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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四_五章 見えなかった心
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213.平民の学び舎

「はーい! 皆さん、ご飯の時間ですよー! 準備ができましたから、食堂に来て下さーい!」


 カンカンカンと軽い金属音が鳴り響く。それを合図にして、部屋の中から子供達が我先にと飛び出してきた。


「ほらほら廊下は走らない! 急がなくてもご飯は無くならないですよ!」

『はーい!』


 右手にフライパン、左手にお玉。クリーム色のエプロンをかけたカークは、お玉でフライパンを叩きながら、駆ける子供達に注意を飛ばした。

 子供達は走るのだけはすぐに止めたが、しかし歩調は速いままだ。早歩きで次々に食堂に入って行く子供達に、カークは思わず苦笑が漏れた。


「はい! 皆、ちゃんと並んで下さいね!」


 カークが食堂へ戻ると、中ではリリが子供達を一列に並ばせていた。彼女もまたエプロンをかけ、手には杖――ではなく、絞った手巾を持ち、テーブルを拭いている最中だった。

 彼女は手巾を一旦テーブルに置き、並んだ子供達の前に立つ。


「水の精霊よ、清め賜え。”浄化(クリーンアップ)”!」


 ふわりと腕を振って魔法をかける。汚れを落として貰った子供達は、思い思いに彼女へ礼を言った。


「リリさん、ありがとー!」

「リリ姉ちゃん、サンキュー!」

「はい。それじゃ皆、自分の分を持って席についてね」

『はーい!』


 子供達は食堂の右手側に備え付けてあるカウンターへ向かう。奥の厨房ではカークとフィリーネ、そして数人の子供達が食事を配る準備を進めていた。


 カークとフィリーネがよそった食事を子供達が受け取り、厨房中央のテーブルに置いたトレイに乗せていく。

 食事が乗せられたトレイをカウンターに並べるのは、一人の初老の男だった。


 彼はかつてハルツハイム家で家令を務めていた、ベルナルド・ヴェーゲナーだ。ビシリと着こなした執事服の上にエプロンをかけるという姿で、てきぱきとトレイを運んで行く。

 男爵家当主という立場の彼だが、その姿は実に様になっている。奥でスープの盛り付けにすら悪戦苦闘しているハルツハイムの御令嬢、フィリーネとは大違いだった。


 子供達は明るい声をあげながら、カウンターのトレイを持って行く。その姿にベルナルドは微笑ましげに目を細めていた。


 エイク達を追いかけるリリ達一行は、トンタリオの町からずっと東にある町、リンゼラに辿り着いていた。


 大海嘯(スタンピード)を撃退した町シュレンツィアで、リリやカークはエイクから手紙を受け取っている。その手紙の発送元がルーデイルだったため、そこまでは進路に迷うことはなかった。

 しかしその先、エイク達がどう進んだか分からない。なので進路をそのまま東に取ってトンタリオに向かったところ、そこでも彼ら四人らしき目撃情報を得ることができたのだ。


 であれば真っすぐ向かってみようと、一行はそのまま東へ向かった。

 急ぎの旅だったのか、東南へ向かう三頭の馬に追い抜かれるという珍事――貴族の馬車を無言で追い抜くとは中々肝が据わっている――も道中にあったが、それ以外に特記すべき事もなく、彼らの旅は穏やかに進んでいた。


 とは言え馬車でも疲労は溜まる。このリンゼラはヴァイスマン領では比較的大きな町だ。探し人の情報もあるかもしれない。

 そうした事情から、彼ら一行はこの町で疲れを癒そうと、しばしの滞在を決めたのだった。


「あのー、すみません。ちょっとお話があるんですが」


 しかし、その考えはすぐに覆される事になった。

 エイク達の足取りを確かめようと情報収集に出ていたカークが、思わぬ情報を持って帰って来たのだ。


「どうもこの町で、僕の友人が戦災孤児達を保護しているらしいんです。ちょっと様子を見に行ってみたいんですが、構いませんか?」


 これを断ろうという者は、一行にはいなかった。そうして彼らはカークの友人だという人物のもとへ足を運ぶ事となる。

 だがそこで忙しく働かされる事になろうとは、誰も思っていなかっただろう。


『いただきま~す!』


 子供達がテーブルにつき、元気に声を上げる。

 ここにいるのは孤児ばかりだ。魔族によって親や住む場所を奪われた子供達。

 しかし嬉しそうに食事を頬張る姿からは、そんな悲痛な感情は見えなかった。


 厨房から出て来たカークは、そんな子供らの表情に頬を緩ませる。

 彼はバド先生のお料理教室、五期生だ。単純な興味から受けた指導だったが、それがこうして役に立つとは思ってもいなかった。

 カークはほぅと息を吐きながら腰に手を当てる。そんな彼へ、一人の人物が声をかけて来た。


「酷いなカーク。まだ授業中だったのに」


 そう文句を言いながらも、男の顔に浮かぶのは苦笑いだ。これにカークも笑って返した。


「さっき正午の鐘が鳴ったでしょう。正午は食事の時間。軍でもそういう決まりだったはずですよ、イザークさん」

「ははは、そうそう。集合に遅れると食いっぱぐれたりしてな。俺もよく走ったもんだ。つい最近の事なのに……何だか、懐かしいなぁ」


 そう言って彼――イザーク・ヤン・ヴァイスマンは、楽しそうな声を出した。


 イザークはこの領を治めるヴァイスマン伯爵の三男である。本来平民であるカークとは、軽い会話ができる立場の人間ではないはずだった。

 その証拠に三年前の彼は、こんなにも気安い人間ではなかった。彼の人格を変えることになったのは言わずもがな、戦争によるものだった。


「さあ、イザークさんも食べちゃって下さい。時間、ないんでしょう?」

「おお、そうだな。ちなみに今日の飯は?」

「今日は(オーミ)のスープと、野菜の煮込みと――」

「何だよ、昨日と同じか」


 明るい茶色の髪をかき上げながら苦笑いするイザークに、カークはじっとりとした視線を向ける。


「もっと資金に余裕があれば、色々作れますけど?」

「美味そうな飯だな! はっはっは。よし、食うか!」

「まったく……」


 足早に逃げていくイザークに、カークはふっと息を吐いて笑った。


 戦時、魔族軍と大規模な軍事衝突があった回数は六回に上る。

 最初の一度目は、当然戦争の始まり。火ぶたが切られた魔族の王都強襲戦だ。


 二度目は王都を取り巻く魔族らを討伐せんと貴族らが結集し、結果大敗を喫した魔族討伐戦であり。

 次いで三度目は帰還した王子軍と魔族軍が正面からぶつかり合った、通称ラザルの黄昏。王都南で起こった、王都奪還戦である。


 そこからは戦場を王都から離し、四度目は多くの民が犠牲となったハルツハイムのシュレンツィア防衛線。

 五度目を飛んで六度目は、魔王を封印するため戦った最後の地。マイツェン領に広がる通称”迷いの森”で繰り広げられた、魔王討伐戦だった。


 では五度目はどこが戦場となったのかと言うと、それはここ。

 ヴァイスマン領の中央に広がるルトビアーシュ平原で行われた、ルトビアーシュ撃滅戦であった。


 魔族らはルトビアーシュ平原で王子軍を迎え撃つべく、周囲の村や町を襲撃。そこでの資材確保をはかった。

 結果多くの無辜(むこ)の民が命を奪われることとなり、多くの孤児が生まれることにもなってしまった。


 戦後、行き場のない孤児達を引き取ったイザーク。彼が受け入れた孤児達の人数は二百にも上った。しかしそれでも、この領で生まれた孤児の一割にも満たない。

 伯爵家も領の復興などで財政が苦しい状況だ。実家からの支援にも限界がある。この孤児院の運営は、実際かなり厳しいものがあった。


 とは言えそれはイザークも覚悟の事で、その点について彼は大きな問題だと感じてはいなかった。

 今カークらがここで働いているのは、それとはまた別の問題。その事がイザークの孤児院運営に、影を投げかける事態となっていたのである。


「ふぅ……。こんなにも疲れるものだったなんて、知りませんでした……」


 仕事が終わって夜。

 静かになった食堂で、フィリーネはテーブルに座り軽く息を吐いていた。


「すみません、フィリーネ様。こんな事に手伝わせてしまって」


 彼女の言葉を聞き、イザークが申し訳なさそうに声をかける。これにはっと我に返り、フィリーネは少し丸まっていた背中をピンと伸ばした。

 気恥ずかしさに頬が少し赤くなったのが分かった。


「いっ、いえ。全く構いません。ただ、イザーク様もこんなにも大変な事を、よく少人数でされていますね。わたくしなんて自分の事ばかりで……本当に頭が下がる思いです」

「いやはや、ちゃんとできているか毎日心配ではありますが。まあ、何とかやってますよ」


 照れたように笑うイザーク。二人の会話に少し間が開くと、目の前にカップがするりと運ばれてきた。


「お嬢様、お疲れ様でございます」


 ベルナルドはフィリーネに笑いかける。彼が差し出したカップからは、芳しい香りが立っていた。


「イザーク様もどうぞ」

「すみません、ベルナルドさん」

「いえいえ、お気になさらず。好きでやっている事ですから」


 皆が座る中、立ちっぱなしのベルナルド。執事だからと彼はずっと、頑なに座ることを拒否していた。


「ありがとうベルナルド。貴方も疲れたでしょう?」

「ふふふ。いやはや、昔を思い出しますな。心地よい疲労感でございます」


 そんな彼に労いの声をかけると、ベルナルドは穏やかな笑みを見せる。一応声をかけたものの、しゃんと立つ彼の姿からは、疲労などまるで見て取れなかった。


 誰よりもテキパキと働いていたように見えたが、なぜこうも余裕の表情なのだろうか。というか、あの慣れた様子は一体全体どういう事だ。

 フィリーネは不思議に思いながら、紅茶を少し口に含んだ。


「皆様もお疲れ様でございます。宜しければどうぞ」


 ベルナルドは共にテーブルを囲む面々に紅茶を配っていく。


「あ、どうもすみません」

「ありがとうございます、ベルナルドさん」

「感謝致します。ベルナルド殿」


 カーク、リリ、オディロンと、それぞれ彼に礼を言う。ベルナルドはにこりと笑みを返すと、フィリーネの後ろにスッと控えた。


 彼らが手伝いを初めて、今日で三日目となる。初めは手伝いなど難しくも無いだろうと思っていたフィリーネだったが、こんなにもやるべき事が多いとは想像もしていなかった。


 敷地の見回りに料理の下拵え、そして配膳の手伝い。フィリーネのしていることはこのくらいだ。

 だが貴族の令嬢がそんな経験などあるはずもない。舐めてかかった結果、下拵えでは歪な形の野菜を切り出し、配膳では子供達にスープの具が殆ど無いだの、こっちは多いだのと非難囂々(ごうごう)で、大変ばつの悪い思いをしたものだ。


 これではオディロンと見回りをしていた方がずっと楽だ。彼女は二十一になって初めて、炊事がいかに大変か思い知らされる羽目になっていた。


「で、オディロンさん。何か変わった様子はありましたか?」

「いや。それらしい者はまだ見ていないな。やはり勘違いでは無いのか?」


 対して他の面々の様子はと言うと。あまり疲れた様子もなく、今日の様子について話を進めていた。


「でも、イザークさんが言っていた事が嘘とも思えませんし。オディロンさん、もう少し見回りをお願いできませんか?」

「はっ! もちろんリリュール様の頼みとあれば、このオディロン微力を尽くします!」


 リリがお願いするように瞳を向ければ、オディロンは凛々しい声を返す。

 これにカークは呆れたように息を漏らした。


「全く、調子がいいんですから……」

「何か言ったかね、カーク君」

「いえいえ。何でもありませんよ」


 カークは元冒険者だ。自分の事は自分でする。それが当たり前の環境で生きて来た彼にとっては、今やっていることは別段特別なものではなかった。

 それに彼は元々要領が良い上、軍人である。この程度で疲れを感じる程、柔な鍛え方はしていなかった。


 ではリリはと言えば、彼女は過酷な環境の中で暮らしていた龍人族である。この程度の仕事量は、彼女にとっては全く多いと思えない、むしろ少ないと感じる程度のものだった。

 加えて青龍族にとっては、子供らの世話は皆の仕事だった。リリにとって子供の世話というのは慣れたもので、久々の事に楽しさを感じていたくらいだった。


 オディロンもオディロンで、彼は正式な王家の近衛騎士だ。ここでは一日中敷地の見回りをしているが、そんなものは本職でやっている事とさほど変わりがない。

 むしろ今は鎧を着ていない分身軽であるし、尊い方の身を守ろうと神経を尖らせる必要もない。普段より断然楽であるのは間違いなかった。


 だが今、オディロンがどうして鎧を着ていないのか。そしてなぜ敷地の見回りなどしているのかという事についてだが。

 先程この孤児院の運営に影が差していると説明したが、その理由がまさに、この問題と深く関係していたのである。


「ありがとうございます皆さん。でも……くれぐれもお気を付け下さい。何があるか分かりませんから」


 イザークは眉を八の字にする。だがこれにオディロンは、面白くもなさそうに鼻を鳴らした。


「私は信じませんよ。あのクンツェンドルフ公が関与しているなど。閣下はこの王国の繁栄に尽力されてきた、素晴らしい方です。大方下らない輩が勝手に名を使っているだけでしょう。けしからんことだ。この私が必ず尻尾を掴んでやります」


 孤児院を運営し始めてからと言うもの、この場所を狙い、何者かが建物を壊したり子供達を襲ったりという事件が度々あったのだ。

 今までは嫌がらせの範疇を超えなかった。しかし最近では、子供を連れ去られそうにすらなったのだ。


 イザークは今回孤児院を作る機会に、ただ子供達を保護するだけでなく、字の読み書きや算術、魔法などを教える、平民の学び舎を作ろうという試みを行っていた。

 領主である父の賛同も得られ、ではやってみようと始めたイザーク。しかし彼に吹いたのは強い向かい風だった。


 彼の試みに難色を示す貴族らが現れたのだ。そしてそれは皆、クンツェンドルフ派の貴族であった。

 彼らは平民に学び舎など過ぎたものだと主張し、イザークの思いを一蹴した。イザークも説得を試みるが、しかし溢れた孤児達を目の前に、頭の固い貴族らを頷かせる時間的余裕は全く無かった。


 彼らの理解を得られないまま始めることになった孤児院兼学び舎。しかし初めて間もなく、何者かに嫌がらせを受けることになってしまう。

 尻尾は未だ掴めていない。しかし今までの経緯から、反対派の貴族らの仕業だと考えるのは自然な流れだった。


 イザークに協力し、共に教鞭をとる者達も二人だけだがいる。しかし多くの子供達全てに目を光らせて守るなど到底無理だ。


 学び舎を止めてしまおうか。イザークが悩んでいたそんな時、偶然にも現れたのはカーク達であった。その中にはなんと王宮守護騎士もいると言う。

 これほど心強い事はない。イザークが彼らを頼ったのも無理からぬ事であった。


「オディロンさん。それはいいですけど、あまり正門で仁王立ちしないで下さいよ。威圧感が凄いんですから」

「む……そうか?」

「あまり目立つと相手も襲って来ないでしょう……。鎧を脱いで貰った意味がないですよ。物陰にでも隠れていてくれれば一番いいんですけど」

「下賤な輩を迎え撃つために、王宮守護騎士がこそこそ隠れていられるかっ! ……まあ、ある程度目立たないようにはしよう」


 カークに突っ込まれてばかりの男だが、王宮騎士なら実力は確かだろう。

 イザークは二人のやり取りに少し不安を感じながらも、久々の安息を感じていた。

補足

一行を追い越していった馬三頭には、グレッシェルを目指すルフィナ達とリンゲール爺さんが乗ってました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 庶民が知恵と財を蓄えるのは発展と体制の転換への足掛かりだからクンツェンドルフ派の貴族の行動は短期的には概ね正しい 中長期的には周辺に置いていかれてより劇的に体制の転換を強いられるのだけど
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