205.最後の砦
二階の廊下を真っすぐに進む。誰かに出くわすかと思いきや、屋敷の中は静まり返っており、不自然なほど人の気配が感じられなかった。
貴族の屋敷なら普通使用人がいる。なのに誰もいない。
不可解な事態に若干の戸惑いを覚えるが、しかしあんな賊同然の傭兵を雇い屋敷にまで入れているのだから、今更かもしれない。
後ろから何かの破壊音や多くの悲鳴が小さく聞こえてくる。そんな音を背景に、俺達は目的の場所に向かってただ足を進めていた。
「まさかここまでやって来るとは」
しばらくして辿り着いた先。一人待っていた男は、そう言ってするりと剣を抜いた。
「アウレーン!」
「フリッツ様。この先はお通しできません。どうかお引き取りを」
フリッツの呼びかけに男は全く動じない。その表情も感情も、全く揺らいでいなかった。
「もしどうしてもと仰るのであれば――私を倒してからにして頂きたい」
彼は剣を静かに構える。フリッツはそれに息を飲んだ。
「あの人が?」
「うん……。”グレッシェルの牙”、団長のアウレーン」
ルフィナの問いに、フリッツは絞り出すような声を出す。
「悪い人じゃない。彼は僕の事を、今まで影ながら支えてくれた人なんだ。戦争に一人向かわされた時も、バルテルとヘルマンをつけてくれた。彼のおかげで僕は……今まで、生き延びる事ができたんだ」
俺達に言い聞かせるように言うフリッツの声は、非常に苦しそうなものだ。彼の事をきっと今まで頼りにしてきたのだろう。
フリッツは真意を問うように、目の前の男を真っすぐに見据えている。しかし正面に立つアウレーンの表情には、戸惑いなど欠片も浮かんでいなかった。
「僕はアウレーンを味方だと、そう思っていた……。なのになぜっ!?」
「勘違いをされては困ります」
味方だと思っていた男の裏切り。フリッツは声を荒げるが、しかしアウレーンの反応は冷ややかなものだ。
フリッツの言う事が見当違いだと言うように、彼はその目を鋭く細めた。
「私の役目は貴方の御父上――ゲオルク様をお守りする事です。貴方をお守りする事ではない」
「なら……なら! なぜ僕を助けるような真似を!」
「それは貴方がゲオルク様の後継者であるからに過ぎません。しかしゲオルク様に反旗を翻すのであれば、私にとっても貴方は敵。引かなければ……フリッツ様とて容赦はしません」
「そ、そんな……」
返されたのは凍り付くような拒絶。フリッツの声は怯えるように震えていた。
現実が受け入れられず、フリッツはその場に立ち尽くしている。だがそう悠長にしている場合でもない。
俺はその肩に手を置いた。
「つまり親子喧嘩をするなら、無粋な横槍を入れるコイツをまずどかせってこった。ここは俺に任せて下がってな」
「エイク殿。彼は――」
「心配すんな。命までは取らねぇよ」
俺達がここまで作戦通り来られたのは、目の前の男のおかげでもある。もしアウレーンが俺達の反抗を止めたかったのなら、ヘルマンが傭兵団に戻り情報を伝えた時点で、彼は手を打っていただろう。
それをこいつはしなかった。つまり、代官を守ると言う言葉は彼の真意なんだろうが、しかし、代官の言う事全てに服従するというわけでもないのだ。
フリッツが言っていた、彼は悪人ではないという言葉。それはきっと間違いないのだろう。
なら問答無用で切り捨てるという非情さは、流石に俺も持っていなかった。
俺は皆の前に出ると、長剣を抜き放つ。そして鋭い気配を放つ男と真正面から向かい合った。
「随分と舐められたものだ。お前達の実力は聞いている。だが押し通ろうと言うのなら、私にも守るべきものがある。簡単に通れると思って貰っては困る」
俺を見据えるアウレーンから闘気が溢れ出す。あんな烏合の衆だが、団長と名乗るだけの実力は備えているらしい。
しかし、その台詞は見過ごせなかった。
「ほお。その守るべきものってのは、お前にとっちゃ、さぞ大切なんだろうよ」
お前の守りたいものが、周りにどれだけ災厄を運んでいると思っているのか。そんなものを守ろうと言うのがどういう意味を持つのか。
分かって言ってんのか?
そんな皮肉を込めて彼を挑発する。
「知れたこと。私はこの命を賭けて守ると誓ったのだ。亡き旦那様と奥様に……。ゲオルク様に!」
「な、何?」
だが返ってきた言葉は、あの荒くれ集団を束ねる者とは思えぬ程の、忠誠心溢れたものだった。
思わぬ気迫に面食らい、逆に一瞬思考を奪われてしまう。
「どこの馬の骨か分からん輩に――とやかく言われる筋合いはないっ!」
ダンと床を鳴らし、アウレーンが飛び込んでくる。彼の剣と俺の魔剣が、鈍い音を打ち鳴らした。
「ぜあぁぁっ!」
彼は素早く剣を振るい、次々に攻撃を仕掛けてくる。
細かい連撃。だと言うのにその剣は重く、かなりの衝撃が伝わってくる。
次々に向けられる剣を俺は受けていく。だが相手の剣には一切の迷いがなく、そればかりか更にスピードが上がり始めた。
こう受けられたらこう返せ。そんな道筋が決まっているかのように、彼の攻撃にはブレが無い。
横薙ぎに振られた剣を受けながら思う。この振り方は我流の剣じゃない。明らかに、何者かに指南された剣術だった。
剣の振り方なんてのは、その気になればどこでだって習う事ができる。
扱い方を知っている大人や、兵士だって良い。剣を使える人間なんてそこらに必ず一人二人いるのだ。
何なら冒険者ギルドでだって、銅貨数枚払えば講習を受ける事ができる。
つい最近、ギルドの講習を目にする機会があったが、そこに女や子供まで混じっていたくらいだ。
誰だろうと習う事ができる。未経験者も可。一般の講習なんて、そんな程度の気軽なものだった。
だが、それらはあくまで剣を使っての戦い方を指南するものだ。
剣をどう振って敵を倒すか。安全に戦うにはどうするか。
そんな、一般人が様になる程度の指南でしかないだろう。
そこから更に強くなるには、多くの実戦を経験し、時には他人の技を盗んで、自分で研ぎ澄ませていくより他無い。
言ってしまえば俺の剣だってそうだ。剣の振り方なんて誰ぞに習った事も無い。
まあ山賊流とでも言えば良いのだろうか。それに加えアゼルノに太刀の振り方を習った事で、そちらの技術を取り入れ、龍人風味も追加されている。
だが結局のところ、剣術何て高尚なものでも何でも無い。ごちゃまぜのチャンポン剣法である以外の何物でもなかった。
一方剣術とは何か。
それは人間が何世代という長い時間をかけて研ぎ澄ませてきた、剣を使って戦う技術の事だ。
技術を受け継ぐ者がいて、時代時代において最適化され、その鋭さを増していく。どう効率良く相手を殺すか、という事を突き詰めた、戦闘に特化した技術だった。
相手がこう行動してきたらこう殺す。こう反撃してきたらこう殺す。先の先をとって、後の先をとって、相手の行動を制して殺す。
己の無駄を極限まで省き、敵を斬る技を研ぎ澄ます。そんな技を習得しているのが剣術を修めた者であり。
そして目の前の相手もまた、そんな人間の内の一人だった。
あの歯抜け男がこの傭兵団一の剣の達人、なんて言ってた馬鹿はどいつだ。息をつかさぬ連撃を受けながら舌打ちをする。
機先を制された形になり、防戦一方だ。これは一旦仕切り直した方がいいか。
俺は胴目掛けて突き出された剣を、魔剣で大きく打ち払った。
「多少はやるようだ。だが――その程度では私を退ける事などできん!」
だがアウレーンは、俺の行動を見越していたらしい。
離れるどころか彼は強く足を踏み出す。そして上段に振り上げた剣を、俺の頭へ振り下ろしてきた。
上から迫る剣。俺はそれに顔を上げ、剣を合わせようとし――
(――ッ!? 違う!)
アウレーンの胸に湧いた、ほんの僅かな感情。その喜悦に俺はハッとする。
俺が見上げていた場所。そこあった剣は次の瞬間、霞のように掻き消えた。
咄嗟に手首を返し、下からの斬撃に魔剣を滑り込ませると、ガツンと重い衝撃が腕に伝わる。
おかしな受け方をしたせいで、手首に鈍い痛みが走った。
「な!?」
もし追撃が来ていれば流れを完全に取られていた。だが幸い、相手も相手で予想外の事態だったようだ。
驚愕に目を見開いたアウレーンへ、俺は即座に足を飛ばした。
「痛ぇんだよ離れろコラッ!」
「ぐ――!?」
みぞおちを蹴り飛ばされ、アウレーンは小さな声を上げて後退する。だが胴体鎧越しではダメージなど期待できるはずもない。
アウレーンはただ驚いたという様子で、俺に視線を向けてきた。
「まさかこの一撃を受けられるとは……」
そう言うが、驚いたのはこっちだよ。
まさかこんな剣技を繰り出してくる奴がいるとは思わなかったわ。
「”天地斬”とはやってくれるじゃねえか」
「……知っていたのか」
「へっ、おかげさんでな」
昔、太刀の使い方をアゼルノから教わっていた頃。その時に、剣技なんかも色々と教わったことを思い出す。
俺自身使えるようになった剣技は殆どない。だが一回見た剣技はしっかりと、俺の記憶に残っていた。
まあ見たと言うか、体感した、と言う方が正しいが。アゼルノの奴、シャドウが受けてくれるからと言って、実際に俺の体に剣技を叩き込みやがったのだ。
そりゃシャドウが受けてくれれば俺の体は無傷だよ。だがそういう発想をすると言うのがそもそもどうかと思うのだ。
当時の俺は、こいつ頭が逝ってるぜ、何て思ったものだが。それがこうして役に立ったとなると、どうにも妙な気分だった。
この、斬り下ろしと思わせて下段から斬り上げる”天地斬”は、相手の不意を突く剣技だ。決まれば無防備な胴に剣を叩きこまれる。
今のはちとヒヤリとしたぜ。アゼルノの技を見ていなかったら、反応できなかったかもしれない。
「やれやれ、確かに甘い相手じゃなさそうだな。おー痛ぇ」
俺は痛めた手をプラプラさせる。余裕の行動が気に障ったのか、アウレーンがピクリと眉を動かした。
「とは言えお前じゃ俺には勝てんぜ」
「……何を。そんなことはまだ分からん」
「いーや分かる。お前と俺の相性が最悪だって事がな。まあ言っても分からんだろうから、教えてやるよ。今すぐな」
先ほどの攻防で、俺には分かった事があった。
剣の方は確かにかなりできる。だがこいつの感情の動きや対応の仕方。そこに勝敗を分ける決定的なものがある事を、こいつは隠せていなかった。
俺は懐に左手をやると、シャドウから短剣を受け取り逆手に構える。双剣なんて言えば格好がつくが、実態は右手に長剣、左手に逆手短剣の、ちぐはぐな構えだ。
目の前のアウレーンも、何をしているのかと訝しい感情を露わにする。逆に俺は不敵に笑い、余裕の表情を見せつける。
「さて、それじゃ続きをおっぱじめるかね」
「その滅茶苦茶な構えでか。ふざけた男だ」
アウレーンもまた剣を構える。だが言葉に反して警戒してか、向こうから攻めて来ることは無かった。
闘気を放ちながらも動かない相手。なら今度はこっちから行くとしようか。
俺は長剣を前、短剣を胸部付近に構え、アウレーンを見据える。
滅茶苦茶な構え、ふざけた態度。結構じゃねぇか。まともな生き方なんてしてたらよ、きっと俺は今頃、もう生きてなかったと思うぜ。
山賊流、龍人風味のチャンポン剣法。その真価、とくと御覧じろや。