227.嫌な直感
「なぁシルヴィア、ちょっといいか」
店を出て少ししてから、俺はそう言って腕に引っ付く女を呼んだ。
「はぁい? 何でしょお、おじ様?」
するとシルヴィアは頬を緩めて甘ったるい声を出す。こういう声も鼻について好きじゃないんだが、もう少しだけ我慢しよう。
再び俺の腕に抱き着いているスティアはぐぬぬと唸るが、今は放置だ。
「ちと話があってな。で、だ。ここじゃその――分かるだろ?」
思わせぶりに言葉を濁すと、それだけで察したようだ。シルヴィアの顔がぱっと笑顔になる。
逆にティナは瞬く間に険しい顔つきになるが、まあそっちは今どうでも良い。
「二人で話をしたいんだが、どこかいい場所は無いか? あまり人目に付かない場所が良いんだが」
「あ! それなら良い場所が――!」
俺が言えば思い当たる場所があるのか、シルヴィアは嬉しそうに声を上げた。
「駄目ですわ!!」
だがそれを聞いたスティアの奴が、突然馬鹿みたいな大声を上げた。
「二人きりなんて駄目ですわ! わたくしは、わたくしは絶対に許しませんわーっ!」
「痛てててて! お前、力入れ過ぎだっ!」
ぎゅうと腕を握りしめ、スティアはぶんぶんと首を横に振る。
気持ちは分かった。だが力加減をどうにかしろ! マジで折れる! 骨がミシミシ言ってるから!
「お前、いい加減にしろ!」
「あぐぐぐぐっ!」
引っ付くスティアの頭を鷲掴みにする。だが押しても引いても全く駄目。俺の腕に歯を立てる勢いで引っ付いている。お前は噛み付きガメかっ!
「アンソニー! フリッター! 頼む、こいつを何とかしてくれっ!」
ぐぎぎと歯噛みしながら俺の腕を抱くスティア。たまらず悲鳴を上げる俺に、バドとホシが引っぺがしにかかった。
「すーちゃん! こーちょこちょこちょこちょっ!」
「あっ! ちょっとそこはダメあひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
笑いながらもスティアは必死に取りすがる。
もう何なんだよ。コイツの執念は一体どこから来てやがるんだっ。
「お前もういい加減にしろ! 鼻から魔力の霊薬ブッ込むぞ!」
「や、止めて下さいまし! わたくしだってうひゃひゃひゃっ! 乙女なんですのよ!?」
「ならいい加減この手を離せぇ!」
「嫌ですわ! 嫌ですわぁーっ! あひひひひーっ!」
半泣きで笑い騒ぐスティアに周囲もドン引きである。
当たり前だよ、意味が分からねぇもん。何が乙女だ意味調べ直して来いやぁ!
「すーちゃん、めっ!」
「ふごっ!?」
最終的にホシからのめっ! が入り、スティアはその場にバタリと倒れた。
ブン殴られる前に止まればいいものを。何考えてんだもう、勘弁してくれ。
「あー痛ぇ……。この馬鹿、本気で締めて来やがって」
「だ、大丈夫ですかぁ? ……何か重い人ですねこの人」
シルヴィアが小声で口にするが、そう言ってやるんじゃない。俺達にとっちゃ今更感があるが、しかし言われれば本人は気にするだろうからな。
重い事はまあ……俺も否定しない。
「無駄な労力使わせやがって……。ま、いい。それじゃその場所とやらに連れて行ってもらおうかね」
腕をさすりながら言えば、シルヴィアもにこりと笑顔を見せる。そして彼女は自然な動作で俺の手を取った、のだが。
「そういう男か、貴様は」
今度は別の声が俺の背中に飛んでくる。振り向けば、険しい顔をしたティナがそこに立っていた。
彼女はまるで敵を見るような目で俺を睨みつけている。連れの青年がわたわたと慌てているが、しかし止める気はないようだ。
「そんなにも嫌がっている仲間がいると言うのに、その女を優先するとはな」
ティナは感情を隠す事もせず、怒気を露にそう言った。
彼女はずっとシルヴィアと反目しあっていた。だから俺は最初、自分でなくシルヴィアを選んだ事に腹を立てているのかと思った。
「何を怒ってるのか知らんが、お前の考えているような事にはならねぇぞ」
だから俺は反射的にそう言ったのだが。一拍置いて考えると、彼女の吐いた台詞はどこかスティアのために怒っているような、そんな気持ちがあるようにも思えた。
「……フン、どうだかな」
ティナは吐き捨てるように言うと、倒れるスティアにチラリと目を向ける。だがそれも一瞬の事で、すぐにプイと横を向いてしまった。
「おじ様、こっちに来て下さい! ほらほらっ!」
何だったのかと思う間もなく、シルヴィアが俺をぐいぐいと引っ張る。気にはなるが、とりあえずこっちの方が優先か。
「悪い、そっちはそっちで進めててくれ」
「分かったー」
俺はホシとバドに声をかける。そして手を上げて返す二人にその場を任せ、シルヴィアの案内に身を任せた。
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シルヴィアに連れられて足を運んだのは、町中から少し離れた場所だった。
周囲に建物はあるが、人の通りは確かにあまり無い。シルヴィアの奴はそんな場所の、一番大きな建物の裏手に俺を連れて来た。
どうやら何かの倉庫らしい。裏に回る前窓をチラリと見たが、中には誰の姿も見えなかった。
真っすぐここまで歩いたシルヴィア。彼女はぱっと俺の腕から手を放し、くるりと身を翻す。
「それでぇ? おじ様、こーんな場所で私と二人っきりでぇ……一体どんなお話ですかぁ?」
ねばつくような笑顔と口調。シルヴィアは、お前の考えなどお見通しだと、そんな様子を隠しもしない。
だがな。さっきティナにも言った通り、お前の思っているような事にはならん。
俺がついとシルヴィアの目を見据えると、彼女の頬が少しだけ、ひくりと動いた気がした。
「どうもこうもねぇよ。腹を割って話そうってんだ。お互いのためにな」
「お互い? あははは、私はいいですけどぉ……。あの、おじ様にご執心の人は放っておいていいんですかぁ? あの人、随分重そうでしたけど――」
だが彼女はそれでも、依然として軽薄な口を叩いてくる。
まあいきなり本性を表さんよな。だが、そのメッキを剥がすのが俺の仕事だ。
「いい加減、その下手糞な芝居は止めたらどうだ?」
「――え?」
ローブの下で左手を返し、腰にある短剣の柄を静かに握る。
「お前……”蛇”の関係者だな。そうだろう?」
真正面から冷ややかな視線をぶつける。シルヴィアが顔を強張らせ、一歩だけ後ろに下がった。
先ほど俺が生命の秘薬を買おうと言う時、ティナとシルヴィアはその高価な買い物に、何だかんだと口を挟んできた。
その時二人の胸に湧いた感情は、侮蔑や嘲笑など。要するに、いい年こいた野郎の世間知らずさに対して抱く、呆れのようなものだった。
まあ二人は俺を良くは思っていないため、そう不自然な反応ではないだろう。これは良しとしよう。
問題は購入した後の事だ。
俺が金貨を出したとき、ティナの胸に湧いたのは、ただの驚きだった。
普通ならそうだろう。買えるわけがない、と内心呆れていた奴が簡単に買って見せたのだ。当たり前すぎるごくごく普通な反応だった。
俺の経験則だが、感情の反応と言うのは善人であればある程分かりやすく、かつ素直だ。
普通の枠にはまった動きを見せ、そして表情もそれと同じ動きをする。
だからティナやあの青年は、普通の”イイ奴”なんだろう。
「へ……蛇さん、ですかぁ? 蛇さんが一体私にどう関係するって――」
「もうよそうぜ。人が金貨を見せた瞬間、あんな物騒な目ぇした奴を、もうただの冒険者とは思えねぇよ」
だがコイツは違った。この女はあろうことか、俺に殺意を抱きやがったのだ。
殺気を放つ程でもない、ほんの僅かな殺意。だが、相手の感情が嫌でも分かってしまう俺は、そんな微かな動きだろうと見逃すことはない。
他の三人も気付いていた可能性はある。だが俺ほどはっきりとは感じられなかったはずだ。
この察知能力の鋭敏さだけは、俺はあの三人にも譲るつもりは無かった。
「下手糞な色目使いやがって、バレバレなんだよ。喜色悪いったらありゃしねぇ」
「き、喜色悪いですって……!?」
「だが我慢したかいがあったぜ。こうも尻尾を出すとはな」
メッキの剥がれ始めたシルヴィアを、俺はじろりと睨め付ける。
「さあ答えて貰おうじゃねぇか。”蛇”が関係してるのかどうかをよ。ついでに聖女の護衛なんて買って出ようとした理由も吐いて貰おうじゃねぇか。どうせ碌な理由じゃないだろうがな」
俺の左手はまだ武器を抜いていない。だが相手の出方によっては、それもすぐ抜き放たれるだろう。
周囲に他の気配はない。聞こえる音も何もない。この場所にあるのはただ、俺と顔を強張らせるシルヴィアの、たったの二人だけだった。
「……アンタが何を言っているか、分からないわ。それに聖女の方がついでとか。あの女の知り合いみたいだし、アンタ一体何なの?」
静かだった空間に警戒の滲んだ声が響く。先程までの甘ったるい口調は、嘘のように消えていた。
「質問してんのは俺の方だ。が、まあそうだな。マリアとはただの腐れ縁だ。それ以上もそれ以下もねぇよ」
「ふぅん。それなのに護衛はしてやるんだ」
「したくてするわけじゃねぇ。あの馬鹿、一度言い出した事は絶対に曲げやがらねぇからな。断ったら断ったで後々面倒なんだよ」
「へぇ」
思わず舌打ちが出る。そんな俺に、シルヴィアは面白そうな顔を見せた。
「ならさ。その面倒事、私達が引き受けてあげるわ。アンタ達は聖女から離れられる。私達は聖女の護衛ができる。悪い話じゃないでしょ?」
シルヴィアの目が光る。確かにこいつらに任せられれば互いにメリットはある。
俺がマリアの護衛なんざしたくないのは本当の事だ。だから目が合った時逃げ出したわけだし、今も全く気が乗らない。
だがこいつはまだ分かっていないようだ。その決定権が誰にあるかを。
「良い悪いの話じゃねぇんだよ。アイツは俺を巻き込む事を決めてんだ。で、お前達を連れて行かない事も決めてる。他人が何を言おうと聞く奴じゃねぇんだよ」
それに、と俺は言葉を続ける。
「最初に俺が言った事を忘れて貰っちゃ困る。聞いたよな? お前は”蛇”か。それとも違うのか」
「あ、じゃあさ――」
「言っとくが次はねぇぞ」
先手を取って黙らせる。シルヴィアは、ぐ、と言葉を詰まらせた。
俺はこいつに”蛇”かと聞いたが、しかしそれはただのカマかけだ。こいつ程度が一員だとは、流石に俺も思っていなかった。
とは言えミンチョウの言もあり、関係者である可能性が捨てがたい。もしこいつが”蛇”の関係者だったなら、本当に聖女を護衛したい! とは思っていないはず。他に目的があると考えて然るべきだった。
だが俺には、”蛇”が聖女を狙う理由が分からない。連中は俺達のような賊とは違い、人さらいや強請りなどはやらない集団だ。
奴らは奴らの欲のためだけに犯罪行為を行う。そこに金への欲はないのだ。
それを知っているからこそ、こいつらの目的を知りたかった。
一応あんなでもマリアは聖女である。下手をすれば”蛇”が教会と事を構える事態にもなりかねないからな。
「……悪かったわよ。こんな田舎じゃあんな大金見た事無かったからね。つい目が行っちゃっただけ。それだけよ」
しばしの間をおいた後、観念したのかシルヴィアが話し出す。髪をくるくると弄りながらの態度は、大した事もないと言いたげだ。
「それに聖女を狙う、ですって? 馬鹿じゃないの。そんな理由なんてあるわけないでしょ。聖女の護衛をすれば冒険者として箔が付く。ランクの昇格だって早くなる。ただそれだけよ」
そしてはぁとため息を吐きだした。
「もう良いでしょ? 私はもう行くわ。全く、こんなおっさんに時間取られるなんて最悪。もう話しかけないでよ」
彼女はそう言い残し、こちらに背を向けさっさと歩いて行く。俺はその背を見送りながら、短剣の柄から手を離した。
結局重要な事は何も聞けなかったが、こんなもんか。流石に町中で無理やり口を割らせるわけにはいかないからな。
俺はこの町の事を何も知らない。キナ臭い話がある以上、慎重を期すに越したことは無いだろう。
だが収穫はあった。シルヴィアは肯定こそしなかったが、しかし否定もしなかった。”蛇”という単語を口に出すことを徹底的に避けたのだ。
関係者でないのなら、”蛇”を知ろうが知るまいが、詰められたなら違うと否定するはず。だがシルヴィアはそれを口にしなかった。
その行動が暗に、自分が連中の関係者だと言う事を示している。俺はそう考えていた。
ま、内心滅茶苦茶焦ってやがったからな。ほぼ確定だろう。
「やれやれ。面倒事になってくれるなよ」
独り言をぽつりと溢すが、直感はそんな願いに否定を返してくる。
シルヴィアの姿は既に豆粒のように小さくなっている。俺はその背中から感じる嫌な予感を、どうにも拭う事ができなかった。