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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四章 薬売りの天使と消えない傷跡
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195.刻まれた傷跡

「父上に歯向かうなんて……。僕には、できない――」


 そう言って、フリッツは口を閉ざしてしまった。


「ちょっとアンタ! 今まであれだけ偉そうな事を言ってた癖に、自分の事になったらそう言うの!? とんだ意気地なしだわっ!」

「フリッツ様、どうかご決断を! この町に住む皆のためにも! 正義のために、どうかっ!」


 ルフィナが偉そうに罵倒しても、フェリシアが正義のためだとか言っても、結局彼はうなだれたままだった。

 彼が首を縦に振らない限り、代官を襲撃するわけにはいかない。傭兵達を撃退する以上の事はできなかった。


 話し合いは完全に停滞した。つまり、これ以上は無意味というわけだ。

 俺は明日に備えてもう寝ろとあの場を締め、皆を解散させたのだった。


 家の外に出ると、辺りはもう完全に闇に覆われ、静まり返っていた。

 ずっと寝込んでいたせいで、今が何時くらいなのか今一はっきりしない。

 もう日が変わっただろうか。そんなことを考えつつ、ゆっくり足を進める。

 そこには見慣れた背中があった。


「スティア。どうした?」


 見慣れた背中に声をかける。振り向いた彼女は、どこか悲しそうな、沈鬱な表情をしていた。


「貴方様……」


 いつもより弱々しい声。不思議に思いつつ、俺は彼女のそばへ足を進める。

 くるりと振り向いた彼女の右腕には、一羽のフクロウが止まっていた。


 彼女達ヴァンパイアは、フクロウを飛ばして連絡を取り合う。きっと故郷からの知らせだろう。

 そのフクロウはこちらを向いた後、俺の様子を探るように、くるくると首を回しながら丸い目で凝視してくる。愛嬌のある奴だ。その様子に目を細める。


「申し訳ありません。この子が外にいたようだったので」


 そう言うスティアの顔は浮かない。

 手紙の内容に何かあったのか、それとも――


「さっきの話で、何かあったのか?」


 スティアが顔を上げる。その目は大きく開いていたが、すぐに伏せられてしまった。


「少し、昔を思い出してしまって」


 先程の会話を終えて今まで、俺には気になっていたことがあった。

 親との対峙を拒否し、消沈したフリッツ。彼の感情は酷く委縮し、心は怯え切ってしまった。それはまあ、理由は何となく察せる。


 だが分からないのはスティアの事だ。どうしてか彼女もフリッツと同じように、沈んだ表情を見せ始めたのだ。

 きっと先ほどの会話の中で、彼女を沈ませる何かがあったんだろう。しかし理由までは俺には分からなかった。


 スティアがそっと指を伸ばすと、フクロウはその指を甘噛みして返す。

 それに目を細めながら、彼女は静かに口を開く。


「父親に反抗できないというあの男の事……貴方様はどうお思いでした?」

「ん? まあ、そうだな。断られるとは思わなかった、ってのが正直なところだ。もう少し気合いを見せてもらいたかったが、な」

「そう、ですわね。たぶん、他の方も同じ気持ちだったのでしょうね」


 スティアは悲しげに笑う。


「でも、わたくしには分かる気がします。あの男の気持ちが」


 その笑みは何かを諦めたような、そんなものだった。

 ≪感覚共有(センシズシェア)≫から彼女の静かな悲しさが伝わってきて、俺の胸がしくりと痛んだ。


「わたくしも父上には長く邪険にされてきましたから。父親に命まで狙われた彼の気持ちが、どうしようもなく理解できてしまって。……駄目ですわね。もう随分と前の事ですのに」


 スティアはハーフヴァンパイアだ。純血のヴァンパイアではない彼女は小さな頃からずっと、周囲に疎まれ続けて来たのだと言う。

 彼女自身が話したがらず、詳しく聞いたことはない。だから、実の父親にまで冷遇されていたという話は今、俺も初めて知った。


「故郷の事だってもう殆ど記憶にありませんのに、父上の顔がなぜか今ちらついてしまって。未だに引きずっているなんて、笑えませんわ」


 不当な扱いに耐えられず、故郷を抜け出し、人族の世界に飛び込み、そこでも居場所は見つからず、ずっと独りで生きて来たスティア。

 彼女は困ったように笑っている。だが俺には、それが泣き顔のように見えた。

 スティアから伝わる全てがあまりにも悲しくて、俺はたまらず抱きしめる。

 フクロウが飛び去って行く。


「大丈夫だ。ここには俺がいる」

「はい」

「ホシもいるし、バドもいる」

「はい」

「お前を遠ざけようなんて奴はいねぇ。お前は駄目な奴なんかじゃねぇ。だから、心配すんな」


 何十年もの間独りで生きてきたことで、人との繋がりに飢えつつも人を信じられず、他人を拒絶するようになったスティア。

 その隔意が溶け始めた今、あの時の厳しい表情は殆ど顔を覗かせなくなった。


 しかし心に深く刻まれた過去は、未だに彼女の胸に暗い影を落とし続けている。

 時折見せる物悲しそうな表情は、まだ消えてくれそうに無かった。


「貴方様」


 スティアは俺の胸に顔をうずめる。


「ごめんなさい。……駄目だな、私は。いつも貴方に助けてもらってばっかりだ」


 あまりにも弱々しい声。思わずその頭に手が伸びる。


「んなことねぇよ。むしろいっつも助けられてるのは俺の方だろ。……ありがとな」


 さらさらの銀髪を撫ぜると、スティアは腕を背中へと伸ばしてくる。

 そして胸に顔を押し当てたまま、小さく頷いた。



 ------------------



「……で? 何なのよ、私だけに話って」


 皆が出て行った大部屋で、二人の人物が向き合っている。

 一人はツンプイことルフィナだ。彼女は男の前で手を腰に当て、威嚇するように仁王立ちをしていた。


「無理を言ってすまない……。どうしても僕から、君に謝っておきたいことがあったんだ」


 一方、それに向かい合うのは、細身の男――フリッツだった。

 あの話が終わってから、彼はルフィナに話があると声をかけた。

 だがその話は人には聞かせられないと言う。これに彼女の保護者二人は強い難色を示した。


 当事者のルフィナが頷いたため二人になれはしているが、しかし部屋の外ではサリタとマリアネラ、そしてバルテルが共に待機している。

 何かがあれば三人がすぐさま雪崩れ込んでくるわけだ。

 子爵家の嫡男(ちゃくなん)だと言うのに、まるで信用のない扱いである。しかし意外にも、フリッツはそれに何も言わなかった。


 そのことがルフィナの警戒心を僅かに和らげた。そうでなければ密室で男と二人、まともに話などできなかっただろう。


「謝るって何よ。何を言っているか分からないわ。さっきの情けない話の謝罪なら、私だけに言っても仕方がないわよ」

「……手厳しいね。でも、違う。僕が謝罪したかったのは、四年前の話さ」


 ある程度の余裕もあったはずだ。しかしフリッツが放った言葉に、ルフィナの体はびくりと跳ねた。

 忘れるはずもない。四年前、ルフィナは暴漢に襲われ、あわやという事態となったのだ。


 まだその事件の傷は心に消えず残ったまま。今もまた当時の話を出され、彼女の鼓動は早鐘を打ち始めていた。


「すまない」

「え――」


 一体何を言われるのか。そう警戒していたルフィナの前で、フリッツは目を伏せて謝罪を口にする。


「……あれは、僕の父が画策したものだったんだ。傭兵達に指示をして、君をさらってくると、そういう話だったらしい」


 ルフィナの頭は真っ白で、彼の言葉が頭を通り過ぎていく。


「君を襲ったのは、こちらの想定外だったそうなんだ。でも、事実奴らは君を襲った。本当に申し訳ないことをしたと思う。すまなかった……」


 しかし、その言葉がどこか他人行儀にルフィナには聞こえて。


「――ふッざけんじゃないわよッ!」


 気付けば、彼女は目の前の男の胸倉に掴みかかっていた。


「何がすまないよ! アンタ、本当にすまないと思ってるんなら……何とかしなさいよ! アンタの親でしょう!? どうして、なんでッ! なんで何もしようとしないのよぉッ!」


 それはまるで慟哭のような絶叫だった。

 驚き、部屋の外から三人が雪崩れ込んでくる。しかしルフィナはその手を放さず、フリッツを間近から睨みつけていた。


「そんな謝罪に一体何の意味があるのよ!? アンタはそれで気が済むかもしれない! でも、それだけでしょう!? これから私みたいな目に遭う人がいるかもしれない! 明日だって、殺される人が大勢出るかもしれない! なのにアンタは何もせず、ただ今みたいに謝って、自分の気が済めば良いってわけ!?」


 じわりとルフィナの目に涙が浮かぶ。フリッツはそれを見ていることができず、顔をそむけた。

 いら立ちを抑えきれず、ルフィナは突き飛ばすように手を離した。


「私は男なんて大嫌いよ。……勘違いしないでよね。これは昔っからなの。どいつもこいつも下品な奴ばっかり。目にするのも嫌だわ」


 でもね、と、ルフィナは言葉を続ける。


「アンタの事はそれ以上に嫌いよ。見ちゃいられないわ、女々しい男なんて。いえ、アンタは男ですらないわっ!」

 

 涙を袖で拭いながら、ルフィナは彼に背を向ける。


「アンタは随分馬鹿にしてたけど……あのおじさんは私を――私達を助けてくれたわ。会ったばかりの私達を、何の見返りも無しに。アンタには、あの人を馬鹿にする権利なんてこれっぽっちも無い! もうそのふざけた口を開かないで!」


 もはや言葉を交わす価値もない。そんな意思表示に、フリッツは悲しそうに俯いた。


 駆け込んできた面々は、ルフィナの激しい剣幕に口を出せずにいる。

 ルフィナの気持ちが分かってしまう女性二人は、沈痛な面持ちでこれを見ていた。

 だがしかし、そこに一人の男が割って入る。


「ちょっと待ってくれや」

「何よ」


 バルテルがルフィナの前に立つ。彼の表情は辛そうに歪んでいた。


「アンタの言うこっちゃ間違ってねぇ。ああ、俺だって、若にはもっとしっかりして欲しいなんて思ったことがあるさ。でもな……俺は若が今までどうやって、あの父親の前で生きて来たか知ってる。この目でも見た。だから――俺からは言えなかった。父親を討て、なんて」


 バルテルは絞り出すように声を出す。その手は悔しさを物語るように、強く固く握りしめられていた。

 ただならぬ雰囲気にルフィナも口を引き結ぶ。

 誰も口を開かない部屋。しばらくして口を開いたのは、またバルテルだった。


「アンタらは不思議に思わなかったのか? 実の父親が、息子に死ぬような呪いをかけるなんてよ。普通ねぇだろ? そんなこたぁ」

「それは――そうだけど」


 普通の感覚を持っていれば、あり得ないことだと誰もが首肯するだろう。

 ルフィナも渋々ではあるが、彼の言葉に肯定を返した。


「若にとって代官って奴は、父親なんて生易しいもんじゃねぇ。気に入らねぇなんて理由で殴る蹴る、鞭で打つことも珍しくねぇ、そんな奴なんだ。そんな環境で若は、ガキの頃からずっと生きて来た。父親の目を常に伺いながらな」

「え、ち、血の繋がった子供に、そんな事をする親がいるの!?」


 その話が信じられず、サリタが小さく驚く。

 ルフィナも予想外の話に「えっ……」と声を漏らしていた。


 フリッツにとって父親と言う存在は、一般的に言う父というものとは大きく異なる。

 暴虐の体現者。そう言って然るべき扱いを、フリッツは今までその身に受けて来た。

 戦争への参加や、今回の呪いというのも、その行為の内のたった一例でしかない。そう漏らすバルテルに、周囲は静まり返っていた。


「俺は――そんな若に俺は、代官に立ち向かえ、なんて言えねぇ……。だから何とか他の手はねぇか考えてみた。でも……俺の頭なんかじゃあ、なんも浮かばなかった……」


 彼は下唇を噛む。その顔は悔しさに大きく歪んだ。


「貴族の不正を平民がどうにかしようなんて、無理だよ……」


 サリタが諦めたように呟いた。

 この国には王国法というものがある。しかし現実は、平民なら平民間で、貴族なら貴族間で有効となる法律でしかなかった。


 貴族の権力というものはどうあっても無視ができない。貴族間で有効とは言ったが、しかし爵位に差がありすぎればそれも通らない。ファング魔窟(ダンジョン)でルフィナを襲ったアルバーノの一件がいい例だろう。

 平民が騒ぎ立てたところで子爵相手では、逆に捻り潰される未来しか待ち受けてはいなかった。


 自分達ではどうにもならない。しかしフリッツにも頼れない。

 重い空気が漂い始めた、そんな時だった。


「分かったわ」


 低い声を上げたルフィナに皆の視線が集まる。


「四年前の――私の事件を表沙汰にしましょう。貴族が貴族を襲った事に加えて、それを隠蔽してたんだから。そんな事実が明らかになれば、子爵位だろうと当主を引かざるを得ないでしょ」


 彼女の言う事は正しい。代官の指示で動いた部下が、貴族の娘に暴行を働こうとしたのだ。

 どういう指示がなされていたかは関係なく、現実に起こった事象のみが法に照らされることになる。


 ルフィナはハルツハイムを寄り親とする男爵家の者であって、この町の代官とは寄り親が異なる。

 ハルツハイム伯爵に直訴すれば握りつぶされる心配はなく、子爵の進退に影響するのは間違いなかった。


「ちょ、ちょっとルフィナ!?」

 

 しかし、別の問題もあった。


「そんなことをしたらアンタ、その――そういう目に遭ったって、公言するようなもんだよ!? 駄目だよ、そんなことしたらっ!」


 未遂とは言え、貴族の女性が乱暴されたなど、貴族社会ではとんでもない醜聞だ。だから普通なら未遂既遂に関わらず、裏で解決し、何も無かったと収めるのが通例だった。

 だが被害者側が声を上げるなどしたらどうか。どんな貴族も恐らく、未遂事件だった、とは思わないだろう。


 つまり自分が傷物であると公言するのに等しく、いかに見目麗しくとも、貴族を相手に結婚できなくなる可能性が非常に高かったのだ。


 結婚するとなれば当然相手は平民だ。つまりは貴族であるという権利を自分から捨てることを意味する。

 それを一番理解しているフリッツは、信じられない者を見るような目で彼女を見ていた。

 保護者であるサリタも、まだ未成年である彼女にそんな決断をさせるわけにはいかないと、慌ててルフィナの両肩を掴む。


「もう貴族の間じゃ知ってる奴も多い話じゃない。昔から言ってるでしょ? 構わないって」

「そういう意味じゃないっ! アンタ、分かってて言ってるでしょ!?」


 しかしルフィナは動じない。今更何だとでも言うように、鼻で笑う程だった。

 サリタは何とかルフィナを諭そうと声を荒げる。しかしこの調子では説得も難しいと、サリタは感じていた。

 内心舌打ちをしながら、彼女を良く知るサリタは諦めず口を開こうとする。


「駄目ですっ!!」


 だがそんな時、マリアネラの険しい声が周囲に轟いた。


「マ、マリー……?」

「それだけは、絶対に駄目です! 私も、サリタちゃんも、ルフィナちゃんには幸せになって欲しいんです! ずっとそのために頑張って来たんです! それなのに……っ。私は、反対ですっ!!」


 その大きな声に、ルフィナは驚きに目を丸くする。

 いつもはのんびりとした口調で喋るマリアネラ。それが一転、ゆっくりとしながらも強い語気で、はっきりと反対の声を上げたのだ。

 驚くのも無理はない。しかしルフィナが驚いたのには別の理由もあった。


 ルフィナにとってサリタとマリアネラは、苦しい時に自分を支えてくれた大切な友人だった。

 どちらもかけがえの無い女性である。とは言え、ルフィナが二人に抱く感情は少し異っているものだった。


 サリタという女性は、自分と同レベルで話ができる、悪友と言うポジションだと感じていた。

 しかしマリアネラに関しては違う。

 ルフィナは彼女の事を、いつも自分のことを心配し、時に支え、時に優しく諭してくれる、姉、もしくは母のような存在だと、深層心理で思っていたのだ。


 そんな女性が今、目に涙を湛え、自分の意見に必死に異を唱えている。

 零れ落ちそうな涙を目にして、ルフィナの心には罪悪感がとめどなく湧き出し始める。


「わ、分かったわよ。止めるから。泣かないでよ……」


 これには流石のルフィナも、折れるしかなかった。


「……何か納得いかない」


 サリタがぽつりと呟いた。

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