198.火の粉舞う戦場
『うぉぉぉぉーっ!』
赤々と燃え始めたスラムに男達の荒々しい声が響き渡る。
傭兵共を迎え撃つ俺達は、ルフィナやサリタ、フリッツ達を守るように、横一列の陣を組んで戦っていた。
「うわぁぁあっ!」
「おおおぉぉっ!」
道を塞ぐ俺達に向かい、騎士達が次々に襲い掛かってくる。俺は大槌を振り回して彼らの剣を打ち払うと、盾に思いきり打ち付けた。
「オラァッ!」
「――ぐぅうっ!!」
重い金属音が周囲に鳴り響く。衝撃を受けきれず、苦悶の声を上げて騎士は後ろにすっ飛んでいく。
しかしその隙をつき、あの男が死角から剣先を飛ばしてきた。
「食らいやがれッ!」
「くっ……!」
柄で受けた斬撃が火花を散らす。俺が目をやった時には既に、その男は間合いの外へ飛び退っていた。
「チッ、面倒くせぇ戦い方をしやがるな」
「お前らが強ぇのは分かった。だが戦いってのは、ただの強さだけじゃ決まらねぇ。それをたっぷり教えてやるよッ!」
だが、そいつを追撃する事は状況が許さなかった。
俺は腹立ち紛れに舌打ちをする。対してその男は無い前歯を見せつけるように、不敵に笑って返しやがった。クソが。
「うぉぉぉおーっ!」
そうこうしている隙に、今度は別の騎士がこちらに切りかかってくる。一息つく暇もない。
俺はそれをまた大槌で受けると、がら空きの胴に足を飛ばし、騎士を後ろに蹴り飛ばした。
スラムを守ろうという以上、傭兵達を更に奥へ進ませるわけにはいかない。少しでも先に進ませれば、連中は躊躇なく周囲を燃やしにかかるはずだからだ。
スラムはただでさえ燃える物が多い場所だ。しかも住居が密集しており、火災など起きれば簡単に延焼してしまう。
今だって既に、あちこちから火が上がっているのだ。火元を増やしてしまうのは極力避けたい事態だった。
ただ連中をここで食い止めるにしても、俺達には大きな問題があった。それは戦力の少なさだ。俺とホシとバド、そしてフェリシアの四人しか戦っていないのだ。
対する相手は傭兵と騎士の大所帯。少しでも隙を見せれば一気に突破されることも考えられる。だからこそ不用意に動き、陣形を崩すわけにはいかなかった。
「随分粘るじゃねぇか! いつまで持つか見ものだぜ!」
「ケッ! 言ってやがれ間抜け面がっ!」
再び剣を飛ばしてきた歯抜け男。抜け目なく一撃離脱を繰り返す相手に、俺は感心すると共に少し苛立ちも感じ始めていた。
相手もこちらの状況を分かっている。だからこそ無理に突っ込んで来ないのだ。
無駄に戦局を見る目を持っていやがる。ただのイノシシ野郎だったら楽だったのにと、鼻からフンと息を吐いた。
自分達の優位を確信している傭兵達は、頭にくることに、余裕の立ち振る舞いで俺達を翻弄してくる。
相手の数はざっと見ても百には届く。傭兵と騎士で半々と言ったところだ。
数の暴力は向こうにある。そして傭兵達は自分達ではなく、騎士達を前に出して戦わせていた。
どれだけ剣を交えようと、自分達は傷つかない。数の有利も自分達にある。
そんな圧倒的優位な状況に、笑みさえ見せている傭兵も多かった。
もっと言えば、時間も向こうの味方をしている。スラムに放たれている火の勢いが、奴らを優位に立たせているのだ。
俺達の戦場周辺はすでに火が立ち上り、火の粉やススがぱらぱらと降り注いでいる。この調子で火の勢いが増せば戦うどころではない。後退を余儀なくされるだろう。
だが、連中の目的はスラムを潰すことだ。俺達が後退すればするだけ、奴らは目的を達成することに近づく。
つまり、連中は無理をしてこちらを攻める必要が無いのだ。そしてこちらは数の不利から、不用意に動く事ができない。
自分達は安全で、何もせずとも状況が優位に進む。連中の余裕は、そんな絶対的な有利から生まれているものだった。むかっ腹が立つとはこの事だ。
「ハッ、言いザマだな! でかい口を叩こうと、結局は何もできねぇんだよ! 身の程を知ったか? ええ? ――分かったなら、ここでくたばっとけや!」
楽しそうに笑う歯無し男。騎士達が相手だと言う事で、殺してしまう事も出来ず、俺達は苦しい戦いを強いられていた。
「あっはっは! おりゃおりゃあ! ほら、次は誰!?」
あのホシも苦しい声を――いや、うん。ダメだ。あいつはいつも通りだった。
とにかく。ホシ以外は苦しい戦いを強いられていたのだ。それは間違いなかった。
「う――おおおおおっ!」
大声をあげながら何度も何度も向かってくる騎士達。その声はまるで悲鳴のようにも聞こえた。
そんな騎士へ俺は大槌を叩きつける。悪いな、命までは取らねぇが、骨の一本二本は覚悟してくれや!
「くっ……皆、目を覚まして下さい! このまま代官に従っていることが騎士の本文ではないと、どうして……っ! どうして、分かってくれないんですかっ!」
横で戦うフェリシアも苦しそうな声を上げている。だがその苦しさは、俺やバドとは少し異なるものだろう。
多勢に無勢。しかしそれ以上に、同僚と戦わなければならない状況が、彼女に精神的な重圧をかけ続けていた。
「団長っ! どうして、貴方までっ!」
フェリシアが非難の声を上げる。彼女の視線が向く先をチラリと見れば、一人の騎士がフェリシアの前で剣を構えていた。
その精悍な構えからは高い実力を感じることができる。なるほど確かに、こいつが騎士団長で間違いないようだ。
「分かってくれ、フェリシア……。我々には……私には……こうする事しか、できんのだっ!」
彼は苦しそうな声を上げながら剣を振り下ろす。それを受けるフェリシアもまた、苦しそうな声を上げていた。
「頼む……引いてくれ! お前も分かっているだろうに!」
「私達を引かせてどうすると言うのですか! このスラムで何をしようと言うのですかっ! 団長は……団長は、どうしてそこに立っているのですかッ!!」
「くっ――フェリシアーッ!」
互いの思いを剣に乗せ、二人は激しくぶつかり続ける。剣と剣とが火花を散らし、鈍い金属音を激しく打ち鳴らす。
フェリシアは歯を食いしばり、必死に食い下がる。だが相手は、曲がりなりにも騎士達を率いる団長だった。
騎士団長の一撃は彼女の隙を的確に突き、フェリシアを大きく揺さぶる。
実力差は如何ともしがたく、攻防の天秤はすぐに傾き始めてしまう。
フェリシアは徐々に押され、相手の攻撃を防ぐだけで精一杯となってしまった。
「おぉぉぁぁぁあーっ!!」
絶叫のような声を上げる騎士団長。彼の鋭い一撃はフェリシアの鎧を激しく打ち、彼女の体をふらつかせた。
「ぐっ! うぅ……っ!」
フェリシアは痛みに顔を歪める。本来であれば追い打ちをかける絶好の機会。だが騎士団長はその隙を突くことは無く、それどころか苦悶するように、剣先を僅かに下ろす。
彼もまた、同僚と戦う事に納得などしていないのだ。いや、スラムを潰すこと自体が、本意ではないはずなのだ。
お互いにそれが分かっている。だからこそ、その信頼がお互いを苦しめている。
深い煩悶を抱える二人。彼らの間に、戦闘中とは思えない妙な間が僅かに生まれていた。
だが、そんな彼らの苦しみを利用しようというクズもまた、この場には大勢いた。
「何ビビッてやがる馬鹿が! テメェがやらねぇなら俺が止めを刺してやる!」
一人の傭兵が地を蹴り、騎士団長の後ろから飛び出した。そいつはフェリシアへ一直線に向かって行く。
「死ね! 裏切者がッ!」
死角からの攻撃に、フェリシアの反応は遅れた。
無防備に晒された彼女の首筋。鎧の間から見える白い肌に向かって、剣が滑るように飛んでいく。
その鈍い光は真っすぐに、彼女の喉元へ吸い込まれて行く。そして彼女の首を切り裂こうとして――
「――ぁっ」
横合いから振り下ろされた長剣に、思いきり叩き下ろされた。
「フ、フリッター殿……っ」
傭兵とフェリシアの間に立ちはだかったのはバドだった。
「テ、テメ――ぐほっ!?」
彼は飛び込んできた傭兵の横っ面を盾で殴り飛ばすと、その場に仁王立ちをする。そして傭兵や騎士達を睥睨した。
彼の体からは重厚な闘気が滲み出している。浴びせられた連中は、怯んだようにじりと一歩後ずさった。
バドはあの見た目から想像できない程、温厚で優しい男だ。外観があまりにも厳ついため忌避される事が多いが、その内面を知れば嫌う者は少ないだろう。
常に誰かのためにと行動しているバドは、自分のことを後回しにして走ることも少なくない。そんな奴だからこそ、彼から感じられる感情はいつも、他人を思いやるような優しいものばかりだった。
だが今、バドの胸の内から感じられるのは、静かな怒りだった。
バドは長剣を真っすぐ伸ばし、騎士団長に突き付ける。それはまるで、彼を責めているように見えた。
一呼吸ほどの間そうしていたバドは、次に剣を払うと、いつものように盾を前に構え、すっと腰を落とした。
彼は言葉を話せない。しかしその姿は、かかって来いとでも言っているようだった。
「な――何をしていやがる! おい騎士共! ボサッとしてねぇで、そいつもやっちまえッ!!」
バドの気迫に飲まれていた騎士や傭兵達。しかし傭兵の一人が声を上げると、我に返ったようにまた動き出した。
騎士団長もまた剣を構える。その視線はバドを真っすぐに見据えていた。
「黒の騎士殿――参るっ!!」
そうして彼はバドへと地を蹴る。他の騎士達もまた弾かれたように、俺達へ攻撃を仕掛けて来た。
火の手は更に勢いを増している。降り注ぐ火の粉は数を増し、周囲の家屋は既に炎を吹いていた。
熱気で俺の額には玉のような汗が浮かんでいる。それは俺だけではなく、敵味方関係なく同じような有様だった。
(くっ……連絡はまだか? このままじゃ少し引かねぇと不味いぞ)
俺は向かって来た騎士を大槌で弾き飛ばしてから、その隙にチラリと共有した一つの視点に目を向ける。
そこには三人のローブ姿の人物が映っていた。
ローブ姿の三人は皆こちらを見ている。かと思えば、その視覚越しに、俺へハンドサインを送るのがはっきりと映った。
(待ってたぜ、そいつをよ……!)
俺達の作戦はまだまだ始まったばかりなのだ。
余裕ブッこいていられるのも今の内。目にもの見せてやろうじゃあねぇか。
俺はすぐに自分の目を通して、もう一人の仲間へとサインを送る。
そいつの視覚に目を向けると、ほっそりとした手が『了解』と、ハンドサインを返したのが見えた。