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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四_五章 見えなかった心
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214.非情な指導

 次の日。昼食を取り終えたフィリーネは厨房から脱出し、今度は敷地内の見回りを一人で行っていた。


 とは言え彼女のような見目の良い女性が鎧姿に槍ではあまりにも目立つ。なので今の彼女はブラウスにスカートといった普段着姿――と言っても平民が着るような質素な物ではないが――で、武器も腰に短剣を帯びただけの状態であった。

 扱う得物が槍のフィリーネ。しかしエイクに、槍を使うなら短剣にも慣れろと強く言われていたため、今では短剣だけでもある程度戦えるようにはなっていた。


 むろん道中の訓練相手であるカークやオディロンには軽くあしらわれてばかりいる。それでもランクF程度の実力はあるのではないかと、カークには言われていた。

 だがまだ未熟であることには変わらない。彼女を単独行動させることをオディロンは大層渋ったが、これを納得させたのはベルナルドだった。


 何をどうしてオディロンを納得させたか知らないが、フィリーネはこれに大変気をよくしていた。自分の実力をベルナルドが認めてくれたと思ったのだ。

 彼女は胸を張り見回りを続ける。そんな背中をベルナルドが物陰に潜んで見守っていることなど、彼女は知る由もなかった。


 周囲に目を光らせ、見回りを続けるフィリーネ。孤児院のある敷地は意外と広く、いくつかの建物がそこにはあった。


 その中でも目立つものが二つある。

 一つ目は子供らが寝泊まりする場所、宿舎だ。と言っても上等な物ではなく、間に合わせの掘っ建て小屋が十数棟並んでいるという、みすぼらしいものだった。

 その掘っ立て小屋の中で、子供らは十数人がまとまって生活をしている。ただ子供は八歳から十四歳までと、年にはばらつきがあった。


 イザークはこれを、幼い子供らの面倒を年長の者が見れるようにと、年齢がばらけるように割り振っていた。そのため子供らの間では、A棟の誰々、などと言って、どこに住んでいるか区別するような言い方がすでに浸透していた。


 二つ目は今子供らが教えを受けている学舎だ。

 もともと大部屋五つが横並びに配置されただけの、内装も何もない簡素な造りの家。その部屋の三つを教師の部屋として、残りの二つを壁を壊してつなげ、食堂と厨房に作り変えているものだ。


 子供らは毎日担当の教師の部屋に赴き、そこで教えを受ける事になっている。

 教師がイザークを含む三人しかいないため、子供らは三等分されている。人数も多いため、授業も隔日のローテーションとなっていた。


 今もまた子供達が教師の部屋に集まり授業を受けている。フィリーネがそんな事を思いながら、学舎の裏側を回っていた時の事だった。


「どうした! この程度の問題が、どうして分からない!」


 中から聞こえて来た大声に、フィリーネの体がびくりと跳ねた。


「この前やった問題だぞ!? 何度も説明しただろう! もういい、分かるまでお前はそこで立っていろ!」


 叱責と言うにはあまりにも酷い怒鳴り声に、フィリーネは目を瞬かせる。視線は自然とその声が発せられる方向へと向いていた。


 一行がここを訪れた初日、イザークは彼らに他の教師達を紹介していた。

 少々癖毛の灰色の髪を緩やかに垂らした柔和な男、アラン・レンノ。

 焦げ茶の髪を短くした隻腕の、神経質そうな長身の男、ケヴィン・アンドレー。


 学舎の壁に目を向けつつ、フィリーネは彼ら二人の顔を思い出す。確かこの場所は、ケヴィンという男の部屋ではなかったか。


「お前もだ! どうしてこんな事が分からない!? その耳は飾りか!? 俺の言葉がちゃんと聞こえるまで、お前もそこに立っていろ!」


 フィリーネの立つ場所からは中の様子を見る事ができない。しかしこんな怒声が聞こえては、気にするなというのは無理があった。


 子供達は皆、戦災孤児だ。つまり家族を失った子供達なのだ。

 ここにいる子供達は皆心に傷を負っている。そして、そんな傷を負ってまだ二年も経っていないのだ。

 そんな子供達へ大人が無遠慮な怒声を浴びせている。そんな心無い行為に、フィリーネの頭にかっと血が上った。


 彼女はくるりと体を翻し、学舎の入り口へ足を向ける。しかしその前に、どこから現れたのか一人の男が立ち塞がった。


「お嬢様、どこへ向かわれるおつもりで?」


 それはベルナルドだった。彼はにこにこと笑みを浮かべながら、その場に静かに立っていた。

 フィリーネはなぜここにと不思議に思いつつも、彼の前で足を止める。


「少しケヴィン様のもとへ。気になる事があるのです」

「それは今、見回りを放り出してでもしなければならない事ですかな?」

「それは――」


 表情も言葉も、いつもの通り穏やかなままだ。しかしベルナルドが滲ませる雰囲気は、フィリーネが返答に窮する程には威圧感のあるものだった。


「お嬢様が持ち場を離れた隙に不審者が入り込んだら何とします。今お嬢様がすべき事は、子供らを不審者から守る事。違いますか?」


 柔らかい笑みを浮かべつつ、ベルナルドは的確に彼女の軽率さを指摘する。これに怯んだものの、彼女の頭には先ほどの怒声がまだ残っていた。

 これも子供達を守る事だろう。食い下がるように彼女は身を乗り出す。


「で、でも! ケヴィン様が、子供達へ――!」

「お嬢様」


 だがベルナルドはこれを遮った。言葉にも少し、窘めるような音が含まれていた。


「お忘れですか? お嬢様が自ら、見回りをしたいと仰られたのですよ。口に出した言葉には責任が伴います。どうか慎まれますよう、お願い申し上げます」


 ベルナルドの言う事は全くもって正しい事だった。

 見回りとは言え、今の状況では危険があるかもしれない。そう周囲が止める中、何か役に立ちたいと意見を押し通したのは他ならぬフィリーネだったのだ。

 ここまで言われては引き下がるよりない。フィリーネは無意識に怒らせていた肩をストンと落とした。


「それにこれはヴァイスマン家が深く関わっている件。ハルツハイム家が口を出せば、こじれる可能性もございます。イザーク様の人となりを考えれば、そのような事にはならないと思いますが、あまり目立った行動はお控え下さいませ」


 フィリーネとしては、貴族間の諍いに繋がるような荒事をするつもりはなかった。しかし大勢の戦災孤児が関わっている事を考えると、ベルナルドの言う通り、デリケートな問題であるのも確かだった。


「……分かりました。貴方の言う事が正しいですね。手間をかけさせました、ベルナルド」

「ご理解頂けまして何よりでございます」


 満面の笑みを浮かべるベルナルド。彼のそんな表情を見て、フィリーネは淑女らしからぬため息を思わずついてしまう。

 あっと口に手を当てるも既に遅し。ベルナルドの眉がピクリと動いた事を、フィリーネの目は捉えてしまうのだった。



 ------------------



 次の日。フィリーネはまた食堂で、食事の配膳に勤しんでいた。

 子供達の人数は非常に多い。食事の時間が始まるとすぐに子供達が押し寄せてきて、非常に慌ただしくなる。

 そんな怒涛の状況に、あまりやった事のない作業で最初の内は苦戦したものの、実際大した事のない仕事である。今はもう慣れたもので、フィリーネはテキパキと配膳をこなしていた。


「ふぅ、もうそろそろ終わりでしょうか――ん?」


 だからだろうか。今まで余裕がなく分からなかったが、何度か食事を取りに来ているらしい子供達がちらほらと目に映るようになったのだ。


 その中には先程食事を取りに来たはずの一人、アイナの姿もあった。

 アイナはよく食堂の手伝いをしてくれる少女だ。だからフィリーネにも見覚えがあり、すぐにそうだと分かった。


「あ、アイナちゃん! ちょっと待って!」

「は、はい!?」


 フィリーネは慌ててカウンター越しに、その小さな背中に声をかける。貴族令嬢に声を掛けられたからか、はたまたその声が大きかったからか。少女はびくりと体を弾ませ、慌てた様子で振り返った。


「先程も食事を取りに来ましたよね? それは、どこへ持って行くのですか?」

「あ、は、はい! これは、ケヴィン先生の分です!」

「……ケヴィン様の?」


 食堂はそこそこ広い部屋だが、流石に二百人もの子供達全員は入らない。なので食事を取る際は、食堂や自分達の宿舎、そして教師達の部屋で取るなど、色々な子供達がいた。

 教師達もその例に漏れず、ここから食事を持って自分の部屋で食べている。しかし子供達に持って来させているとは思っていなかった。

 前日聞こえた罵声が頭に蘇る。無意識にフィリーネの眉間にはしわが寄っていた。


「あれ、どうかしましたか?」


 そんな時、横合いから声がかかった。顔を向けると、そこにあったのは人の良さそうな顔。イザークと同じくここの管理をしている男、アランだった。


「何か問題でも起こりましたか? フィリーネ様」


 顔に笑みを浮かべながら言うアラン。見れば彼もまたトレイを持っていた。自分の食事をこれから自室に持って行こうと言うのだろう。

 彼は自分で自分の食事を持って行こうとしている。だがケヴィンは。

 フィリーネの眉間にはますますしわが寄る。それを見たアランは不思議そうに小首を傾げていた。


「いえ、アイナちゃんが食事を何度も運ぶのを見て聞いてみたところ、ケヴィン様のものだったようで。子供達に食事を持って行かせているのかと」

「ああ、そういう事ですか。で、何か問題が?」

「――は?」

「僕達は貴族ですよ? 何も問題ない。そう思いませんか?」

「なっ――!」


 平民を顎で使う事を当然だと言い放ったアラン。フィリーネはこれに柳眉を逆立て言い返そうとするも、しかし彼はすぐにくつくつと可笑しそうに笑い始める。


「ああいえ、失敬。もちろん冗談ですとも。フィリーネ様は、ケヴィンの奴が子供達に食事を持って来させる事にお怒りだと、そういうわけですね」

「え、ええ……。いえ、怒っているという程ではありませんが」


 にこにこと笑いつつ知ったように頷くアランに気勢をそがれ、フィリーネはたじろいだ。

 初めて会った時は優しそうな男と言う印象だったアラン。しかし殆ど面識のない伯爵令嬢を揶揄う程度には、癖の強い男だったようだ。

 そんな相手にどう接したら良いか戸惑うフィリーネ。そんな彼女に、アランはまたくつくつと笑った。


「申し訳ありません。僕もイザークさんも、ケヴィンには言ってるんですけど。まあアイツも頑張ってるんで、大目に見てやって貰えませんか」

「は、はあ」

「自分の事くらい自分でやって欲しいですけどね。……さ、アイナ。悪いけど持って行ってやってくれる?」

「あ、は、はい!」


 アランに言われ、アイナはとてとてと食事を運んで行く。


「それでは僕もこれで。失礼します、フィリーネ様」


 そう言い残して、アランもまた食堂を出て行った。

 アランには大目に見てくれと言われた。しかしフィリーネには、その言葉はあまりにも責任感の薄い、軽薄な言葉に聞こえた。


 その場に一人残されたフィリーネ。彼女の胸の内にある不信感は、アランに取りなされた結果、消えるどころか更に大きく膨らみ始めていた。

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