222.田舎町ミゼナ
町へと向かう街道を、一台の馬車がゆっくりと進んでいる。それを引くのは一頭の馬。年季の入った幌馬車を、のんびり気ままに引いていた。
カラカラと回る車輪の音が、広い草原に小気味良く響く。ガタゴトと揺れる馬車の中、俺は寝ころびながら大きなあくびを一つこいた。
「あらあら、お疲れですか?」
スティアは口に手を当ててくすくすと笑う。
「こうも平和だと眠気の一つ出るだろ。一仕事した後だしな」
俺はチラリとスティアの膝元を見る。そこにはスティアに膝枕をされて眠るホシの姿があった。
俺の視線を追ったスティアは、機嫌良さそうに笑いながらホシの髪を撫ぜる。
「そうですわね。貴方様もお貸ししましょうか?」
スティアはもう片方の膝をポンポンと軽く叩く。だが流石に良い年のおっさんが、少女と並んで膝枕をしてもらおうという気にはならない。
俺が遠慮すると告げると、スティアは少し残念そうな顔を見せる。全く、そんな顔をするんじゃない。
「どうせ町までもうすぐだ。ひと眠りなんて距離じゃないだろ。なぁバド」
俺が会話を振ると、バドもこくこくと首を縦に振る。農場で走り回っていた時からずっと、彼は鎧を脱ぎローブ姿だ。
農場では走るのに邪魔だったから。ここでは馬車の床が抜けるからだ。あの全身鎧じゃ重すぎてな。
午前中はずっと駆けまわっていたと言うのに、バドに疲れた様子は全くない。胡坐をかいて背筋を伸ばし、そこに行儀良く座っている。
ただ普段ならじっとしているはずが、先ほどから僅かに体が揺れている。俺とスティアはそれに顔を見合わせ、つい笑ってしまった。
あの悪夢のような仕事の後の事だ。予想より早くグレイトブルを捕まえた俺達に、依頼主のトピは大喜びだった。
そのため依頼料は当然の事ながら、他に新鮮なミルクも山程貰えるという話にもなり、これにバドが大喜びだったのだ。
待ちきれないと言う様子でうきうきとしているバド。普段からあまり自己主張の乏しいバドが、こうも嬉しそうにしているとどうにも笑ってしまう。
俺とスティアの様子を見て、バドは不思議そうにこちらを見る。自分の様子に気が付いていない事がついに、俺とスティアを噴き出させた。
今俺達はトピが走らせる馬車に乗り、マイツェン領西端の町、ミゼナへと向かっているところである。
農業で取れたミルクは町で保管しているらしく、俺達の目的地がミゼナでもある事から、こうして馬車に乗せて貰っていたのだ。
農場と町はそう離れていない。馬車で精々三十分と言ったところだそうだ。
もう出発してから十分は経っている。あとニ十分程度なら、こうしてごろごろしながら話をしていればすぐだろう。
「そういやミゼナってどんな町なんだ? 教会が無い町だって聞いたから選んだが、それ以外あんまり聞いてなかったな」
「あ、そうでしたわね」
何の話をしようかと考えた時、そう言えば向かう先について何も知らなかったと思い出した。
俺が目を向けると、スティアはああ、と声を漏らす。
「何の変哲もない田舎の町という感じの場所ですわね。この周辺でしたら色々と揃える事ができる大きな町という扱いになっておりますが、シュレンツィアなどの都市に比べれば二段三段は落ちる辺鄙な場所ですわ」
「身も蓋もねぇ言い方だなぁ」
「事実ですもの」
軽く笑う俺に、スティアはけろりと言い放つ。この辺りに住んでいる人間が聞けば気を悪くしそうな言い方だが、スティアは基本人族嫌いだ。言っても仕方ないんだろうと、俺は半ば諦めている。
「でも教会が無いのは確かですわ。この町ならきっと少しはゆっくりできるかと思いますわよ」
「そう願いたいなぁ」
教会が無いなら神殿騎士もいない可能性が高い。にこりと笑みを見せるスティアに、俺は息を吐きつつそう答えた。
東へ向かう俺達の旅。俺達にとっての目的は、魔族を故郷に返す事である。
だが元々は違う。魔族達は道の途中で拾っただけで、最初の目的は全く別のものだった。
王都には、王国軍の最高幹部である俺を目の敵にし、排斥しようとする連中が非常に多くいた。それは戦中は水面下だけで済んでいたのだが、戦を終えてから本格的に動きを見せ始め、実際戦後最初の軍議で、俺は濡れ衣を着せられる羽目になったのだ。
だから俺は身動きが取れなくなる前に自ら王都を出奔し、こうして東へ向かって旅を続けている。これが旅の動機であり、王都から離れるという事が最初の目的だったのだ。
幸い無事に王都を抜け出すことはできた。だがそんな俺に対して追っ手をかけた者達がいた。
その中の一つには、あの聖皇教会の存在があった。
最初の軍議で俺を排斥するため動いたのが聖皇教会であったと、俺はこの旅の途中で知ることが出来た。しかしその時はそれ以上の情報は無く、教会に目立った動きも無いとの事だった。
そのため俺は、俺を追い出した事で教会はもう目的を達成したのかもしれないと、楽観的に捉えていた。
しかし違った。少し前にグレッシェルの町を出て、また東に向かった俺達だったが、そこで俺らしき人間を探し回る神殿騎士達の姿を目撃してしまったのだ。
俺の人相書きを持ち、町の人々に訪ねて回る連中に、俺達はその町を早々に出て行くことを余儀なくされた。
結局俺達の旅路は大きな町を避けざるを得なくなり、こうして田舎の町や村を経由する事となってしまったのだ。
多少の面倒臭さはあった。だが、それも恐らくこのマイツェン領を抜けるまでだとも、俺は思っていた。
その理由はこの領を東に抜けた先が、俺の故郷、オーレンドルフ領だからであった。
荒れた地の続くオーレンドルフ領は非常に治安が悪い場所として有名だ。至る所で民が路上生活をし、犯罪行為も横行している。
町全体が貧民街化しているような領だ。そんな場所だから、神殿騎士が歩いている姿など見た試しがない。
この領を抜けるまでの辛抱だろう。何、道と言うものはどこへでも続いているものだ。
どんな道順を辿ろうと、目的の場所へは必ずたどり着ける。そう軽く考え、俺達はここまで来た。必要以上に深刻に考えてもどうにもならないからな。
にこにこと笑みを見せるスティアに、俺も軽く笑って返す。そうして俺達は他愛もない会話を続けながら、次の町へと続く道をゆっくりと進んで行った。
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「俺の家はこの目抜き通りを真っすぐ行ったとこにあんだが、大きい倉庫があるから、行けばすぐ分かる。今渡しても困るだろうから、町を出るときにでも寄ってくれな。明日出るんだろ? 待ってっから」
そう言ってトピは去って行った。
カラカラと音を立て、馬車が小さくなっていく。俺達はその光景を、町に入ってすぐの場所で立ち尽くして見ていた。
「ここがミゼナか……」
「田舎でしょう?」
何度目か、またスティアが言うが、俺はそれに言葉を返せなかった。町に入っているからこそ首肯できなかったが、しかしスティアの言う通りの田舎だったからだ。
地面は土むき出しで、石畳なんてものは全くない。建つ家々も景観などお構いなしで、好き放題の場所に作られている。
更に、トピは先程”この目抜き通り”と言ったが、明確にそれと分かるような通りもどこにも無い。
今まで経由してきた町は家々が整然と並び、通りと分かる道を作り出していた。だがこの町には石畳も無ければ整然と並ぶ家もない。どこが路地でどこが通りなのかさっぱり分からないのだ。
トピが去って行った道は、比較的空間が広くなっているだけの場所だ。確かにずっと向こうまでその空間が続いているが、それを通りと言っていたんだろうか。
遠ざかっていく馬車を見つめながらそんな事を考えていると、ホシが丸い目をスティアに向けた。
「なんかさあ、ここ村っぽくない?」
「ご明察ですわ、ホシさん。ここは以前村でしたの。いつからかは存じませんが、気付かぬうちに町になっておりましたわ。人は多くなっても、景観はそのままですけれどね」
自分を見上げるホシに、スティアは首を縦に振る。
なるほど、そう聞くと合点がいく。村と言うのは基本的に、家を並べるような配置をしていない。なぜかと言えば、土地に余裕があるからだ。
土地が余りまくっている場所なのに、わざわざ家をくっつけて配置する意味は無い。適当に家を建てたところで誰も困らないのだ。
そうして見ると目の前に並ぶ家々は、確かに村の景観そのままだった。
想像とはかなり異なる光景に、俺は少し呆けて視線を巡らせる。すると肩を誰かにちょんちょんと突かれた。
何かと後ろを振り向くと、そこにいたのはバドだった。
「ん? バド、どうした?」
問えば、バドは前をちょいちょいと指さす。なるほど、行かないのか、と言う事か。
確かにこんなところで立ち尽くしていても意味は無いな。俺はスティアに視線を向ける。
「なぁ、ここにも冒険者ギルドがあるんだろ? 場所、知ってるか?」
「もちろん知っておりますわ。早速向かいます?」
スティアが小首を傾げると、銀髪がさらりと肩から流れた。
「他に用事もないしな。先に行って到着の報告をしておこう。後回しにすると、どうにも忘れそうだ」
「どうでもいい報告だもんね」
俺が頭をかきながら言えば、ホシが茶々を入れてくる。俺は向けられるくりくりの目を見返した。
「どうでもいいって、お前なぁ。報連相は大事だって、軍にいた頃散々言ったろうが」
「でもえーちゃんだって、どうでもいいって思ってるでしょ?」
「まぁな」
そりゃそうだ。ギルドの管理上必要なんだろうが、俺達に恩恵が全くないんだもの。
人に言い聞かせる場合と自分がするのとは別問題なのだ。どうだホシ、これが大人の汚い世界よ。
だが俺の即答に、ホシは可笑しそうにけらけらと笑った。もう長い付き合いだもんな。俺の考えなんてお見通しか。
「うふふ。では皆さんが忘れる前に、行ってしまいましょうか」
スティアも釣られてか楽しそうにくすくすと笑う。
そうして俺達の足はミゼナの冒険者ギルドへと向かう。だがそこで見たものに困惑し、俺達の足はすぐに止まってしまった。
「なぁにあれぇ」
ホシが変な声を出す。彼女が指を差した先には冒険者ギルドがある。だがその入り口には冒険者か野次馬か、人だかりができており、まるで垣根のようになっていたのだ。
何があるかは見ても分からない。俺達は思わず顔を見合わせた。
「何かあったのか? まさか神殿騎士絡みじゃないだろうな?」
「いえ、どうも違うようですわ」
最近の面倒な出来事No.1だ。すぐに浮かんだその想像だが、スティアにすぐに否定された。
スティアは耳が非常に良い。魔術で遠くの音を拾えるようにしているとも聞いているが、それでここまで声が聞こえたんだろう。
「何だか、要人を誰が警護するかで揉めているようです」
「要人警護だ? この田舎でか?」
「そうですわ。この田舎で」
「田舎!」
バドもこくりと首を縦に振る。いや田舎はどうでも良いんだよ。問題はそっちじゃない。
とは言えそれなら俺達とは関係のない話だ。あまり気にしなくても良さそうだ。
「何だか面倒事臭いが、まあ関係ないならどうでもいいか。ただ、あの様子じゃ入るのはちと無理そうだなぁ」
「そうですわねぇ。随分白熱しているようですし」
ギルドの前に屯した人々の興味は冷めやらない様子だ。皆興味津々の様子でギルド正面に集まっている。
「ちと状況を見に行って、無理そうなら時間を置くか。とりあえず行ってみようぜ」
「おー! 行ってみよう! やってみよう!」
何をやるのか知らないが、てててとホシが走っていく。俺はそれに苦笑しながら、彼女の小さな背中に続いた。
徐々に近づいてくると何となく様子が見えてくる。
人垣の中央にいるのは数人の人物。二人の女が何か言い合っていて、その中央にも女が一人。一体全体何だろう。貴族のお守でもしようと言うんだろうか。
「え? あ、まさか、そういう――!? ちょ、ちょっと貴方様!」
「ん?」
だがその集団に近づいた時、スティアが慌てた様子で俺を呼び止める。俺はそれに振り返ろうとするが――
「え?」
俺は見てしまった。その人垣の中央にいた女の顔を。
その女はスティアの声に反応してか、こちらにくるりと顔を向けた。
そして僅かに一瞬だが。女がニヤリと口を歪めたのを、俺の目ははっきりと捉えてしまったのだ。