206.忠諫
長剣の切っ先でちょいちょいとアウレーンをおちょくる。相手の表情はあまり変わらなかったが、感情には怒りかいら立ちか、熱さがチラリと顔を覗かせた。
更に挑発するようにニヤリと笑って見せれば眉間にしわが寄る。思った通り、挑発のし甲斐がある奴のようだな。
「フン、どうした? 来ねぇなら――今度はこっちから行くぞコラァ!」
俺は思いきり床を蹴り、真正面から突っ込んで行く。
足を強く踏み込み、長剣を切り上げる。これをいなそうとするアウレーンだったが、俺の速さを見誤ったようだ。タイミングが僅かにずれ、二つの剣が激しくぶつかり合った。
「ぐぅっ!?」
俺の魔剣がアウレーンの剣を弾き飛ばす。ただの力比べならこっちに分があるようだ。
だがまあ真っ正面から力比べ――なんて俺の性分じゃあない。少し怯んだ様子の相手へ、俺は不敵に笑って見せる。
「おっとこいつは魔剣だぜ! 何度も耐えられると思わねぇ方がいいぞ! 剣ごと真っ二つになりたくなきゃあな!」
「チィ……ッ! 何の! その程度の腕では私の剣は折れん!」
俺はまたアウレーンに飛びかかり、力任せに剣を振り回す。
最初、俺の一撃をまともに受けたアウレーン。だがその言葉通り、奴は剣捌き体捌きで、俺の剣の威力を流していく。
「そんな雑な攻撃! 私には通じないッ!」
大振りの剣を搔い潜り、アウレーンが剣を飛ばしてくる。俺の死角から滑るように飛んできた突き。だがこれは左の短剣で弾く。顔の近くで火花が散った。
「ケッ、この程度か! もう一丁行くぞコラァッ!」
再度魔剣を振り回すも、相手もさる者難なくかわす。
「はぁぁーっ!」
そして当然、大振りの隙を逃がさない。アウレーンの素早い二連突きに、俺もまた短剣を操りそれを弾く。
最後の突きを防御すると、相手は面倒臭そうに渋面を作っていた。
幾度となく攻防を繰り替えす俺とアウレーン。だが剣戟の音は時を経るごとに重さを失い、軽い音へと変わっていく。
完全に威力を受け流されている。
ただ剣を振り回すだけでは、アウレーンの技量の前に歯が立たないのは誰が見ても明らかだった。
「ちょっとカーテニアさん! そんな大振りじゃ当たらないよっ!」
後ろからサリタも焦ったように口を挟んでくるが、
「うるせぇな! お前はそこで黙って見てろ! オラァーッ!」
俺はそれに怒鳴り返しながら、また魔剣を斧のようにぶん回す。
アウレーンはこれをヒラリとかわし、また死角から突きを繰り出してくる。再び俺の短剣が火花を散らした。
「なるほど分かった」
「あ?」
「その短剣は私の攻撃を防御するための物か。そして、短剣で私の剣を止めた隙を狙い、長剣で止めを刺す。そんな算段だろう」
少し間合いを離して、アウレーンが淡々とそう口にする。
「はっ、どうだかな」
「だが分かってしまえば何て事もない。ただの浅知恵だな。確かにその防御を破るのには時間がかかりそうだ。だが――そちらの剣が私に届かない以上、私の勝ちは揺るがないッ!!」
俺が肩をすくめるも、相手は気にも留めずにまた肉薄してきた。
俺の戦法を完全に見切った。そんな感情がアウレーンの剣に乗る。
先ほどまでの様子を見るような動きは消え、俺の短剣を掻い潜る道筋をアウレーンは模索し始めた。
魔剣の攻めすら封じるように、隙が少なくリーチの長い突きを繰り出してくる。
俺の足が止まれば足へと剣先が飛び、俺が長剣を大振りすれば死角からの突きが短剣を軋ませた。
アウレーンの攻めは徐々に苛烈になっていく。俺の大振りなど今や、自分の隙を晒すだけの行為になっていただろう。
「おらぁ! もう一発!」
だがそんなのは関係ねぇ! 俺はダンと大げさに踏み込む。
そして剣を振り上げて、またも大振りの一撃を彼にお見舞いした。
「くどい! そんな攻撃は、私には通じんと言ったろうっ!」
俺の一撃をかわしながら死角に潜り込むアウレーン。目の前にあった奴の姿が、俺の視界から奇麗に消え失せた。
俺が魔剣を振り切ったタイミング。その僅かな時間に寸分たがわず、アウレーンは突きを繰り出してくる。
タイミングは完璧。避けるのも防ぐのも難しい、死角からの一撃だ。
「と思うよなぁ?」
だがな、俺はこれを待ってたんだ。魔剣を握る手に力を籠める。
そしてアウレーンが踏み出そうとした前足を、魔剣の腹で思いきり打ち払った。
「な――!?」
重心が乗った足が流され、アウレーンの体がグラリと大きく揺れた。
これは俺のオリジナル剣技。名付けて”出足払い剣”だ。
相手の出た足を払う。それだけの剣技だが、地面に転がった相手を倒すなんて、これほど楽なことは無い。地味だが意外と効果的な技なのだ。
とは言え生まれた理由は実にしょうもない。
アゼルノに剣技を習っていた際、俺は何度も試したが、彼の得意技”飛燕剣”を習得することができなかった。なのでこれに少し手を加え、出来上がったのがこの”出足払い剣”なのだ。
”飛燕剣”は斬撃の最中にその軌道を変え、敵を切り裂く剣技である。最初の太刀を一の太刀、軌道を変えて二の太刀、また軌道を変えたら三の太刀と、技の細部にそんな呼称すらある、高い技量を必要とする高難度の剣技だ。
これに対して”出足払い剣”は、一の太刀が擬態。つまり引っ掛けだ。
で、相手が引っ掛かって向かって来たら、二の太刀で足首を斬り飛ばす。そう言う相手を騙すための剣技なのだ。
アゼルノはこれを見た時に、
「地を這うような剣閃。……”地走り”などどうでしょう」
と、馬鹿馬鹿しい程に真面目に意見してきたが、こんな技にそんな格好良い名前なんて不要だと俺は突っぱねた。
できた過程も使う目的も、どうだと胸を張れるようなもんじゃない。”出足払い剣”なんて言うそのままの名前で充分なのだ。誰かに教える気もさらさら無いしな!
普通足首を斬り飛ばす剣技だが、今回は手加減して打ち払っただけ。
だがそんな技でもバランスを崩されたアウレーンは、倒れまいとその場で必死に踏ん張っていた。
倒れなかったのは見事。しかし膝を突かないようにするのが精一杯だったようだな。
そんな彼へ、俺はまたも魔剣を大きく振り上げる。
「残念だったなぁ。食らいやがれっ!」
そして、その脳天目がけて思い切り振り降ろした。
「エイク殿っ! 待ってくれッ!」
後ろからフリッツの、妙に切羽詰まった声が聞こえた。
「く――!」
アウレーンは不安定な体制ながら、剣を上げて守ろうとする。必死の形相で目を見開き、俺の一撃を食うまいと、それだけを考えて腕を上げていた。
彼の目に映っているのは、今にも自分を両断しようと言う魔剣だけ。その銀色が迫るこの刹那の時間を、こいつはどんな気分で味わっているんだろう。
ま、そんなもん知りたくもねぇけどな!
「なーんて、な!」
振り下ろす魔剣を右手から影に取り込み、俺の腕が空を切る。アウレーンは剣を上に構えた状態で、まるで彫刻のように固まってしまう。
「え――」
アウレーンの口から感情が漏れ出る。
今起きている事が全く理解できない。そんな彼の気持ちが、その一言ではっきりと分かった。
なぁ、理解不能な事が目の前で起きると、人間って奴はどうなると思う?
そう、今のアンタの事だよ。分からねぇなら教えてやろうか。
隙だらけだぜアウレーンさんよ!
「歯ぁ食いしばれ――!」
狙うのは腹だけどなぁ!
「オラァ! ”練精拳”ッ!」
「ぐぼぁっ――!?」
がら空きの胴に拳を叩き込む。無防備な鳩尾に奇麗に入り、バキバキと胴体鎧が砕け散る。
くの字に折れるアウレーン。あの手ごたえはアバラが何本か逝ったろう。
全く、殺さねぇで止めるってのも面倒なもんだぜ。こいつが中途半端に強いから余計にな。
よろよろと二、三歩後退し、アウレーンが片膝を突く。それを俺は呆れるように見下ろした。
「剣術やってる連中ってのは、剣同士の戦いに慣れ過ぎてんだよ。相手が剣を使ってるからって、搦め手を使ってこないなんて思ってんじゃねぇぞ。実戦じゃありえねぇんだよ」
生きるか死ぬかの戦いに、剣のみだの正々堂々だの、そんな陳腐なルールは存在しない。
勝った奴が生きる。負けた奴が死ぬ。実戦なんてそんな血生臭いもんだ。
人間が人間同士殺し合うなんて馬鹿馬鹿しい行為に、正道も邪道も糞もない。
「それにな、お前の剣は奇麗過ぎんだよ。攻め手も多くねぇし、型にはまったみてぇな行動ばっかりで、攻撃が来るタイミングが丸分かりだ。どんなに奇麗な剣だってな、来るって分かれば対応なんてできんだよ」
俺の大振りに対してアウレーンがよく取ったのが、死角に入って突くと言う行動だった。死角に入られれば確かに危険だが、してくるのが突きだけと分かっているなら怖くも何ともない。
それにこいつは表情こそあまり動かないが、感情の動きの方は中々に読みやすかった。攻撃のタイミングが分かる程度にはあからさま。
だから言ったのだ。俺とコイツとでは相性が最悪だと。
「お前、人間相手に殺し合いした経験殆どねぇだろ。そりゃ結構だがな、そんなもんにやられるほど、俺の首は安くねぇぞ」
加えて、こいつの剣からは、どこか騎士のような臭いを俺は嗅ぎ取っていた。
バリバリの正道。だからこそ俺の搦め手は良く効いた。
だが卑怯とは言うまい。こいつは騎士ではなく傭兵なのだ。あんな代官に仕える卑劣漢の一人なのだ。
「く、は……っ!」
アウレーンは俺を見上げる。額には脂汗が浮かび、苦しそうな表情をしている。
だが彼はそれでも震える足で立ち上がり、再び剣をこちらに向けた。
「だから、何だ……! 私は……お守りすると、誓ったのだ……! ゲオルク様を……必ず、と!」
もう戦える状態でない事は誰の目にも明らかだった。
だが彼の心はまだ折れてはいない。
代官を守る。その気持ちを杖代わりに、彼は必死にその場に立ち続けていた。
「そんなにあの代官が大切か。碌でもない事ばっかやってる男だぞ。スラムを焼き払おうとした男だぞ? そんな奴に一体、どんな価値がある?」
俺は不思議に思い、アウレーンに問いかける。
彼はそれに悩む事もなかった。
「あの方は……私を救って下さったのだ……! その恩を……私は、一度だって、忘れた事はない……っ!」
「ち、父上、が?」
これに不思議そうな声を上げたのはフリッツだった。
今まで見て来た父の姿からは、全く想像できなかったんだろう。
「そう、です……! その時私は、誓ったのです……! この方を、どんな事があろうとも……必ず、守ろう、と……!」
その救いと言うのがどんなものかは分からない。しかしアウレーンのその思いは、固く心に刻まれているようだった。
それが、こいつが代官へ忠誠を示す理由か。
だがしかし。いやだからこそ、そうと知って俺は、彼を問い質さずにはいられなかった。
「そりゃいいがよ。お前、代官が大切だってんなら、何で奴を止めねえんだ」
「それは! ……それは、無理だ。ゲオルク様は、私の事など……もう、覚えていない……」
苦々しく顔を歪めるアウレーン。だが俺の言いたいのは、そんな事じゃあねぇんだよ。
「馬鹿か。覚えてるとかどうとか何て、関係ねぇだろ。お前だってそれを承知で傭兵団の団長なんてやってるんだろうが」
「お前に……。お前に何が分かると言うのだ! 私の何がっ!」
「知らねぇよ。俺はどうせ当事者じゃねぇ。お前らの間に何があったか何て知らねぇし、分からねぇ。だからお前に聞いてんだ。あんな奴の傍にもいてぇなんて言う、馬鹿な男にな」
俺は短剣を懐にしまいながら、アウレーンの顔を真正面から見据えた。
「いいかお前。もしガキが悪さしたらどうする? 叱るだろうが。そうしなきゃいつまでもそいつは馬鹿のままだ。その悪さが悪い事だって理解できねぇんだからな」
親が子供を叱るのは、子供が憎いからじゃない。子供を守るためだ。
犯してはならない事を子供がやらないように。子供が大人になった時、困らないように。
子供が将来、自分の身を自分で守れるようにするためだ。
「だがな、そんなもん大人だって変わらねぇ」
とは言えそれは子供に限った話じゃない。人に言われなければ気づけない。そんな人間なんてどこにでもいる。
俺だって失言で、スティアに何度殺されそうになった事か。ダークエルフにエロい恰好とか言って、正座で説教された事だってある。この年でよ。
「この国の王子なんて立場のある奴すら、騎士団長にいっつもやいやい言われてたぞ。でもな、それは頭にくるから言ってたんじゃねぇ。そいつが大切だから言ってたんだ。そいつを王族として認めていたからこそ諭してたんだ」
懸命ではあるが人に頼るのが下手なエーベルハルトと、それを支えようと言うイーノ殿。権力者と言うものが未だに好きになれない俺だったが、この二人に関しては別だった。
元山賊の俺達に対し、この二人は真に心を砕いていた。縛り首でもおかしくない俺達に、力を貸して欲しいと頭を下げた。
そんな奴らだったからこそ、俺は二人を本気で、仲間のように思っていた。
「その点お前はどうだ。相手の言う事をただ黙って聞くのが守るって事なのか? 俺はそうは思わねぇ。間違ってんじゃねぇか、お前は」
叱られずに生きて来た人間なんて、一体どうなるか。きっとそいつは碌な人生を送れないだろう。
この世には大勢の人間がいる。他人に善意を向ける者もいれば、逆に悪意しか向けない人間もいる。
そんな混沌とした人間社会で、何が良く何が悪いか理解できない人間が、まともに生きていけるとは思えない。
現にこの代官だって今、窮地に陥っている。自分の人生自分の思うが儘なんて、そんな都合の良い世の中など存在しないのだ。
そんなもんあったら誰でも欲しいだろう。俺だって欲しいわ。馬鹿タレが。
「お、王子殿下? 何を言っているんだ? 貴方は、一体――」
アウレーンが問うような視線をこちらに向ける。
俺はそれに鼻を鳴らした。
「元王国軍、第三師団団長のエイク。王子エーベルハルトの馬鹿野郎に師団長なんて座に押し上げられた、世界一不幸な男だよ」
「師、団長……」
「本当に大切だってんなら、不正を正してやるのがお前のやるべき事なんじゃねえのか。忠諫って言葉、知ってるか?」
自称真の騎士さんの受け売りだがな。山賊が忠諫なんて言葉、知らんよ普通。
だがこれは意外とコイツには効いたらしい。俺が呆れたように放った言葉に、アウレーンは言葉を失っていた。
「アウレーン」
フリッツが彼の傍へ足を進める。
「もう、父上を止めよう。僕達だけのためじゃない。皆のために。そしてそれはきっと、父上のためにもなる。……アウレーン。貴方のためにも、きっと」
それが最後の止めになる。
がくりと膝を突くアウレーン。フリッツはそんな彼の肩に、優しく手を置いた。