表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四章 薬売りの天使と消えない傷跡
227/389

208.アウルの心

「カハ……ッ」


 胸を突かれ、彼はガクリと膝から崩れ落ちる。引かれた剣に傷口が開き、溢れた血で絨毯が赤く染まっていく。


「ア――アウレーンッ!!」


 くずおれたアウレーンをフリッツが慌てて支える。四肢をだらりと伸ばしたアウレーンは、ごぼりと口から血を吐いた。


 あわや胸を突かれるかと思ったフリッツ。代官の異様な行動に、俺は全く動けなかった。

 後ろのルフィナやサリタも同様だ。あまりにも突然の事に、誰も動く事ができなかった。


 ただ一人、動く事ができたのは。

 その行動を察する事ができたのは、俺が肩を貸していたはずの男、アウレーンただ一人だけだった。


「ゲ、ゲオ、ルク、様……」


 アウレーンは、血でくぐもった声を上げる。あれは、致命傷だ。もう傷薬でどうこうという傷じゃない。俺が持っている五等級の生命の秘薬(ポーション)ですら焼け石に水だろう。


 今までの経験から俺は、彼がもう助からないと悟ってしまった。

 相手の異様さ加減に戸惑い、≪感覚共有(センシズシェア)≫に頼り過ぎた。

 俺は阿呆だ。

 思わず奥歯が軋んだ。


「何だ貴様は」


 死が寸前にまで迫るアウレーン。だが彼を見る代官の目は氷のように冷たい。

 ずっと自分を支えてきた男に対して、まるで認識していない様子の言葉を吐き、じろりと彼を見下ろしている。


「ア、アウレー、ン、で、ござい、ま、す……」

「アウレーン? フン、知らんな」


 血を吐きながら言うアウレーンに僅かすら表情を崩さず、代官は剣を振り上げる。


「ち、父上! もうお止め――!」

「目障りだ。消えろ」


 父親へ悲鳴のような声を上げるフリッツ。だが代官は上げた剣を躊躇なく振り下ろした。

 剣は真っすぐに二人へと向かって行く。俺は今度こそ迷いなく床を蹴り飛ばした。


「く――ッ」

「二度もやらせるかよ」


 抜き放った魔剣が代官の剣を弾き飛ばした。剣は部屋の隅へと飛び、乾いた音を立てて床に転がる。

 これに代官は右手を押さえて一歩下がった。


「エ、エイク殿!」

「そいつを寝かせろフリッツ。早くしろ!」


 俺を呼ぶフリッツに目もくれず、俺は懐に手を伸ばし瓶を一つ取り出した。

 まともに開けるのももどかしい。封をむしり取り、乱暴に栓を引っこ抜く。


 こいつは俺のミスだ。簡単に止められたはずが、あんな見え見えの行動を許してしまった。

 だからと言う事もあるが、それだけじゃない。俺には相手の感情が分かる。そして感情には相手の思いが――心が乗るのだ。

 

 先ほど聞いたアウレーンの話が脳裏を過ぎる。アウレーンという人間を知ってしまった以上、目の前の男がこのまま無念を抱えて逝く事を、俺は到底見過ごす事などできなかった。


「こいつに言ってやりたい事があるんだろう。その時間くらいくれてやる。こいつを飲めアウレーン!」


 寝かされたアウレーンに片膝を突いて話しかける。

 アウレーンの胸からは血が止めどなく溢れている。彼はもうどこを見ているかも分からないような、生気の無い表情をしていた。

 死相だ。もう意識など無いのかもしれない。

 だが俺はこいつの意地に賭け、耳元で大声を上げた。


「聞こえるかアウレーン! こいつを飲み込め! お前が今まで貫いてきた意地を見せてみろっ! 最後だ! これが最後なんだぞっ!」


 最後のチャンス。そんな言葉に反応してか、アウレーンはピクリと体を震わせた。

 消えかかっていた彼の感情がふわりと浮き上がってくる。次の瞬間、彼は口に溜まっていた血をごくりと飲み下した。


「よしッ! こいつも飲め! ちっとは持つはずだッ!」


 俺はアウレーンの口を開くと、生命の秘薬(ポーション)を流し込んで下あごを持ち上げる。アウレーンは最後の力を振り絞り、それを体内へ送り込んでいく。

 彼の喉仏が上下に躍動する。すると、すぐに効果が現れ始めた。

 胸から溢れる血が勢いを緩め、アウレーンの目にも微かな光が宿り始めたのだ。


「ご、ごほ……っ! ゲ、ゲオ……様……」


 血反吐を吐きながら、アウレーンがまた声を上げる。天井を向いていた視線は再び代官へ。だが必死に言葉を紡ごうとするも、声が小さく聞き取れない。

 死の淵にありながらも、アウレーンは何かを伝えようと必死に口を動かしている。しかしそれを受ける代官の表情はあまりにも冷たかった。


「駄目だ! もう喋るなアウレーンッ!」


 見かねてフリッツが声を上げる。だがあの薬の効果は、精々数分を延命するに過ぎないものだった。


「言わせてやれフリッツ」


 助ける手立てがない今、俺達にできるのはアウレーンの最後の望みを叶えてやる事だけ。

 俺が首を横に振るのを見て、フリッツは絶望を顔に浮かべる。だが分かっていたんだろう。すぐに俯き奥歯を噛み締めた。


「ゲ……に……様……。わた……し……は……」

「何だこいつは」


 弱々しい声で何かを言おうとするアウレーン。代官は興味も無さそうな声を出し、床に寝かされたアウレーンを見下ろしている。

 全く動かない表情。胸にぽっかりと空いた感情の無い空間。まるで人形のような人間がそこにいる事に、俺は気持ち悪さすら覚えていた。


「ゲオ兄様――」


 だがその時だ。

 アウレーンのその一言が、代官の表情、そして感情を僅かに動かした。


「お、お前、は」

「アウ、ルで、ござい、ます。ゲ、ゲオ、兄様」

「アウル? ――お前、アウルか!」


 代官は何かを思い出したように目を見開く。

 アウル。きっとそれが、彼がこの屋敷にいた際の呼び名なんだろう。

 アウレーンはごほごほと血反吐を吐きながら声を上げる。その声は小さいながらも、今度ははっきりと聞こえていた。


「不躾です、が……私から、お願い事、が、ござい、ます。どうか……どうか、お聞きくだ、さい」

「何だ、藪から棒に。まあ良い。言ってみろアウル」


 先程の態度から一転、代官は急に話を聞く態勢に入った。声も先程までとは変わって、僅かな抑揚が生まれていた。

 知り合いと言うのは本当の事だったようだ。初めて見せた代官の人間らしさに、つい驚いてしまう。


「今まで、私は、兄様の、行う事には、口出しを、控えて、おりまし――ごほっ、ごほっ!」

「アウレーン……っ!」


 フリッツがアウレーンの手を強く握りしめる。その目には涙が浮かび、今にも零れ落ちそうだった。釣られた俺の目にもじわりと涙が浮かんでくる。

 既に絨毯は血で真っ赤に染まっている。もう致死量を超えているように思う。

 しかしアウレーンはゴホゴホと血反吐を吐きながら、最後の力を振り絞る。


「どうか、今までの、ような事、は、お止め、下さい。誰かを、傷つける、行いは……誰も、幸せには、なりません」


 代官の眉がピクリと動く。明らかに不快に感じている様子だ。

 しかしアウレーンは止まらない。もう止まる時間すら彼には残されていないのだ。


「旦那、様も……奥様、も……誰も、望んで、おりま、せん」

「つまらん。それがアウル、貴様の願いなら――」

「それに、兄様の、ためにも、なりません」


 代官の言葉を遮って、彼は自分の言葉をしっかりと紡いでいく。


「兄様、自身……幸せ……ため……どう、か……ごほっ」

「アウレーンッ!」


 そして最後の力を振り絞り切った彼は、血をごぼりと吐くと視線を代官から天井へと移した。

 まだ呼吸はある。しかし、意識はもう無いだろう。

 彼の最後の言葉。それは嘘偽りのない彼の心だった。代官にはこの必死の思いが届いただろうか。

 俺は僅かな期待を胸に代官の顔を伺う。だがそこには、冷酷な表情を浮かべる男だけがあった。


「私自身のため? ふん、誰が騙されるものか。貴様達はいつもそうだ。人を思う振りをして、結局は自分の思う通りに私を動かそうとする」


 代官は手を握りしめる。その手はぶるぶると震えていた。

 今まで不明だった彼の心に、今初めて、怒りという感情がふわりと湧き上がってきた。


「私は誰も信じない。私が信じる者は、この世界に誰もいない! それを証明したのはお前達だ! 私を悪魔と罵るお前達が! 私を排除しようとしたお前達がッ! 私は――私はッ! 私自身しか信じないッ!」


 この部屋に入る前、この代官が悪魔に取りつかれたように豹変したとアウレーンは言っていた。しかし代官は今、アウレーン達が自分を悪魔と言って排除しようとしたと口にした。


 過去、一体何があったのかは分からない。しかしアウレーンが最後の力を振り絞った忠諫(ちゅうかん)を、代官は嘘だと一蹴した。

 これだけはどうしても見過ごせなかった。死に逝くアウレーンのためにも。


「≪感覚共有(センシズシェア)≫」


 俺はアウレーンと代官に魔法をかける。共有するのは当然、アウレーンの言葉が真実である、その証拠。

 彼の内に宿る、感情の残り香だった。


「……これは」

「俺にはちょっと珍しい魔法が使えてな」


 怒りに顔を歪めていた代官。だが彼は、何か気付いた様子でぽつりと呟いた。

 

「アウレーンの心だ。分かるだろ? こいつがお前をどう思っていたかがよ」


 子供に言い聞かせるように静かに話す。代官は驚いたように目を見開き、アウレーンをじっと見つめた。


「お前はアウレーンの言う事を嘘だと言ったな。でもこいつの心を知って、まだ嘘だと言えるか? こいつがお前を騙すために、死に際にまで嘘を言ったと思うか?」


 人間の体には魔力が絶えず流れている。そこに別の魔力が流れ込もうとすると、どこからそれが来ているか、異物が入り込むような感覚で何となく分かる。

 今代官は、自分の胸に感じる感情がどこから来ているか、はっきりと理解しているはずだ。

 その温かい感覚が誰からのものなのか。それがどんな感情なのか。


「そんな……嘘だろう?」


 代官は呆然と口にする。

 共有している俺にも分かる。今アウレーンの胸に浮かぶのは、ただただ温かく柔らかな感情。

 冷え切った代官を包み込むような、優しさに満ちたものだった。


 ふわりと。花のような香りが鼻をくすぐったような気がした。


「こいつは死に際にまでお前を思っているんだ。本当にお前のためを思って、お前を叱ったんだ。アウレーンはずっとお前の傍にいた。お前に邪険にされながらも、ずっとお前と共にいたんだ。そんなこいつを、お前は信じられないってか?」


 代官の視線の先には、もう呼吸が止まろうかと言う男がいる。彼はよろよろと近づいて、両膝を床に突いた。


「アウル……どうなんだ。お前の気持ちを、聞かせてくれ……。頼む……頼む……!」


 代官は弱々しい声を上げ、倒れるアウレーンの手を両手で握る。その姿はまるで子供が駄々をこねているようだ。少なくとも先ほどまで感じられていた異様な雰囲気は、嘘だったかのように鳴りを潜めていた。


「むか、しの……ように……」


 その声が届いたのか、アウレーンは僅かに目を開く。

 すでに瞳孔は開いている。しかし、何かが彼を動かした。


「また、兄様と……父が……手入れ、した……庭を…………二人……で…………」


 はくはくと口が動き、途切れ途切れに言葉を発していく。代官と共に暮らしていた頃の追想だろうか。

 アウレーンの頬は僅かに緩んでいる。今の彼には一体何が見えているのだろう。


「あのひ、の……やく、そく…………。わた、しは…………にい、さまの…………きし……に…………」


 彼の感情が見る間に萎んでいく。まるで魂が体から抜けて行くかのように。


「アウル、駄目だ! 逝くな! 逝くんじゃない! 私を一人にしないでくれっ!」


 代官は悲痛な声を上げ、彼の手を握り締める。目から溢れる涙をそのままに、まるで子供の用に泣きじゃくる。

 そんな彼へアウレーンはにこりと微笑む。


 そしてそのままこの世を旅立って行った。


「アウルっ! う、うあああぁぁぁ……っ!!」


 アウレーンの手を握りしめ、代官は悲痛な声を上げていた。

 彼の異常なまでの悲しみが俺に押し寄せてきて、思わず俺の目からもボロボロと涙が零れ落ちた。

 だがそんなものは構うものか。俺は涙を拭いもせず代官に詰め寄り、怒りに任せて胸倉を掴み上げた。


「何を泣いていやがるテメェッ! コイツのためか? それとも――テメェ自身のためかっ!」


 代官のために人生を捨てたアウレーン。彼は自分を殺した代官の事を、最後まで心から案じていた。

 だが目の前のコイツはどうだ。こいつの悲しみはアウレーンに対してのものじゃない。

 あくまでも自分自身に向けられた、己に対するものだった。


 俺は今まで≪感覚共有(センシズシェア)≫で、多くの人間の感情を感じ取ってきた。

 人間の感情を表現する、喜怒哀楽なんて言葉がある。だがそんな一言では表現できないほど、人間の感情は複雑怪奇なものだった。


 一人一人、物事に対しての受け止め方が違い、それによって抱く感情も千差万別。場合によっては、俺が全く理解できないような反応を示す者もいた。


 だがそんな中で悲しみという感情だけは、人を思いやる気持ちで溢れていたように思う。

 自分以外の誰かを強く思う気持ち。だから俺はその感情につられ、今まで何度も涙を流す羽目になってきた。

 それなのに。


「こいつの思いを今、その目で見ただろうが! 心で感じただろうが! だってのにお前は、この期に及んでまだ自分の事しか考えられねぇのかっ!」


 目の前のこいつは、自分を悲観して悲しみに暮れていただけだった。

 アウレーンが死んだ事など何とも感じていない。ただただ自分が可愛くて、それで涙を流しているのだ。


 こんな奴の悲しみで涙するなんてあまりにも馬鹿馬鹿しく、そして虚しい。

 俺は≪感覚共有(センシズシェア)≫を即座に切る。いつの間にか俺の手は固く握り締められていた。


「いつまでも甘え腐ってんじゃねぇッ! この人間のクズがあッ!」


 その拳は衝動のままに、代官の顔面を殴り飛ばしていた。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ