23.水大蛇討伐②
大きさは頭部だけで三メートルはあるだろうか。胴体は湖から出している部分だけでも五メートル以上の長さがある。
顔だけならヘビというよりまるでドラゴンのようにも見えるそれは、人の耳に当たる部分にあるヒレを大きく広げたかと思うと、口を大きく開け、まるで嘲笑うかのようにこちらを威嚇してきた。
先端が二股に分かれている長い舌が、まるでこちらを小馬鹿にするようにチロチロと動いている。
燦々と降り注ぐ太陽光を浴び、純白の鱗がまるで俺達を舌なめずりするかのようにぬらりと光った。
「おーっ! でっかいヘビさん!」
「全くだよクソッタレッ! スティアッ!」
「ええ! さあ、こちらですわよ!」
間髪いれずスティアが投げナイフを素早く投擲する。投げナイフは矢のようにその眉間へと飛んでいくが、アクアサーペントは頭をくねらせて避けると、そのままぐねりと体を曲げて突っ込んで来た。
その速度はあの巨体からは考えられないほど素早く、瞬きを一つする間もなく間合いを詰めてくる。
だが既にそこにスティアの姿は無い。スティアはすでにバックステップを踏み、俺達よりも更に後方へと退避していた。
そして彼女の代わりに一人で対峙したのはバドだ。
彼は先ほどまでスティアがいた場所に一足飛びで向かうと、盾を静かに構え、アクアサーペントと真っ向から対峙した。
アクアサーペントは狙った獲物が変わった事にもお構いなしに、そのまま容赦なく突っ込んでくる。バドはその様子を冷静に観察しながら、腰を落として衝撃に備えた。
次の瞬間。凄まじく重く、巨大なもの同士が激しくぶつかったような轟音が、湖畔一帯に鳴り響いた。
衝撃で木々が騒めき、思い出したかのように鳥達が一斉に空へと飛び立った。
巨漢とは言え、バドとアクアサーペントの大きさは比較する以前の問題だ。そして体の大きさと言うのは即ち力の大きさでもあった。
いくらプレートアーマーを隙なく装備するバドでも、アクアサーペントとの力の差は歴然。呆気なく吹き飛ばされるのが当然の未来だったはずだ。
しかし。バドの背中はまだ俺達の目の前にあった。
彼は一メートル程度押されはしたものの、壁盾を構えた状態でアクアサーペントの体当たりをたったの一人で完全に受け止め、押さえ込んでいた。
そんなバドの体は、まるで彼の気迫が溢れ出ているかのように、白い靄のような光をまとっていた。
――”堅牢なる聖盾”。
盾職の上級精技の一つ。使用者の生命力――すなわち精の力、精力を消費し、本人の守備力を大幅に上昇させる最高峰の技。
その堅牢さは技能名に違わず。バドはアクアサーペントとの力比べにもピタリと動かず、びくともしていない。
バドの内から噴き出す強大な気迫が、アクアサーペントの重圧を完全に抑え込んでいた。
人間はその歴史すら把握できないほど昔から、人間以外の強大な生物と戦って生きてきた。
その生物は、動物が何らかの原因で大きな魔力を体に内包した、もしくは濃い魔力に晒され続けたことで、特異な進化を果したものだと考えられているが、その強大な力でもって人間の生活を常に脅かし続けてきた。
人間はこれら魔力によって変異した動物を総称して、”魔物”と呼んでいた。
古くから人間は、魔法を駆使することで魔物から身を守り種を存続させてきた。
しかし殆ど魔力を持たずに生まれてくる者も決して珍しくは無く、そんな抗う術を持たない者達は、魔物の脅威に日々を怯えて暮らす事を余儀なくされていた。
しかしその現状を甘んじて受け入れる事なく、それを打破せんとする者達の手によって、魔力を持たない人間でも脅威に対抗できる手段が生み出されることになる。
それを練精法と言った。
精力とは、人間の持つ生命力を消費して生成する精が持つ力を指す。
体内で生命力を代償にして精を練り、己の肉体やその周囲に影響する精を作り出す。
練精法によって繰り出す技、精技は、魔力を持たない者でも魔物に対抗でき得る手段として確立して久しく、今の時代、戦うことを生業としている者ならある程度習得している者も多かった。
かく言う俺も今、精を練っている最中だった。
バドのように上級精技を繰り出せるほど熟達しているわけでないのが口惜しいところだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
「ホシ、先に行けっ!」
「おっけー!」
俺とホシはアクアサーペントと押し合いをしているバドの背を踏み台にすると、一気にアクアサーペントの頭上へと飛んだ。
「せぇのぉっ!」
ホシが勢いよくメイスを奴の首元に叩きつける。すると地が爆ぜる轟音と共にアクアサーペントが”逆くの字”にひん曲がった。この馬鹿力は流石だ!
結構ダメージを与えた気もするが、相手はこれほどの巨体、油断は禁物。予定通り全力で追撃をかける!
「”練精剣”ッ!」
俺は精をまとい白く輝くロングソードを、ホシがつけた打痕目掛けて思い切り突き立てる。べっこりと窪んだへこみが狙いを逸らさせず、切っ先はずぶりとその中央に飲み込まれていった。
練精法を会得する剣士がまず習得することになる技、”練精剣”。基本的な技であるものの、熟練の剣士なら木剣でも鋼すら切り裂く強力な剣技だ。
だが全力で放ったその精技によっても、俺のロングソードは鋼のように固い鱗と皮膚、そして重厚な筋肉に阻まれすんなりとは突き刺さってくれない。
勢いよく差し込まれたロングソードだったが途中からその速度を失い、剣身を半分ほど差し込んだところで完全に止まってしまった。
ちなみに俺の名誉のため弁明しておくが、技名を叫んだのはただの注意喚起だ。
精を使った技は広範囲に及ぶ強力なものも多いため、同士討ちを防ぐように技名を言うというのが一般的なのだ。決して痛い奴ということではないぞ。
「よし! スティア、後は頼んだっ!」
ホシの一撃でアクアサーペントはまだ目を回している。その間にすかさず、武器を手放してアクアサーペントから飛び降りると、俺とホシは散開し、その場から走って退避する。
「風の精霊シルフよっ!」
スティアの勇ましい声が湖畔に木霊する。
「我が呼び声に応じ、雷の帝王による裁定を! 邪なる者に浄化の救済を!」
走りながらスティアを横目でちらりと見ると、既に詠唱し始めている様子が見えた。先ほどまでアクアサーペントを抑えていたバドは既に、魔法の余波から守るべくスティアの前に陣取っている。
「今、白刃の雷霆によりて我らの活路を切り開き賜え!」
スティアの詠唱が結びを告げる。同時に「シャァァーッ!」というヘビ独特の威嚇する音が聞こえた。
俺はそれに構わず森に全速力で飛び込むと、木を背にして慌てて這いつくばった。
「――”雷帝の鉄槌”ッ!!」
風の上級魔法、”雷帝の鉄槌”。かの風の大精霊、トールの異名をとる雷霆の一撃。
スティアがその名を唱えた瞬間。激しい閃光が目の前を覆いつくした。
一瞬遅れて轟音が鳴ったかと思うが早いか、横殴りの突風が吹き荒れ、土だの石だのいろんなものが吹き飛んでくる。木々が激しい突風にギシギシと軋み悲鳴を上げた。
相変わらず凄まじい威力だ。流石にまともに喰らったならさしものアクアサーペントも生きていないと思いたい。
「うっひゃーっ!」
どこかのバカが喜ぶ声がやけに耳に届くが、こちらはそれどころじゃない。
地面に伏せながら、体が浮き上がりそうな突風に耐えること数秒。魔法の影響も落ち着き風も収まったことを確認すると、俺はゆっくりと立ち上がった。
周囲からは何かが燻る音が聞こえて来る。木々の間から出て目の前を見ると、頭部が黒焦げになった大きい何かがブスブスと煙を上げているのが見えた。
「……こりゃ派手にやったなぁ」
その黒焦げになったアクアサーペントに近寄ると、非常に焦げ臭い異臭が鼻を突いた。
「あっはっは! まっくろくろ!」
「辛うじてサーペント種ってことは分かるが……やりすぎじゃないか? これ」
指を差して笑うホシに構わず、頭に登り首筋に突き刺したロングソードの柄を握る。だがそれだけで木製だった柄は、ボロボロと崩れ落ちてしまった。
雷は高いところに落ちる性質があるため、”雷帝の鉄槌”を制御するのがスティアだとはいえ近くの木に落ちる可能性があったし、アクアサーペントへの狙いが外れる懸念もあった。
だから避雷針代わりに剣を立てたのだが、”雷帝の鉄槌”の威力は想像以上に凄まじく、剣身までも真っ黒だ。
覚悟はしていたが、この剣はもう使えそうに無いな。
「ちょっとやりすぎました?」
「いや、まあ……倒しきれないよりは良いだろ」
バドと共に近寄ってきたスティアに気にしないよう伝える。倒すのが目的なのだから確実に倒せたほうがいいに決まってる。下手に手加減して機を逃すほうが不味い。
首元からにょきりと生えた剣身を握って力を込めると、刺したときとは違い、あまり抵抗もなくずるりと引き抜けた。
……が、やっぱり刺さっていて見えていなかった部分も真っ黒だ。もう諦めよう。
「貴方様、申し訳ありません……」
「別に業物でもないから気にするなって。軍にいたら支給される普通の剣だよ。どっかの町に行ったら替えを買うさ」
眉尻を下げるスティアに笑いかけながら頭から飛び降りると、それよりもと、アクアサーペントの首の辺りを手で叩いて見せる。
倒したはいいが、こいつの処理をどうしよう。折角倒したのだから、売れる箇所はできるだけ持って行きたいところだ。
「えーっと確か、冒険者ギルドじゃ討伐証明ってのがあるんだよな? それ、どこか分かるか? それと、皮とか肉は売れるのかコイツ?」
「討伐部位は舌ですわね。皮や牙なんかは売れば買い手が出ると思いますわ」
「舌? ……何かに使えるのか?」
「何にも使えないからですわ」
「何にも使えないから?」
「討伐部位は冒険者ギルドに証拠品として納める必要があるのですわ。もし手元に残したい部位が討伐部位になってしまうと困るでしょう? ですから不要な部位が討伐証明に使われるのですわ」
そういうことか。確かに欲しい部分を渡さないといけないとなると、困る人も出てくるな。結構配慮されているようで感心する。
ただ、それだと今は俺達が困ることになるが。
「舌なんて原型留めてないぞ?」
「……本当ですわね」
真っ黒になっているうえ縮んでしまって舌の形状がまるでない。持って行ったところで分かってもらえるだろうか。
辛うじて二股になっている先端だけは分かるのだが、ただの丸い肉の塊と化している。不安しかない。
俺達は冒険者ではない上討伐依頼を受けたわけでもないから、ギルドへの報告義務はないし、討伐報酬も出ない。だから討伐部位なんて持っていても何もメリットはないのだが、俺は使えそうなものは何でも持っておく主義だ。シャドウがいるから荷物が増えても困らないしな。
「こんな状態だが、一応舌は持って行くか。あと、今気づいたが牙は駄目だな。触ると表面がボロボロ崩れる。こりゃもう墨みたいになってるな」
これだと毒も取れそうにないな。確かヘビの毒は頭部にあったらしいし。勿体ないが、仕方ない。
「あ、あら。では皮を剥いで持っていきましょうか。結構高く売れると思いますわよ」
そう言ってスティアは胴体の方を指差す。頭は確かに真っ黒だが、頭から離れた部分は無事そうに見える。
確かに皮は素材として有用そうだ。スティアの革鎧やブーツも確か翼竜の革で作ったものだと聞いたことがある。燃えにくく、剣で突いたくらいでは穴も開かないらしい。
何せあのランクSの魔物だからな。流石と言うべきか。値段を聞くのが少し怖いくらいだ。
「ねぇねぇ! 肉は!? 肉はおいしいの!?」
ホシが目をキラキラさせて聞いてくる。さっきあんなに頬張って食べていたくせにまだ食べ足りないのか。バドも話が気になるのか、ホシの横に来てじっと聞いていた。
「お肉は美味しいらしいですわよ。需要があるかも知れませんし、いくらか持って行ってもいいのでは?」
「やたーっ! にーく! にーく! にーく!」
美味しいと聞いて、ホシが喜んでぴょこぴょこと踊りだす。するとそれを見て、横にいたバドも一緒に踊りだしてしまった。
そんなに肉が欲しいかお前達。肉に対する情熱が凄いな。
「分かった分かった、どうせ皮を剥いだら肉が余るしな。好きにすればいいさ」
「わーい!」
「ただまぁ……どうしようもない問題が一つだけあるんだ」
「どうしようもない問題、ですか?」
首をかしげたスティアに対し、肩をすくめて答える。
「コイツをどうやって解体する?」
俺がそう言うと、皆が固まってしまった。
そう。こいつはあまりにも巨大な魔物だ。フォレストウルフのようにナイフで解体するなんて事はできないのだ。
こいつの皮を剥ぐ道具もなければ、持っていく手段もない。まあシャドウに入れてもらえば多少は持っていけるだろうが、一度に入れる量には制限があり馬鹿でかい物は入らないから、いくらか小分けにする必要がある。
だが、小分けにする手段も無いのだ。胴は直径で三メートル近くあるが、これを両断する手段がない。
剣で斬ればいいって? 突き刺すのも大変だったのに剣で両断できるわけが無い。
「しゃどちんに頼めないの?」
「無理だろ。どれだけあると思ってるんだ」
尻尾の部分はまだ湖に入っているが、見えている分だけでも二十メートル以上はあるのだ。
ちらりとシャドウを見ると、にゅっと黒い手が出てきて横に振った。やっぱり無理みたいだな。
「えー! それじゃ何のために倒したのか分かんない!」
やっと理解できたのかホシがぐずりだした。バドもどうしたらいいか考えているのか、珍しく空を仰いでいる。
お前達。何か勘違いしているようだが、間違いなく肉のためではないぞ。肉を食べるためだけにこんな奴倒したくない。命知らずにも程がある。
「さっき”練精剣”で突き刺した感じだと、皮は滅茶苦茶固いし、肉も引き締まっててかなり分厚い。解体するにしても一苦労だと思うぞ? 肉どころか皮剝ぐのだって難しいだろ。無理くそ剥ぎ取っても、不恰好だと使い物にならないかもしれないし」
「仰る通りですわ。皮はそれなりの広さがないと素材としての価値が落ちますし、状態が悪ければ使い物になりませんわ。さて、どう致しましょう……?」
「せめて小分けにできれば、シャドウに頼んで持っていけるんだがなぁ」
俺の呟きに、ぴくりとバドが反応した。すっと盾をそばの木に立てかけると、スラリと剣を抜き、アクアサーペントの方へゆっくりと歩いていく。
ちょっと待て。何かバド、体から白いのが出てるんだけど!?
「ちょ、ちょっと待て! こんなことに精技を使うつもりか!?」
「先ほど”堅牢なる聖盾”も使っていましたが、大丈夫ですの?」
そう、精技は自分の生命力を使うため、高度な技になればなるほど生命力を削られる。休めば回復するものの、使いすぎると生命にも関わる諸刃の剣でもある。
そんな自分の身を賭して運命を切り開く高尚な技を、肉を得るために使うつもりか? 考案者も草葉の陰で嘆きそうだ。
俺達の色々な心配をよそに、バドは両手で持ったロングソードを天高く掲げる。陽の光を浴びて鈍く輝くそれを、バドはなんの躊躇も無く振り下ろした。
肉への執念って凄い。俺は思考を放棄することに決めた。