223.関わりたくなかった相手
「キャーッ!!」
人垣の中央にいた女。その美しいプラチナブロンドの少女は、俺の顔を見たかと思えば突然、目を見開いて甲高い声をあげた。
「ギャーッ!?」
同時に、俺も負けないほどの大声を上げた。
「キャーッ!!」
突然の事にざわめく大衆。だがその少女は恐るべき身体能力でそれをぴょいと跳び越えて、見事に着地。そしてわき目も降らず、こちらに猛然と走って来た。
「逃げろーッ!!」
俺はそう叫ぶや否や身を翻し、今来た道を必死で駆け出した。
「な、なんでアイツがここにいるんだぁっ!?」
「どうやら要人と言うのはあの方のようですわ!」
「遅ぇよその情報! 何で先に言ってくれねぇんだよっ!」
「ですから呼び止めましたのに!」
後ろからはキャーキャーと叫びながら、依然として奴が爆速で追い駆けてくる。
この町には教会が無いって聞いてたのに、何でアイツがいるんだよ! 教会避けて来た意味ねぇじゃん!
「あはははは! えーちゃん、追いつかれそうだよ!」
「クソッ! 何で追いかけてくるんだよ、しつっけーな!」
ホシは楽しそうだがそれどころじゃない。後ろからは白のスカートをなびかせて、少女が猛然と走ってくる。
その速度は凄まじく、必死に走る俺達との距離は少しずつ詰まっていく。
なんつー脚力だよ! 見た目通りか弱い少女であれよ頼むからっ!
「散開して撒くぞ! スティア、目くらまし頼む!」
「お任せあれ!」
隣を走るスティアへ怒鳴るように声を掛ける。彼女も承知とばかりに、魔法の詠唱を始めた。
「水の精霊よ、視界を眩ませ賜え! ”惑いの霧”!」
たちまち辺りは霧に包まれ、視界を完全に塞いでしまう。だが奴はこのくらいで諦めるたまじゃない。俺達は霧から飛び出すや否や、それぞれ別々の方向へ地を蹴った。
俺は近くの細い道へ滑り込むように入り、町の西方向へ。逃走経路を捕まれないよう、家の間をジグザグに抜けて行く。
俺は精を全開に、あらん限りの力で町を駆け抜ける。家々が凄まじいスピードで後ろへ流れ、町人達が何事かと驚きを顔に浮かべている。
冒険者ギルドからはもうかなりの距離を取ったはずだ。だが俺は自分の足を緩めずに、全力で町を疾駆した。
「へっ……ここまですりゃあアイツだって、きっと追って来れねぇだろ!」
魔法で視界を塞いだ上散開し、町を利用して撒いてやった。だがアイツの身体能力は恐ろしいものがある。言葉とは裏腹に、俺は胸中の不安を拭えなかった。
追って来ないか後ろを見る。思った通り、そこに奴の影は見当たらなかった。
一先ず安堵しながらも、走る速度は緩めない。そうして前を向いた時だった。
「――ッ!? あっぶねぇ!?」
何か重量のある物が頭上へ飛来し、俺は反射的に地面を横に転がった。
俺の頭をかすめたのは巨大なハルバード。顔を上げると、その斧槍は回転しながら宙を飛び、そして一人の男の手元へと戻っていく。
「相変わらず良い反応だな」
神殿騎士の鎧をまとい、紺色をした短髪の男。彼は俺をじっと見据えて、立ち塞がるようにそこに立っていた。
「アレス! テメェ……!」
「だが、知らなかったのか?」
アレスは俺に問いかける。その時、後ろから誰かが近づく音がして、俺はゆっくりと振り返った。
そこにいたのは、撒いたはずのあいつだった。
「大聖女からは逃げられない」
その少女、マリアは不敵な笑みを浮かべながら、良く通る声でそう口にした。
斧槍を手にした騎士アレス。杖をさくりと地面に刺し、じろりと俺を見下ろすマリア。
二人に挟まれ逃げ場を失う。
逃走に失敗した事を察し、俺は頭をがくりと垂らした。
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「わたくしの知り合いが快く協力をして下さるそうですので、もう護衛は必要ありません。皆様、お手数をおかけ致しました」
再び戻った冒険者ギルドの前で、マリアの奴はそう慎ましやかに言って、ぺこりと軽く頭を下げた。
くそっ、猫かぶりやがって。つーか誰が快くだ。無理やり連れて来やがった癖に、いけしゃあしゃあと言いやがる。
俺は恨めしい視線をその横顔に送る。だが奴はすまし顔でこちらを見もしなかった。
「しっ、しかし! その者ら、ランクEではありませんか! 聖女様の護衛など務まらないでしょう!」
人垣の中央で言い合いをしていた女の内の一人が声を上げる。真っすぐな黒髪を後頭部で結い上げた釣り目の女。表情からはなかなかきつそうな印象を受ける。
だが俺が最も気になったのは、その格好だ。装備の下から覗く衣服はあまり王国では見ないものだ。そのかっちりとした服装は、どことなく帝国出身かと思わせた。
声は凛々しく、背筋をピンと伸ばす立ち振る舞いは、名のある軍人かはたまた騎士か。鈍く輝く胴体鎧を着こなす様は、高い実力を伺わせる。
その証左であるかのように、首にかけられたドッグタグはランクBを示す金色だった。
「そうですよぉ! それに護衛だったらどれだけいても不都合はないでしょう? 私達だったらお役に立ちますよぉ? ――そこの女と違って」
先程言い合いをしていた、もう一人の女も口を揃える。こちらは愛嬌のある顔つきに、緩くウェーブした栗色の髪が肩の上で揺れていた。
こちらは革鎧に剣と割と軽装だが、首に下げられたドッグタグはランクCを示す銀。それなりの実力者ではあるようだ。
だが最後の一言は余計だろう。ぼそりと呟いたその言葉に、黒髪の女はキッと鋭い目を向ける。だが女は涼しい顔で受け流していた。
全く、女同士の争いって奴は怖いねぇ。俺は知らん顔を決め込む事に決めた。
あの後、追ってきたマリアに捕まった俺は、連行者さながらに再び冒険者ギルドへと連れて行かれる事になってしまった。
聴覚を共有していた三人も状況を把握したようで、既にギルド前に戻って来ている。ホシやバドはいつも通りだが、人垣の中央に連れて来られて、スティアは居心地が悪そうだった。
こんな状況からはすぐに逃げ出したいところだ。だがしかし、俺の後ろに立つ男が目を光らせている以上、簡単にはいかなそうだった。
「……おいアレス。お前、一体何をさせようってんだ」
「後で説明する。何、エイク殿らの実力があればさほど難しくない事。心配する必要はない」
「そういう問題じゃねぇんだよ……」
俺が小声で問いかけると、それにアレスはしれっと答える。こっちの都合を無視しておいて、心配する必要も糞もねぇんだよっ。
俺はじろりと睨んでやるが、対してアレスは涼しい顔だ。泥に杭とはこの事かい。クソっ。
マリアとアレス。この二人とは知らない仲ではない。
こいつら二人も先の戦争を集結させた功労者。つまり不本意ながら、軍属時代の同志であったのだ。
この男はマリアの護衛騎士だ。巨大な斧槍を軽々と振り回す鋼のような筋肉と、大柄な体格を持つ、まさに偉丈夫という言葉が似あう男である。
今も荘厳な白の鎧に厳つい表情を引き締めて、マリアをじっと見つめている。彼女に何かあれば殺す、とでも言い出しそうな雰囲気は非常に近寄りがたいものがあった。
まあ彼は実際、そう物騒な男ではない。割と話が分かる男ではあるのだが、しかし今はそんな事はどうでも良い。それよりもと俺は、再びその人物へ目を向けた。
アレスが護衛をするマリアという少女。この女が一体何者かと言う事だが。
先ほど自分でも言っていたが。あろう事か。信じがたい事に。
先程俺達を猛然と追いかけて来やがったこの少女が。
教会の枢機卿でさえ頭を垂れる、先の戦争の英雄。聖女その人であったのだ。
腰部から緩やかに広がる白のワンピースの上に淡い青のボレロを着ており、手には必要以上に荘厳な杖を持っている。
言い合いをしている女共に対して優し気な微笑みを浮かべている姿は、完全に聖女と言って良いだろう。
だが俺達は知っている。奴の腹の内が、清らかだという聖女とは正反対の、どす黒いものであると言う事を。
今最も関わりたくない人物である。それはあいつの腹黒さもあるが、しかしそれ以外の理由もある。
こいつはこれでも聖女である。今俺を捜索している神殿騎士の崇拝対象だったからだ。
元々聖皇教会は、三百年前に聖女ユレイアが興したものだ。
連中にとって聖女と言うのは、文字通りこの国を身を粉にして救った、神の寵愛を受けた救世主。教会にとってはむしろ英雄王よりも尊いと崇められている存在なのだ。
その聖女と言う存在は、今までユレイア以降存在していなかったと言う。だが今、それがこの世に誕生した。となれば教会がどれだけ熱心になるか、説明するまでも無いだろう。
何でそんな聖女様がこんな場所にいるのか知らないが、アレスと二人でいる事を考えると、大方また教会を抜け出してきたんだろう。今頃教会の連中は必死になって捜索している事だろうな。
全く、厄介事が次々と。さっき逃げられなかったのは痛恨の極みだ。ただ東に向かっているだけだと言うのに、どうしてこう、すんなり行かないんだろう。
俺は顔をしかめてがりがりと頭をかく。そんなこちらの様子になど目もくれず、向こうの女共の会話はどんどんと熱を増していった。
「せめて私達二人だけでも護衛に参加させて下さい! これでも私達はランクAパーティです! 必ずや力になります!」
「えーっ、でもぉ、貴方達帝国の人間ですよねぇ? 帝国ってぇ、この前この国に攻めて来たばっかりですしぃ、ちょっと信じられないっていうかぁ? あ、もしかして! 隙を見て聖女様を帝国に攫おうとか、そんな事を考えてたりぃ?」
「何を!? 貴様、私を愚弄するかっ! 私はそんな卑怯な真似はしない!」
「きゃーっ、怖いですぅ。聖女様、こんな女止めておいた方がいいですよぉ」
下らない事で騒いでいる二人。その後ろには仲間だろう男達もいた。
帝国出身であろう女の後ろには、一人の青年が弱ったような表情で立っている。彼は長剣を腰に差し、重厚な胴体鎧を着て盾を背中に背負っている。
首には金色のドッグタグ。女が私達二人と言っていたため、彼との少数パーティなのだろう。
対して、どこか甘ったるい口調で話す女の後ろには、眉間にしわを寄せた三人の男達が立っている。皆腰に剣を差し、女同様に革鎧を着ている。
ドッグタグも女と同じ銀色。女一人に男三人のパーティらしい。ただどうも、皆革鎧を着ていると言う事が気になった。
パーティを組むと言うのは普通、役割分担があるものだ。だが彼ら四人は皆同じような装備をしている。一体どんな分担をしているか、見た目からは全く分からなかったからだ。
「ではエイク様。どうするか決めて下さいますか?」
「あ?」
彼らの様子を伺い、そんな事を考えていた俺。だからマリアが発したその言葉の意味を、すぐに理解する事ができなかった。
そんな俺の様子を見て、マリアはにっこりと微笑みながら同じ内容を繰り返す。
「彼女達を連れて行くか、連れて行かないか。エイク様が決めて下さいますか?」
『はぁ!?』
突然の丸投げに、俺は思わず大声を上げる。だがその声は俺一人分だけでなく、女二人分の物も混じっていた。
「馬鹿お前、そういう事はテメェで決めろ! 俺にぶん投げるんじゃねぇ!」
「き、貴様! マリア様にテメェだと!? 口を慎め下郎が!」
俺が食って掛かると、帝国の女が唾を飛ばす勢いで俺に食って掛かる。だがそんな様子を見てもマリアはその笑みを崩さず、余裕の表情でこちらに目を向けていた。
こ、こいつ……! 面白がってやがる! 自分が蒔いた種だってのに!
この性悪野郎が……! だから関わりたくねぇんだよコイツにはよぉ!
マリアに対して歯噛みする俺。だがそんな俺の腕に、するりと腕が絡んできた。
「おじ様ぁ。私ぃ、シルヴィアって言いますぅ。私達、役に立ちますよぉ? ね? こーんな敵か味方か分からない女より、私を選んで貰えますよねぇ?」
俺の腕に抱き着いてきたのは、甘ったるい喋り方をする女だった。
彼女、シルヴィアは上目遣いで俺を見ながら、俺の左腕を抱え込む。彼女の柔らかい感触が腕に伝わってきて、俺の体にぞわりと鳥肌が立った。
「き――貴様ぁッ! 離れろッ! 今すぐその腕を放せこのアバズレがぁッ!」
「きゃぁっ!? な、何なのこの女!?」
だがすぐに殺気駄々洩れのスティアが突っかかってくれ、女はぱっと俺から離れた。
ふう、助かったぜ。俺はこういう女は苦手なんだ。
俺は依然として鳥肌の立っている腕を擦りながら、安堵に軽く息を吐く。すると今度はホシがローブを引っ張ってきた。もう、次から次に何なのよ。
「ねえねええーちゃん。あそこのツノモグラっぽいの何?」
「ああ?」
ホシが指を差している先には、確かにツノモグラっぽいのが地面から顔を出していた。
そういや農場にもいたっけな。この辺モグラが多いのかね。
「ありゃあツノアリツノナシツノモグラだ。ツノモグラじゃねぇよ」
「何それ?」
不思議そうにぽかんと口を開けているホシ。暇そうだなぁこいつ。
まあホシにとっては興味が湧かなそうな会話してるもんな。こいつの性格を考えれば仕方がない。
と言うか俺も全く興味が無いんだけども。なんでこうなるのかね。誰でも良いから助けてくれ。
「おい。……おいっ! 聞いているのか貴様は!? そんなもの、今はどうでも良いだろう! こっちを向け!」
そうこうしていると帝国の女が怒鳴りつけてきて、俺は思わずため息を吐く。
もうそっちで勝手に決めてくれよ。何で俺が決めなきゃならんのだ。ホシと一緒にモグラ見てた方がずっと有意義だっつーの。
俺はジロリと元凶を睨みつける。だがそこに立っているマリアはにこやかな笑みを浮かべ、俺の視線を受け流したのだった。くそう。