されてしまえばこの通り、国の内情など丸裸も同然、と言うことだ。


 ルートヴィッテの言わんとすることは、当然デュミナスの知るところでもあった。

 何やら息子イーノが動いていることを承知していたが、エーベルハルト直々の指示であり、また大体的に動いてもいなかったため、問題ないだろうと放置していたのだ。

 だがそれをすぐさま教会が嗅ぎつけ指定してきたことに、現状国王より全権を委ねられているデュミナスが懸念を抱くのは至極当然だった。


 しかし考え方を変えるなら、息子を止めることで教会からの信頼を得られるということでもある。そう言うことにしておこう、と切り替えたデュミナスが快く返事をすると、ルートヴィッテは頭を軽く下げた。


「デュミナス殿にご協力頂けるのであれば、これほど心強いことはございません。そうそう、この大変な事態、何か教会からもご協力できないかと考えまして。小額で恐縮でございますが、王国に寄付をさせて頂きたく存じます。どうかこちらをお納めください」


 先ほど机に上げた箱をルートヴィッテが開けると、そこには金色に輝く硬貨が己の存在を誇示するかのように、整然と並んでいた。


「……こんなに沢山の金貨を。宜しいのですかな?」

「ええ、これは教会が募った寄付金でございますから。ほんの500枚程度ではございますが、私共の気持ちを受け取っていただければ幸いでございます」


 金貨500枚。目の前の男はこともなげにそう言うが、これは軽々しく出せるような金額でも、簡単に工面できるような金額でもない。賄賂として送るにしては多額に過ぎるものであり、デュミナスが息を飲むのも無理はなかった。


 王都の復興、減ってしまった兵、文官などの育成や補充など、今は国力の回復に務めなければならず、すべきことは数え切れないほどある。そしてそれらには全て金が必要だった。


 魔王を打倒したとはいえ魔族からの賠償金も無く、戦争に参加した者達への報酬金も払わねばならない。

 加えて各領地からの税収は戦前よりも少なくなるはずであって、国庫は既に悲鳴を上げている。デュミナスもずっと頭の痛い思いをしていたのだ。


 正直なところこれは喉が出るほど欲しい物であり、非常に助かる話である。ただ同時にデュミナスは思う。この募った寄付とは一体どこから出たのかと。

 腹の底では呆れるものの、そんな考えはおくびにも出さす、デュミナスはルートヴィッテに対し鷹揚に頭を下げた。


「そういうことでしたら、ありがたく頂戴いたします。これは教会からの寄付、ということで、この国のため使わせて頂くことに致しましょう」

「ええ。そうして頂けますと幸いでございます」


 二人は柔和な笑みを浮かべる。だがそれは見る者が見れば分かっただろう。その裏に隠された思惑と、お互いの抱く感情が。穏やかな笑みの裏にある、相容れることのない疑心が。

 彼らは仲間でも同志でもない。これは、ただの取引でしかなかった。


「さて、このような時間にお邪魔しまして申し訳ございませんでした。ご相談も終わりました故、これにてお暇させていただきます」

「おや、もうお帰りですかな?」

「ええ、デュミナス殿の睡眠時間をこれ以上削ってしまっては、いかに用事があったとはいえ一国民として汗顔の至り。我らが主、フォーヴァン様もお望みではないでしょう」

「そこまで仰られると面映いものがございますが、お気遣い頂いて恐縮ですな。それでは、今度はお時間のあるときにでも、ゆっくりお会いしましょうぞ」


 デュミナスがベルを鳴らして執事を呼ぶと、間もなくして執事が部屋へ入ってきた。

 ルートヴィッテはソファから立ち上がるとデュミナスへと一礼し、執事に案内されながら騎士を引き連れ静かに部屋を出て行った。


「こんな時間に訪問するほうが余計目立つと思うがの」


 ぽつりと溢しながら、デュミナスは冷めてしまった紅茶を一口飲み込んだ。

 疲れた彼の心を癒すかのように柔らかな香りが口いっぱいに広がり、鼻孔からふわりと抜けていく。惜しむらくは暖かいうちに飲めなかったことか。


(明日の朝、また入れてもらうとするかの)


 惜しみながらも香りを楽しんだデュミナス。恐らくこの珍しい茶葉は、主のために執事がわざわざ用意してくれたものだったのだろう。

 その心遣いに癒されはした。しかし望まぬ珍客によって、疲弊した精神に止めを刺されてしまい、デュミナスはこれからまた机に向かう気持ちにはなれなかった。


 今日はここまでと決め、机の上に置かれたままの箱を簡単に包むと、彼はそれを手にソファから立ち上がる。その際にちらりとルートヴィッテに出されたティーカップに視線を送り、彼の用心深さに一種の感動すら覚えながら、デュミナスは明かりを手に静かにその部屋を後にした。


 少しの光も灯らなくなった部屋に、二つのティーカップが主不在の席に置かれている。

 空になったティーカップと一口もつけられなかったティーカップが相対しているその様は、まるで彼らの関係を如実に現しているようでもあった。

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