225.蛇
人垣から逃れた俺達は、連れ立って町中を歩いていた。目的地は特に無い。どこに何があるか良く分かっていない町だというのもある。
だが今はそんな事はともかく、あの場から早く離れたいと足を進めているだけだった。
「まったく、面倒事に巻き込んでくれやがって」
「まーそう言うなよ。お前らの力が必要だってのは本当なんだからよ」
俺はその元凶に恨めしい目を向ける。しかし返ってきたのは悪びれもしない、悪戯っぽい笑顔だった。
「それは一体何ですの? 正直な話わたくし達は今、聖皇教会とは関わり合いになりたくはないのですが」
「ああ? 気にすんな。俺達だって、あいつらとはもう関わりたくねぇしよ」
「いえ、そういう問題ではないのですけれど……」
スティアが困ったように言うが立て板に水だ。マリアは肩をすくめ、自分も迷惑しているのだとのたまった。
「全く、俺は大聖女様だぜ? フォーヴァンの聖女じゃねぇって言ってんのに、あいつら聞きゃしねぇんだからよ。人間って奴は信じたい事しか信じねぇとは知ってたが、ああも耳が遠くなるとはな。困ったもんだぜ」
ケッと漏らすマリアからは、先ほどまでの清楚な印象は皆無である。口調も素に戻り、はすっぱなものに変わっていた。
初めて見るなら誰もが困惑するだろう。あの聖女様が豹変したと。
だがこれがコイツの素である事を、俺達はよく知っていた。なんせ軍で嫌と言う程見たからな。
「人の事言えるかっ。テメェだって人の言う事全然聞きゃしねぇだろうが」
「はぁ? いいんだよ俺は。なんせ大聖女だからな」
人の事言えるかと突っ込めば、奴はにひひと白い歯を見せる。
呆れて物も言えないとはこの事だ。
「貴方はよくそう仰いますが、その大聖女って一体なんですの?」
スティアがそう問うも、
「大聖女は大聖女だ。聖女程度と一緒くたにされちゃ、大聖女の名が廃るってんだぜ」
マリアはそう意味の分からない答えを返す。この問答も、もう何度目になるだろうか。
もうまともな答えが返ってくる事は無いだろうと、俺は諦めていた。こいつの性格を考えても、適当な事を言ってる可能性も高いしな。
「ねぇねぇ! それより、アタシ聞きたい事があるんだけど!」
俺とスティアが閉口すると、次に口を開いたのはマリアの傍にいたホシだった。
「何だホシちゃん?」
「これからアタシ達何するの!? 楽しい事!?」
「あー……そうだなぁ。たぶんホシちゃんにとっちゃ面白い事になるんじゃねぇかなぁ。期待してていいと思うぜ」
「やたーっ! 早く行こう行こう!」
楽しそうな声を上げるホシに、マリアはからからと笑った。
ホシの奴、どうしてかマリアには懐いてるんだよなぁ。まあ酒飲み友達だからかもしれないな。
笑顔で話す二人に、俺は軽く肩をすくめた。
王国に聖女と認知されて以来、マリアは教会にずっと身を置いていた。
ユレイア以来の聖女は、教会にとっては非常に重要な人物だ。戦時とは言え良い待遇で迎えられたはずだろう。
だが奴にとってはそれが窮屈だったらしい。マリアは度々脱走し、教会の人間を困らせてばかりいたのだ。
で、こいつが脱走する理由だが。その大半が、酒を飲むためという聖女らしからぬものだった。
そして奴は脱走したその足で第三師団に突撃し、飲みに無理やり第三師団の誰かを付き合わせたのだ。
その相手で一番機会が多かったのは、ホシだったように思う。ザル同士気が合ったんだろう。
まあ理由はどうあれ仲が良くて困ることがない――と、普通なら思ったところだが。
控え目に言っても、正直大迷惑な話だった。
度々教会から抜け出すマリア。その行き先が俺達第三師団だと知った教会は、これを俺達がたぶらかしたせいだとか何とか適当な理由を作り上げ、第三師団を目の敵にしたのだ。
元々俺達と教会の仲が良くなかった事もあっただろう。だがそれを加味しても教会からの反感はすさまじく、聖女を酒に溺れさせる集団だと一触即発になった事もあった。
全く冗談じゃあない、俺達だって被害者だってのに。
その元凶をちらりと見る。奴は楽しそうにホシと話しているが、どうせ今回だってろくなじゃ話じゃねえに決まってらぁ。
「で、その面白い事って何なんだ。お前らだけじゃ駄目なのかよ?」
ホシ達の話に俺は口を挟む。するとマリアではなく、珍しくアレスの方が口を開いた。
「そうだな。だが話はここでは避けたい。出てから話そう」
「そーいう事だな。ま、今から町を出るには遅いからな。明日の朝にしようぜー」
あっけらかんとそう言って、マリアはきょろきょろと辺りを見始めた。
どうせ考えてるのは酒の事だろう。その顔を見ても、何を考えているのかは丸分かりであった。
こいつは一応、人の目がある場所では聖女っぽく振舞っている。なので誰の目に止まるか分からない場所で飲む事は、流石に控えているようだった。
だから今は酒が買える場所や、ひっそり飲める宿屋を探してでもいるんだろう。
呆れたもんだ。俺達をあんなごたごたに巻き込んでおいて、そこについては何の配慮も無いんだからな。
ここまで気にされないと、逆に清々しいくらいだ。
俺はがりがりと頭をかく。そんな俺へ、スティアがすすすと近寄ってくる。
「それはそうと貴方様。あの連中、どうしましょう」
「どうするかって言ってもなぁ」
後ろを見るような仕草をするスティア。彼女の言う事は俺も分かっている。先ほどからずっと俺達をつけている者達がいたのだ。
誰かと言えば他でもない。先ほど言い合いをしていた女二人と、その仲間達である。連中は今も家屋の影に隠れ、こちらの様子を伺っているようだった。
きっとまだ諦めきれないんだろう。なぜそこまで護衛がしたいのか全く理解ができないが、まあ何か理由があるんだろう。
「今は放っておこうぜ。特に害もなさそうだしな。こいつらの護衛を変わってくれるって言うなら大歓迎なんだが」
だがそんな事は今は置いておこう。俺はあんな連中よりもまず先に、どうにかしなければならない問題に直面しているのだから。
「ノホホホホ! 大歓迎とは流石のわたくしも照れますな!」
「テメェは歓迎してねぇよ!」
むろんこいつの事である。先程からずっと、この馬鹿が俺達に付いて来ていたのだ。しかもムーンウォークで。無駄にキレがあるのがまた腹が立つ。
奴はその場でくるくると回転しながら笑い声をあげている。これ魔物かなんかじゃねぇのかよ。討伐しても誰も文句言わんだろ。
「どうして付いてくるんですのこの方……」
流石のスティアも困惑気味である。短剣の柄を握っているのはご愛敬か。
回りながら笑い声をあげているミンチョウ。だがスティアに疑問をぶつけられ、ぴたりとその場で静止した。
「いやいや、実はですな。ちょいとあなた方に助言をと思いましてな。こうして馳せ参じた次第てございますな」
「別に馳せ参じてはねぇだろ……」
冒険者ギルドから出てきてからずっと、魚の糞みたいにくっついて来てるだけじゃねぇか。
突っ込むもミンチョウは気にした様子もなく、リーゼントに櫛を入れ始めた。
ここですんな。家に帰れ。
「先ほどのギルドでの一件、少々気を付けた方がよろしいと思い、ご忠告を。この町の冒険者ギルドは少々キナ臭いですからな」
お前程胡散臭い奴は他にいねぇよ。俺はそうため息を吐くが、マリアは何かを嗅ぎつけたのか、
「ほう? 何だよ」
と興味深そうな声を出した。
見れば口角も上がっている。おいおい、これ以上面倒事を引き込むんじゃねぇぞ。頼むからよぉ。
「このミゼナの町ですが、この通り田舎の町でございますな。自衛の戦力は微々たるもので、先の戦争の折、もし攻められても魔族相手に戦えるはずも無し。そこでこの町がとった行動は、なかなかに大胆なものだったのですな」
俺の心配をよそに、ミンチョウはリーゼントを整えながら話を進める。どうでも良いが気が散るから止めて欲しい。その前髪、切り落としても構わんか。
「町を守るため、ある集団と取引をしたのです。それがまあ、あの”蛇”でしてな」
「何だって?」
「何ですって?」
奴の態度にイライラしていた俺。だが思わぬ言葉がころりと出てきて、そんな感情は一瞬で引っ込んだ。
俺とスティアの声がかぶる。思わず彼女と目が合った。
「嘘じゃねぇのか、それ」
「何を仰る! このミンチョウ、嘘は申しません! もし嘘だと言うのなら、この自慢のリーゼントを明日から自慢のモヒカンに致しますぞ! それでも良いのですかな!?」
「もう好きにしろよ……」
「なぜこちらが脅迫されているんですの……」
わけの分からない態度に俺とスティアは同時に突っ込みを入れる。リーゼントでもモヒカンでも好きにしろよ。何のメリットもデメリットもねぇよ。
「何なんだこいつ、面白ぇー奴」
マリアだけは笑っている。だが奴の言葉が本当であれば、そんな事を言っている場合ではないはずだった。
”蛇”。俺はあごを撫でながら聞いた言葉の意味を考える。
奴らが町の防衛など手伝うものか。少なくとも善意で動く連中では無い事は確かだった。
しかし情報が少なすぎる今、答えらしきものは出てこなかった。
「冒険者ギルドにも関係者がいるとかいないとか、そんな話ですな。ですからあのギルドの言う事は、多少聞いておいた方が宜しいと思いますな! 話半分に聞いておくべきですな! ヌォッホッホーイ!」
話半分でいいのかよ。そう思う俺を置き去りに、奴はムーンウォークで去って行った。もうほんと何なんだよ。目的が何も分からねぇ。
ふぅと長い息を吐く。すると肩をバドにつんつんと突かれた。
彼はどうしたと言うように俺の顔を見つめている。いや、違うな。
「”蛇”の事か?」
彼はこくんと頷く。いつの間にか俺へ、皆の視線が集中していた。
「貴方様もご存じで?」
代表してか、スティアが最初に口を開く。
「そりゃ同業者みたいなもんだしよ。それに俺ともちょいと関係があってな」
犯罪者集団”蛇”。こいつらの事を、俺は良く知っていた。
”蛇”という連中は、この王国のみならず帝国や聖王国まで、大陸全土で広く活動しているかなり危険な集団だ。
危険と言うのは戦力もそうだが、俺が危機感を覚えていたのはそこではない。
俺は連中の思想にこそ、強い危機感を覚えていたのだ。
俺達天秤山賊団と”蛇”は味方ではないが、しかし明確に敵対関係をしていたわけでもなかった。
争えばお互い傷を負う。しかしそれはお互い何の利益も生まない争いだ。
だから俺達天秤山賊団と”蛇”は昔から、不可侵の協定を結んでいた。
だからこそ俺も頭になった際、”青蛇”――王国で活動している”蛇”の一部組織だ――の頭と酒を飲み交わしたのだが。
俺はそこで聞いた話を、今でもよく覚えている。
奴は言っていた。悪と言うのはいつの世も人に疎まれる存在で、しかし悪として生きる以外に生きる術を知らない奴は、この世にごまんと存在する。”蛇”はそんな連中の受け皿だ。もし扱えない奴がいるなら引き取るぞ、と。
つまり”蛇”という連中は、生まれついての悪人のみで構成された集団なのだ。そして悪人共がその悪性を発揮できるような事を仕事として割り振る組織なのだ。
言うなれば、冒険者ギルドならぬ犯罪者ギルドである。奴らは悪人に仕事を割り振るために存在している。
それを知っているからこそ、俺は不思議でならない。こんな町の防衛を悪人がこなせるか、と。
そもそもそう言うのは衛兵など、所謂”まとも”な人間が行う仕事だ。
人を守るため己の身を危険に晒し、脅威に立ち向かうという行為。そんな善い行いを、人に害をなす事に抵抗のない悪人連中にできると思えない。
”蛇”に所属する人間ではないため、連中の考えは分からない。だが俺には、何か他の理由があると思えてならなかった。
そんな内容を皆に簡単に説明する。反応はすこぶる微妙なものだった。
「まあそんな連中と手を結ぼうなんて、正気を疑うってこった」
俺は最後に肩をすくめて話を結ぶ。
「でもさー、町を守るためだったら仕方ないんじゃない?」
するとホシが大した事も無い様にけろりと言った。
そりゃ当時魔族が目前に迫っていたのだから、現実的な問題を考えればそうなのかもしれないが。
「ですが”蛇”なんて危険な集団ですし、町の人達は不安に思いません? わたくしは魔族に襲われるのと大差ない気がしますわ」
しかしこれにスティアが異を唱える。
そうだよな、俺もそう思う。魔族に対抗するために犯罪者集団を雇用します! なんて、厄介事を抱え込んでいるようにしか思えない。
「おいエイク。お前、その”蛇”に顔が利くんだろ? 面倒な横槍入れられる前に、お前が面出して黙らせるって事はできねぇのか?」
「そりゃ厳しいだろうな。俺が天秤の頭だって分かるのは”蛇”の一部、”青蛇”の頭だけだ。でも、こんな田舎に奴が出張ってるとは思えねぇ」
「ほーん。じゃあ決まりだな」
何が決まりなんだ。そう思う俺に対し、マリアはニヤリと笑った。
俺はその笑顔に思い出す。こいつがこういう顔を見せる時、大体面倒な事態に陥っていた事を。
「お、お前、何を――」
考えてんだ。そんな言葉が出かかるも、マリアは全く聞いていなかった。
奴はくるりと身を翻す。そして一人でずんずんと歩いて行ってしまったのだ。