196.見せられた覚悟
翌朝――と言ってもまだ夜明け前だが。
俺達はまた大部屋に集まった。
テーブルを囲み顔を突き合わせる面々。フリッツだけはテーブルにつかず、一人でまたソファに座っていた。
目ぼしい情報を集めきったヘルマンや、婆さんもこの場にいる。ホシだけはまだ寝ていて不参加だが、これで反乱分子がほぼ勢揃いというわけだ。
ちなみに呪いを解いた爺さんと……えー……ケツプリ男はあれからずっと眠ったままだ。
彼らの仕事はもう終わったのだ。疲れもあるだろう、起きるまで寝かせておくつもりだった。今呪術師がいても意味が無いだろうしな。
皆顔には様々な感情を浮かべている。しかし明るい表情だけはどこにも無い。
本当ならこんな事が二度と起きないように、代官を何とかしなければいけない。しかし俺達にできるのはスラムを襲う連中を何とかすると、そこまでだった。
結局その場しのぎの対処でしかない事に、皆納得がいっていないのだ。しかしフリッツが首を縦に振らない以上、どうにもならなかった。
「ねぇアンタ」
「ん?」
皆が黙る中、不意にルフィナが声をかけて来た。
婆さんが入れた茶を黙ってすすっていた俺は、そのまま目だけを彼女に向けた。
「あの後、ちょっと話してね。代官が起こした事件を表沙汰にしたらどうか、って思ったんだけど、どう思う?」
「ちょ、ちょっとルフィナちゃんっ!?」
何かと思えば、代官を止めるための案を、あの後に考えていたようだ。
マリアネラが慌て始めたのが気になるが、まあ今はいいか。
「悪くはない……が、いい案とも言えねぇな」
「そ、そうですよねぇ!? ほらぁ、カーテニアさんもそう言ってますよぉ!?」
「分かったから。聞いてみただけよ、そう騒がないで」
仲間を得たりとマリアネラが嬉しそうな声を上げる。
ルフィナがそれに煩わしそうな顔を見せるも、
「でもいい案じゃないってのは何で? 理由は?」
そう言ってまた俺に顔を向けた。
まあ説明してやるくらい簡単だ。俺はカップをテーブルに置く。
「あの代官にゃ不正の証拠が腐るほどある。そうだよな? ウィンディア」
「ええ。屋敷に山ほどありましたわ。今回の件に必要ないかと思いましたので持ってきてはおりませんが」
「えぇ~……っ。持って来れば良かったのに……」
「初めはその男の呪いを解くことが目的でしたからね。代官のことなんてどうでも良かったのですわ」
残念そうな声を上げたサリタに、スティアが横目でフリッツを見ながら応じる。
今こちらの手にあれば一番良かったが、まあ無くても大して問題ない。
俺はまたルフィナに目を向ける。
「その証拠なり何なりを出して申し立てすりゃ国も動くだろうが、でもそこまでだな」
「そこまでって?」
「国がそれを調査してる間に、裏取引なんかで消される可能性があるって事だ。まあ貴族にとって一番簡単なのは賄賂だがな。そうなりゃ証拠なんてこれよ」
俺は軽く上げた片手をぱっと広げる。
金と権力で不正は泡と消え、代官は何の憂いもなく、今まで通りの生活を送れるってわけだ。馬鹿馬鹿しい話である。
「そんな手を取れないようにするには、今回の件を町の人間に知らしめた上で、代官ごと叩き潰しちまうのが確実だ。そんだけ大事なら隠しようがねぇ上に、捕まってんだから何も出来ねぇからな」
「なぁ。それじゃあよ、若に協力なんてさせなくても良いんじゃねぇか? 町の奴らが証人になるってんなら、俺達だけで代官を捕まえたって変わらねぇじゃねぇか」
口を挟んだのはバルテルだ。彼は眉間にしわを寄せ、腕を拱いている。
普通に考えればそうかもしれない。しかし相手は貴族だ。自分の都合で何をしても不思議じゃない。
そこを考えればこそ、俺達にはフリッツの協力が必要不可欠だった。
「相手は貴族だぞ? あいつら、簡単に白も黒にするだろうが。正しいからってやった事が、反乱分子扱いされたらたまらねぇ。揺るがない大義名分が必要なんだよ。だからこっちも貴族の力って奴を借りる必要があるわけなんだがな――」
ちらりとフリッツを見る。俺の話を聞いていた皆も、それに気づいて彼を横目で見た。
不正を看過できず立ち上がった息子が、民衆を救い、騎士の賛同を得て、悪政を敷いていた親を打ち倒す。まるで英雄譚だ。
こんな話はこっちが動かなくても、人から人へ勝手に広がる。そうなればいかに貴族だろうと手の出しようがないはずだ。しかもやったのが貴族だってんならなおさらだ。
とは言え、肝心の本人にやる気が無いと言うのならどうにもならない。
俺は頭の後ろで手を組んだ。
「それがないんだから、今回は傭兵と騎士を畳んで終わりだ。後の事は、この町の人間だけでどうにかしてくれ」
「そ、そんなっ!?」
俺の呆れ声に、フェリシアがガタリと立ち上がる。
「この町の人々がどうなっても良いと言うのですか!? き、貴殿は彼らを救うために……正義を成すために立ち上がったのではないのですかっ!? そんな中途半端な事っ!」
彼女は両手を広げて必死に訴えかけてくる。だが俺はそれに右眉を上げた。
都合よく捉えるんじゃねぇ。俺は正義なんてもんのために戦ったことなんて、今まで一度だってねぇんだよ。
「正義正義って言うけどな。その正義を成すのはお前ら騎士の役目なんじゃねぇのか。今まで何もしねぇで指咥えてた癖に、都合良く人に投げつけるんじゃねぇよ」
「な――!」
フェリシアは目を見開く。そして顔つきを徐々に険しいものに変えた。
彼女の胸の内に嫌悪感が滲み始める。だがそんなもん、俺は知ったこっちゃなかった。
正義だ何だと声高に宣言する癖に、肝心な時役に立たない。そんな奴なんぞ構ってやるだけ時間の無駄だ。
「あ、貴方にっ! 貴方に、私達の何が分かると言うんですか! 騎士団だって、剣を取れるなら戦っていた! 臆病者の誹りを受ける謂れは断じてないっ!」
フェリシアは怒りで顔を赤くする。だが俺はそんな彼女に鼻を鳴らして返した。
そんなもんは知ってるよ。だからこうして今、ややこしい事になってるんじゃねぇか。
「でも、何もしてこなかったんですのよね?」
同じように思ったんだろう。俺の代わりにスティアが口を開く。
「しかしそれは――っ!」
「人質がいたから、ですか? じゃあそれを何とかしようとはしたんですの? 貴方達はその正義とやらを成すために、考え得る手段を全て講じたと、そう言うのですか? そしてその結果が今だと、そう言うわけですか?」
フェリシアが黙った。当然、違うんだろう。
人質がいると言う状態で、きっと諦めてしまったのだろう。
「わ、私達は、閣下――ヴァイスマン伯爵に現状をご報告していたのです。自分達の扱いや、代官様の不正についても。しかし、閣下からの指示は、ありませんでした……」
あげく上に頼り、解決できないと分かったから、現状を維持したと。
何が正義だよ馬鹿。口ばっかじゃねぇか。だから騎士って奴らは嫌いなんだよ。
スティアも呆れたらしく、鼻からため息を吐いて視線を外した。
もう口を開く気も失せた。俺は腕を組んで目を閉じる。恐らくフェリシアだろう誰かが、力なく椅子に座る音だけが耳に響いた。
しかしあのヴァイスマン伯爵が不正を無視、か。何か理由があるんだろうが、どうにも気になってしまう話ではある。
実は第三師団では、彼からの依頼で息子を預かり、少しの間だが面倒をみていたのだ。
そんな縁があって、俺は伯爵の人となりを知っている。だからこそ、フェリシアの言う事には少し首を捻る。
後でこの町のことも含めて、どうなってんのか手紙でも送ってみるとしよう。
さて、それじゃ暴漢共をどう倒すか策でも考えるか――
「一つ、聞いてもいいかな。エイク殿」
と、そんな時。一つの声が聞こえて、俺は目を開ける。
皆の視線が集中する先を辿ると、そこにいたのはフリッツだった。
「僕は、貴方達が何もしていないと、そう思っていた。でも、それは違っていた? 貴方達は……いや、貴方達も、戦っていたのか? 共に……」
言いながらも確かめるように、フリッツはゆっくりと言葉を紡いでいく。
彼が所属していたのは第一師団。俺達とは犬猿の仲だった師団だ。きっとそこではある事ない事、言いたい放題好き放題が飛び交っていたことだろう。
彼が俺達をどう思っているのかなんて、考えなくても分かる事だった。
だからこそ、俺は少し驚いた。第一師団の人間の口からそんな言葉が出てくるとは、夢にも思わなかったからだ。
思わぬ展開にすんなり言葉が出てこない。だからか、先に口を開いたのは問われた俺ではなく、隣のスティアだった。
「何を今更……。戦わない軍に、一体何の意味があるというのか。そんなものを飼いながら戦えるような状況では無かったでしょう」
「そ、それは、そうだけど――」
「見たいものを見て、見たくないものを見ない。気楽で宜しいですわね」
スティアが鋭い視線を送れば、バドもこくこくと首を縦に振った。
あまりにも棘がある言葉に、フリッツも言い返すことができない。彼はぐっと奥歯を噛んだような表情をすると、スティアから俺へと視線を移した。
「お前はあんな状況で、王子がタダ飯食らいを飼うほどの無能だと思うか? 思うって言うならこの話は終わりだ」
だが俺からの回答もスティアと似たようなものだ。フリッツはそれを聞くと視線を俺から外す。そして皆が見つめる中、何かを頭の中で反芻するように、静かに目を閉じた。
第一師団と第三師団の仲の悪さは相当なものだった。
元々は、王子軍に加わった俺達山賊団が、軍の人間に嫌悪されていた事に起因するこの関係。
第二師団とは後に、師団長ジェナスやカーク達のおかげで良い関係を築くことができたが。
しかし結局騎士や第一師団との間にできた溝は解消できないままだった。
こうして俺が王都を出奔したのも、それが原因の何割かにもなっているくらいだ。
ま、騎士や第一師団だけじゃなく貴族共も俺達の事を疎ましく思っていたから、軍での立場が悪くなくても、結局俺が王都を出ることは変わらなかっただろうが。
「……分かった」
昔を思い出していると、小さく呟いたフリッツの声が聞こえた。
何かと目を向けると、同時に彼も目を開く。そして膝に手を置いて立ち上がり、俺達の方に向き直った。
「僕にできることがあるなら、やってみるよ」
口調は随分と勇ましい。しかしそれに反してフリッツの表情は、今にも泣き出しそうな情けない表情だった。
「でも……正直、父と対峙すると考えるだけで、僕は……。僕は、怖い。恐ろしいんだ。どうしようもなく、実の父親が――」
その足はがたがたと震えていた。
≪感覚共有≫を介して、彼の抱く感情が流れ込んでくる。それはまるで感情の大河だった。
魔法をかけていない状態だと言うのにはっきりと伝わってくる。彼がどれだけ実の父親の事を恐れているのかが、俺にはすぐに分かってしまった。
なぜこれほどまでに恐れているのか。不思議に思っていると、同じ疑問を抱いたんだろう、スティアが彼に顔を向けた。
「できるんですの? 貴方に。震える程恐ろしい相手なのに……どうして、立ち向かおうと?」
彼女も先程、父親にはあまり良い覚えがないと言っていた。だから聞かずにはいられなかったんだろう。
そこまでの恐怖に立ち向かおうと言うのには、理由が無ければ説明がつかない。それは一体何なのか。
フリッツは少し俯いた後、また顔を上げる。
「僕はいつか、父とは向き合わないといけないんだろう。でなければ僕はいずれ、父に……殺されてしまう。それだけじゃない。罪のない人達だって」
それに、とフリッツは弱々しく笑う。
「成人にも満たない女性に、あれだけの覚悟を見せられたらね……。こんな僕だって、奮起させられるよ。いや――違う。しなきゃ、ならないんだ。今だからこそ」
彼はそう言ってある場所に目を向ける。その視線が向く先を追えば、そこには目を見開いたルフィナがいた。
「お、お前、成人してなかったのか!?」
「はぁ!? 何よ、悪い!?」
思わず聞くと、怒鳴り声が返ってきた。
いや、悪くねぇ。悪い事なんてねぇよ。でもなぁ。
その見た目で未成年は無理だろ。どう見たって成人してるわ。
詐欺だ。見た目詐欺。少しホシに分けてやってくれ。
「ま、いい。協力するって事で、いいんだな?」
「ああ。役に立てるかは分からないけど、でも、僕にできる事なら」
それが聞ければ上出来だ。俺は彼に頷くと、その場の面子に視線を巡らせた。
「なら暴漢共をどうぶちのめすか、すぐに話を詰めるぞ。連中が来るまでに時間がねぇ、今から寝てる暇はないからな」
冗談めかして言う俺に返ってきたのは、皆の真剣な表情だった。