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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四_五章 見えなかった心
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幕間.胸に灯る

 グレッシェル子爵が実の息子に捕縛されるという珍事があってから、すでに一か月が経っていた。


 その前代未聞の醜聞は、貴族社会を瞬く間に駆け巡った。

 情報というものは貴族間では光の如く伝達される。そして、それが醜聞であれば醜聞であるほど、その速度は増すのだ。

 今ではその経緯を知らぬ者はない。そう言っても良い程に、貴族らの間で周知が済んでしまっていた。


 さて、その当事者達の内の一人、ルーデイル代官の娘ルフィナ。彼女はあの事件の後自分の屋敷へと戻り、元通りの生活を送っていた。


 今も彼女は自分の部屋で、自分の机に座っている。

 季節はもう冬だ。朝晩の冷え込みは徐々に厳しさを増しており、暖炉の存在が欠かせなくなってきた。

 彼女の部屋の暖炉もまた、早朝の今赤々と燃え、心地よい温かさを放っている。ただそれでも寒いらしく、ルフィナは膝掛を足にかけていた。


 外から差し込む光は明るく部屋を照らしている。

 普段通りの穏やかな日々。グレッシェル前代官の不正に立ち向かい、騎士達と共に傭兵達を打ち倒したことがまるで夢だったかのように、ルフィナには思え始めていた。


 ただ、それは確かにあった事。事実彼女はその立役者の一員としてあの町にいて、悪人面のおっさんに協力して前代官を捕えたのだ。

 ルフィナは先程からずっと、手元に目を落とし続けている。そこにあるのは一通の手紙。

 彼女の普段の生活にはあるはずが無かったその手紙もまた、それが事実であったと証明していた。


 早朝届いたその手紙に、ルフィナはずっと目を落としている。内容はそう長いものでは無く、既に読み終えてはいた。

 しかし彼女は確かめるように、何度も繰り返しその内容に目を通していた。

 まるで夢か現実かを確かめるように。彼女の表情は真剣そのもので、手紙を睨みつけているようにも見えた。


 どのくらいしていたのか、ルフィナはふぅと軽く息を吐き、やっと顔を上げる。それと時を同じくして、部屋の扉がガチャリと開いた。

 これでもルフィナは男爵令嬢だ。その部屋にノックもしないで入ってくるとは一体誰が、と普通なら思うだろう。

 しかしルフィナには、その人物に確かな心当たりがあった。それ故に彼女の吐いたため息には、いつもの事だと言う諦めが含まれていた。


「う~……っ。寒くなって来たねぇ。ちょっと温まらせて~」

「ちょっとサリタ、ノックくらいしてよね」

「いいじゃんいいじゃん。おー……やっぱり暖炉はあったかいですなぁ。でっへっへっへっ」

「止めなさいよその笑い方……」


 それはルフィナの護衛兼メイドのサリタだった。メイド服を着た彼女は、部屋に入って来たかと思えば部屋の主に目もくれず、暖炉に腕をかざして屈み込む。

 突然押し入ったあげく背中を向けたサリタに、ルフィナは再びため息を吐く。二人は主従関係ではあるが、それ以上に友人としての繋がり強い。

 こんな真似をしても仕方がないと諦められる程度には、お互いへ絆は深いものであった。


「で、フリッツさんの手紙には何て書いてあったの?」


 サリタはルフィナに背中を向けたままにししと笑う。あの騒動で会った限りの相手からの、初めての手紙だ。きっとルフィナへ特別な報せがあっての事だとサリタは考えていた。


 だが相手はあの、ルフィナを攫おうとした前代官との関係が深い人物でもある。気になってしまうのも仕方がない。

 サリタなりに、ルフィナの事を思っての行動だった。


「アンタ、相手は一応子爵なのよ? さんじゃなくて様付けしなさいよ」

「ルフィナだって、一応なんて言っちゃってるくせに」

「アンタと私じゃ立場が違うのよ」

「はいはい。で、どうなのさ?」


 暖炉の前に陣取りつつ、サリタは顔だけを彼女に向ける。それをルフィナは黙って見ていたが、無言のまま椅子から立ち上がるとサリタの横へ近寄って、彼女と並んで暖炉の前に屈みこんだ。


「あのね。アイツ、色々やってくれたみたいなの」


 そうして手紙に書かれていた内容を、彼女は静かに話しだした。


 フリッツはあの騒動の後、父親の犯した不正を告発し、全てを公にしたらしい。その結果国からの調査が入ることとなり、彼は今全面的に協力をしているそうだ。

 そんな事態に問題の父親はどうしているのかと言うと、異様なまでに静かにしているとの事だ。

 まるで憑き物が落ちたかのように。その姿は廃人のようでもあると、手紙には記載がされていた。


「憑き物が落ちたみたいに、か」

「サリタ?」


 不意に呟いたサリタに、何かとルフィナは顔を向ける。サリタの横顔が炎の光で、僅かに赤く染まっていた。


「本当に憑き物だったのかなぁ。私はさ、何かあったんじゃないかって、ずっと引っ掛かってたんだ」


 サリタは思い出していた。四年前の不幸な事故で、ルフィナが豹変してしまった時の事を。

 今は落ち着きを取り戻しているが、あの誰かを見る度に悲鳴を上げるルフィナの姿は、まるで何かが憑いたようにも思えた。


 そんな状態の彼女と、サリタは一年以上共に過ごしてきた。だから過去に前代官が豹変したと聞いて、何か切っ掛けがあったのではないかと、サリタは思えてならなかったのだ。


「ま、もう誰も分からないんだけどね。アウレーンさんも……亡くなっちゃったし」

「そう、ね」


 アウレーンは彼女達の目の前で死んだ。他に当時を知るものと言えばスラムの婆さんくらいだが、あの後サリタが疑問をぶつけても、知らないと首を振られてしまった。

 答えをくれる者はもういない。サリタの疑問は光を得ることなく、闇の底へと沈む以外なかったのだ。


「で? で? それだけじゃないんでしょ?」

「え? ええ。そうね――」


 話の腰を折ったのはサリタだが、そんなことも忘れたように、彼女は興味に輝く双眸を向けてくる。

 ルフィナは促されるようにまた、手紙の内容を思い出した。


 前代官の罪を公にしたフリッツは、そこでもう一つ行動を起こした。父親によって被害を受けた者達には全く瑕疵が無かったと、そう公言したのだ。


 その中にはもちろん、四年前に起こったルフィナの事件も含まれていた。

 彼はその事件の被害者ルフィナに対して、当時のことを”幸いにも未遂だった”と明言した上で、今回父の捕縛に全面的に協力してくれた功労者だと褒め称えていたのだ。


「ほほう」

「何よ」


 それを聞き、途端にニヤニヤとし始めたサリタ。ルフィナは嫌そうに顔を歪めるが、サリタはそれでは止まらなかった。


「これは何か匂いますなぁ。ぷんぷんと、甘ーい香りが」


 四年前の一件以来、ルフィナは実しやかに傷物だなどと陰口を言われて来た。フリッツはその中傷を一掃するように、声を大にして否定したのだ。

 さらに言えば、わざわざ彼女の功績を称え、悪を正した名誉まで与えた。これに意味がないと思える方が無理があるだろう。


 サリタも敏感にその意図を察し、揶揄うような目を向けてくる。だがこれを受けるルフィナはフンと鼻で笑い飛ばす。


「元々気にもしてなかったんだから、どうでも良いわよ」

「またまたぁ、嬉しいくせに。素直じゃないんだから」

「うるさいわね。やけに絡むじゃない」


 二人は暖炉の前で屈んだまま、会話を弾ませる。

 けらけらと笑うサリタと、つんと澄ましているルフィナ。それはいつもの光景だ。しかしサリタにだけは分かっていた。

 ルフィナの見せる表情が、いつもより柔らかくなっている。目元も緩やかな曲線を描き、人を拒む様な厳しさが薄れていた。


 あの四年前の事件から、ルフィナとずっと共にいたサリタ。彼女の激しい人間不信と戦って来たからこそ、サリタは嬉しさを感じずにいられない。


(そんな顔もできたんだね。ルフィナ、良かったね。本当に良かったね……)


 目の前のルフィナにそう言えば、また面白くもないと鼻を鳴らされるだろう。だからサリタは胸の内だけで喜びを噛み締める。

 しかしそれはどうしても態度に出てしまう。にやにやと笑いながら、サリタはルフィナへウザ絡みをし続ける。

 二人の会話はマリアネラが呼びに来るまで、暖炉の炎のように、明るく暖かな音色を奏でていた。



 ------------------



 装備を戦闘用に整えた三人は、いつものようにファング魔窟(ダンジョン)へと足を向けていた。

 あれから何度も魔窟(ダンジョン)へ足を運び、第一階層はすでに攻略を済ませている。

 今は第二階層が彼女らの戦いの舞台となっており、日々研鑽を積んでいた。


 わちゃわちゃと喋りながら通りを歩く三人。町は柔らかな木漏れ日に包まれ、空にはシルキーモスが飛んでいる。

 いつもの通りの平穏なルーデイルの町並み。彼女達は賑やかに通りを抜けると、そのまま冒険者ギルドを素通りし、魔窟(ダンジョン)へ向かって足を進めた。


「おーい! サリター!」


 しかしそんな彼女らを、一つの声が呼び止めた。

 振り向いた三人の目に映ったのは、冒険者ギルドで受付嬢をしているパウラだった。彼女はタタタと駆けてくると、三人の目の前で足を止める。


「これから魔窟(ダンジョン)? いっつも頑張るわねぇ」


 呆れたように笑うパウラに、サリタは不思議そうに小首を傾げる。


「そうだけど……どうかした?」

「この前言ったけどさ。アンタ達、もうランクD昇格の条件満たしてるわよ。昇格どうすんの? ギルドマスターが、代官の娘さんが試験受けるならちゃんと調整しろって言っててね、いつするつもりか聞いて来いって、もううるさくって」


 パウラはやれやれと肩をすくめる。これにサリタとマリアネラは、ルフィナへ伺うような横目を向けた。


 この町がここまで豊かになったのは養蚕事業が成功したためだが、それを成功に導く事ができたのは、ライナルディ男爵家の善政によるところが大きかった。

 甘い汁に群がろうとする貴族達や、突如発生した魔窟(ダンジョン)に上手く対処してきた男爵家。彼らの努力無くして、今のルーデイルは無かった。


 それを知る町民達が男爵家に対して抱く感情は、尊信である。だからこそ、その娘に敬意を払うというギルドマスターの言動も、別段おかしくはない行動だった。


 しかし――


「必要ないわよ」

「え?」


 一言だけルフィナが返す。ぱちくりと目を瞬かせたパウラに、ルフィナはもう一度同じ言葉を返した。


「昇格はいらないから。どうせパーティランクが上がれば、個人のランクは低くても変わらないんでしょ?」

「いや――じゃない。いえ、そんなことは無いと思いますけど」

「どっちにしろ、私達はランクを上げるために冒険者になったわけじゃないから。だから昇格するつもりは無いわ。面倒だし」


 唖然とするパウラに「じゃあね」と告げて、ルフィナは魔窟(ダンジョン)に向かって歩き出す。


「そういう事だから。じゃね」

「あ、ちょ、ちょっとサリタ!」


 パウラが手を伸ばすも、二人もまたルフィナを追って歩き出す。パウラは何も言葉に出せず、ぽつんとその場に立ち尽くしていた。


「ね、本当に良いの? 早くランク上げたいって、ずっと言ってたのに」

「受けてもぉ損は無いと思いますけどぉ」

「良いのよ。前にも言ったでしょう?」


 二人はルフィナの背中に声を掛ける。これにルフィナは前を向いたまま口を開いた。


「確かにね、私は強くなりたい。もう舐められないように、強者の証として高いランクが欲しかった。でもね、今はこう思うのよ」


 二人の目の前で、ルフィナはくるりと身を翻す。


「強さを隠してた方が、もしかしたらカッコイイかも、ってね?」


 ニヤリと不敵に微笑むルフィナに、サリタとマリアネラは目を瞬かせる。しかし次第に頬が緩み、ケラケラと笑い出した。

 三人はそのまま笑いながら歩き出す。その足取りは弾む様な、楽し気なものだった。


 冬の風が木々をさわさわと揺らしながら、街を吹き抜けて行く。その空風(からかぜ)は彼女達の顔を冷やりと撫ぜながら、乾いた音を立てて後ろへ流れて行った。


 しかし三人にはそれを気にした様子が全くない。

 顔に浮かぶのは楽しそうな笑顔。冬の寒さを心地良く感じられる程に、彼女達の胸には柔らかな温かさが灯っていた。

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