204.はまり過ぎ
「くっくっくっ……ハーッハッハッハ! そうか! 見過ごせんか、私が! 私の事が!」
フリッツが勇気を振り絞って放った言葉。それを聞いた代官は、あろうことか突然哄笑し始めた。
騎士傭兵問わず皆がざわめく。そうだろう、お前を引きずり降ろしてやると言って、こうも愉快そうに笑われたら普通当惑もする。
俺もまた同じだった。
「それならば、こんな場所で話をするのも面白くない。私は自分の部屋で待っている。私を諫めたいのであれば、そこまで来るのだな」
「ち、父上ッ!」
だが代官はそんな空気を気にした様子もなく、呼び止めるフリッツを無視して屋敷に戻って行ってしまう。
ドアが閉まる音が周囲に響き、戸惑いだけがその場に残った。
「……な、何なのよアイツ」
ルフィナが怪訝な声を出す。確かに意味が分からない反応だ。
フリッツから聞いた限りでは、気に入らない事には癇癪を起す奴だそうだが。
しかしあの反応を見る限り、どうにも違うように俺には思えた。
「とにかく、俺達のやることはただ一つだ」
俺は代官が消えて行ったドアを見る。そこには、代官が伴って来た一人の傭兵の姿があった。
その壮年の男は静かにその場に立っている。先ほどのやり取りの間も他の傭兵達とは違い、男は感情を顔に浮かべず、ただ代官の後ろに控えていた。
こいつは敵に回すと面倒くさい奴だ。
男の佇まいに、俺はそう理解した。
まるで覚悟が既に決まっているとでも言うような態度。それが事実であるかのように、男は何の躊躇も見せず、傭兵達に指示を出し始めた。
「お前達、そこにいる奴らを屋敷に通すな。フリッツ様は生かして捕えろ。他の者は必要なら殺しても構わん」
「ア、アウレーン!? なぜっ!?」
この行動にフリッツが驚いた声を上げる。
アウレーン、と聞いて思い出したが、確かこいつらの団長だったか。バルテル達の話によれば、フリッツを助けるため、二人をスラムに寄越した張本人らしい。
こちらの味方になってくれるだろうとも、二人は言っていたのだが――
「もしゲオルク様がご当主の座を奪われるような事になれば、私達も罪に問われよう。だがここでもみ消してしまえばそれも無くなる。私達は既に一蓮托生なのだ。ゲオルク様のために死守しろ。以上だ」
彼はチラリとフリッツに視線を向けたのみで。
そんな感情の無い言葉を部下へ残し、くるりとこちらに背を向けた。
「アウレーン!」
フリッツは彼の背中に呼びかける。しかし返ってきたのはただ、屋敷のドアが閉まる音だけだった。
「気にするな。俺達はこの目の前の連中を蹴散らして、代官を捕縛する。やろうとしてた事は何も変わらねぇんだ」
フリッツの肩を叩く。協力してくれる可能性があった、というだけで、不確定要素だったのだ。なら協力しない場合も考えて然るべきだろう。
それよりも、だ。俺には今、何よりも一番気になることがあった。
「それよりお前ら、いつまで手ぇ握ってるつもりだ?」
「きゃっ!」
「え? ――ぶへっ!?」
俺が指を差すと、ルフィナが突然慌て出す。それはいいが、フリッツを平手打ちするのはいかがなものか。俺が見た限り、ルフィナの方から握った気がするぞ。
「あ! ご、ごめん!」
「い、痛た……! いや、構わない。それよりも――」
慌てて謝るルフィナ。しかしそれを手で制したフリッツは、
「ありがとう」
そう言ってルフィナに笑顔を見せた。
まあこれは、自分のフォローをしてくれたルフィナに対しての礼だろう。そのくらいは俺にも分かる。
だがここだけ見ると、平手打ちされた事に対して礼を言ってるように聞こえるぞ。ただのヤベェ奴だ。
ま、今は茶化さず行こう。
「さて……よくやってくれた、フリッツ。お前の男気、見せてもらったぜ」
俺達のフォローあっての事だった。だがそれでも、彼が長い間代官に暴行され続けて来た過去を考えれば、そう言っても十分すぎる程の働きだった。
「ここからは、俺達がそれに応える番だぜ。なぁ、そうだろ?」
俺は長剣を抜き放つ。騎士達もまたそれに応えるように、鎧を鳴らして前に出て来た。
傭兵達もすでに進退窮まっている。一斉に武器を抜き、こちらに鋭い視線を向けてくる。
こっからは話し合いじゃねぇ。お互いの我を通すための、力と力のぶつかり合いよ。
細かい問答なんて不要。強いか弱いか。ただ、それだけだ!
「行くぞ野郎共っ! フリッツを親玉のもとへ連れて行く! 邪魔な傭兵共を蹴散らして、進むべき道を切り開けッ!」
「行くぞーっ! それーっ!」
『おぉぉぉおッ!!』
我先にと突っ込んで行くホシとバド。喊声を上げ、騎士達もそれに遅れまいと続いて行く。
ここまで来いと言うのなら、行ってやろうじゃねぇか。余裕ブッこいていられるのもここまでだ。精々首を洗って待っていやがれ!
「舐めるなぁ! 騎士共を通すな! 俺達の意地にかけて、絶対に死守しろーッ!」
『うおぉぉぉっ!!』
屋敷の前に陣取る傭兵達も、負けじとこちらに突っ込んでくる。代官屋敷の正門は、瞬く間に剣戟の音打ち鳴らされる激しい戦場と化した。
「それそれっ!」
「ぐはァーッ!」
「はぁぁぁーッ!!」
「ぐ――うぉぉおっ!」
正門を塞ぐように集まる傭兵達と、それをこじ開けようとぶつかる騎士達。
激しく打ち鳴らされる金属音に、男達の怒声が混ざり合う。俺もそれに負けじと大きく息を吸った。
「中央を突破するぞ!! ――バド! こじ開けろッ!」
傭兵達と組み合っていたバド。だが俺の声にすぐ反応し、連中をぐいと盾で押し返すと、後ろに後退してきた。
こんな連中にちまちまやっていても仕方がない。抵抗できない程の力で押して、一気に気勢をそいでやる。
「オラァ! 死にたくなきゃあそこをどきな有象無象共ァ!」
俺の声と共に、バドの体からぶわりと白い靄が立ち上る。それは彼の盾へと集まっていき、白いオーラとなって盾を覆い尽くした。
騎士達は泡を食って道を開ける。バドは剣を収め右手で盾を持と、それを大きく振りかぶり、傭兵達目がけて投げつけた。
『うわぁぁぁーっ!?』
『ぐはぁあっ!?』
激しく回転する超重量の壁盾は、傭兵達を次々に弾き飛ばす。戦場中央を真っすぐに飛んだ盾は、十数人の傭兵達をなぎ倒した後、まるで意思でもあるように、ぐりんと進路を変えてこちらへ戻ってきた。
凄まじいスピードで迫る盾。しかしバドは轟音を立てながら、それを両手で受け止めてしまった。
中級精技、”旋風盾”。遠距離を攻撃する強力な盾技だが、人間をこんなにもなぎ倒せるほどの威力は普通はない。
バドの類稀な膂力と超重量の壁盾、そして鍛え抜かれた内勁によって、初めてここまでの凶悪な威力を生み出せるのだ。
バドは受け取った盾を左手に構えると、いつものポーズを即座に取る。
バドお得意のあの技だ。盾を眼前に構え、腰を低く落とした構え。
「行くぞ! 遅れるなよ、続けフリッツ!」
「は、はい!」
俺の声を合図に、バドが地面を激しく蹴る。石畳がめくれ上がり、土が宙に飛び散った。
”旋風盾”で開いた中央を、”盾突撃”でさらにこじ開ける。跳ね飛ばされて呻く傭兵達を横目に、俺とフリッツは中央にできた道を駆け抜けていった。
「フェリシア! この場は任せる! 代官は任せろ!」
「承知しました! ご武運を!」
すれ違いざまに声をかける。少ない言葉ながら、彼女は力強く声を返した。
「わ! あたしも行くよーっ!」
「ちょっと! 私を置いて行かないでよ!」
「ル、ルフィナ!? あーもうっ!」
オマケの二人とホシも俺達に続く。バドはそのまま傭兵達の中央を突っ切り、屋敷のドアすら破壊して、中へと勢いよく飛び込んで行った。
俺達も彼の後に続き、屋敷のエントランスに足を踏み入れる。だがそんな俺達を迎えたのは、弓を構えた二十人程の傭兵達だった。
「入ってきやがったぞ! 矢を放てーッ!」
二階まで開けたエントランスの正面にあるのは大きな階段。それを上った二階の廊下にずらりと布陣していた傭兵達は、号令を合図に一斉に矢を放ってきた。
矢が雨のようにこちらに降り注ぐ。だが、避けている時間も場所も無かった。
俺は後ろのフリッツをバドの背中に押しやると、両手を広げてルフィナの前に立ちはだかった。
「なっ――カ、カーテニアさんッ!?」
体に矢が次々と突き刺さる。それを見てルフィナが悲鳴のような声を上げた。
終いには俺のローブに掴みかかってくる。だが俺はそんなルフィナの手をがっしと握った。
「馬鹿! 今すぐ”風の障壁”を唱えやがれ! 蜂の巣になりてぇのか!?」
「キャーッ!! な、なんで生きてるの!?」
「こんくらいで死ぬか馬鹿!」
「死ぬわよ普通っ!」
俺は死なねぇんだよ! 体に一切当たってねぇからな! 全部影の中だっての!
「カーテニアさん、いよいよ化け物染みてきたね……!」
「誰が化け物だ、誰が!」
ホシに守られて無事だったサリタも失礼なことを言ってくる。
んなこと言ってる場合じゃねぇだろが! 後退してきたバドの背中に隠れ、皆で体を丸めて縮こまった。
「早く使えルフィナ!」
「そんなこと言ったって! もう魔力無いわよ!」
ここに来るまでに、かなり大規模の魔法を彼女は使っている。言っていることは本当なんだろう。
だがな、それを解決する物がここにはあるんだよ。
「ほれ、これ飲め!」
「こ、これは――っ!」
俺が懐から取り出したものにルフィナは目を見開く。それは婆さんから渡された薬、魔力の霊薬の瓶だった。
ルフィナはそれを受け取り、まじまじと見つめている。だがそんなことしてる余裕は今ねぇんだ。
「早く飲めルフィナ! ぼーっとしてる暇はねぇぞ!」
「わ、分かったわよ! 飲むったら!」
ポンと蓋を上げると、一瞬躊躇し、そしてぐいと飲み込む。途端に彼女の整った顔が大きく歪んだ。
臭いよなぁその薬。俺はそれより臭い奴飲んだことあるから割といけるが、でもキツいのはよく分かる。
ただ、ここで時間を使っている暇はない。今も矢の雨が降る中を、バドが一人で防いでくれているのだ。
「ルフィナ!」
「ぐぅっ! く、ぅぅぅぅ……っ! か、風の精霊シルフよぉ……っ!」
手で口を押さえながら、ルフィナは耐えるように唱え始める。
「”風の障壁”ぁっ!」
そして、半ばやけくそのように唱え切った。
途端に効果を発揮して、降り注ぐ矢はあらぬ方向へと逸れていく。これに傭兵達はいら立ちの声を上げた。
「チィッ! なら直接ブッた斬ってやる! お前ら、かかれーっ!」
『おぉぉぉーっ!』
二階に布陣していた傭兵達は、弓を放り捨てて剣を取り、大声を上げながらこちらに向かって来る。
なんだかこの光景、どこかで見たことがある。あれはいつだったか。
そうだ。俺達が宿に泊まって、この馬鹿共がそこに押し掛けて来た時だったな。
ドアをぶち破り外に出た俺達をこいつらが迎え撃ち、剣を抜いて襲い掛かってきた。状況は全く同じだ。
そして、これから俺が取ろうとしている行動も、またその時と同じだった。
「お前ら、一旦避難しろ、避難っ!」
「お邪魔しまーす!」
「きゃあ!?」
「うわっ!?」
ホシとバドがサリタとフリッツを連れて俺の影に飛び込む。
その場に残されたのは俺とルフィナのみ。急に消えた仲間に慌てるルフィナだが、それに構わず俺はぐいと彼女を抱き上げた。
「きゃっ!?」
「ちょっとじっとしてろよ――”飛翔の風翼”ッ!」
羊皮紙に刻んだ魔法陣が反応し、ふわりと体が浮かび上がる。
俺は素早く精を練り、タンと床を蹴る。浮き上がった体は傭兵達の頭上を軽々と飛び越えて、階段の上に着地した。
「なぁ!?」
「はっ、お前らと馬鹿正直にやり合うつもりはねぇよ。こっちは大将首を取ればいいだけの話なんだからな」
こんな奴らに一々構うのも面倒だ。傭兵達はくるりと反転し、また階段を駆け上がってくる。だがもう遅ぇんだよ。
「バド! ホシ!」
「おっけーっ!」
「うわっ! い、一体何なんだ!?」
「きゃあ!? こ、これあの時の――」
尻もちを突くフリッツやサリタとは違い、ホシとバドは慣れたもの。ぽんぽんと影から出て来た二人は軽やかに着地し、そしてすぐ、俺の声に応えて武器を手に取った。
「ばどちん!」
階段の手前で武器を大きく振り上げる二人。
バドの長剣には白いオーラも輝いていた。
「せーのぉっ!」
そして、ホシの掛け声に合わせて武器を階段へ振り下ろす。
凄まじい轟音がエントランスに鳴り響く。ホシの一撃とバドの”爆砕陣”を食らった階段は、耐えきれずガラガラと崩落していった。
『う、うぉぉぉぉーっ!?』
階段を上りかけた傭兵達はゴロゴロと転がり落ちていく。全くちょろい奴らだ。
ここまで上手くいきすぎると、逆に何かありそうで怖いくらいだよ。
「バド、ホシ。ここは任せていいか?」
残るは恐らく傭兵団の団長と代官のみ。ならこの場を二人に任せた方が上手く行くだろう。
後ろを突かれても面白くない。頼めばバドはこくりと頷く。ホシもまたニッと白い歯を見せた。
「おりゃー! あたし達が相手だー!」
そして楽しそうな声を上げながら、二人は一階へ飛び降りて行った。
やれやれ、ホシにとっては先に進むより、ここで暴れる方が楽しいみたいだ。
苦笑しながらフリッツに体を向ける。
「さ、俺達は代官の部屋に行くぞ。フリッツ、案内してくれ」
「は、はい。分りました。でも――」
視線を向けられ頷くフリッツ。だが彼は、何か言いたそうな視線を俺に向けてきた。
一体何だろう。そう思うも、その疑問はサリタが解消してくれた。
「ルフィナ……アンタ、いつまでそうしてんの?」
「ふぁっ!?」
そう言えば、ルフィナを抱き上げたまんまだった。魔法を使わせてる都合上、コイツだけはシャドウに入れるわけにいかなかったのだ。
ルフィナも今やっと自分の状態に気が付いたらしく、変な声を上げた後、急にバタバタと暴れ出した。
「ちょ、は、離してっ!」
「悪い、忘れてた。お前軽すぎだぞ。ちゃんと飯食ってんのか?」
「な、な、な――っ!」
俺が言うと、ルフィナは首筋まで真っ赤に染める。
あ、やばい。そういや女に体重の話はご法度だった。スティアにもそれで昔殺されかけたんだった。
「くっ――! 行くわよフリッツ! 案内しなさいっ!」
「は、はい!」
どう言いわけしようか。そう思ったが、意外にもルフィナはくるりとフリッツに顔を向け、大声で彼を急き立て始めた。
その剣幕に押され、フリッツが慌てて先を進む。ルフィナもその後をずんずんと付いて行った。
「――何してるの! 早く行くわよ!」
後ろを振り向いた彼女は、その場に立ち尽くしていた俺とサリタに怒鳴り声をあげる。
俺達は思わず顔を見合わせる。俺は僅かな困惑を滲ませて。だがサリタの方はどうしてか、ニヤついた顔をこちらに向けた。