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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四章 薬売りの天使と消えない傷跡
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197.貧民街を救え 迎撃戦開戦

 どう傭兵達を迎え撃つか打ち合わせを終えた俺達は、その時が来るまでと、大部屋で思い思いにくつろいでいた。

 とは言えリラックスできているのは俺達くらいなものか。他の面々はと言えば、皆緊張に顔を強張らせている有様だった。


「今からこんな調子で大丈夫なのかねぇ……」


 呆れたように婆さんが小声で漏らす。

 しかし然もありなんと言うところだと、俺は肩をすくめて返す。


「実際に事を構えるのは俺達と、そこの騎士くらいだ。大して問題ないだろ」


 バルテル達は傭兵団の人間だ。念のため、傭兵達と真っ向からやり合うのは避けた方がいいだろうと、後方支援を頼んでいる。

 また三人娘については、今回の件は実力的にも経験的にも荷が重過ぎる。だから俺は、まとめて後方に行かせるつもりで考えていた。


「でも、あの嬢ちゃん達は大丈夫なのかい? 前に出すんだろう?」


 だが、これに異を唱えたのはルフィナだった。絶対に前線に出ると言って聞かなかったのだ。

 時間も無い今折れざるを得ず、ルフィナとサリタの二人だけを前線に連れて行くことにはした。だが戦力的な期待などできるはずがない。


「んなわけねぇだろ。あいつらには無理だよ。まず殺し合いになるだろうしな。見ろよあれ」


 婆さんに目で合図をする。彼女達の顔からは血の気が失せ、口数も極端に少なくなっていた。

 俺と婆さんがこんな話をしているなんて事も、目にも耳にも入っていない。いつもうるさいルフィナですら強張った表情で、ずっと口を真一文字に閉じていた。


「連れて行くだけだ。端から戦わせるつもりはねぇよ」

「そうかい。それならいいんだけどねぇ」


 こうして見ればどこにでもいる普通の少女だ。

 俺は、それでいいと思っていた。


「貴方様、向こうは?」


 隣で黙って聞いていたスティア。彼女に促され、俺は視線をそちらに移す。

 映ったのは、傭兵二人をそばに置いたフリッツの姿だ。

 やってみると宣言したフリッツ。しかし時間が経つにつれて、彼の様子は可哀想な程に変わっていった。


 今彼は両手を組み、体を丸めてソファに座っているが、その顔は蒼白で、手も足も体も、壊れたようにブルブルと震えっぱなしだった。

 バルテルもヘルマンも不安そうに見ている。しかしかける言葉が見当たらないのか、口を開く様子は無かった。


「……お労しいことだよ」


 婆さんは弱々しく首を横に振る。


「本当に、フリッツ様の力が必要なのかい? 他に手はないのかい?」


 そして、今になってそんなことを言い出した。


「今更何だ。アンタだって俺達の話をずっと聞いてただろうが。アイツの協力なしに代官を落とすのは無理だぞ」

「聞いてたよ。聞いてたけど……でもねぇ。子に親を倒させようなんて、あんまりじゃないかい……」


 実を言えば、だ。

 言葉にこそしなかったが、婆さんの言うように、別の手がないでも無かった。


 それは、暗殺だ。これが代官の件に片をつける、最も手早い方法ではあった。

 ただこれをする場合、最も気にしなければならない事が一つある。足がつかないかどうかという、その一点だった。


 俺達は既にこの件に、それなりに関わってしまっている。

 傭兵達とは事を構えたし、顔も見られた。それに代官の息子や三人娘、婆さんや騎士にも、こうして存在を知られているのだ。

 もしここで暗殺でもしたら、その事件と俺達とを繋げて考えられる奴がかなりいる。流石にお節介でお尋ね者になるのは御免だった。


 しかしだ。この婆さんはどうしてここまでフリッツに構うのだろう。

 彼をかくまっていた事もそうだ。二人の関係について、俺はここに至ってもまだ、何も聞かされてはいなかった。


「なあ、婆さん――」


 今なら聞いてみてもいいだろうか。俺は婆さんに声をかける。


「バルテル、ヘルマン。頼みがあるんだ……」


 だが不意に聞こえた声に、出かかった言葉は喉の奥に引っ込んだ。


「若、どうした?」

「僕に――僕に勇気をくれ。父に、あ、抗えるだけの勇気を。いつもみたいに、僕を奮い立たせて欲しい。お願いだ……」


 恐ろしくてたまらない。そんな表情で、彼はすがるように傭兵二人に目を向けた。

 男達はこれに顔を見合わせる。


「アレを?」

「い、今ここでか?」


 どうしてか困ったような表情を浮かべる二人。しかしフリッツが首を縦に振ると、仕方がないと男達も頷いた。

 バルテルは彼の手を引っ張り、フリッツをその場に立たせた。

 一体なにを始める気だ。そんな顔をする皆に、ヘルマンが軽く笑った。


「何、ちょいと気合いを入れさせてもらうだけだ……。若」

「うん」


 彼らは向かい合って円陣を作り、肩を組んだ。

 なるほど、気合い入れか。確かに強敵と向かい合うために、気合いという物は必要不可欠だもんな。


 他にすることもない俺達は、黙って彼らへ目を向ける。

 バルテルがすぅと大きく息を吸い込んだ。


「俺達の信じられるものは何だっ!」


 それはすぐに始まった。


「俺達を裏切らないものはどこにあるっ!」


 ヘルマンもそれに続く。


「信じられるもの――裏切らないものは、いつもここに! いつも僕達のそばにあるっ!」


 先ほどまでの弱々しい声は何だったのか。そう思いたくなるほどの大声を、フリッツも腹の底から出し始めた。


『怯むな! 臆するな! 恐れるな! 俺達が信じられるものは、いつもここにあるっ! 俺達と共にいつもあるっ!』


 三人はそろって唱和する。その気迫は部屋全体に響き渡った。

 その様子を見て俺は理解した。

 信じられる者。裏切らない者。それはきっと、この三人の繋がりなんだろう、と。


 フリッツは呪いをかけられるほど、代官から冷遇されていた。しかしそんな彼を守るため、彼ら二人はあの魔族との戦争――聖魔大戦への参加を決意したと言っていた。

 代官に雇われている立場の彼ら。そんなことをしたら、代官に目をつけられるかもしれない。

 それ以前に、あんな戦争に参列すれば、生きて戻れない可能性も高かった。


「俺達が信じるもの――それは何だっ!」


 だと言うのに、彼らはフリッツと共にいることを選択した。

 その事実が、彼らの絆の深さを何よりも物語っていた。


 この唱和もきっと、彼らの絆を高めるための。信頼を確かめ合うための、儀式のようなものなんだろう。

 彼らの様子を目にしながら、俺はそう思っていた。


「俺達を裏切らないもの――それは、何だっ!」


 思っていたのに。

 彼らは自分たちの服に手をかけると、上着をバッと脱ぎ捨てた。


「人は簡単に人を裏切るッ! しかしッ!」

『筋肉は裏切らないッ!』

「人は金で簡単になびくッ! しかしッ!」

『筋肉は裏切らないッ!!』


 上半身裸になった三人は、唐突にポージングを始める。いや、いつの間にかバドも混じっていて、四人になっていた。

 何だこれは。俺は何を見せられてるんだ。ついさっきまで男達の美しい友情劇だと思っていたのに、いつの間にか筋肉感謝祭が開催されてるじゃねぇか。


 というか、俺も混じった方がいいのか?

 思わず立ち上がる。


「貴方様はお止め下さいね?」

「はい」


 静かに座る。

 くそう、祭りに出遅れた。俺は密かに舌を打った。


 突然始まった筋肉乱舞に女達は大混乱だ。ギャアギャア叫ぶ女と、キャーキャー叫びながらチラ見する女の二極化している。

 と言うかルフィナ以外後者だ。騎士であるフェリシアも、何だか興奮した様子でバドをガン見していた。

 こいつ筋肉フェチだったか。道理でバドばっか見てるはずだよ。

 

 しかし見た目からして筋肉男のバルテルはともかくとして、細身のヘルマンも中々の肉体美を誇っている。あの戦争を生き抜いたのは伊達ではないらしい。

 同じく細身のフリッツは二人には見劣るが、それでも俺が持っていたひょろいイメージを吹き飛ばすくらいには良い筋肉のつき方をしていた。


 俺はその鍛え方に感心する。同時に、言い表しにくい感情が胸に湧き、つい顔をしかめてしまった。


「すまない、騒がせてしまった」


 ひとしきり騒いだ男四人は、満足した様子でこちらを見る。

 しかし皆も気付いたんだろう。文句を言う者は誰一人いなかった。


「ア、アンタ……その体……」


 ルフィナが言いにくそうに口に出す。目の前に立つフリッツの体。そこには(おびただ)しい程の傷跡が刻まれていたのだ。

 あまりにも凄惨な傷跡に直視できず、マリアネラは目を逸らしてしまう。だが当の本人は困ったように笑うだけだった。


 これが代官が彼にしてきた仕打ちの証拠か。

 俺は今まであまり、フリッツに対して良い感情を持つことができなかった。

 当然だろう。相手は俺に対して敵意をむき出しにしていたのだから。


 しかしこんなものを見せられては、そんな気持ちは途端に萎んでいく。代わりに別の感情が胸に膨らみ始めた。


「悪ぃな。もともと戦争に行く若に自信をつけさせたくてよ、まず筋肉からだって始めたんだがな。これがどうにも気合いが入るみたいでな」

「ああ……そうかい」


 バルテルが何やら話しかけてきたが、しかしあまり頭に入ってこず、返せたのはただの生返事だった。


「何が何だか分かりませんが、皆の緊張が取れたようですし、結果としては良かったみたいですわね」

「ああ……」


 スティアがそんなことを言っていたが、それに対しても俺はあまり気の利いた返事はできなかった。

 俺は自分の目をどうしてか、フリッツの傷跡から離すことができないでいた。



 ------------------



 スラムと街の境界線。その方向から一つの悲鳴が上がった。


 上がった悲鳴は徐々に広がり、こちらに段々と近づいてくる。後ろのルフィナとサリタはそれを聞き、ビクリと身を固くしていた。


 全く、だから来なくていいって言ったのに。背中に彼女達の不安そうな視線を感じる。しかし今、ここから動く意味はなかった。

 俺達はその場に留まり続ける。ただその時を、道の真ん中に立って待っていた。


 しばらくして、前方にぽつぽつと人々の姿が見え始める。だがそれは瞬く間に大河となり、こちらへと押し寄せて来た。

 彼らは皆必死の形相で、悲鳴を上げながらスラムの奥を目指して駆けて行く。

 そこに立つ俺達の脇をすり抜けて、わき目も降らずに逃げて行く。


 男も女も子供も老人も、様々な人間の姿があった。しかしその胸に抱く感情は一様に、恐怖と悔しさに満ちていた。

 無数の悲鳴が共鳴し合い、耳の奥が鈍く痛んだ。


「申しわけありません……! 後で、必ず……っ!」


 そんな中で、フェリシアの悔し気な声がかすかに聞こえた。口調はすぐにでも助けに走りたいという感情を滲ませている。

 気持ちは分かる。しかし今俺達がやるべきことは、ここで待つこと。それ以外ないのだ。


 バドもどこか落ち着かない様子でそわそわしている。しかし二人共、なすべき事を理解している。

 だから悔しさを噛み締めながらも、その場を動くことはしなかった。


 そうしてしばらく待機し、逃げる人の姿が無くなり始めた頃。

 遠くの空がほんのりと赤く染まり始める。夕焼けのように風情のある赤ではない。人の営みを破壊する、暴力的な赤だ。

 そしてその赤を背景に、武装した一団が小さく映る。こちらに向かって来るその一団は、悠々と歩きながら笑い声を上げていた。


 胴体鎧(ブレストプレート)とグリーブという出で立ちの傭兵共と、全身鎧(プレートアーマー)姿の騎士達。連中は無遠慮に周囲へ火矢を放ちながら、こちらへ真っすぐに向かって来る。

 隊列は基本的に傭兵達が先頭だ。しかし傭兵に肩を組まされ、歩いている騎士の姿もあった。

 その傭兵は騎士にげらげらと笑いかけている。だが対する騎士達は、何かに耐えるような、そんな雰囲気を漂わせていた。


 近くで、誰かの歯がギリリと軋む音が聞こえた。


「おぉ? 何だあいつら、全然逃げねぇじゃねぇか」


 そんな集団の先頭を歩く一人の傭兵が、俺達に気づき指を向ける。それに一団の目が一斉にこちらに向いた。


「って――テ、テメェら! こんな所にいやがったのかッ!」


 指を向けた男はたちまち顔を怒りに歪める。

 その男の顔には見覚えがあった。正確に言えば顔ではなく、前歯に、だが。


「あ! あいつ、すーちゃんに歯を折られた奴だ!」

「ぐ――! こ、このガキィ……ッ!」


 ホシが大きな声を上げて男に指を向ける。すると男は顔を怒気で真っ赤に染め、歯をむき出しにした。

 その表情はまるで猿が威嚇しているようにも見える。前歯が無いことも相まって、何とも無様な表情だった。


「よおマヌケ面。久しぶりじゃねぇか。待ってたぜ」


 俺はそう言って不敵に笑う。軽い挑発に、傭兵達が殺気立った。


「何の真似だテメェ! 俺達に盾突こうってのか!?」

「だったらどうする。歓迎の裸踊りでも見せてくれんのか?」

「ざけんなッ! 俺達はこの町の代官、グレッシェル子爵の指示で、このスラムを潰しに来たんだよ! つまりこれは貴族の命令だ! テメェら程度がそれに逆らうつもりかって聞いてんだよッ!!」


 男は唾を飛ばす勢いでがなる。どんな犯罪行為だろうと、大義名分があれば優越感もあるだろう。下らない理由だが胸を張りたい気持ちは理解できる。


 だが共感はできんな。

 貴族なんてもんに尻尾を振っておもねる連中なんてのは、どいつもこいつもクソ以下だ。

 俺は大槌を肩にかけながら、それを笑い飛ばす。


「はっ! 悪いがこっちにもその貴族様ってのがいてなぁ! ――おい、頼むぜ」


 俺の言葉に、後ろからフリッツが歩み出てくる。これに連中の中から微かなざわめきが上がるが、それだけだった。

 思ったより認知度が低いようだが。

 ま、本番はここからだ。大した問題じゃない。


「ぼ、僕は、この町の代官の息子――」

「声が小せぇぞ!」

「こ、この町の代官の息子! フリッツ・グレッシェルだ!」


 バシンと腰を叩くと、彼は丸まった背を伸ばし、大きな声を上げた。


「お前達の人を人とも思わぬ振る舞い、目に余る! ここでお前達を打ち倒し、わ……私の父……グ、グレッシェル子爵を今日――だ、断罪、するっ!」


 父親のくだりでガタガタと震えだしたフリッツ。しかし最後まで口上を言い切った。

 よし、まずはよくやった。俺は彼の肩に手を置き、代わりにずいと前に出た。

 傭兵達は僅かに狼狽えたが、それだけだ。反応が薄い。

 しかしそれに対して騎士達は、明らかな動揺を見せていた。


「そう言うわけだ。こっちにもお前達をブッ潰す正当な理由ってもんがあんだよ。覚悟はできてんだろうなぁ?」

「バ、バカ言え! そいつは代官の息子なんだろうが! 例え貴族だろうと、当主の言う事に子供が逆らうなんざ――!」


 フリッツを後押しするように、俺はからからと笑う。それに傭兵達が噛み付いてくるが、


「ごちゃごちゃうるせぇっ! んなこたぁ今関係ねぇんだよボケがッ!!」


 俺はそう怒鳴り飛ばした。


「――さあ、開戦といこうじゃねぇか。スラムを潰そうなんて言う犯罪者共だ。ブッ殺されても文句は言わねぇよなぁ?」


 もう賽は投げられている。引き返すと言う選択肢はないのだ。

 火の手が勢いを増し、炎が瞬く間に燃え広がっていく。火の粉が舞い散り始めたスラムで、戦いの幕が切って落とされた。

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