228.王都にて 三大公
エイク達がミゼナに辿り着き、悪女――もとい、聖女に捕まっていたそんな時。
王城のある一室では、普段顔を合わせる事の無い三人の男達が、珍しくも一堂に会しているところだった。
その部屋は王城最上階にある一室で、中央には十数人掛けの長テーブルが置かれている。
客室ではなく会議などで使用する部屋だと見て分かるが、しかし広くは無く、二十人も入れば狭く感じる程の大きさしかない。
これだけ聞けばあまり重要でない部屋と思うかも知れない。だがしかし、その実この部屋は王家の許可なく使用することのできない、非常に特別な場所であった。
理由は部屋の四隅に設置されたものにある。
普通、部屋の隅は壁と壁が交わり直角になっているものだ。しかしこの部屋の四隅は扇状につき出しており、さながら円柱が埋め込まれたような形になっている。
そして特徴的なのが、そこに埋め込まれた様に設置されている、とある装置だ。
見てくれは室内灯のように見えるそれ。しかしそれはこの部屋にしかない非常に貴重な物。小指半分ほどの魔法石が組み込まれた、防諜装置であった。
そう。この部屋は国家機密などの類の、外部に漏らせない話や密談などをするための部屋であったのだ。
そんな部屋に集められた彼ら三人は、招集をかけた張本人が来るまでずっと、そこに待機し続けていた。だがその間、互いに一言も交わす事もなく、また視線を合わせる事もしなかった。
部屋には沈黙がおり、ただならない空気が場を支配している。ピリピリとした緊張感がまるで肌を刺すようだ。
しかしその空気を生み出している当事者三人は我関せずと言った様子で、お互いに全くの無関係を貫いていた。
三人のうちの一人、壮年の男は後ろで手を組み、窓の外にある庭園を、終始黙って見下ろしていた。
この男の名はシルヴィオ・ジルド・リーデリオン。三大公の一つ、リーデリオン公爵家の現当主である。
聖皇教会の枢機卿でもある彼は白い司教服をまとっており、日光を浴びて微笑む姿は清廉な雰囲気を醸し出している。
先ほどからずっと、彼は眼下に咲く色鮮やかな花々を穏やかな表情で見ている。しかしどこか張り付いたようにも思える表情は、他人を酷く拒絶するようにも見えた。
それとは対照的に、いら立たしさを隠さず眉間に皺を寄せている老人が一人。
神経質そうなその男は中央の長テーブルにつき、椅子に深く腰かけながら、腕を拱きむっつりと黙り込んでいた。
彼の名はユストゥス。三大公の一つ、クンツェンドルフ家の現当主、ユストゥス・ラルフ・クンツェンドルフである。
普段から気の短いユストゥス。だが今日の彼は普段よりもずっと苛立っている様子だった。
終戦を迎え、いよいよ政治に力を入れようかと思っていた矢先、勅命により足止めを食らい、王都に留まらざるを得なかったユストゥス。
とは言えそれは納得しており、彼も仕方のない事と理解はしていた。
だがそれはそれとして不満は募る。我慢を強いられつつ彼は数カ月の間、王都で自領に戻れる時を待っていた。
だがそんな折”我慢がならない話”が耳に入り、ついに苛立ちが頂点に達してしまったのだ。
彼は人差し指で腕をとんとんと叩きつつ、苛立ちを募らせながら待っている。
眉間に刻まれた深い皺は、時間と共にその数と深さを増していった。
そして最後の一人。そろそろ壮年というのも厳しくなってきた彼の顔つきは、全く感情を見せない冷え切ったものである。
彼は能面のような表情でテーブルについている。そしてその時が来るのをただ静かに待っていた。
彼の名はアルバン・エトムント・ライゼンハイマー。
三大公の一つであり、工作員などで編成された特殊部隊”王家の影”を掌握する、ライゼンハイマーの長でもあった。
職業柄かその気配は不自然なほど希薄で、ともすればこの部屋にいるのが二人しかいないと勘違いしそうな程だ。
彼は身じろぎもせず座っている。自分がこの場になぜ呼ばれたか理由を知りながら、しかしそんな感情をおくびにも出さず。
アルバンはただ口を閉ざし、黙してその場に座っていた。
三者三様にして時を待つ。
異様な空気漂う部屋に、ただ沈黙だけが満ちていた。
しばらくして部屋のドアがガチャリと音を立てる。三人の視線が向けられたドアを開けたのは一人の騎士だった。
「揃っているな」
声をあげて入ってきたのは、この国の王子、エーベルハルトだった。
流石に三大公である彼らも踵を揃えて立ち上がり、深々と腰を折る。
エーベルハルトは四人の騎士と、宰相のデュミナスを伴って中に入ると、そのまま歩いて上座へ座る。それを見た公爵ら、そして宰相は、自分に当てがわれた椅子へと各々腰を下した。
王子の背後には二人の騎士。騎士団長のイーノと副騎士団長アロンツォが並ぶ。
残る二人の騎士は入り口を守るようにドアを挟んで立つ。うち一人が壁に設置された金属製のパネルに手を触れると、四隅の防諜装置が淡く光り出した。
それを確認した騎士が頭を下げるのを見てから、王子は視線を前へ向けた。
「さて……。貴公らを呼んだのは他でもない」
王子は少しの間をおいて、三人の公爵に対して口火を開く。
「この国始まって以来ない、由々しき事態が起きたためだ。それについて貴公らに話しておかなければと思い、此度は集まって貰った」
王子はぐるりと視線を巡らせる。すると一人の男だけが反応を示した。
クンツェンドルフ家の現当主、ユストゥスである。
「それは、各師団長への叙爵の件ですかな?」
その顔には不満がありありと浮かんでいた。
神聖アインシュバルツ王国において強大な権力をもつ三つの公爵家。その権力の大きさは、侯爵家と比べても天と地ほどの差があった。
基本的にこの王国は掲げる法、王国法において秩序を保っている。公爵家もそれに漏れず、王国法の下、他の貴族同様に王から下賜された領を治める一貴族だ。
しかし、公爵家には他の貴族らとは決定的に違う部分があった。
公爵家は所領において、自治を完全に認められているのだ。
必要であれば公爵領は、領だけの法律、領令を、自己判断で敷くことができる権限すら持っていた。
当然王国法が優先されるものの、その領令に背いた人間を裁くことについて、王家は完全に黙認している。
また領内に住む人間から徴収する様々な税金についても、通常なら上限が設けられているが、公爵領ではそれが無い。公爵家に完全に一任されているのだ。
つまり公爵家などと言っても、実態は公王と何ら変わらないものだった。
ただ、それだけの権力を行使できる代わりに、公爵家は基本的に王家の政治には関与しない。
従って、王宮で働く士官や侍従にも、彼らの縁者は殆どいない。
彼らの関係者は基本的に彼らの領で働く。王宮で行われることは、政治だろうと陰謀だろうと積極的に関与しない。
そんな暗黙の了解が、王家と公爵家の間には建国以来ずっと存在していたのだ。
こんな体制を敷いているのには理由がある。
王家は公爵家に、公爵家は王家に、お互い積極的に関与しない。だがそれは、もし王家が腐敗したときは公爵家が結束を固め王家を正し、一公爵家が腐敗すれば他の三者がそれを許さないという牽制の意味が含まれている。
つまり、一人の国王と三人の公王がお互いに睨みを利かせることで、国の秩序を保っているのだ。
これは英雄王ヴェインが、最も頼りにしていた三人の英雄に幾度も支え助けられたことから、お互いに支え合い国を盤石にしたいと言う思いから設けられたものだった。
しかし三百年経った今その真意は変質し、ただ相手が尻尾を見せた時には遠慮なく叩いてやるという意味を臭わせる、殺伐としたものに変わってしまっていた。
「もしそうであれば、少々お待ち頂きたいですな」
今も王子の目の前で見せるユストゥスの表情は、王子の政策に明らかな不満を浮かべると言う、忠臣と呼ぶにはいささか敵意が過ぎるものだった。
「ふむ。それは一体どういう意味だ?」
「どうも何も、そのままですな。第一師団の長、アウグスト殿。第二師団の長、ジェナス殿。この二人には伯爵位を与えると聞きました。それは良いでしょう。妥当でもある。――しかしッ!」
ダン、とユストゥスはテーブルを叩く。ティーカップがカシャンと音を立てるが、同じテーブルにつく二人の公爵はまるで他人事のように、顔色一つ変えなかった。
「第三師団のエイクに辺境伯位を与えるというのは、事実ですかな!? 流石にこれには口を出さざるを得ませんぞっ!」
「なぜだ? エイクもこの度の戦争で大いに活躍してくれた。同じ師団の長として、叙爵することに何の問題もないと思うが」
「問題がない? ……王子、それは本意ですかな?」
「何が言いたいのだ。はっきり申せ」
まるで脅すように低い声を出すユストゥス。だが戦前だったならともかく、王子はこの五年という間、平和な環境から一転、急激に成長せざるを得ない現実を強いられ続けてきた。
目の前の老人の鋭い眼光も、白龍族のそれに比べたら児戯に等しい。エーベルハルトが平坦に返せばそれが面白くなかったのだろう。ユストゥスは勢いよく立ち上がった。
「あの男は賊という卑しい身の上! 命があるだけでも良しとしなければならないでしょう! だと言うのに、辺境伯? ――伯爵位よりも上ではないかっ! このような決定が認められるわけがないでしょうッ!」
辺境伯の権力は非常に大きいものだ。伯爵よりも高く、軍事的な観点からすれば、侯爵家よりも大きな権限を持っていると言っても良い。
ユストゥスの懸念も当然のものだっただろう。しかし――
「今第三師団の者が王国内でストライキを起こしていることは知っているか?」
この王子の一言でユストゥスの気勢はそがれる。
「……当然、知っております」
「今後、この国は異種族との友好を目指さなければならん。で、だ。このストライキの核が一体何なのか、貴公も知っているだろう?」
ユストゥスが口を開かない事を肯定とみた王子は、ふぅと息を継ぐ。
「エイクには彼らとの友好を取り持ち、促進する役目を与える。そこで得られたものをどうするかはエイクに全て一任するつもりだ」
「そんなもの――ッ!」
「その代わりエイクに領地は与えない。あいつには高い権限を与える代わりに、この国を奔走してもらう。これならあいつが軍を所有する懸念もないだろう。それとも、貴公らの誰かがやるか? まずはこのストライキを収めるところからだが……やって貰えるなら是非私からも頼みたいところだな」
「くっ……!」
王子が視線を巡らせると、ユストゥスは悔しそうに歯噛みした。
「私は遠慮させて頂きます」
「私も同じく」
それは成功ありきの頼みである事を、彼らは理解していた。
他の二家にも見放され、味方がこの場に一人もいないことを悟ったユストゥスは、面白くなさそうな顔をしながらも、最後にはどかりと腰を下ろした。
もしストライキを起こしているのが王侯貴族や民なら如何様にもできようが、しかし相手は王国民でなく、しかも人族ですらない。
今まで交流もなかった者達に対する有効なカードなど持っていない。何で靡くかも分からない。
憶測で動けば藪蛇にもなりかねないリスクすら持っている。
それが分からないような人間ではなく、ユストゥスは黙るより他なかった。
しかし。
「殿下。私からも一点、お伺いしたい事がございます」
ここでユストゥスの後を継ぐように口を開く者が一人、この場には存在していた。
エーベルハルトはそちらに目を向ける。祭服をまとい静かに座る男、シルヴィオ・ジルド・リーデリオン。彼の目が、エーベルハルトを真っすぐに捉えていた。
彼は非常に穏やかな表情でエーベルハルトを見ている。しかしその視線はどこか、射貫くような鋭さをエーベルハルトに感じさせた。
「殿下もご存じでしょう。シュレンツィアで発生した大海嘯での事を」
穏やかな口調で語るシルヴィオ。反してエーベルハルトの顔は少しだけ強張る。
「報告を受け、耳を疑ったものです。第三師団長が民を扇動し、大海嘯の戦陣に加え戦わせたなどと……。我ら貴族は民を守り導く者。彼らの生活、生命を守る義務がある。しかし彼の者は、我らの矜持をあざ笑うかのような凶行を行い、民らの生命を危険に曝した。そんな人間を高位貴族とするなど……懸念を抱くな、というのがそもそも無理な話ではないかと存じますが」
「そ、そうだっ! その通りだ!」
凍るように淡々と述べるシルヴィオに、ユストゥスも息を吹き返したように拳を握った。
「貴族の何たるかを知らぬ者に義務が果たせるとは思えん! 賊上がりの卑俗な輩が、我らの大義を理解できるはずもない! リーデリオン卿の懸念は当然のもの! 殿下、我々は認めませんぞ!」
ユストゥスは身を乗り出す。シルヴィオも、彼のように身を乗り出しはしないものの、その目に鋭い光を灯した。
だが対するエーベルハルトは――
「その問題はない」
二人の視線に、そう淡々と返した。
「先程も説明した通り、あいつの役目は我ら人族と、異種族との折衝役だ。領地も無いのだから守るべき民もいない。辺境伯というのも、他に適切な爵位がないからに過ぎない。貴公らがどうしてもと言うのであれば、それに相応しい爵位を用意しよう」
「そ、そのような――!」
「それに、だ」
王子は声を荒げるユストゥスから目を外し、ついとシルヴィオに視線を向ける。
「大海嘯の状況は私も考えた。あの時、仮に町を騎士団が守り民を逃がしていた場合……シュレンツィアの民は全滅していたと推察している」
シルヴィオは黙してエーベルハルトを見据える。次の言葉を促すものと察したエーベルハルトは、すぅと息を継いだ。
「町に詰めていた騎士団は総員三百弱。籠城したところで数時間も持つまい。町に雪崩込み騎士団を蹂躙した怪物の群れは、次に町を出て追うだろう。町から逃れた民の一団を、だ。 ……リーデリオン卿は、”そう”あるべしと、そう言っているのか?」
仮にも王子はこの五年間、魔族との戦いに奔走し続けてきた。
戦前ならともかく、今の彼は何の経験もない名ばかり王子ではなく、王族として相応しい風格を漂わせる男となっていた。
シルヴィオはその姿に目を細める。その表情に王子は眉をひそめるが、構わずシルヴィオは口を開いた。
「それはただの結果論です。結果が良ければ過程を無視する、などと言う事はあってはなりません。それはお分かりでしょう」
「貴公の言う事は正しい。だが、その正しさを貫くために民の命を捧げる事などできぬ。時として曲げなければ守るべきものすら守れない。正しさを貫くだけでは何も守れない。……私は、それをこの五年間で嫌と言う程知った」
「殿下」
シルヴィオはゆるりと頬を緩める。その笑みには紛れもなく、喜びが浮かんでいた。
「失礼致しました。殿下がそこまで深慮した上お決めになった事であれば、もう私から申し上げる事はございません」
「なっ! リ、リーデリオン卿!」
「私は殿下の御心をお伺いしたのみ。初めから異を唱える気は毛頭ありませんよ。勝手に貴公と同志にされては遺憾ですな」
「き、貴様……ッ」
ふいと視線を外したシルヴィオに、ユストゥスは食って掛かろうとする。
だが、先に口を開いたのはシルヴィオの方だった。
「しかし残念なことです。まさか彼の魔法陣があれだけの戦果をあげるとは」
ユストゥスの表情に苦々しさがたちまち浮かんだ。