24.最良への謀り
その日の夕暮れ。俺達は魔族達の待つ洞穴へ、バドを除く三人で帰ってきた。
俺達が入ってきた時、魔族達は警戒を露わにしたが、俺達の姿を見てすぐに安堵した表情を見せた。
だがそれも束の間、今度は目を伏せ、顔を弱々しく振りはじめた。
「何かあったのか?」
「もう一人は……やっぱり、やられてしまったのか? そう、だよな……。流石にあんなのが相手じゃあ――」
「ん? バドのことか?」
「ああ。あの大男だ」
ここにバドがいないせいでどうも勘違いさせてしまったらしい。
俺は足でシャドウに合図を送る。するとすぐに、大の字に寝ているバドがずぶずぶと影の中から現れた。
「こいつ、アクアサーペントの肉欲しさに精を使いすぎてなぁ、動けなくなったからこうして連れてきたんだ。ああ、アクアサーペントは倒したぞ。結構な大物だった」
魔族四人は俺が何を言っているのか飲み込めなかった様子で、馬鹿みたいにぽかんと口を開けた。
結局あの後バドが思った以上に頑張り、二メートル程度の長さで輪切りにした肉塊を四本も作ってしまった。
俺の言った通り、バドでも一振りでは両断することができなかったが、彼は諦めずに何度も何度も同じところに”練精剣”で斬りかかり、アレを両断してみせたのだ。
なお両断するために四~五回は斬りかかっていたため、”練精剣”を軽く二十回以上は使用したことになる。
あいつは馬鹿じゃないだろうか。俺だったら手加減したならまだしも、あんな全力でなんて十回もできないわ。
肉のためなんて理由なら、たぶん途中で馬鹿馬鹿しくなって止めたと思う。
肉への執着心にかられ精魂尽き果てたバド。呆れたものだが、流石に放置もできないため、ここまでシャドウに運んで貰ったと言うわけだ。
今もまだ動けないようで、寝転がったまま微動だにしない。ここにいられると邪魔なのでバドを壁際まで寄せようとする――が、持ち上がらないし引っ張っても全然動かなかった。
あー……出すところ間違えたわ。
早々と諦めてホシを呼ぶ。何事も諦めが肝心なのだ。
「こりゃ駄目だ! ホシ頼む! ここじゃ邪魔だからバドを運んでくれ!」
「はいはーい!」
肩で息をしながら頼む俺を尻目に、ホシはがっしとバドの首元を掴み、ずりずりと片手で引っ張って行ってしまった。あの細腕になぜあんな力があるのか不思議で仕方がない。
これについては以前ホシに聞いてみたことがあるが、疑っていた精について聞けば、「何それ?」と不思議そうに言われてしまった。だからあの力はオーガの種族による特有のものなのだろう。
人族とはそもそも体の作りが違うのだと思う。羨ましくもあるが、その代わりにホシは魔法はからきしで、何も使うことができないという体質でもあった。
神は二物を与えず、ということなのかもしれない。
もしホシが魔法も使えたらどうなるのだろうかと考える。
ホシの膂力とスティアの魔力があったら、なかなか凄い人間ができそうだ。魔王ともタイマンで勝負できるんじゃなかろうか。
肉が欲しい! と叫びながら”雷帝の鉄槌”をぶっ放す悪夢のような女を想像してしまい、俺は軽く頭を振って想像をかき消した。
「そっちはどうだ。準備はできたか?」
「あ、ああ。そうやることは無いからすぐに終わってしまったが……こんなものでいいのか?」
俺の質問にオーリが我に返って答える。見れば、彼らが着ていた革鎧や衣服、もう錆びてしまって使えなくなった武器や壊した手製の矢などが種類で分けて置いてあった。
ちなみに革鎧は四人分だが、服を脱いだのはオーリとデュポだけだ。彼らは俺が昨日のうちに渡した、俺が持っていた換えの服を変わりに着てもらっている。流石に全裸ではない。
コルツやロナは女だと言うものだから換えがなく、まだボロのままだ。俺の換えはもうないし、スティアも嫌がりそうだったから仕方が無い。セントベルで何とかしよう。
「うん、これで十分だろ。明日、これを持ってチサ村に帰ることにする。昨日話した通り、ここは痕跡を残したままにしておいていいからな」
「分かった。南のほうも、そのままにしておくんだったな」
俺達が彼らと交戦した時、彼らは、俺達が先に見つけたほうの洞穴の痕跡を消しに来ていたらしい。
そこで何か近づいているのに気づき捜索し、俺達と鉢合わせしてしまったのだそうだ。
仮に先んじて彼らが痕跡を消していたとしても、スティアならあの痕跡に気づいたと思うが、しかし誰しもそんな技量があるわけじゃない。
今俺達がここまで来ることができた理由を考えれば、それと分かる痕跡を”あえて分かる形で”残しておいたほうが後々都合が良かった。
何者かがいた、という明確な証拠になるからな。
「う……」
「ガザ様!」
オーリと明日の予定を話していると、ガザの看病をしていたロナが声を上げた。
昨日夕食を食べた後、ずっと意識が無かったガザが目を覚ましたようだ。
俺はガザの傍まで行くと、片膝を突き明日の予定を伝える。
「明日ここを出てチサ村に向かう。ここを出てからは、お前達は基本的にずっとシャドウの中にいてもらうことになる。いいな?」
俺の言葉にガザは少しだけ頷いた。もう声を出すのも辛い様子だ。
彼はそれからすぐに目を閉じると、眠るように意識を失ってしまった。
やはり体力の消耗が激しいな。これから悪化する危険性も考えると、このままでは最悪の結末を迎える可能性もある。早めにセントベルに向かう必要がありそうだ。
「明日の朝は早い。今のうちに出る準備をしておこう。お前達が用意したものは一部、これにまとめて包んでくれ。残りは適当にその辺に、痕跡として置いて行く」
洗濯して綺麗になった布をオーリに手渡すと、彼は真剣な顔つきで頷いた。
彼らもガザのことが心配だろうな。もう乗りかかった船だ、スティアは良い顔をしないかもしれないが、セントベルについたら生命の秘薬を探してみよう。
ふと顔を上げると、少し離れたところに立っていたスティアと目が合った。なんだか不満そうな顔をして口を尖らせているが、何かあったのだろうか。
「どうした?」
「なーんでもありませんわっ」
スティアはそう拗ねたように言って顔を背けるが、まるでかまって欲しい子供のようだ。
というより、わざとそんな仕草をしているんだろう。無意識に頬が緩んだ。
「なーんでもなくありませんわっ、と」
わざとからかうように言い返しスティアの傍まで近寄ると、彼女は呆れたような目をこちらへ向けてきた。
「本当に魔族を助けるつもりなんですの? 貴方様、それがどういうことか分かっていないわけではないでしょう? いくら貴方様の立場でも、見つかったら最悪これですわよ?」
スティアはそう言いながら、自分の首を人差し指で搔き切る仕草をする。
「んなこたぁ言われなくても分かってるよ。大丈夫だって。シャドウもいるし、そんなヘマしねぇから」
「また言われますわよ? 貴様には正義がないのか! ……って」
「はっ。正義なんてもん振りかざすだけの気楽な人生だったら、俺は今頃王様にでもなってるわい」
戦時、王国の騎士達に度々言われたものだ。だが俺はその指摘を受け、改めようなどと思ったことは一度もない。
正義なんて言葉は昔から、俺は全く信じていない嫌いな言葉だった。
鼻で笑う俺に、スティアはため息をつきながら目を細めた。
「わたくしも出しますわ」
「ん? 何の話だ?」
「どうせ生命の秘薬でも買う気でいたのでしょう?」
さっき思っていたことが顔に出ていたのだろうか。
不思議に思っていると、そんな俺を見て諦めたように彼女は笑う。
「貴方様がそういう方だというのはもう承知しておりますわ。それなりに長い時間を共に過ごして参りましたもの。それに、そういう方だからこそわたくし達も付いて来たのですから、文句も言えませんわね」
そう言ってスティアは困ったように笑った。
何この子、凄く良い子じゃないの? 子という歳じゃないけどね。俺よりかなり年上らしいし。
「貴方様、何か妙なことを考えておりませんか?」
「とっても良い女だなーと」
「えっ! ま、まままままさか、けけけけ結婚とかっ!?」
「それはないから落ち着けっ」
「あうっ!」
ずいっと寄って来たスティアの額に手を当てて遠ざける。
「気持ちはありがたいが、俺が進んで足を突っ込んだことだ。けじめはつけないとな。あのアクアサーペントを売って皆で分けた後、それでも足りなければ相談させてもらうとするよ。生命の秘薬が手に入るかどうかもまだ分からないし」
「むぅ、水臭いですわね」
いくら仲間でも甘えすぎるのはいけない。ある程度の線引きは必要だろう。
ただスティアはそれが気に入らない様子で、先ほどとは別の意味で口を尖らせた。
誤魔化すように彼女の頭をぽんぽんと軽く叩くと、途端にふにゃふにゃとした顔に代わっていく。
彼女は俺に、俺のことは分かっているようなことを言っていたが、それは逆に言えば俺も同じ。彼女の誤魔化し方はいくつも知っているのだ。
「ま、そのときは頼む」
「もちろんですわ! いつでも頼って下さいまし!」
そう頼めば、スティアは鼻息荒く両拳を握る。そんな気合を入れるものじゃあるまいに。
頬を紅潮させる彼女にあいまいに笑って返すと、俺も明日の準備に取り掛かった。
まずは、チサ村の人達の不安を取り除くことだ。
うまく誤魔化せればいいが、やはり魔族を討伐したという証拠がなければ不信感が拭えないだろう。
だが流石に彼らの首を持っていくわけにもいかなくなった。
話せるところまでは真実を話すつもりだが、誤魔化さなければいけない部分ががあるのは否めない。心苦しい限りだ。
それにアクアサーペントの話はどうしよう。余計に不安を煽る可能性もあるが……。
そこまで考えてハッと閃く。
話を聞こうとスティアを手で呼ぶと、彼女は小走りで近づいてきた。
「なんでしょうか?」
「ちょっと聞きたいんだけどな。アクアサーペントのことなんだが、冒険者ギルドに調査依頼を出すと請け負って貰えそうか?」
「え? ですがあの大きさならきっと主だろうから、もう心配ないという話だったかと思いますが?」
そう。アクアサーペントは湖に生息する魔物だ。だからサーペント種でも小柄な方なんだろうと思っていたのだが、奴は俺達の想像を遥かに超えた大きさを有していたのだ。
この湖自体、長い間誰も立ち入っていなかったようだし、かなり長く生きた個体だったのだと思う。
ということはつまり、あそこには縄張り争いをする相手がいなかった可能性が高い。だからあれは主だったんだろうと、そう考えていたのだ。
ただ可能性の話として、それがあいつ一匹だったからなのか、それともごく少数だったからなのかについては、まだ確証が取れていないわけだ。
「ああ。ただ、長期間調査したわけでもないだろう? 一応不安があるという体で、冒険者ギルドに調査依頼を出せば話に乗る奴がいるかと思ってな」
「ええ、それは、まあ。サーペント種の素材は高値がつきますから、冒険者なら請ける者もいるでしょうけれど。でも、貴方様が依頼を出すのですか? 費用がかかりますわよ?」
なるほど。ならアクアサーペントの追加調査を冒険者ギルドに依頼しつつ、魔族の調査も継続させるという形で行くことにしよう。
俺達は魔族の調査を、状況証拠によって”いない可能性が高い”という結果でチサ村を去ることになる。
だがそれでは、本当の意味でチサ村の人達は安心できないだろう。
だからこの中途半端な結果を冒険者ギルドに持ち込んで、冒険者に追加調査をさせるわけだ。
冒険者が一定期間調査した結果、魔族はいなかった、と結論付ければ、チサ村の者達も安心することができるだろう。
不安材料としては、この確実でない話を冒険者ギルド、そして冒険者が請けるかどうかと言う点だったが。
餌がもう一つぶら下がれば話は別。魔族の調査と併せてアクアサーペントの話も出せば、スティアの反応から、冒険者なら食いつく可能性が高い。
ならどちらの懸念もまとめて冒険者に丸投げしてしまえば良い。
流石のスティアも俺の意図することが分からなかったようで、不思議そうに首をかしげている。
そんな彼女に礼を言うと、まずチサ村でどう説明するのが良いか、俺は策を練り始めた。