201.攻守交替
歯抜け男を倒した後、傭兵達は面白い程に崩れた。
あの男が傭兵達を率いていた事。そして瞬く間に倒された事が、傭兵達に大きな動揺を与えたのだ。
そうなっては状況が不利な中、立て直す事などできはしない。騎士達の奮闘もあり、十分ほど後には、その場に立っている傭兵の姿は一人も無くなっていた。
傭兵、総勢五十人。既に息絶えた者とそうでない者の割合は、三、七と言った所だろうか。
死んだ者は一所に集め、地面に転がしている。一方生きている者は今、騎士達やバドが縄を打って回っていた。
雨はもう止んでいる。周囲に赤々と立ち上っていた炎は今や、白い煙へと変貌を遂げていた。
炭に変わったかつての住居が、焦げた臭いを周囲に振り撒く。だがここにいる者達はそんな事など気にもならない様子で、忙しなく動き回っていた。
おかげで地面を埋め尽くす水溜まりが、先程からびしゃびしゃと飛沫を上げ続けている。
やけにその音が耳につくのは、大体ホシのせいだが。はしゃいで水溜まりに足を突っ込むアイツは、もうあちこち泥だらけだ。綺麗にするの誰だと思ってんだよ。止めてくれ二十超歳児。
「うぐぐぐ……。くそがぁ……!」
「後で後悔しても知らねぇぞ」
傭兵達は皆、悔し気に騎士達を睨んでいる。だが騎士達はそんな彼らに口を開かず、黙々と縄で縛っていた。
思うところはあったはずだ。しかし、死者の方が少なかった。
そんな所に騎士と言う人間の性分を感じる。が、それに関して俺からは、特に何か言うつもりは無かった。
というか、そんな事を口にしている時間も惜しい。
今の俺達にとっては今、一分一秒が貴重なのだ。
「フリッツ!」
俺の声に、騎士団長と何やら話していたフリッツが顔をこちらに向ける。
俺がアゴで促すと、彼は真剣な顔つきでコクリと頷いた。
「皆、聞いてくれ!」
彼の呼びかけで皆の視線が集中する。フリッツは騎士達の顔をぐるりと見回してから、その口を開いた。
「これでスラムの危機は去った。しかし……私達の目的は大元を断つ事だ。今から私達は、この騒動を引き起こした張本人である……」
ごくりとつばを飲み込むフリッツ。大丈夫かと心配するが、しかし彼は青白い顔をしながらも、きっと顔を上げはっきりと口にした。
「グレッシェル子爵。――私の父を、倒す」
『はっ!』
騎士達も彼の覚悟を感じてか、一斉に騎士の礼を返した。
非常に良い雰囲気だ。しかしちょっと待って欲しい。俺はパンパンと手を叩いて、そこに割って入る。
「エイク殿?」
フリッツが不思議そうに声をかけてくる。俺はそれに、一瞬視線を送ったのみに止めた。
これから話すのは、皆には説明していない話になる。騎士がどれくらい攻めて来るか分からなかったからだ。
「これから代官の屋敷にかちこみをかけるわけだが。その前に、だ。お前ら騎士団の中で、人質を取られてる騎士はどれだけいる?」
俺は騎士達を見回す。見慣れない人間が急に声をかけて来たからだろうか。彼らは少しざわついただけで、声を返さなかった。
「皆、答えて欲しい。一体何人の騎士が人質を取られているんだろうか」
だが、意外にもフリッツが俺をフォローする。これは効果覿面だった。
ぱらぱらと上がる手。数えると八人の手が上がっていた。
「ふん。それで全員か?」
「そうだ。それがどうした。私達は、それでも――」
俺の問いに、騎士団長が低い声を出し始める。
何が不満か知らないが、そういら立ちをぶつけないで欲しいものだ。
俺は彼を手で制する。これはお前達のためでもあるんだからな。
「じゃあお前らは、今すぐここで装備を脱げ。時間がねぇ、早くしろ」
「な――何だとっ!」
「我々を馬鹿にしているのかっ!?」
俺は手を上げた騎士達にピッと指を向ける。しかし、帰ってきた反応は激しいものだった。
説明しようとするも後ろからフェリシアも突っかかってきて、更に状況が過熱してしまった。
「カーテニア殿! 我らを愚弄するのは止めて頂きたい! 皆、既に戦う覚悟を決めているのです! ここで引けなどと――!」
怒りの表情で掴みかからんばかりの態度だ。
だが、誰も引けなんて言ってねぇだろうが。早とちりもいい所だ。
人の話は最後まで聞け。だから騎士って奴は嫌いなんだよ。
「馬鹿野郎! 誰が引けなんて言った? お前らを引かせたら、今までの苦労が意味なくなるだろうが!」
俺は騎士共を怒鳴り飛ばす。
「人質を取られてる奴らは武器だけ持って、人質の場所に今すぐ行けって言ってんだ! ただでさえ人手がねぇんだぞ? お前らはなぁ、もう俺達の共犯なんだよ。今更逃げようったって、そうはいかねぇからな!」
騎士達は目を丸くしている。全く、こんな事で一々騒いでんじゃねぇよ面倒臭ぇなこのポン太郎が!
「し、しかし! なら鎧を抜ぐ必要など!」
「お前ら目立ち過ぎんだよ! そんな恰好で町うろついてたら、何かあったと傭兵共に勘繰られるだろうが! そんくらい分かれ!」
防具無しじゃ少し不安もあるが、しかし騎士なんだから、剣一つあれば対処くらいできるだろう。
「さっさと動けっ! ぐだぐだ言ってる間に、傭兵共に嗅ぎ付けられたら面倒だろうが!」
連中の理解の悪さに俺は声を張り上げる。だが騎士達はどうしてか動かない。
何なんだ一体。もうこいつら放置して、俺達だけで行こうか。
ガリガリと頭を掻きながら、呆れと諦めが入り混じった息を吐く。
「皆。この方は怪しい人間じゃない」
すると誰かが俺の隣に立った。見れば、またもフリッツだった。
「この方は王国軍、第三師団の師団長……エイク殿だ。安心して欲しい」
『な――!』
騎士達がどよめく。彼らは信じられない物でも見るような目で、俺をじっと見つめてくる。
すると今度は、そんな彼らの目の前に、俺の影から鎧や剣が飛び出してきた。
例の師団長なりきりセットである。ハルツハイムで伯爵の屋敷に置いて来ようと思ったのに、完全に忘れており、未だに持っていたのだ。
「あっ! 馬鹿、何出してんだこんなとこで!」
俺は転がった装備を慌てて拾い、また影にぶち込む。あーあー、泥だらけじゃねぇか。後で手入れしなきゃな面倒くせぇ。
全く、突然何なんだ。はぁとため息を吐いて顔を上げる。すると騎士達とばっちり目が合った。
「人質をそのままにできねぇだろうが。どうでもいいから、早く行動してくれや」
随分なげやりな言い方になってしまったが、それは仕方がない。
軍属時代、俺を第三師団長だと知って、反感を抱かない騎士はいなかった。
きっとこいつらもそうだろう。もう彼らの説得は半ば諦めかけていた。
『――ハッ!』
だが。帰ってきた反応は、俺の予想とは真逆のものだった。
彼らは一斉に敬礼すると、慌ただしく動き始めたのだ。
「な、何だよ一体。急に素直になりやがって……」
ガシャガシャと鎧を脱ぎ始める騎士達。
俺が驚いて見ていると、フリッツが話しかけて来た。
「当然でしょう。師団長からの命令だったら、彼らも素直に聞きますよ。命令系統じゃあエイクさんの方が上なんですから」
苦笑を浮かべるフリッツ。
だがそんなもんは到底信じられない。俺は鼻で笑って返す。
「んなわけねぇだろ。命令どころか頼みにだって、くっせぇ顔返された覚えしかねぇぞ、俺は。騎士どころか、お前ら第一師団だってそうだったろうが」
「あ、そ、それは――」
「全くお貴族様って奴はお高く止まりやがってよぉ。ま、今こっちの言う事聞いてくれんなら何でも良いわ」
今更立場どうこう言われても、俺なんて野糞以下の扱いだったから、フリッツの言う事はまるで信憑性が無い。
とりあえず今は俺の言うことを聞いている。その事実があれば理由なんぞ何でも良かった。
鎧を脱ぎ、盾を手放し、剣を帯びただけの騎士達が俺の前に並ぶ。
彼らは俺の指示を待っているらしく、無言でこちらを見つめていた。
その表情はどうしてか、妙に凛々しかった。
「さっきも言ったが、お前らは人質の解放に向かえ。お前らの大切なもんだろう? ――意地でも守り通して見せろ」
『ハッ!』
「もちろん、お前ら自身もだ。家族も、自分も。たったの一つも失うな。傭兵なんぞに後れを取るんじゃねぇぞ。分かったな? 分かったら行け!」
『――ハッ!!』
八人は一糸乱れず敬礼すると、こちらに背を向けて街へ駆けて行く。
人質の安否についてはこれで何とかなるだろう。後はこの場に残す傭兵達の見張りを何人か立てて、残りで代官屋敷にかちこむだけだな。
見れば、騎士の中で負傷の重そうな奴らがちらほらいる。怪我してるから待機と言っても聞きそうにないし、丁度良いからこいつらに頼むとするか。
見張りは最初ガザ達に頼もうと思っていたが、正直あいつらは衆目に晒したくないしな。
俺は隠れている彼らに、自分の視界越しに”待機”と合図を出した。
「カーテ……いえ。エイク殿」
「あ?」
他に負傷の程度が重い奴はいるか。そう見ていると、後ろから声がかかる。
振り向けば、眉を八の字にしたフェリシアがそこに立っていた。
「すみま――いえ。申しわけありませんでした」
「はぁ?」
「私は、貴方の事を誤解していました……」
そんなことを言い出して、フェリシアは深く頭を下げた。
「貴方の事を、ただ力に任せて物事を進めようとする、粗野な人間だと思っていました。でも、違った。貴方は我々の人質の身まで案じて下さっていた。私は……自分が恥ずかしい」
フェリシアはそう言って下唇を噛む。
「私はこの町を救いたいと思っていました。しかし、思うばかりで何もできなかった。今こうして立ち向かえるのが、策を練り、指揮をし、我々を鼓舞していた、他ならない貴方のおかげだというのに、私は――」
「よし、じゃあお前ら五人はここの傭兵共を見張っててくれ。頼んだぞ」
『ハッ!』
「え!? ちょ、ちょっとエイク殿!? 聞いて下さい!」
何かフェリシアがうだうだ言い始めたが、今は時間が惜しい。彼女を放置してその場を離れ、俺はこの場に残す騎士達へ指示を出す。
これにフェリシアが慌てて駆け寄ってくるが、俺はその鼻先に指を突き付けた。
「んな話は全部終わってからにしろ。今やらなきゃならねぇ事は何だ? もっと緊張感を持て。お前らの出番はまだ終わっちゃいねぇ。むしろ、ここからが本番なんだぞ」
俺はぐるりと周囲を見る。人質を助けるため走らせた騎士は八人。ここに残すのは騎士五人。
そうすると代官の屋敷に向かう騎士は三十七人になる。フェリシアを入れれば三十八だ。
バルテル達に聞いたが、この町にいる傭兵の数は、総勢百三十人ほどだそうだ。
ここに来た五十人を倒したのだから、残り八十人。つまり、こちらの人数は向こうの半分程度ということだ。
傭兵とは何度か交戦したが、大したことは無かった。騎士達なら十分制圧できると思う。だが騎士達は先ほどの交戦――主に俺達との、だが――で、多少なりとも負傷している。
それに戦闘は水物。やって見なければどうなるか分からない部分もある。
こんな場所で他に気を払い、集中を欠いている暇なんぞないのだ。
「ルフィナ!」
フェリシアから視線を外し、ルフィナを呼ぶ。先程の戦闘で死人がでた事もあるだろうか、こちらを向いた彼女の顔色は、あまり良くなかった。
「どうする。できるか?」
彼女に近づきながら聞く。正直言ってこの場に出てくる事は、戦力にならない以上ルフィナの我がままでしかなかった。
だがそれでも自分もと言い張ったこいつ自身のために、俺は一つ仕事を任せていた。
「……できるわよ。私がやるって言ったの。このままじゃただの足手まといよ。そんなの、絶対に御免だわ」
「よし。なら頼む」
真剣な表情で頷いたルフィナ。隣のサリタも「頑張って」と声をかけた。
それにも頷いてから、彼女は静かに目を閉じる。
そして何回か深呼吸をした後に、
「水の精霊ウンディーネよ――!」
そう魔法を唱え始めた。