194.想定外の拒否
「そんなもん――」
「はぁっ!? こいつが第三師団長ですって!? バカ言ってんじゃないわよ!」
俺に向かい厳しい視線をぶつけるフリッツ。それに反論しようとした俺だったが、なぜかルフィナの奴が大声を出し、これを遮った。
「こいつのどこが師団長に見えるってのよ! 人相の悪いただのおっさんじゃない! アンタ、目が腐ってんの!?」
「い、いや、それは本当のことで――」
「目が悪くないってんなら、おかしいのは頭!? 全く男って奴は現実と夢の区別がつかないほど馬鹿なの!? こんな時にふざけた事言ってんじゃないわよ!」
フリッツが言い返そうとするも、ルフィナがそれを許さず、さらに噛み付いていく。
人相の悪いただのおっさんか。全く否定する気にならんわ。だってその通りなんだもの。
俺だって俺を連れて来られて、この人が師団長です! なんて言われても、鼻で笑い飛ばすと思う。同業者じゃねーかってな。
「ふざけた頭は貴様だ! このアバズレ女ぁッ!」
だがこれに隣のスティアが再び激高し、荒々しく立ち上がる。
「よく見ろ! この方のどこがただのおっさんだ! 目と頭が腐ってるのは貴様の方だ! 無駄乳ぶら下げて粋がるなバカ牛女ッ!」
「う、牛女ですってぇ!? 何よこんなもの! 欲しくてあるわけじゃないわよ! あげられるもんなら、アンタにあげるわよッ!」
「クソォォォッ! 貴様ァァァアッ! わたくしをバカにしてぇぇぇっ!」
こりゃ不味い。そう不安に感じたのも束の間、すぐに話が変な方向に逸れて行った。
皆が目を丸くして見ている間に、乳がどうのこうので白熱していく話題。
なんなんだこりゃあ。俺はこらえきれず噴き出してしまった。
「ブッ――ハーッハッハッハ!!」
「ちょ、ちょっとカーテニアさん! 笑ってないで何とかしてよ!」
「もう! ルフィナちゃんもウィンディアさんもぉ、こんな時にぃ! 止めて下さいよぉ!」
せっかくのでかい乳を、誰かにやりたい奴とかいるのか。初めて知ったわ。凄ぇどうでもいい情報だけど。
当事者だったはずの俺を脇に置いて、二人はどんどん加熱していく。
ぎゃあぎゃあと言い合う二人に、サリタとマリアネラも慌てに慌てた。
他の奴らもどうしていいのか分からず、困ったような顔で口を閉ざしている。その様子もなお笑いを誘い、俺は一人で爆笑していた。
「ちょっと貴方様! 貴方様からも、この腐れアマに何とか言ってやって下さいまし!」
「誰が腐れアマよっ! ていうか前々から思ってたけど、貴方様って何よ? こんなおっさんに様付けるなんて、失笑ものよ!」
「至高の存在に様をつけて何が悪いのですか! 大体貴方こそ何様ですの!? この方は国すら認めた第三師団長でもあるのですよ!?」
「だからそれ嘘でしょ!」
「嘘じゃありませんわ!」
「じゃあ証拠見せなさいよ! 証拠をっ!」
「うぐぐぐぐっ! あ、貴方様ぁーっ!」
子供の喧嘩か! 何やってんだ。
つーか、元々爆発した原因から話が逸れまくったからか、スティアの調子も元に戻ってるじゃねぇかよ。
「ぶはははは! 売った喧嘩で言い負かされてんじゃねぇよバカ!」
「で、でもぉ!」
「俺がどこのどいつか何て、今はどーでもいいんだよ! 置いとけそんなもん!」
泣きながら抱き着いてきたスティアを力づくで引きはがす。
「じゃあお前らに聞くがよ。この騒動をどうやって治めればいいか、他に考えはあるのかよ? 俺は自分の考えを押し通すつもりはさらさらねぇ。簡単で済むならそっちの方が楽だしな。スラムを鎮圧しようと襲って来る連中を叩きのめす以外に、何か案があるんなら教えてくれや」
妙案があるなら期待しよう。そう言って皆を見る。しかし他に何もないらしく、皆は俺と視線を合わせない。
「確かに案はない……。でも貴方の言う案だって、成功する可能性も無いだろう」
しかしフリッツだけはこちらを見た。
「ここにいる者だけで傭兵団に敵うはずがない。失敗が見えている案なんて、案とは言えないだろう。やるだけ無駄だ」
そりゃごもっとも。実力が足りなきゃ、俺達も鎮圧されるだけだからな。
だが、大前提がそもそも間違ってる。俺は実現可能な内容を案として挙げたに過ぎない。
不可能だってんなら、そもそも案として出してねぇんだよ。
俺は懐から冒険者証を出してテーブルの上に置く。皆の視線がそれに集中した。
「……それは?」
「俺達のパーティランクがBであることを示す冒険者証だ。んで、これは近いうちにAかSになる予定だ」
「えっ!? う、嘘っ!」
フリッツの疑問に声を返せば、思わぬところから声が上がった。
俺は立ち上がったサリタに目を向ける。
「嘘じゃねぇよ。ギルドに行って聞けば、それが事実だって分かるだろうよ」
「本当の話っ!? ……ね、ねぇ。ランクAとかSって、確か栄誉称号だったよね?」
「個人のランクだとそうだけどぉ、パーティランクはぁ、ちょっと違ったんじゃなかったかなぁ」
サリタとマリアネラは内緒話でもするかのようにこそこそと小声で話している。
が、皆黙っているため丸聞こえだ。小声で話す意味が無い。
「パーティランクはぁ、ギルドの評価だけがぁ影響してたはずだよぉ。だからぁ、ランクAとかぁ、ランクSの依頼を達成できる実力がないとぉ、そのランクにはならないはずだけどぉ」
「じゃあ実力がAかSじゃなきゃ、そもそもパーティもそうならないってことか。……でも、ドッグタグは銅なんだよねぇ」
「うん……」
二人はちらと俺達のドッグタグを見る。俺はそれに肩をすくめて返した。
「昇格試験だの条件だの、面倒臭ぇんだよ。一々やってられっか。時間の無駄だ」
「……そんなことってある?」
「普通はぁ、無いと思うけどぉ……」
「その点に関しては、わたくしも考え直して頂きたいのですが……」
悩ましい顔でスティアも口を挟んでくる。だが何度も言ってるが、俺がそれを考え直すことは無いぞ。
はぁとため息をつくスティア。俺達がそんな話をしている脇で、フリッツとバルテルもこそこそと話をしているようだった。
俺は何食わぬ顔で聞き耳を立てる。
「バルテル。ランクAやSっていうのは、一体どの程度の実力なんだい?」
「若。そのランクだと、もう人間止めてるレベルだぜ。同じ人間だって思わねぇ方がいい」
「そ、そんなに?」
「”グレッシェルの牙”の総戦力集めたって、ランクSの魔物なんて倒せねぇよ。皆死んじまう。倒せて精々ランクBだろうな。それでも相打ち上等くらいなもんだろうぜ。ま、それと同レベルの人間ってことだ。もうバケモンよ、バケモン」
流石にランク上位の効果はあったようだ。内心ほくそ笑んでいたところ、部屋のドアが開く。
入ってきたのは婆さんだ。その手にはトレイを持っている。どうやら茶を持ってきたようだ。
「さて。これで俺の言うことが無駄じゃないって分かったな。異論はあるか?」
婆さんからカップを受け取りながら、ぐるりと皆の顔を見回す。今度は口を開く者はいなかった。
「まあ迎え撃つ準備なんてしてる暇もないからな。真っ向勝負になるが、何とかなるだろ。だが一つ問題がある」
「何よ、問題って」
「そりゃお前、子爵の息がかかった傭兵や、伯爵直下の騎士団をぶっ飛ばすってんだ。理由はどうあれ普通、お縄になるだろうが」
ルフィナの質問を鼻で笑い飛ばす。
これからやろうってことは、平民が貴族に反旗を翻すに等しい。そんなことをやったら当然、めでたく揃って犯罪者の仲間入りだ。
俺は慣れっこだが、こいつらはそうはいかないだろう。
思った通り、皆は一様に顔を引きつらせた。
「おめぇ、何か考えとかねぇのかよ」
バルテルが神妙な声をあげる。
「もちろん――」
「やっぱ、ねぇのか……」
「ある」
「あるのかよ!? さっさと言えよ、それを!」
これから言おうとしてた所だったんだよ。落ち着け。
俺はバルテルを手で制すと、その対策の要になる人間に目を向けた。
「まずアンタだ。騎士さんよ」
「え……」
自分だと思わなかったんだろう。彼女は途端に目を見開いた。
「襲ってきた連中は、問答無用でぶちのめすつもりだ。殺しにかかってくる奴らは当然、こっちも殺るつもりで迎えうつ」
ごくりと、誰かの喉が動く音が聞こえた。
「ただ、そんなのは傭兵の連中だけだろう。騎士は流石に殺すつもりではこないはずだ。だから、そこを突く。騎士連中を説得して、無力化するのがアンタの役割だ。味方にできれば一番良いけどな」
「味方に……。ですが、それは――」
「人質がいるから無理だってんだろ。でも皆が皆、人質を取られてるわけでもねぇはずだ。アンタに賛同してる若手もいるんだろ? やってみなきゃ分からねぇよ。ま、味方にならなくても無力化さえできりゃいい。できるか?」
「……分かり、ました。私にできる事なら、やってみます。いえ。やらせて下さい」
フェリシアは強い決意を目に滲ませて、ゆっくりと首を縦に振った。
それを見た後に、俺はもう一人へと視線を移した。
「だが正直、アンタだけじゃ難しいだろう。そこでもう一人だ。なぁフリッツ様よ」
彼は名前を呼ばれたことに、驚いたように顔を上げる。
皆の視線が一気に彼へ集中した。
「この騒動は代官を何とかしなきゃまた起きる。原因の大元が代官なんだからな。こいつを引きずり降ろさなきゃ終わらねぇ」
「ち、父上を……? でも、そんなこと、できるはずが――」
「できないなんて事はねぇ。アイツには不正が山ほどあるんだ。今回の事も含めてな。それを理由にアンタが旗頭になって、代官を捕縛するために立つ。そうすれば付いてくる騎士も出てくるはずだ。アンタは代官の息子なんだからな。大義名分もある」
実のところ、俺が王家に直接情報を渡すと言う手もあるにはあった。
だがそうなると、王家は当然その情報が正しいかどうか、一から調査を始める事になるだろう。
そんなことをチマチマしている間に、証拠を隠滅されても面白くない。ここで勢いに乗って代官までやっつけてしまうのが、一番面倒臭くなく、かつ確実な方法だと思っている。
「何、アンタが矢面に立って戦う必要はねぇ。美味しい所だけ、ちょろっと口を出す程度だ。そんくらいだったら病み上がりでもできるだろ? さっきまでの勢いでよ」
皆は黙ってフリッツの顔を見ている。
今まで俺の事をあれやこれや言ってくれた男だ。少しの挑発交じりに促せば、きっと首を縦に振るだろう。
何より後ろから口を出すだけなのだ。こんなに楽な仕事はない。
俺はこの男が断る事は無いと、深く考えてはいなかった。
「……無理だよ」
だが、フリッツの口から出てきた言葉は。
「僕には、無理だ……」
彼は弱々しい声で、俺の想像を否定してしまったのだ。