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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四_五章 見えなかった心
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幕間.報いと報せと

 しんと静まり返った部屋の中。机に置かれたランプの炎の揺らめきが、目の前に座る人物の顔を仄かに照らしている。

 その者の顔に刻まれた皺は非常に深い。薄暗い部屋の中でさえはっきり分かる人生の年輪が、その人物の年の頃をありありと示していた。


 その老婆は何を思うのか、ランプの炎を一人、うっそりと笑いながら静かに見つめている。

 今は深夜。物音一つ聞こえない部屋には、穏やかな時間が流れている。

 老婆はその時間を楽しむように、小さな炎の揺らめきを、ただじっと見つめていた。


 一体どれだけそんな時が流れていただろう。そんな平静を破る音が、突如として部屋の外から響く。

 カン、カカ、カ、カン、カカン。リズミカルに慣らされた金属音のようにも聞こえるそれは、同志であることを示す簡易的な符丁であった。


「お入り」


 視線を上げ、老婆――影の探求者(シャドウシーカー)のグランドマスターである彼女は、穏やかな口調で入室を促す。するとドアが静かに開けられ、一人の人物がするりと部屋に入ってきた。

 その人物はフードを深々と被った姿で、物音一つ立てずにそこにいる。彼は後ろ手にドアを静かに閉めた後、そこでやっとフードを脱いだ。


(つつが)なく終えて参りました」


 露になった顔には、目の前の老婆同様深い皺が刻まれている。しかし老婆とは異なりその腰は曲がっておらず、ピシリと足を揃えかくしゃくとしていた。


「ご苦労だったねぇ」

「万感の思いでございましょう。これでやっと旦那様、そしてセイン様の無念を晴らすことができます」


 くっくっく、と肩を揺らして笑う老婆。対して老爺は深々と腰を折った。


「このギルドに籍を置き早五十年余り。この機をどれだけ待ち望んだことか。王家の影には随分と手こずらされましたが、ようやく我らの悲願を成就することができます。奴らを葬った暁には、旦那様方の墓前に報告に参りましょう」

「連中の首を添えてかい? ひっひっひ……そんなことしたら、あの世で腰抜かしちまいそうだよ。ぎっくり腰にならなきゃ良いけどねぇ」

「きっと大層お喜びになることでしょう」

「そうだと良いけどねぇ」

「間違いございませんとも」


 愉快そうに肩を揺らす老婆。そんな彼女を見つめる老爺の双眸は、どこか悲しそうな感情を滲ませていた。


(おいたわしい……。本来であれば華々しい人生を約束されていたはずの奥様が、このような薄暗い場所で人目を避けるように生きるしかないとは。その心中はいかばかりか……っ)


 老爺は過去を思い返すかのように、静かにその瞼を閉じた。


 六十二年前のこと。とある大貴族の子息に見初められた彼女は、相手の権力の大きさもあっただろうが、なし崩し的にその家に嫁ぐ運びとなり、関係者を大いに狼狽えさせる事となった。


 彼女の生家はしがない男爵家で、平民に毛が二、三本生えただけの、特記するところもないただの貧乏貴族であった。


 そんな貧乏貴族の家に、彼女は四人兄弟の上から二番目の長女として生まれた。

 家計は厳しく、なんとか生計を立てようと毎日を必死に暮らしていた彼女。だが運命神の戯れか大貴族の目に止まる事となり、男爵家は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなったのだ。


 婚約をすっ飛ばしての求婚に、当初、周囲には不安に思う者も多かった。

 しかしその不安をよそに当人達はあっけらかんとしたもので、周囲を置き去りにしてあれよあれよという間に輿入れを果たした。

 おかげで大分肝が据わっていると、彼女は周囲を呆れさせたものだ。


 ともあれ大貴族の妻となった彼女だったが、夫との仲は非常に睦まじく、今までの爪に火を灯すような生活から一転、何不自由の無い生活を送る事となった。

 その後の人生も幸運続きで、一年後には後継ぎが生まれ、そのまた一年後には夫が父の後を継ぎ、二十で大貴族当主の夫人にまでなった。


 今まで貧しい人生を送ってきた彼女。それがやっと報われ、順風満帆の人生を歩み始めた。これはきっと神からの祝福なのだ。

 これからの人生に陰りなど一点も無い。彼女はきっと輝かしい光の中歩み続けるだろう。誰もがそう思い、そして彼女を心から祝福していたのだった。


 だが。

 突如得た栄華はまるで霞だったかの如く、彼女の目の前から消え失せてしまう事となる。


「今思ってもまぁ、なんだね。あいつも馬鹿なことをやったもんだねぇ。貴族が身内殺しだなんて、バレればどうなるかくらい分かるだろうに」


 彼女が嫁いでから七年目のこと。夫の弟によって食事に毒を盛られた一家は、そんなこととは露ほども思わずそれを口にした。

 夫、息子は死亡。しかし彼女だけは運命が味方をし、直前にそれを察した家令の差配により難を逃れ、落ち伸び身を隠すこととなった。


 貴族にとって身内殺しは大罪である。罪が露見すれば義弟は間違いなく死罪となる。

 否、義弟だけでは済まない。その妻、子供、孫までもが、重い罪を背負うこととなるのだ。


 当然それを恐れたのだろう。義弟は夫殺しの冤罪を彼女に着せ、捜索する体を装い暗殺者まで送り付けてきたのである。

 それ故、彼女は血眼になって探す義弟の目をかわし続ける生活を余儀なくされてしまった。


 義弟の放った暗殺者や、貴族殺しの大罪人を捜索する騎士団。そんな者達の影に怯える生活は、彼女らの肉体と精神を容易に蝕んだ。

 あれから五十年以上経っている今、すでに死んだと思われているのか、捜索の手は止んでいる。世間ではそんな事件があった事も忘れられている。


 だが、その過酷な体験は、当事者の記憶には染み付いたままだ。二年も続いた苦しい逃亡生活を思い出してしまい、老婆の口から重い息が漏れ出した。


 周囲に味方のいない状況に耐え切れず、結局彼らは身を守るため、ここ盗賊ギルドに籍を置いた。代償として、常に表社会から隠れ続ける生活を余儀なくされたが、しかし己の半生よりも長く活動している今、もう慣れてしまい、苦にも思わないようになってしまった。


「今回ばかりは王家の影といえども断罪は免れますまい。奴らもまた同罪なのですからな」

「そうだねぇ。本当に、馬鹿なもんだよ」


 かつての家令だった男はそう溢す。それには流石の百戦錬磨の老婆も、どこか呆れたように返事をした。


 王家の影。三百年前から連綿と続く、王家の権威を影で支え続けてきた、裏の顔を担う諜報部隊。

 そんな者達が、大貴族に毒薬が流れる情報を掴めないというのはいかにも不自然である。

 ならばその裏では、王家の影も関与しているのではないか。


 長い時間を費やし王家の影と情報戦を繰り広げた結果、その推察が真実である事を示す証拠を得られたのは、今から五年ほど前のことだった。


 丁度王都を取り巻く魔族らを妥当せんと、貴族が戦力を集結していた際のことだ。

 どうにもきな臭い動きを見せていた貴族を突っついてみたところ、ポロリと零れ落ちたのが切っ掛けだった。


 そんな長年探し求めてきた情報は、影の探求者(シャドウシーカー)が脅迫する前に王家に嗅ぎ付けられてしまったが。

 だが老婆にとっては人生をかけて探し求めて来たものだ。その情報を決して誰にも売るなと国は言って来たが、簡単に首を縦に振る気には到底なれなかった。


 なので老婆はその話を飲む際に、一つの条件を付けたのだ。

 その貴族の罪を必ず問う事。そして断罪の前には、必ずギルドに連絡するようにと。


 ずっと待ち侘びちていたその連絡が、つい最近入った。律儀にも王子自らが送ってきた、正式な書状だった。

 だから彼女はその後更に掴んだ”おかわり”を王家へ届けるよう、老爺に走って貰ったのである。非常に稀ながら、その情報は無償提供という形であった。


 あれからもう五十三年。老爺の言う通り、まさに万感の思いがあった。

 一言では言えない感情が老婆の中には渦巻いている。まあ目の前の老爺にとっては、その殆どが負の感情のようであるが。


「そんな顔をするんじゃないよ」


 老婆はそれを優しく窘める。


「確かにね、失ったものは大きかったよ。あたしも当時は恨んで恨んで恨みぬいたさ。愛する旦那も息子も殺された。この手で殺してやりたいと、何度思ったか知れないよ。でもねぇ、あれから長い時間が経って、思う事もあるんだよ」

「今は恨んではいない、と?」

「そうじゃないんだよ。奴らに対する恨みは今でもある。あたしが生きている間に、(むく)いを受けさせなけりゃ気が済まないくらいにはね。でもねぇ、こうして思うと、私の人生も捨てたもんじゃないって、そう思うんだよ」


 机の上でたゆとうランプの炎に視線を落としながら、老婆は言う。


「こうして影の探求者(シャドウシーカー)に身を寄せたからこそ得られたものもある。もしあたしがここにいなければ、それを知る事すらできなかったと思うとねぇ。それも悪くなかったんじゃないかって、今更ながらそう思っちまうのさ。爵位を捨てざるを得なかった家族には悪いと思ってるけどね」


 結局彼女は証拠が無いとして罪には問われていない。しかし彼女の実家、オーバリー男爵家は爵位を返上し、町を去ったという。

 そんな話もあるというのに、どうしてか老婆の双眸は非常に穏やかで、恨みを抱いているようにはとても見えなかった。

 一方それを聞く老爺だが、彼もまた思うところがあるのか、口を噤んだまま反論することはなかった。


 彼の反応をちらりと見た老婆は、ひっひと歯を見せて笑うと、


「帰ってきたその足で悪いけどね、これを追加で届けとくれ。火の勇者の奴もきっと、エイクの事を知りたがっているだろうからね」


 そう言って封書を机の上に置く。随分分厚いそれに老爺の眉がぴくりと動いた。


「まったく……あの鼻垂れ坊主が随分と立派になったもんだよ。あんたも見ただろう? シュレンツィアでのあの姿を。感慨深いったらないねぇ」

「フ……」


 老婆が笑いかけると、老爺も僅かに相好を崩す。そして彼は封書に手を伸ばし、懐へとしまい込んだ。


「では私はゼインハルト様へ、これを届けに行って参ります」


 そしてフードをかぶり直したかと思えば、すぐに老婆に背を向けた。


「その足でとは言ったけどねぇ、ちょいと休んで行ったらどうだい?」

「いえ、今日はどのみち眠れそうにありませんので。それでは失礼」


 そう言い残し、彼は静かに部屋を後にする。遠ざかる足音の一つすら聞こえない事に、老婆はくつくつと含み笑いをした。


「やれやれ。アンタにはああ言ったけどね、あたしもそうさ。今日はどうにも……昂ぶって寝付けそうにないねぇ」


 老婆は可笑しそうに目を細めると、またおもむろに視線を落としてランプの炎をじっと見つめる。そこにある炎は老爺が部屋を訪れる前から変わらず、ずっとそうして揺らめき続けている。

 彼女はそれを静かに見つめながら、在りし日へと思いを馳せる。その炎の中にはかつて見た様々な光景が、泡沫のように浮かびあがっていた。


 貧しい家族のため、ランプの明かりを頼りに夜中まで仕事に励んでいた時の事。

 夜中に生まれた息子の顔を、産婆が持ったランプの炎がぼんやりと照らしていた時の事。

 義弟の手の者の影におびえ、闇の中に息を殺して潜みながら、か細い光だけを心の支えにしていた時の事。

 そして酷い雨が降る嵐の夜。山賊団に身を寄せる一人の子供を悟られないよう守って欲しいと、火の勇者と名乗ったあの男に、額を床につけ懇願された時の事。


 炎の中にぼんやりと浮かんだ光景達は、そのいずれもが音もなく静かに消えていく。

 老婆はそれらを、穏やかな表情でただじっと見送っていた。

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