幕間.夜更けの二人
「ハァァァーッ!」
王城内の訓練場に、雄々しい声が響き渡る。それに混じって鳴り響くのは、一つの激しい剣戟の音。
絶え間なく聞こえる金属音が、戦いの苛烈さを物語る。二人の実力は伯仲しているらしく、音はしばらくの間ずっと、その場に響き続けていた。
「く――おぉぉぉっ!」
「まだ、まだぁっ!」
一人の男が剣を薙げば、相手の騎士は剣を振り下ろす。二つの剣は交差して、重い音を打ち鳴らした。
男がくるりと手首を返し、剣を足元へ鋭く飛ばす。その剣を盾で弾いた騎士は素早く距離を詰め、剣の柄を男の胴へ突き出した。
「食らうか、よっ!」
男は半身でそれをかわし、騎士の喉元へ剣を飛ばす。
アゴを軽く上げてそれを避けた騎士。だが次の瞬間彼の目に映ったのは、男の左拳を覆う白い靄だった。
「むっ!」
騎士――騎士団長イーノは短く声を漏らす。腰を落とし、盾を前に。攻撃を受けてやると言う彼の思いが、その構えに現れていた。
イーノの体にふわりと、白い靄が立ち上った。
「食らえっ! ”練精拳”ッ!」
男はオーラをまとった拳をイーノへ叩きつける。対してイーノは盾を強く握った。
「”練精盾”」
立ち上るオーラは盾を覆うように伸びていく。守と攻、二つの白光は、真っ向から激しくぶつかり合った。
「くっ!」
「むぅ!」
二人の精技は全くの互角だった。競り合う二つのオーラははじけ飛び、二人も衝撃で後ろへ弾き飛ばされた。
土埃を立てながら二人は後退する。しかしそんな状態でも、男達は次の行動への意識を切らさず、視線を相手から離していない。
その証拠に、イーノの盾には再び白いオーラが。男の剣もまた、輝くオーラで覆われている。
二人は同時に息を吐く。そして同時に地を蹴った。
「”鉄塊撃”ッ!!」
「”烈光輝剣”ォッ!!」
互いの精技がぶつかり合う。渾身の大技は火花を散らし、男達の顔を照らし出す。
その表情はどちらも歯を食いしばった厳しい表情で。
だがそれもすぐに崩れた。
『うおぉぉぉーっ!?』
またも精技は互角に終わる。しかし先ほどと場違い、今度は中級精技同士だった。
二人はその場からはじけ飛び、訓練場の土を舐めた。
「あいてててて……」
男は小さく漏らしながら立ち上がる。相手を見れば、向こうも膝に手を突いて立ち上がるところだった。
また互角だったか。そう溢しながらも、男――エーベルハルトの表情には楽しさがある。その声にもまた悔しさは含まれていなかった。
幼馴染であるエーベルハルトとイーノ。彼らはもう二十年を超える仲である。
二人は幼少期の頃から一緒だった。だからお互いの事は誰よりも分かっている。
性格も考え方も、長所も短所も嫌いな食べ物すら。そんな二人だからこそ、戦い方の癖や実力も、本人以上に知っていた。
「また腕をあげられましたね、殿下」
「お互い様だろ、それは」
イーノが言いながら近づいてくる。だがイーノとの実力はずっと昔から伯仲しており、その均衡が崩れた事は今まで一度だって無かった。
エーベルハルトは笑って言い返す。イーノもまた軽い笑みを顔に浮かべていた。
五年前、イーノは役など特にない、ただの一騎士であった。
実力も当時の騎士団長には遠く及ばず、王宮騎士としては中堅よりやや下程度の実力で、彼の望みであった近衛騎士にも名を連ねる事が出来ずにいた。
彼と同程度の実力であった王子もまた、同様に一騎士程度の実力であった。
ただ、彼は王家の人間である。基本的に剣の腕は資質に問われず、嗜みの域を出ないものだったろう。
しかしエーベルハルト自身は、これに歯痒い思いを抱いていた。
実の父親である国王ガドラスは、王宮騎士ですら手玉に取るほどの実力者だった。昔から英雄王の再来と呼ばれる父と比較されてきた彼にとっては、父を超える事こそが指標だったのだ。
近衛騎士となりエーベルハルトを守る。偉大な父を超える。
目的は異なるものの、強くなりたい気持ちは一緒だった。二人は己の願いを果たすため、共に研鑽し、毎日を喘ぎ続けていた。
だが。戦争という大きなうねりに巻き込まれた事で、彼らの願いは大きく変わった。
国を守る。皆の未来を守る。
その願いを果たすため、彼らは命がけで奔走する事になったのだ。
国を巡り、戦力を集めた。民の志願兵だけでなく、傭兵、冒険者、様々な者を。
それは異種族にまで及び、果てには山賊という犯罪者集団まで巻き込んで。
今まで王都という小さな世界にいた二人は大きな世界に触れ、その経験を糧に飛躍的に成長した。
精神的にも肉体的にも大きく成長した今の姿は、五年前とは比べるべくもない。当時しか知らない者はきっと、大きく目を見張る事になるだろう。
今のイーノは騎士団長に相応しい品格と実力を備え、エーベルハルトもそれに比肩する、王国内でも指折りの達人となった。
今床に臥せっている国王も、もし健在であっても敵わないのではないか。そんな噂が出回るほどには、彼ら二人は英雄の名に相応しい男へと変化を遂げていた。
「――で。久々に体を動かしたいとの話でしたが、これで気がまぎれましたか? 殿下」
「うっ」
ただ。人間そう簡単に性格は変わらない。
この二人においても同様であり、その根幹がさほど変わっていないという事については、未だ殆どの人間には知られていなかった。
「いや、そういうわけじゃ無いんだ。最近執務ばかりで体も鈍ってたからさ――」
「大方ごねていた第一師団がやっと出て行ったので、溜め込んだ鬱憤を晴らしたい。そんなところですか」
「うっ」
半月ほど前、軍部の決定で、とある領へ第一師団を送るという決定がなされた。
これには第一師団の長、アウグストも首を縦に振ったのだが、しかし彼は第三師団も随伴するようにと言い出したのだ。
今第三師団はストライキの真っ最中である。エーベルハルトはアウグストへ、第三師団が引き受ければよいと条件を出した。しかしその結果待っていたのは、二つの師団の小競り合いであった。
第一師団はつい先日まで、第三師団も加わるようにと強硬な姿勢を崩さなかった。しかし第三師団もこれに反発し、絶対に飲まないと首を縦に振らなかった。
にらみ合う二つの師団に結論はついぞ出ず。最終的に下された案は、第二師団の長ジェナスが出した、第二師団の第三大隊を出す、というものだった。
もともと第一師団が希望していたのは、第三師団の第二大隊――つまり、バドが率いていた部隊であった。
第二大隊はバドの趣味が高じて、料理に抜群の腕を持つ者が多く集まったおかしな部隊である。
基本的に戦闘を行う部隊であり、主計兵――兵糧管理や調理などを行う兵士の事だ――では無かったのだが、そんな理由から時と場合によって、その役目を担う事もあったのだ。
だがしかしその事実が、第一師団の嘲笑を買った。戦いもせず飯を炊くだけの部隊だと揶揄されたのだ。
それを知るジェナスは、第一師団が美味い飯を作る主計兵を望んでいるのだとにらんだ。そして軍議でアウグストにこう言い放ったのだ。
「主計兵が必要なら、我ら第二の第三大隊を連れて行けば良い。だがもし”飯炊き係”などと侮辱する輩がいれば、その場で引き返させる。我らは第三師団長ほど気が長くない。精々口には気を付けられよ」
第二師団の第三大隊は、カークが所属する中隊がある隊である。最も第三師団との仲が良好で、バドのお料理教室に通っていた者も多い部隊だった。
これにはアウグストも黙った。
食事と言うのは基本的に人の活力となる物である。支援任務も軍として必要不可欠なものであり、馬鹿にされるような事自体がそもそもの間違いなのだ。
ジェナスの厳しい視線もあり、ついに第一師団は折れた。そしてつい先日、大隊二部隊を連れて王都を発って行ったのだ。
ジェナスのフォローで予定の通り、事態を進める事が出来た。とは言えアウグストが第三師団を随伴する事に強く拘り、この半月の間に何度も小競り合いを起こしてくれた。
王子はそれに対応を迫られ、余計な仕事が増えるばかりで。
面倒事が去ったとて、彼の内に残った鬱憤は、奇麗に消えてくれなどしなかったのである。
「まあ構いませんよ。殿下の気分転換に付き合うのもまた、私の役目ですし」
王子の胸の内などお見通しだ。だがそれは騎士団長だからではなく幼馴染故。
だからイーノは軽く肩をすくめ、旧友の後ろめたさを軽く流す。エーベルハルトもまたそれを見て、微かな苦笑いを見せた。
「しかしアウグスト殿にも困ったものだ。なぜあんなにも第三師団に拘っていたのか、私にはよく分かりません」
「俺もだよ。行軍に支障が出るようにしか思えないんだが、どうにもあいつは首を縦に振らなくてな」
王子は何度かアウグストへ考え直すよう説いていたが、どうしてか彼は自分の意見を覆さなかった。これを不思議に思うも、王子にはその理由がよく分からないままだった。
「これを機に鍛え直そう、などと思ったのですかね。第三師団は腑抜けの集まりだ――なんて、第一師団では良く言われていたそうですから」
「そう……だな」
あまり前線に出ることが無かった第三師団を、第一師団の者は良く思わないばかりか、見下してすらいた。
彼らを嘲笑し笑いのネタにする。そしてその矛先はいつも、最後には第三師団の長へと向いたそうだ。
一度も前線に出たことがない腑抜けの大将だと、そんな事を言って。
「もし殿下がエイク殿を一度でも前線に立たせたなら、違ったかもしれませんね?」
責めるような言葉と視線を送るイーノ。
「しょうがないだろうが。あいつを前線になんて送って見ろ。誰がどさくさに紛れて殺そうとするか、分かったもんじゃなかっただろう」
これには流石に反論せざるを得ないと、エーベルハルトもまた責めるような視線を返した。
元々山賊団の頭目だったエイクを良く思わない者は大勢いた。それは仕方のない事だろうが、しかし戦場の混乱に乗じて始末してしまおうと考えそうな輩も多く、そんな状況で彼を戦場になど送れはしなかったのだ。
エーベルハルトには彼を引き込んだ責任があった。みすみす味方に暗殺されるような真似は絶対にさせられないと強く思っていた。
彼を狙うのは高位貴族や、神殿騎士など厄介な者ばかり。そして王子の言う事など聞きそうにない、面倒な者達でもあった。
だからこそ王子はエイクに、弱い、一般兵程度の実力だ、などと嘘を付き、戦場に立たせないようにイーノと一芝居打ったのだ。
無事エイクはこれを真実だと思い込み、そして今までその嘘は暴かれないままとなっている。
結果として、王子の目論見は成った。エイクは戦後まで生き延びて、今も尚生きて好き放題やっている。
「エイク殿が他の師団とあまり交流が無かったからこそ、通じた嘘でしたけどね。もし一般兵の実力をちゃんと目にする機会があれば、すぐにばれていましたよ。殿下が兵士程度の実力しかないなんて嘘は」
「今考えれば、途中でバレた方が良かったような気もするけどな……」
だがこの二人以外の者は知らない。その代償として、エーベルハルトに苦難の日々が訪れていた事を。
エーベルハルトはエイクへ勝負を挑み、彼を実力で下した後にそんな嘘を付いて、彼を前線に立たせまいとしたのだ。
だがこれでエイクはこう思ってしまった。王子を倒せば戦場に立てる! と。
「あいつ、俺相手でも勝つために本当に何でもやってくるから、毎回冷や汗をかいたもんだよ。何とか負けずに済んだから良かったが、もう相手しなくていい事だけはほっとしてるよ」
そうしてエイクは度々エーベルハルトへ勝負を挑む事になる。その時の事を思い出し、エーベルハルトはげんなりと肩を落とした。
「おかげで強くなれて良かったじゃないですか」
「お前なぁ! さらっと言うけどな! あいつ毎回攻め方が変わるから、ほんっとうに厄介なんだぞ!? 一度の立ち合いで十種類近くの武器を出された時なんか、俺は何と戦ってんのかわけが分からなくなったわ!」
「貴重な経験でしたね。今後の役に立つでしょう」
「こんな経験人生で二度もせんわ!」
エイクの命を守るため、人知れずエイクと死闘を繰り広げていたエーベルハルト。
イーノは鍛錬になったとサラリと言うが、自分の蒔いた種とは言え、これを受け止められるだけの気持ちの余裕が今のエーベルハルトには無かった。
「くっ――! よし、もう一戦やるぞ。今度は勝つ。イーノ、位置につけっ!」
肩を怒らせて背中を見せるエーベルハルトに、イーノはやれやれと肩をすくめる。
時刻はもう夜更けだ。誰も彼らを目にする者はいないだろう。
しかしそれでも念のためと、イーノはこの時刻に訓練場を使用すると、人払いを前もって行っていた。
いつもの幼馴染のやり取りが、二人しかいない訓練場に響いている。その声に剣戟の音が混じるのは、それからすぐ後の事だった。