215.危惧と拒絶
その日の夜、子供達が宿舎に帰った後の事だ。
いつもの通り、一行とイザークはまた食堂に集まり、今日の報告を行っていた。
「うーん、やっぱり野菜が苦手な子が多いみたいですね。皆文句は言いませんけど、ちょっと食べ辛そうに見えます。リリュール様はどう思います?」
「え!? あ、はい、そうですね!?」
カークに話を振られ、リリの体はビクリと跳ねた。これに一瞬不思議そうな顔を見せるカークだが、彼にその理由は分からなかった。
一方リリは慌てて笑みを見せる。リリは人族の食文化には並々ならぬ興味を抱いている。しかしこの食べ慣れない野菜達が、どうにもリリは苦手だった。
とは言えここで自分も苦手ですなどと言い出せば、子供の様に思われるかもしれない。
羞恥から言い出すことなどできず、リリは曖昧に笑う事しかできなかった。
「うーん、バドさんだったらどうしたかなぁ……。やっぱり煮るくらいしか無いか? でも合わない野菜もあるしなぁ」
敷地内には畑もあり、授業が休みの日に子供達が世話をしている。
収穫できた野菜は貴重な食糧だ。カークはなるべく無駄がない様に気を付けているが、しかし子供は野菜が苦手なものだ。
どうにかして皆に美味しく食べて貰えないかと、カークは頭を悩ませる。
元冒険者の現役軍人。しかし今はただの食堂のおじちゃんだった。
「大丈夫だ、カーク。子供達が作ってた時に比べりゃ、皆喜んで食べてるよ」
腕をこまねき唸るカーク。だがそんな彼に、イザークが自嘲気味に笑いかけた。
一行が来る前は子供達が料理をしていたのだ。今カーク達の手伝いをしているのも、元々料理をここでしていた子供達だった。
「駄目ですよそんなこと言っちゃあ。皆真剣にやってるんですから」
「わ、分かってるよ。別に馬鹿にしちゃいない。あの子達が頑張ってる事は、俺が一番知ってるよ」
子供達が料理を作っていた時は、腹に入れば良いと言う程度の食卓だった。
しかしそれでも、貴重な食糧を使った食事だ。我がままを言う子供はおらず、イザーク達もまた同様だった。
ただ、どうせ食べるならやはり美味しいものを口にしたい。皆思う事は一緒である。
料理を作っていた子供達においては責任を感じてか、その意識が最も強かった。
そんな気持ちからだろう。カークが厨房で料理を作り始めた当初、手伝いをしていた子供達は皆料理の方法を盗もうと、目を皿のようにして彼の動きを観察していた。
だがそんな子供らをカークは笑い、今は積極的に料理を教えている。
元々自分もタダで腕を鍛えられた身だ。きっと彼の師であるバドだってこうしただろう。そうカークは思っていた。
子供達が必死な理由をカークは理解している。だから指導に熱を入れていた。
彼が教えられるのはここにいる僅かな間だけ。その間にどれだけ教えられるか。
彼が野菜の調理方法に悩むのも、そんな理由があったからだった。
イザークも当然それを分かっている。以前は己の境遇を悲観し、神などいないと悪態を吐いていたイザーク。
しかしカークという友人を得、そしてここで会えた事に、彼は今運命神というものに生まれて初めて感謝をしていた。
「あ、あの! イザーク様!」
そうして話し合っていた二人。しかしそんな時、少し硬さのある声が二人の口を閉じさせた。
二人は同時に視線を向ける。そこには固い表情をしたフィリーネがいた。
口を結んでいたフィリーネ。しかし二人の目が向くと、意を決したように口を開いた。
「ケヴィン様についてなのですが、少しお聞きしたい事がありまして」
そして彼女は切り出した。自分が聞いた怒声の事を。
子供達に叱責と言うには度の過ぎる言葉を投げかけている。そう話すにつれフィリーネの声には熱が入っていった。
子供達の気持ちをもっと考えて欲しいと彼女は強く主張する。当初会話に参加していなかったオディロンやリリの目も、いつの間にか彼女の顔に向いていた。
「わたくしが口を出すような事ではないとは分かっております。ですが……あのように子供達に接するのは、あまりにも慈悲が無いと思うのです。イザーク様はこの事をご存じなのでしょうか」
じっとイーザクを見つめるフィリーネ。彼女の柳眉は八の字を描いていた。
しばらくそれを黙って見ていたイザークは、しかし彼女の求める答えを返さなかった。
「もちろん知ってますよ」
目を見開くフィリーネ。今まで話していた限りでは、イザークが子供達の事を大切に考えていることは良く伝わっていた。
だからフィリーネは、彼の言葉が信じられなかった。
「仰りたい事は分かります。しかしあの指導もケヴィンなりに子供達を思いやった結果なのです。ここでの指導は全て、私達が考え、認め、決めたものです。どうか口出しはご遠慮頂きたい」
それは明らかな拒絶だった。フィリーネは感情のままに腰を浮かしかける。だが、彼女の目の前にあるイザークの表情は、あまりにも真剣なものだった。
結局フィリーネは言葉を出すこともできず、静かに腰を下ろしたのだった。
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一昨日イザークに口出し無用と言われてからずっと、フィリーネはこのままでいいのかと一人、悶々とし続けていた。
見回りの際に、ケヴィンの部屋近くをうろつく事が多くなったフィリーネ。そのため中からの罵声もよく耳にするようになり、余計にこのままでいいのかという思いが大きく膨らみ続けていく。
あの日、会話を終えたイザークが食堂から去ってから、フィリーネは皆にケヴィンの様子を懸命に話して聞かせた。
ただでさえ親兄弟を失い、心に深い傷がついているというのに、このままでは子供達が更に傷ついてしまう。そんな思いを旅の仲間に、彼女は必死に訴えた。
「イザークさんが言うのですから、もう少し様子を見られてはいかがです?」
しかしカークから返ってきたのは、こんな日和見の台詞であった。
彼女はそれに驚き、異論は無いのかと他の皆に視線を向けた。しかし信じられないことに、オディロンやリリュールすらも同意見であり、結局彼女は折れざるを得なかったのだ。
皆の意見を聞き、一旦は引いた。しかし納得できたわけではなかった。
今も彼女は眉間にしわを寄せながら、ケヴィンの部屋から聞こえる罵倒を聞いていた。
「この程度の問題が分からないのか? 全く、一体何度同じことを説明させるつもりだ!」
中の子供達が一体どんな思いをしているのか、考えるだけでも憤りが湧く。
フィリーネは壁の向こうにいるだろうケヴィンを睨みつけながら、知らず拳を握りしめていた。
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
「ひゃあっ!?」
そんな時だ。不意に後ろから掛けられた言葉に、フィリーネは思わず声を上げた。
驚きからドキドキと胸が弾む。振り返ればそこには、見慣れた執事の姿があった。
「ベ、ベルナルド? いつからそこに?」
「これは失礼致しました。つい先ほどでございます。お嬢様の姿をお見掛け致しましたので、何事かと声をかけさせて頂きました」
ベルナルドはずっと物陰からフィリーネを見守っていた。だがここでそんなことを言ってはフィリーネを傷つけるだろう。
彼女を思いやり、ベルナルドはしれっと嘘を付く。当のフィリーネもそんな事とは全く思わず、彼にずいと詰め寄った。
「何事も何も……ベルナルドも聞こえるでしょう? あの声が。子供達がどんな思いをしているか考えると、可哀想で」
「ふむ……そう、ですか」
ベルナルドはそう言って、何かを考えるような仕草をする。それをフィリーネが不思議に思うも、彼はまたすぐに柔らかな笑みを見せた。
「そうそう。そう言えば、今日はイザーク様から頼まれ事を申し付かりまして」
「え? 頼まれ事ですか?」
「はい。実はこの孤児院の資金源として、冒険者ギルドから子供達だけでもできる、危険の無い依頼を優先的に回して貰っているそうなのです。それで、本日町の清掃依頼を受けておりまして、子供達の引率を頼めないかと」
この孤児院の運営はかなり厳しいものがある。土地だけはあるが設備はなく、人手もなければ金もない。
ないない尽くしの運営だ。町の清掃などはそこまで大きな報酬を見込めないが、しかし僅かでも資金を手に入れる機会があるなら、飛びつきたい程には苦しかった。
「で、いかがしますか?」
「え?」
ベルナルドは微笑みながら言うが、フィリーネは意味が分からず小首を傾げる。しかし彼が言った次の台詞から、彼の言いたい事を正確に理解した。
「子供達の誘拐などと言った不届きな話もございますし、お嬢様にも参加頂けましたら、これ程心強い事はございません。……アイナ様も参加するそうですよ。いかがです?」
昨日もアイナはケヴィンの食事を運んでいた。つまりアイナはケヴィンが担当している生徒なのだ。
ケヴィンの事が気になるのであれば、生徒に聞いてみたらどうか。きっとベルナルトはそう言っているのだろう。
「それはいつからですか?」
「昼の鐘が鳴ってから、一時間程後でございます」
自分達がここに滞在するのにも限りがある。これは良い機会だろう。
そんなフィリーネの胸の内を見透かしたように、ベルナルドはまた顔に笑みを浮かべた。