219.見定めるということ
「俺達は皆、エイクさんが率いていた第三師団にいたんですよ」
あの騒動の翌日、フィリーネはイザークから当時の話を聞いていた。
この孤児院を管理している三人は皆、元第三師団の兵士だった。
しかし皆、第三師団編成時からずっと所属していたわけではない。彼らはそれぞれの理由で軍に所属し、入隊の時期もばらばらだった。
更に言えば配属された部隊も別である。そんな三人が出会ったのは、運命神の戯れと言っても良いものであった。
アラン・レンノは異種族への興味から、自ら第三師団への配属を希望した。
ケヴィン・アンドレーは第一師団から退役を促された事を切っ掛けに、エイクの目に止まりスカウトをされ。
そしてイザーク・ヤン・ヴァイスマンはと言うと――
「実は……俺、昔は随分の悪童でしてね」
イザークが言うには、彼は軍に所属する以前、このヴァイスマン領の中央都市、ローマインに住んでいたそうだ。
イザークはこの領の領主であるヴァイスマン伯爵の息子だ。だがそこで彼が行ってきた事は、犯罪にも等しい行為だった。
「父の権威を振りかざして、町のチンピラを率いて、その……無銭飲食をしたり、店の物を堂々と盗んだり壊したりと、まあ、好き放題やらかしてまして」
思わぬ話にフィリーネは開いた口が塞がらなかった。
イザークは慌てて、今はその行いを反省し、軍を退役後に謝罪行脚をしたと弁明した。
眉をひそめられた事も多かったが、慰謝料を支払い何とか許して貰った。そう言って自嘲気味に笑うイザークに、フィリーネは呆れつつも話を聞いた。
イザークが言うには、このヴァイスマン領を統治する彼の父、ホルスト・イグナーツ・ヴァイスマンは、相当に甘い男であるらしい。イザークの所業を知りつつも、叱る事をしなかったそうだ。
元々イザークの素行が悪かったのは、優秀な兄二人に対しての反発だった。
文武両道の長兄。魔法の才覚を持った次兄。しかし自分には長兄のような完璧さは無く、次兄のような才能の煌めきも無かった。
それにいら立つイザークに、甘い父親は腫物でも扱うような態度を見せた。結果それが彼の反発心を、更に煽る形となってしまったのだ。
彼は己の不満を周囲にぶつけるようになる。そしていつしかチンピラ紛いの非行を行うようになったそうだ。
そんな行為を戦時も続けていたイザーク。しかしその報いを、一年半程前に受ける事になったと言う。
「魔族との大規模な衝突がこの領で起こる兆しがあるとの事で、軍がヴァイスマン領を目指して進軍中だったのですが――」
「ルトビアーシュ撃滅戦、ですね」
思わず漏らしたフィリーネに、イザークはそうだと首肯する。
「ローマインに来ていたエイクさんに、俺が喧嘩を売ってしまいまして」
「え、えぇぇっ!?」
イザークらチンピラ達は、美女を連れた中年男に絡み、逆に叩きのめされる事となる。その男こそ、第三師団長エイク。美女とはもちろんスティアの事である。
その時エイクらは適当な恰好で街をうろついており、イザーク達は軍人だと分からなかったそうだ。そしてエイクらも、彼が伯爵子息だとは知らなかった。
騒ぎを聞きつけた衛兵が来た時には、イザークらチンピラ達は、これでもかとボコボコにされた後だった。死屍累々のチンピラを見て、衛兵らは絶句したそうだ。
「その後俺の身元を知ったエイクさんに、そのまま父のもとまで引きずって連れて行かれまして。父に軍で根性を叩き直して欲しいと言われて、その流れで第三師団に」
イザークはそうして軍に所属することになる。
入隊して間もない頃は、伯爵子息という立場を鼻にかけていたイザークも、立場を全く気にしない異種族ばかりの集団に、伸ばした鼻はバキバキに折り曲げられた。
しかも訓練では彼らに手も足も出ない。結果イザークは口だけの軟弱物と冷たい目を向けられ、徹底的にしごき抜かれる羽目になってしまったと言う。
彼が非行に走ったのは、思うようにならない現実への拒絶という、甘えからくるものだった。しかしその環境では甘えなど許されなかった。
徹底的にしごかれる中で自分を見直し始めた彼は、同じ第三師団所属のアランやケヴィンとも知り合う。そして自分の悩みがいかに恵まれたものだったかを思い知った。
「そんな理由で、俺達三人は第三師団で知り合ったわけなんですけど。似た者同士だったようで、意気投合しましてね」
優秀な兄弟にコンプレックスを抱き、非行に走ったイザーク。
家族に冷遇され、才能にも恵まれず、努力するも何も実らなかったケヴィン。
そして怨敵も多い異種族に対して興味を抱き、変人扱いされたアラン。
周囲に理解者のいなかった三人は、瞬く間に友誼を深めていった。
そして、お互いの境遇に深く共感しあう輩となった。
「ケヴィンの奴は、周囲の嘲笑に何くそとやってきた結果今がある。そう言ってました。そうじゃなきゃ、魔法陣になんて手を出さなかっただろうってね」
魔法陣学はとうに廃れた学問である。そんなものに手を出そうという者は殆どいない。
しかし追い込まれていたケヴィンはそれに手を出し、結果第三師団との縁をつないだ。
ケヴィンはこれに、知識は身を助けるのだと、そう深く思ったと言う。
「あいつ、ここに来たばかりの子供達の前で、最初に言ったんですよ。自分が今までどうやって生きて来たか、どんな悔しい思いをしてきたか、なんて事をね。で、最後にこう言ったんです。『僕は君達を全力で育てると約束する。でも、だから――』」
その言葉をおかしそうに語ったイザーク。その時の事をフィリーネは、未だ記憶に強く残したままだった。
事件があったあの日から三日が経つ。また襲撃があるやもと、一行はまだ孤児院に留まっていた。
しかし昨日の事だ。火を放ったのが代官の手引きで入り込んだ盗賊だったという疑惑が浮上、結果代官が騎士達によって捕縛されたのだ。
情報源は定かではないが、どうも謎の老紳士が関係しているとか。その話をするとイザークの目が不自然に泳いだが、その理由は知れないままだった。
さて、なぜ代官が子供達を狙ったのか。その理由は、どうやらこの町の代官は少し前に、クンツェンドルフ派に鞍替えをしていたらしいのだ。
クンツェンドルフは貴族の学園、アリステリア魔術学院の運営に深く関わっており、それを誇ってもいる。だからこそ、貴族の運営する平民の学び舎というものを許せなかったのだろうと、イザークは皆へ話して聞かせた。
これにオディロンは信じられないと顔をしかめていたが、代官が捕縛された事は事実である。
ベルナルドやカークに宥められその点は理解したものの、クンツェンドルフが糸を引いた件に関しては頑なに信じず、今も彼はすっきりしない顔で、むっつりと口を閉ざしていた。
こうして事件は僅かな傷跡を残し、静かに幕を下ろした。
子供達の安全が確保された事を知った一行は、そろそろ旅立つ事を決め、今は孤児院の前に集まっていた。
目の前には多くの人だかりがある。彼らの見送りと集まった、孤児院の面々だった。
「カーク、助かったよ。お前が友人でいてくれて本当に良かった」
「力になれれば良かったです。イザークさんの事、応援してますよ」
カークとイザークは笑顔で握手を交わす。
そこには平民も貴族もない、確かな友情があった。
「色々とありがとうございました。皆さん、道中どうかご無事で」
「皆さんがいなければどうなっていたか。本当にありがとうございました」
そしてイザークとアランは思い思いに礼を口にする。
かつて悪童だったというイザーク。しかし彼が今浮かべる笑顔は、人当たりの良い和らかなものであった。
「私も楽しかったですから、気にしないで下さい」
「こちらも良い経験をさせて頂きました。皆さまのご健勝をお祈りしております」
リリとベルナルドもにこやかに彼らへ返事をする。だがオディロンはまだ面白くなさそうな顔をしており、特に口を開かなかった。
最後に、フィリーネも別れを口にしようとする。だが、目に映る光景に別の事が頭に浮かび、言葉は口から出てこなかった。
フィリーネの目の前に並ぶ大人二人。しかし、もう一人の男の姿はそこには無かった。
ケヴィンは一命を取り留めたものの、体のあちこちに火傷を負っていた。傷薬では治療できない負傷も多く、今は医者のもとに預けられている。
本来並んでいるべき男がいない。その事を思うと、フィリーネの胸はしくりと痛んだ。
「あの――」
ケヴィンは無事に復帰できるのだろうか。そんな思いが彼女の口を無意識に動かす。
だが、彼女が次に発した言葉は、大勢の声にかき消される事になった。
『先生だーっ!!』
子供達がわっと一斉に声を上げたのだ。皆、フィリーネ達の後ろを指差し、嬉しそうな声を上げている。
思わず振り返る面々。その目に映ったのは杖を突いてよろよろと歩いてくる、一人の男の姿だった。
「ケ、ケヴィン! 大丈夫なのか!?」
「何だ、大げさだな。僕は平気さ。そんな事よりも酷いじゃないか、恩人の出立を教えてくれないなんて。アランが教えてくれなかったら間に合わなくなるところだった」
目を丸くするイザークに、ケヴィンは困ったように笑った。そしてフィリーネ達に向き直ろうとして――
『先生ーっ!!』
「うわっ!?」
だっと駆け出した孤児達に囲まれ、彼はもみくちゃにされてしまった。
「お、お前達! は、はははっ! こら、少し離れろって!」
ケヴィンを囲む子供達は、泣き、笑い、そして彼にしがみついている。そんな子供達に笑いかけながら、ケヴィンも楽しそうに笑っていた。
そんな彼の姿を見てフィリーネは思う。自分は一体何を見て来たのかと。
「知っていたんですか? 皆さんは、ケヴィン様の事を」
子供達に対して酷い扱いをしていると、以前フィリーネは皆に言った。しかしその時返されたのは、苦笑だったように思う。
フィリーネは皆の顔を見る。カークも、リリも、ベルナルドも。皆、やはり困ったような笑みを見せていた。
「だって。見て下さい、フィリーネさん」
そして皆を代表してか、リリが柔らかな笑みを浮かべた。
「みんな嬉しそうじゃないですか。ケヴィンさんの事嫌ってる子なんて、見当たらないと思いませんか?」
フィリーネはまたケヴィンに目を向ける。リリの言う通り、彼の周りの子供達は、皆嬉しそうな表情を浮かべていた。
何も言えず立ち尽くすフィリーネに、ベルナルドは近寄り声を掛ける。
「お嬢様。ちゃんと見ようとされましたか?」
その声はとても暖かで優しい。
「以前アリサ様がケヴィン様の食事を運んでいた際、アリサ様がどんな顔をされていたのか覚えておられますか? ……とても楽しそうな笑顔を見せておいででしたよ」
目を向ければ彼の眼差しも、慈しむ様な柔らかいものだった。
「ただ見ているだけでは真実など見えはしません。視野を広くし、深く観察する。考察し、探求する。真とは、そうして初めて見定める事ができるのですよ」
ベルナルドの言葉を聞きながら、フィリーネはふと思い出した。
イザークから聞いた、ケヴィンが子供達に言ったという言葉を。
「僕は君達を全力で育てると約束する。でも、だからこそ指導は厳しくする。何くそと僕を憎んでくれていい。それを力にして、僕から得られるものは何でも貪欲に吸収してくれ。僕は絶対に、最後まで君達を見捨てない」
一番上の孤児は今年で十四。来年は成人となるため、この孤児院を出て行かなければならない。
算術や識字は職探しにあたって有利に働く。しかしそれをたったの一年で修めるには、かなりの努力が必要だった。
子供達は知っていたのだ。ケヴィンの厳しい指導は全て、自分達のためなのだと。
ケヴィンと子供達の間には強い信頼関係があった。それを自分が見えていなかっただけなのだ。
(私が見ていたものは、何て浅かったんでしょう。ベルナルドの言う通りちゃんと子供達を見ていれば、ケヴィン様の事をどう思っていたかなんて、すぐに分かったはずなのに)
――真実を知りたいのなら、己自身で見定めてみよ。
旅立つ前、父に言われた言葉が蘇る。フィリーネは己の未熟さを噛み締めながら、馬車に乗り孤児院を後にする。
窓から後ろを覗けば、皆が笑顔で大きく手を振っている。フィリーネはこの光景を決して忘れまいと、彼らの姿が見えなくなるまでずっと、その瞳に焼き付けていた。