幕間.光と闇とお茶菓子と3
ライトエルフの女王ヴェティペールと、ダークエルフの女王ドロテア。二人の女王がレシピの交換をする事を約束してから、もう一月半が経とうとしていた。
その間何度かレシピを交換し、着々と計画を進めていた二人は、今日もまた目的を果たすため庭園に集まる約束を交わしていた。そして約束の時間通り、昼過ぎにお互い足を運んでいたのだったが。
「な、なんじゃ。そんなに見つめおって」
今、ヴェティペールは珍しいものを見たように、目の前の人物をまじまじと見つめていたのであった。
ヴェティペールの目の前に座るのは、勿論ダークエルフの女王ドロテアだ。彼女はいつものように美しいシルバーブロンドを肩にかけ、ゆったりと椅子に腰かけている。
その余裕を感じさせる振る舞いはいつもの彼女で間違いない。しかしヴェティペールは初めて見る彼女――いや、彼女”ら”の姿に、つい無言で、そして食い入るように見つめてしまっていた。
「い、いえ。その……珍しいものを着ているな、と思いまして……」
そう。普段煽情的な装いをしているダークエルフが今目の前で、ケープを肩に羽織っていたのだ。
しかもドロテアだけでなく、お付きの二人も同様である。
五年近く共にいて、初めて見たその姿。ダークエルフは常に、これでもかと肌を露出させていると思っていたヴェティペールは、これに大変驚いていたのだ。
「なんじゃ、その事に驚いとったのか。そりゃあそうじゃろう。こうも寒くなってきては流石に、あの恰好では堪えるからの」
合点がいったドロテアは、おかしそうにくすりと笑う。だがこれにヴェティペールは複雑そうな表情を見せた。
エルフ達が王城ファーレンベルクの庭園に入り浸り始めた頃は残暑が残る時期で、まだ暑い程だった。しかし最近は秋の涼しさも肌寒さへと変わり、冬の訪れを告げている。
ダークエルフの衣服は肌が見える部分が多い。この季節に着るには確かに、時季外れと言ってよいのは間違いなかった。
ただこれを、その服をつい最近まで来ていた本人に言われては、どうにも首を傾げてしまう。
「ですが。王国軍に身を寄せるようになって今まで何度か冬を越しましたが、そんな恰好、今まで一度だってしなかったでしょうに」
それに、今の今まで見せなかったものを当然のように見せられても、困惑もしようと言うものだ。ヴェティペールが不思議に思うのも当然の反応だろう。
ドロテアも流石にそれを分かっている。分かっていて、相手の反応が見たいがために、何のことも無い様に言っているのだ。
悪戯が成功したとでも言うように、口元を隠して笑うドロテア。それにヴェティペールは少々拗ねたように唇を尖らせるが、それがまた一層ドロテアの頬を緩ませた。
「すまんすまん。これはの、正式な場では着ぬものなのじゃ。儂もお主も森人族の女王じゃ。立場のある者同士の会談には相応しく無くての、今まで避けておったのじゃよ」
ダークエルフの煽情的な装いは、己の肌色を誇りに思うが故の事。それを隠すような装いは、正式な場では相応しくなかったのだとドロテアは言う。
どうやらダークエルフにとっては普段着のようなものらしい。ライトエルフにも似たような感覚――肌を見せるダークエルフとは正反対の、肌を隠す、というものだが――があるため、ヴェティペールはその思いをすぐに理解した。
ただ、そうとなると一つの疑問が生まれる事になる。
「ではなぜ今になってその恰好を?」
思うままにそれをぶつけると、ドロテアも鷹揚に頷いて返す。その表情はとても楽しそうであった。
「お主が言う我らの相互理解に一つ、役立つかと思うてな。ダークエルフが寒さに耐えてまで肌を晒していた理由、お主は分かってくれるかの?」
ドロテアの言葉が、ヴェティペールの頭に沁み込んでいく。
夏、自分達は熱いながらも我慢してローブを着込んでいた。太陽光に肌が負けないように、人の視線に晒されないように、と。
今ドロテア達が着ている衣服もまた、それと同じなのだと彼女は思い至る。
夏と冬。季節は違えど、ダークエルフもまた誇りのため、耐えていた事があったのだ。
長きに渡り反目し続けている二種族の、奇妙に似た感覚。そこに可笑しさを感じて、ヴェティペールは微かに笑う。
ドロテアもまたそれに笑みを浮かべ、
「それに、儂ももう若くない。骨身に染みる故な」
と、肩を軽くすくめて彼女に返した。
「ドロテア――」
だがこの言葉に、ヴェティペールの笑みが消えた。
ドロテアは森人族の中でも相当長寿の人間である。三百年前の聖魔戦争にも彼女は参戦しており、杖を手にして人族と戦ったのだ。
森人族は長い時を生きる種族だが、流石にもう寿命が見えている年のはず。それを知るヴェティペールは、胸がずきりと痛んだ。
もっと早く会えていたなら――。
そう思わずにはいられない彼女の顔には、微かな暗さが浮かぶ。
「そんな顔をするでない。儂は今が楽しいのじゃ。こうしてお主と語らっておる、この瞬間がな。お主もそう思うじゃろう? ほら、笑ろうてくれ、ヴェティ」
しかし目の前の相手は、それすらも楽しいとでも言うように、頬を緩ませて自分を見ている。それを見ているとどうしてか、ヴェティペールの頬にもまた笑みが浮かんでいた。
「……卑怯です。貴方は」
「ふふ、年寄りの特権と言う奴じゃ、許せ。それにじゃ。まだその時は来ぬよ。なんせ今、儂らの双肩には森人族の未来がかかっておるのじゃからな」
「ええ、そうですね。ドロテアにはまだまだ頑張って貰わなければ困ります。長生きをして頂かなければなりませんから、覚悟して下さいね」
「おお、怖い怖い」
笑みを浮かべあう二人のエルフ。彼女らは心から楽しそうに、ころころと笑いながら談笑を続けている。
庭園を吹き抜ける風が彼女達の横顔を撫ぜて行く。どうしてかヴェティペールは、今日の風が妙に冷たく感じていた。
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「さて、今日は儂の番じゃったの」
「はい。よろしくお願いします」
先ほどからずっと、テーブルの中央に置かれている二つのそれ。隠すようにナプキンがかけられており、何なのかは分からなかった。
こほんと一つ咳払いをしてから、ドロテアが軽く目くばせをする。お付きがさっとナプキンを取ると、果たしてそこにあったのは、いくつもの丸いものだった。
「……これ、は?」
手の平半分程度の丸いものが、白い皿の上に乗せられている。唖然とするヴェティペールの目の前で、お付きはもう一つのナプキンもさっと取って見せる。
やはりそこにも丸い何かが、白い皿の上に乗せられていた。
今まで何度かレシピを交換したが、そのどれもが見た目にも美味しそうな食べ物ばかりだった。しかしこれは一体何だろうと、ヴェティペールは目を丸くする。
それは黄金色をしたのっぺりと丸い、よく分からない食べ物だった。ヴェティペールの目には、それが非常に地味に映った。
「何じゃと思う?」
だがドロテアの顔には余裕があった。ほくそ笑みながら聞かれれば、ヴェティペールも気を取り直し、目の前の何かをじっと見つめる。
「黄色い……何でしょう。果物? では無いですね。香りに甘さが無い」
「ほう」
周囲に漂うのは香ばしい香りだ。これは甘味ではないとエルフの女王は考える。
そうして見ていると、彼女は気づいた。ただ黄色く丸いだけと思っていたが、二つの皿には微妙な違いがあったのだ。
「これは――豆でしょうか? 何かが入っていますね」
一つはひたすら平凡な見た目だが、もう一つの方には豆らしき丸い物がごろごろと入っているのが見えた。
ドロテアは目を細めてヴェティペールを見ている。他に何か言うかとでも思っているのかもしれない。だが自分が言える事などそれでお終いだった。
「では実際に食して、お主の感想を聞かせてくれんかの」
そうして彼女の目の前に、その黄色い丸いものが運ばれてくる。
何なのか想像もつかないそれ。しかしドロテアが不味い物を出すわけがないと、ヴェティペールは信じていた。
だから彼女はナイフで半分にしたそれを、躊躇いなくフォークで突き刺し、口に運ぶ。
「むっ!?」
小さく漏れた驚きに、ドロテアがしてやったりと口角を上げた。
「これは――芋!」
「さよう」
もっちりとした食感に、芋の甘さがふわりと香る。初めて体験するもちもちの食べ物に、ヴェティペールは驚愕を隠せなかった。
目を丸くする彼女へ、ドロテアは満足そうに目を細める。
「これはまあ簡単に言えば、茹でた芋を潰して丸めて焼いただけの物じゃな。そちらにはお主が言った通り豆を入れておる」
「茹でて潰して焼いただけ……!? そ、そんな物、料理とは言えないではないですかっ!」
だが、それを聞いたヴェティペールは思わず腰を浮かしてしまった。
今まで自分が作ってきた料理は、何度も失敗を重ね、試行錯誤して作り上げた自信作である。少しの手間も惜しまず、繊細な手順を踏み、ようやく作り出した一品だ。
それが何だ。潰して丸めた? まるで子供の泥遊びではないか!
自分の思いを馬鹿にされたように感じて、ヴェティペールの内に仄かな怒りが生まれる。しかし相手も予想していたのだろう。先んじて、ドロテアは彼女を軽く手で制した。
「まあ話を聞けヴェティ。これを出したのにはわけがある。我らの思いを確実にするわけがな」
真っすぐにドロテアを見据えるヴェティペール。もし戦前の関係であれば、「泥団子を食すとは、流石黒エルフですね」「見た目でしか判断できぬとは、白いのはどうやら目だけでなく、性根すらも腐りきっているようじゃ」と、罵倒の応酬となっていたところだろう。
だが今は違う。二人の間には数年をかけて築いてきた固い信頼関係があった。
しばらくの間をおいて、ヴェティペールは静かに腰を下ろした。それを見届けてから、ドロテアはゆっくりと話を始める。
「お主、以前言うたな。我らの作るレシピを森人族に浸透させ、二つの森人族が親交を深めた事実を認めさせる。そうして我ら二種族の関係を正そう、と」
無言で首肯するエルフの女王に、ドロテアもまた頷いて返す。
「じゃがな、儂は思うのじゃ。ただ美味いレシピを考えるだけでは、ちと難しいのではないか、とな」
「……それはどうしてですか」
「分からんか」
ふるふると首を横に振るヴェティペール。これにドロテアは苦笑いをした。
「やはりな。儂もじゃ」
「は?」
「いや、儂も”じゃった”、と言うのが正しいの」
突然重苦しい溜息を吐いたドロテアに、ヴェティペールは不思議そうな顔を向ける。次に彼女の目に映ったのは、ドロテアの苦々しい表情だった。
「レシピを作るに当たって、儂は腕の確かな者にも声を掛け、意見を出し合うことにした。故に今まで出したレシピはダークエルフが作り上げた、努力の結晶とでも言うべきものじゃろう」
じゃが、それを一笑に付す者がいた。そう言うドロテアに、ヴェティペールは信じられないものを見るような目を向けた。
「お主も知っておるじゃろう? バイエン・ガド・エルトルート。あ奴じゃよ」
だが、そんな驚きもすぐに消える。次いで現れたのはドロテアと同じ。苦虫を噛み潰したような、苦々しい表情だった。
「あのトンチキ――ごほんっ。いえ。えー……と」
「あんな奴はトンチキで構わん。下らん好奇心でそちらの貴重な秘薬を使わせおって。末代までの恥では済まん。我ら種族の恥部よ」
かつてエイクがまだ軍におり、魔法陣を研究していた時の事。責任者である第三師団長が研究所を離れた隙を見て、わざと失敗して作った魔法陣――よりにもよって上級魔法、”死神の狂乱”の魔法陣だ――を暴発させた阿呆がいた。
その者こそ、ダークエルフの戦士長、バイエン・ガド・エルトルート。
こと戦闘においては研究に余念がないが、同時に熱が入ると周りが見えなくなる悪癖も持つ、扱いづらい男であった。
「いえ、それを言うなら我らこそ。彼を行動に移させたのはアレのせいですし」
「スヴェニア……ルーナ・ルンナハインか……」
だが、仮にも戦士長であるバイエン は、多少なりとも慎重さも持っていた。余計な要素さえなければ、あの事件は起きなかっただろう。
だが不幸にも、あの場所にはその余計な要素が存在した。してしまった。
その要素こそ、 スヴェニア・ルーナ・ルンナハインという、ライトエルフの戦士長だったのだ。
スヴェニアの性格は一言で言って、口は禍の門。余計な一言で周囲の雰囲気を悪くする天才だ。
きっと彼女の余計な一言が、バイエンを行動に移させたのだ。貴方はエイク殿がいなければ何も決断できませんのね、などと言って。
女王二人はそろって重苦しい息を吐く。扱いづらい部下を持つ気持ちはお互いによく分かった。その部下が替えの利かない立場にある有能な者であるからこそ、その悩みも深かった。
「……で、そのバイエンが何か?」
「ん? お、おお。そうじゃった」
頭痛を感じ額を揉んでいたドロテア。だがヴェティペールに話の先を促され、思考をもとの話題へと戻した。
「あ奴が言うておったのじゃ。そんな豪華な食事ばかりでは、殆ど民の目にはつかぬじゃろうとな」
バイエンは更にこう言った。一般の民が気安く口に運べるような食べ物でなければ、すぐに忘れ去られるだろう。生活に根付き、普段からよく食べる物でなければ、意味はなさないだろう、と。
彼はそう言い残し、スヴェニアに呼ばれその場を去って行った。
何だかんだ仲が良い二人だ。きっと街へ繰り出して、酒でも飲むのだろうとドロテアは気に留めなかった。
それよりも今、自分達が気にしなければならない事は。そうしてドロテアは方針を変える。
「そしてできたのが、これじゃ。これならば調理も簡単で、材料も芋と小麦粉程度。好みの材料を入れればアレンジも簡単じゃ。その豆のようにの」
ヴェティペールは再びテーブルに目を落とす。そこにあったのはただ黄色くのっぺりとした、すこぶる地味な食べ物だ。
しかしドロテアの言う事を理解した今では、それが輝いてすら見えた。
彼女は別の皿を指差して、お付きから豆入りのものを受け取ると、すぐにナイフを入れて口に運ぶ。豆の香りと塩気が程良く効いて、彼女の舌にはすこぶる合った。
「この名前は?」
顔を上げるヴェティペール。その笑顔を見て、ドロテアの顔にも微笑が浮かんだ。
「実はの、まだ付けておらんのじゃ」
「そうなのですか?」
「民にも親しまれるような名をと思っておるのじゃが、なかなか難しくての。お主はどんな名前が良いと思う? 参考までに聞かせてくれんか」
下々の民に受け入れられるような名前と聞き、ヴェティペールは悩んだ。
材料には芋を使っている。ならば芋を使った名前が良いだろうと彼女は思った。
オーミ・デ・テール・ロティ・ロンド――直訳で”丸く焼いた芋”だ――などどうだろう。そう思い顔を上げた彼女だったが、
「儂はの、子らにも好まれるような名前が良いと思うのじゃ。子に好かれる料理ならば、親も覚えるじゃろうしの」
「子供、ですか」
ドロテアが溢したその言葉に、再び悩んだ。
子供は一体どんな名前を好むだろうか。そう考えた時ふと脳裏に過ぎったのは、妙に子供には好かれていた、悪人顔の第三師団長だった。
彼だったらどんな名前を付けるだろうか。そう言えば彼はよく、そんなもん適当で良いんだよ! などと言っていたか。
エイクを思い出しながら、ヴェティペールは思考を続けていく。
この料理は、もちもちとした触感が非常に特徴的だった。ならば簡単に、もちもち芋なんて名前はどうだろう。
「あの、私はもちも――」
「儂は芋もち、なんて名前はどうかと思うんじゃがなぁ。どうにも芋臭くてパッとせん。いやはや年は取りたくないわ」
「ごほっ! ごほっ!」
「ん? どうした?」
出かかった声を飲み込んで、咳払いで誤魔化すヴェティペール。結局その場では何も決まらず、二人は解散する事となったのだった。
後日、やはり芋もちに決まったと聞いて、ヴェティペールは悩んだ。
「私のセンスは古いのでしょうか……」
思い悩む彼女に対し、お付きのエルフ達はにこやかに笑う。
きっとお二人が似すぎているからですよ、と――。