218.彼の者の願い
時は十数分ほど遡る。
「ゴホっ、ゴホっ……! 誰か! 誰かいないかーっ!」
炎が上がる宿舎の中を、ケヴィンは咳き込みながら進んでいた。
十数棟ある宿舎の間取りはどれも同じで簡素な作りだ。入ってすぐはリビングになっており、奥には小部屋が三つある。
ケヴィンは炎逆巻くリビングを見渡し、子供らがいない事を見ると、今度は小部屋を確認するべく足を踏み出した。
「ゴホ! ゴホ! いたら、返事をしろっ!」
炎を避けながら右奥の部屋を目指す。入ろうとドアノブに触れると、じゅぅと嫌な音が鳴る。高温で手が焼けてしまったらしい。
彼は反射的に手を引く。顔は痛みで歪んでいた。
「あっつつ! く、くそっ! ――このっ!」
何かで手を保護するのも煩わしく、彼はドアを蹴り開ける。中はパチパチと爆ぜる炎のみで、子供達の姿は無かった。
「いないか!? いたら返事をしろ!」
念のため声をかけてから、彼は踵を返す。そして次にと、真ん中の部屋をまた蹴破る。そこにもまた子供達の姿は無かった。
オディロンやカークと共に、子供達を捜索していたケヴィン。雨の届かない範囲を駆け回ったところ、逃げ遅れていた二十余人の子供達がいた。
すでに子供達は外へと逃がしており、オディロン達にイザークの元へ連れて行って欲しいと預けている。後はこの宿舎を見れば最後だった。
二つの小部屋に子供達はいなかった。この宿舎には子供達はいないのだろうか。
そう思うも、何か直感のようなものがあり、ケヴィンは最後のドアの前に立つ。
(この部屋で最後だっ!)
そして、思いきり蹴破った。
「誰かいるか!? いたら返事を――!」
部屋に踏み入りながら声を張るケヴィン。
何もないか。そんな思いはすぐに散った。
「ゴホ! ゴホ! せ、せんせい……」
「うぇぇぇっ……! せんせ~……っ!」
部屋の奥で、炎や煙から逃げようと固まっていた子供達がいたのだ。ケヴィンはダッと駆け寄ると膝を突き、隻腕で子供達を抱きしめる。
「大丈夫だ! 先生が来たから、もう大丈夫だ!」
「うえぇっ……! うぇぇぇぇえん!」
「ひぐっ! ひぐっ! せ、せんせーっ!」
そこにいたのは十歳以下の小さな子供達だ。逃げ場もなく恐ろしかっただろう。
泣きつく子供達を慰めるように、ケヴィンは強く胸に抱きしめた。
どうしてこんな事になったのかと、ケヴィンは下唇を強く噛む。
行き場を無くした子供達のためと、イザークの思いに共感して孤児院を作った。子供らがここを出ても不自由なく暮らせるようにと、厳しく教鞭をとってきた。
戦争の被害者である子供達だ。皆心に大きな傷を抱えている。
それなのに、ここを良く思わない者が、子供達を更に不幸にする。
悔しさに、ケヴィンの腕に力がこもる。だが子供達が煙に咳き込んだところで、彼はハッと我に返った。
「待ってろ、今――!」
彼は来た道を振り返る。だが火の手は更に勢いを増しており、リビングはもう火の海だった。
この部屋も直に火に飲まれるだろう。
彼はまた子供達を見る。彼を頼る沢山の小さな瞳が、そこにはあった。
「大丈夫、僕に任せて。ちょっと離れているんだ」
子供らを壁から遠ざけ、ケヴィンは懐から一枚の羊皮紙を出す。そしてその羊皮紙を彼は、壁に向かって差し出した。
そこには何かの魔法陣が描かれていた。
「”水の弾丸”!」
彼が言い放つと、魔法陣から手の平大の水球が飛び出し、宿舎の壁を激しく打った。
バキバキと壁が壊れる音が鳴り響く。しかし、表面を削った程度で穴までは空いていなかった。
(くっ……! 火の勢いが強過ぎて、水魔法の威力がかなり下がってる……!)
額から汗が流れ落ちる。部屋の熱気はすさまじく、立っているだけで頭がくらくらする。煙を吸い込み過ぎたせいもあったかもしれない。
ケヴィンは朦朧としてくる意識に抗いながら、破れた羊皮紙を放り捨て、また懐から羊皮紙を一枚取り出した。
「くっ――”水の弾丸”ッ!」
彼は何度も魔法を壁に放つ。二度、三度、四度――。壁は徐々に壊れていくが、しかし弱まった水魔法では、壁を穿つまでには至らなかった。
ケヴィンはあまり魔法に堪能ではなかった。しかも使える攻撃魔法も水魔法のみ。
軍に入って多少は使えるようになったものの、片腕を失ってからは魔法陣の研究ばかりで、こと戦う事に関しての向上は殆ど無かった。
もっと他の魔法も学んでおくべきだった。今更それを後悔しながら、彼は最後の魔法陣を取り出した。
「せ、せんせい……」
「先生~……っ」
後ろからは子供達の声が聞こえる。ケヴィンは一度後ろを振り向き、また壁に相対する。
彼の顔にはある種の決意が浮かんでいた。
(僕のありったけの魔力を使って、どうにか子供達だけでもっ!)
そして、気合を入れて魔法陣を壁に向かって突き出した。
「――”水の弾丸”ォッ!!」
魔法陣から飛び出した水球は、今までで一番大きな物だった。”水の弾丸”は壁にぶつかると大きく弾ける。
今までとは違い、大きな破壊音が部屋いっぱいに鳴り響き、子供達は小さく悲鳴を上げた。次に目を向けた時には、子供がやっと通れる程度の穴が、壁にぽっかりと開いていた。
「う――」
「せ、先生っ!」
ぐらりと揺れ、倒れるケヴィン。子供達は驚きに声をあげながら、彼に駆け寄りその名を呼んだ。
心配し、彼の体に手を伸ばす子供達。しかしケヴィンは手を突いて体を起こしながら、子供達に声を掛ける。
「だ、大丈夫。魔力を使い過ぎただけだ。それよりも、今のうちだ。壁に穴が開いたろう。お前達はそこから逃げるんだ」
子供達は顔を見合わせる。今すぐにでも逃げ出したい気持ちはある。しかしそれ以上に、ケヴィンはどうするのかと言う思いがあった。
子供達は皆不安そうな顔をしている。そんな彼らに、ケヴィンは笑顔を見せた。
「大丈夫。お前達が逃げた後に僕も逃げる。――さ、早く! 時間がない!」
子供達はまた顔を見合わせる。そして順番に穴から外へ出て行った。
その後のことは、もうケヴィンは覚えていなかった。
ゴウゴウと炎が逆巻く部屋で、ケヴィンはうつ伏せに倒れていた。
魔力の欠乏症状と熱気。更に煙の吸い過ぎで、彼の体はピクリとも動かなかった。
判然としない意識の中、彼が思うのは子供達の事だった。
(皆……無事に、逃げられただろうか……)
アンドレー子爵家の三男として生まれた彼は、生まれてからずっと、子爵家ではぞんざいな扱いを受けてきた。
家を継ぐでもない。特別な才能があるでもない。そんな彼を子爵家は早々に見限り、まるで下男のように接したのだ。
これを悔しく思いケヴィンも様々な努力をしたが、花は開かず。自分の存在意義を家族に見せつける事もできないまま、子爵家の名代として王国軍第一師団への参列が決められ、そしてそこで片腕を失った。
この戦争で戦果をあげられたなら、自分を馬鹿にして来た連中を見返す事ができるかもしれない。
そんな希望どころか戦う力すら奪われ、ケヴィンは退役を迫られた。
彼は深い失意を抱きながらも、帰る場所もなく、途方に暮れる事になったのだった。
自分の人生は何だったのか。自分が生まれた事に意味はあったのか。
行く先もなく彼は王都を後にしようとする。
――なあアンタ、魔法陣に詳しいんだって? ちっと俺に協力しちゃくれねぇか。
だがそんな彼へ、声を掛ける者があった。
彼の未来はそこで大きく変わったのだ。
自分は子供達を守れたのだろうか。守れたのなら、自分の人生にも意味があったのかもしれない。
(はは……。でも……あれは失敗だったな……。子供達のために……厳しくしようと怒ったら……泣かせてしまった……)
教師として最初の頃、厳しく指導していたところ、子供達を泣かせてしまったのだ。
今では希望する子供にのみ厳しく指導をするようにしている。だが、それ故におかしな失敗もあった。
(厳しくして欲しいって言った子に……小さな子に教えるような口調で……。皆に笑われたっけ……。はは……。皆……無事に……逃げ……)
頭上からは不吉な音が鳴り始めている。バキバキと不吉な音を立て始めた宿舎の中、ケヴィンはその意識を徐々に沈ませていった。
一際大きく炎が爆ぜた。それが合図だったかのように、火炎をまとった天井の梁が落下してくる。
ケヴィンの意識はすでにない。彼はこの宿舎と共に、この世から消え去ろうとしていた。
「オディロンさんっ!」
「任せろっ!」
そんな時だった。
突然部屋に、声を張り上げて二人の男が飛び込んできたのだ。
「こぉぉぉぉッ!!」
気合の声を上げながらオディロンが駆ける。体からは白い光が立ち上っていた。
彼は落ちてくる梁と床との間に駆け込むと、盾を上に向けて雄々しく叫ぶ。
「”守護の大盾”ッ!!」
周囲二メートル程に現れた、半円状の白い光。そのオーラは落ちて来た梁を途中で押し留め、落下を防ぎ切った。
その負荷を受けるオディロンは歯を食いしばる。その間にもう一人の男、カークがケヴィンのそばへ滑り込み、彼の様子を簡単に確認し始めた。
「カーク君! ケヴィン殿は!?」
「大丈夫です、息はあります! ただ意識がありません! ここから早く出さないと危ないかもしれないです!」
オディロンの張り上げた声に、カークもまた声を張り上げる。
上からはばらばらと燃える木片が降り注いでくる。見れば天井も徐々に三人へ迫って来ていた。
「なら腕の見せ所だな、カーク君!」
「そんな事言って、先にへばらないで下さいよオディロンさん!」
「ふ、この騎士オディロン! そこまでヤワな鍛え方はしていないッ! おぉぉぉーッ!!」
もはや一刻の猶予も無い。精技によって支えられているが、それが無ければ数秒もたず、宿舎は潰れるだろう。
オディロンは何という事もない様に言った。しかし彼も家屋全体を一人で支えているのだ。顔には必死の表情を浮かべ、腹の底から太い声を上げていた。
三人が押し潰されるのも時間の問題だった。早々に逃げ出さなければ、三人共倒れになるだろう。
一秒一秒が彼らにとって、魔導銀よりも貴重な場面。だがカークはすでに退路をどうするか決めていた。
彼は腰からショートソードを抜き、振り上げる。剣は少しの間をおいて、煌々とオーラを放ち始めた。
「”破砕撃”っ!」
カークは剣を床に叩きつける。バキバキと激しい音と共に板がはじけ飛び、茶色の土が露になった。
木片が激しく周囲に飛び散る。しかし同時に、上からべろりと伸びて来た炎が、オディロンの横っ面をちろりとかすめ、カークの頭髪もちりと焦がした。
「く――! カ、カーク君、まだかね!? 流石に炎は防げんぞ!?」
「分かってます! あと十秒だけ持たせて下さい!」
”守護の大盾”は中級精技。しかし物理は防げてもそれ以外を阻む効果はない。
じりじりと迫る炎にオディロンが声を上げるが、対してカークの心は落ち着いていた。
後一手で終わる。カークは見えた地面に両手を突き、ふぅと息を吐く。
そしてありったけの魔力を叩きつけた。
「土の精霊ノームよ! 我が呼び声に応じ、大地に深き大穴を穿ち賜えっ! ”大地の穿孔”ッ!」
大量の土砂が下から上へと飛んでいく。その勢いはまるで滝が逆流しているかのようだった。
激しく撒きあがる茶色の瀑布。それが姿を消した時、その場にいた三人の姿はどこにも無かった。
変わりにあったのは、ぽっかりと地面に口を開けた大きな穴。支えを失った宿舎の屋根は、轟音をあげて地面を打った。