224.負う謂れのない義務
帝国の女は自分の事をティナと名乗った。
「貴様に決められるなど不本意ではあるが……聖女様が仰られるのであれば致し方ない。さあ、さっさと決めて貰おうではないか」
彼女は眉間にしわを寄せたまま、俺をじっと見つめている。
「だが分かっているな? 我らのパーティはランクA。ここにいる誰よりも高いのだ。聖女様を護衛するのであれば誰が相応しいか、考えるまでもない事。そうだろう?」
「はぁ……」
腕を組み、胸を張り、自分を見せつけるように立つティナ。だが俺としてはこいつらの実力などすこぶるどうでも良かった。
高ランク低ランクなぞ関係ない。この状況を何とかしてくれる人材こそを、俺は今必要としていたのだ。
「確かにランクは高いですけどぉ、信用できるかって言ったら別ですよねぇ? 帝国の人間なんて何考えてるか分かりませんしぃ、聖女様の事を思ったら、やっぱり私達じゃなきゃあ駄目ですよぉ。ね? おじ様だったら分かってくれますよね?」
また俺に絡みつこうとシルヴィアが寄ってくる。が、スティアが険しい顔でその行く手を阻んだ。
おお、頼もしいぞ。その調子で頑張ってくれ。全く勘弁してくれ、隙がありゃべたべた引っ付こうとしやがって。
「何だと!? 何を根拠にその様な事をっ! 勝手な思い込みでものを語るな!」
「危険かも、ってだけで駄目なんですよぉ? そんな事も分からないんですかぁ? こんな頭の悪い人なんていても邪魔なだけですしぃ。その点私ならちゃーんと力になりますよぉ? お・じ・さ・ま?」
「ぐぬぬぬぬ……!」
女二人の間にはバチバチと火花が散っている。
お前ら物事を穏便に解決しようって気はねぇのかよ。俺は平和主義者だからよ、どっちがどっちなんて決めらんねぇな。
だからだなぁ。
「どっちもいらねぇよ面倒臭ぇな。ほら話は終わりだ、解散しろ、解散!」
「なっ!?」
「は、はぁ!?」
手の平をひらひらと振りながら、その場にいる人間にそう伝えた。
女二人はそれに目を剥く。周囲の人間もまた同じだ。
マリアだけは一瞬ニヤリと口を歪めたが、すぐに涼しい顔でコホンと咳ばらいをする。皆の視線がマリアへ集中した。
「では申し訳ございませんが、エイク様方四人だけ、わたくしの護衛としてご一緒下さいませ。お願い致しますね」
「俺だって付いて行きたくはないんだがな……」
ぼそりと呟くも、動揺のざわめきが周囲を覆い、誰も聞いちゃいない。皆ひそひそと話したり顔をしかめたりと、様々な視線をこちらに向けている。
だが俺の仲間達にだけは聞こえたらしい。ぽんと俺の肩にバドの手が乗る。見れば皆、諦めたような表情で俺に顔を向けていた。
たぶん俺もそんな顔をしていたと思う。いや、ホシだけはなぜかにっこにこだったが。
「――納得ができません!」
しかし、この決定に未だに異を唱える者もいた。
「護衛が必要と仰ったでは無いですかっ! なのに選んだのがランクEの四人とは、一体どういう事なのですかっ!」
声を上げたのはティナだ。彼女は拳を握りしめながら、必死の形相でマリアに詰め寄る。
流石にアレスがその間に割って入るが、それでも諦めきれないのだろう、ティナはずいと詰め寄っていく。
「そうですよ! ぶっちゃけ、こんなオヤ――おじ様達より私の方が役に立ちますから! 連れてって下さいよぉ!」
シルヴィアの奴も声を上げる。一瞬本性が見えたような気がしたが、まあ≪感覚共有≫がある俺には丸見えだった奴だ。今更何とも思わなかった。
『マリア様!』
諦められない女二人。
「ですが……もうエイク様が決めて下さった事ですから。わたくしからは何とも」
それに対してマリアはちらりと俺を見る。釣られて女達も俺を見た。
おいおいまた蒸し返すんじゃねぇよ。俺、お前の感情分かるんだからな! 面白がりやがって!
二人の女が俺に向き直る。そして口を開きかけた、そんな時だった。
「静まれ! 一体何事だ!?」
冒険者ギルドの扉が開き、男が一人、靴音を立ててこちらに向かってくる。その大声に周囲のざわめきはぴたりと止まり、視線がそちらに集まった。
男は浴びせられる視線を気にもせず、胸を張ってこちらに近づいてくる。そして皆をぐるりと見回し、口を大きく開いた。
「このわたくしが目に入らんかですな! ノホホホーン!」
「また出たよこのバカ……」
何度目だよこのやり取り。自慢げに胸を張る奴に、俺は脱力して肩を落とした。
奴の見た目はいつもの通り、鼻の下に生やすちょび髭に、丸眼鏡に蝶ネクタイ。頭には見事なリーゼントが――って、リーゼントだぁ!?
「あはははは! 何その髪型!!」
「ノホホホッ! 恰好良いでしょう?」
ホシが笑えば奴も笑う。奴が笑えばリーゼントもびよんびよんと跳ねる。
何なんだよもう、本当によぉ……。喜んで火に油注ぐんじゃねーよバカが!
「何だ貴様。一体何の用か」
案の定ティナが低い声を出す。顔には不機嫌さがありありと浮かんでいる。
だがそんなものに怯む様な奴ではない。奴はリーゼントを激しく揺らしながら楽しそうに笑う。
「おやわたくしの事をご存じないと。いやはや、ランクAパーティが聞いて呆れますな!」
「何だと!?」
「ふっふっふ……。それならお聞かせ致しましょう。何を隠そう隠しませんが、このわたくしこそ聞いて驚けですな!」
無駄にもったいつける奴にいら立ちが募る。何なんだよ、どうせギルドの受付なんだろうがっ。
「何とこのわたくしこそ――冒険者ギルドに入り浸る、ただの町民なんですな!」
「知るかボケッ!!」
そんな奴、誰が知ってるっつーんだよ! 大概にしろや!
つーかこんな真昼間からギルドに入り浸ってるって、ただの無職じゃねーか! 偉そうに言うんじゃねぇ!
「向こうに行っとけこのバカ! 邪魔でしかねぇんだよ!」
「ノホホホ! つれないですなぁ! わたくしの名はミンチョウ。このギルドで管を撒きつつ二十年。冒険者に絡んで騒ぐ趣味を持ち、最近では依頼を選ぼうとする若人の妨害を生きがいとするナイスガイですな!」
「ただの糞野郎じゃねぇか! いらん情報を急に語るな! さっさと消えろ!」
「ノーホホーホホー!」
奴は怪しい動きを見せながら、だばだばと走り去って行った。何だったんだ一体。わけが分からん。分かりたくも無い。
「静まれ! 一体何事だ!?」
「今度は何だよ……」
奴の背中を見送っていると、先程聞いたような台詞を吐いて、冒険者ギルドからまた一人の男が出てくる。
またも視線がそちらに集まる。男はゆっくり近づくと、皆をぐるりと見回した。
「この騒ぎは何だ? シルヴィア」
「あ、パパ! 聞いてよー、マリア様がねー!」
最後に目を向けられたのはシルヴィアだった。彼女は父と呼んだ男へ、文句を言うように状況を説明し始める。
良かった、今度は普通の人だった。それが当然だと言うのに、なぜか安心してしまう俺。
とは言え何が何やらだ。一体偉そうなあいつは誰なんだろう。流石にまたただの町民って事はなさそうだが。
「あの方はこの冒険者ギルドのギルドマスター、トビアス様ですな!」
「うおっ!? お前、どっから湧いた!?」
いつの間にか隣に立っていたミンチョウに、ビクリと体が跳ねる。
だがこの男は動揺する俺の事など気にもせず、胡散臭い笑みを浮かべて当然のように立っていた。
「トビアス様はシルヴィア様の御父上ですな。トビアス様は実の子と言う事で、シルヴィア様を随分目にかけているようですが……はてさて」
「ランク詐欺……という事ですか?」
「どうでしょうな。そんな可能性もあるやもと、そんな下世話な話ですな」
スティアが目を向けると、ミンチョウはやれやれと胡散臭い仕草を見せる。
ギルドマスターが一人の人間を優遇しているなんて知ったら、普通冒険者達には顰蹙を買いそうなもんだが。
「なんでお前が知ってんだそんな事」
「このギルドで管を撒くのがわたくしの使命ですからな! ギルドの内情ならなんでも知ってますな!」
「ああそう……」
ま、こいつの言う事だ。話半分に聞いておこう。
「おいそこのランクE」
「あん?」
そんな話をしていると、今度はギルドマスターの男が声を掛けて来た。
男は厳めしい顔で、俺を睨むように見つめてくる。
「この護衛依頼にはシルヴィア達を連れて行け。反論は許さん」
そして、そんな事を言い出したのだ。
「はぁ? 何の権利があってんな事言われなきゃならねぇんだよ」
「当然ギルドマスターの権利だ。貴様も冒険者なら、ギルドの指示には従って貰おう」
トビアスは偉そうにそう口にする。隣に立つシルヴィアも得意そうな顔でティナを見ていた。
一方のティナは悔しそうな顔で睨み返している。ギルドマスターの権限でそう言われたら逆らえない。そんな気持ちが顔に出ていた。
でもなぁ、勘違いしてんじゃねぇぞ。
「嫌だね」
「何だと?」
俺が即答すると、たちまちトビアスの眉間にしわが寄った。
「貴様、口答えする気か。ランクE程度の下級冒険者風情が。資格を剥奪してやってもいいんだぞ?」
そしてそんな事を言ってきた。だが俺はおいおいと肩をすくめて返す。
「その下級冒険者風情にはな、ギルドの命令に従って依頼をこなさなきゃならん、何て縛りは無ぇんだよ。そんな事、アンタが一番良く知ってるはずだろうが? なぁギルドマスターさんよ」
「ぬ……」
規約では、ギルドの招集を拒否できないランクはCランクから、ギルド直々の指名依頼を受ける義務を負うのはランクBからとある。
俺達はそのどちらにもかすりもしないランクE。目の前の男が何者だろうと、その命令を聞いてやる理由など無いのだ。頭を下げて頼むなら別だがな。
「貴様……冒険者資格を剥奪してもいいのだぞ」
「ほー。ならして貰おうじゃねぇか。この大衆の面前で、職権を乱用してよぉ! ミゼナのギルドマスターは気分次第で冒険者をクビにする、何て噂が立たなきゃいいがなぁ! はっはっは!」
俺は殊更声を大きくする。周囲にはよく聞こえただろう。
これにトビアスは奥歯を噛み占めるような顔を見せた。分が無いことを悟ったようで何よりだ。
ま、実際俺達のパーティランクはBである。だから冒険者証を見せれば義務を負う事になるのだが、俺達はまだこのギルドに自分達が何者か提示していない。
つまり、俺達はただのランクE冒険者なのだ。
だからこのままスタコラサッサのポン太郎よ。ただでさえマリアの馬鹿のせいで面倒事に巻き込まれたのに、これ以上付き合ってられるかってーの。
「おらお前ら、どけどけ! 聖女様のお通りだぞ!」
「お通りだー! お通りだー!」
俺が声をあげれば、ホシも楽しそうに高い声を上げた。
ずんずんと人垣をかき分けるバドに続き、俺達はこの場を足早に去っていく。背中に多くの視線をビシビシと感じたが、そんなもん知ったこっちゃない。
「お前相変わらずだなぁ。面白ぇ奴」
俺の後ろに続くマリアが、くつくつと笑いながらそう溢す。
聞き咎め、俺は後ろにじろりと目を向ける。そこにはニヤニヤとした、聖女らしからぬ笑みがあった。