193.揃った役者
「第一声がそれとはご挨拶だな。お前を助けるために、力を貸してやったってぇのによ」
「……それについては感謝するよ。でも、聞こえてくる噂が噂だ。正直、ただの親切心で助けてもらったとは僕には思えない。どうせ裏があるんだろう? 碌でもない話なら、悪いけど他を当たってくれ」
フリッツの視線は、救われたにしてはあまりにも鋭い。
急に漂い始めた不穏な空気。そこにいる誰もが、俺とフリッツの間で視線を行き来させている。
突然の事に理由も分からず、困惑から皆黙り込んでいた。
「貴様ッ! その態度は何だッ!」
だがそんな中、スティアだけが動いた。
彼女はバンと両手でテーブルを叩いて立ち上がり、フリッツに指を向ける。
「貴様を助けるために、エイク様がどれだけ無理をしたか、貴様に分かるかっ! これ以上この方を愚弄するなら、呪いの代わりに私が貴様を葬ってくれるぞ!」
彼女はそう言って腰の短剣に手を伸ばし、本当に鞘から引き抜いてしまった。
スティアの激しい剣幕に、フリッツだけでなく、他の皆もぎょっと目を剥いた。
体を強張らせる面々。そんな中、婆さんだけがさっと動き、フリッツをかばうように両手を広げた。
「ちょっとお待ち! 何が何だか分からないけど、刃物沙汰はよしとくれ! ほら、アンタもぼーっとしてないで、その嬢ちゃんを早く止めとくれ!」
切羽詰まった声を上げる婆さん。仕方がない。今回は俺がスティアを止めよう。
「どけババア! 今すぐ私がその男に――」
「お前、ちょっとこっちに来い」
「引導を渡して……え?」
彼女が短剣を握る右手をパッと抑えつつ、腰を引いて俺の膝の上に座らせた。
ポスンと座ったスティアは呆けた様な声をあげる。かと思えば、途端に伸びていた背筋がふにゃふにゃと丸まっていった。
「デュ、デュヘヘヘッ! あ、貴方様ぁ……!」
「変な声出すんじゃねぇ! 頭が冷えたんならもう、そっちに座ってろ!」
「あうっ!」
元に戻ったらしく、スティアが妙な声を上げ始める。俺はそんな彼女の背中をどんと押して、元の場所に座らせた。
人の目があるとこで、こんな小っ恥ずかしい事いつまでもしてられっか。お前もそんな名残惜しそうな目を向けるんじゃあない。
「な、何だったの? 今の。色々と情報量が多すぎて、何から反応していいか分からないんだけど」
「うーん……。何だかぁ、わけありみたいでしたけどぉ」
サリタと、うとうとしているホシを後ろから抱いているマリアネラが、顔を寄せてぼそぼそと話している。不安気だが、しかしどこか興味のありそうな、そんな声だ。
あんな殺傷沙汰寸前だったのに、若い女とは酔狂なものだ。呆れながら見ていると、三人娘の中から一人が、つかつかとフリッツに向かって行った。
「ちょっとアンタ!」
ルフィナは彼の目の前で仁王立ちし、その鼻先にピッと指を向ける。
「皆がアンタを助けるために、大変な思いをしたのよ! なのに何なのあの態度! あのおっさんの事なんて知ったこっちゃないけど、でもウィンディアさんの言う事が正しいわよ! 謝りなさい!」
声を張り上げるルフィナ。さりげなく俺に対して下げ発言をしているが、まあ、それはいいか。いつもの事だ、もう慣れた。
それはそれとして。
一応、目の前の相手は子爵の息子だぞ。権力としてはルフィナより上だ。そんな態度でいいのか気になるところだ。
貴族同士の諍いに、フェリシアも立ち上がりはしたものの、どうしたら良いか一人あたふたしている。
「謝れとはまた随分だね。君はあの男がどういう人間か、知っているのかい?」
「知らないわよ! 知らないけど、でも助けてもらったのは確かでしょ! なのに何? どうせ裏があるんだろうとか言って! ただの善意だったらどうすんのよ!? 私達に喧嘩売ってんの!?」
「い、いや。君達に喧嘩を売っているつもりはなかったけど」
だがそんな俺の心配は無用だったらしい。フリッツは気にした様子もなくルフィナと言葉を交わしていた。
あまり立場をひけらかす貴族ではない様子。なら説得さえ叶えば、こちらに引き入れることも十分可能だろう。
しかし喧嘩売ってんの? は凄ぇな。こいつ本当に令嬢か? 気が強すぎる。
もしかして元山賊だったりしない?
「君は?」
フリッツも同じことを思ったのか、ルフィナに不思議そうな目を向ける。
「私はルフィナ・ライナルディ! ルーデイル代官の娘よ!」
「そうか……。君が、あの」
「え?」
そして、何やら意味深な言葉を吐いた。
ルフィナも怒気を沈め、彼を見つめる。しかしそれ以上フリッツは言葉を続けるつもりはないらしく、顔を伏せ、軽く横に振った。
「君達を侮辱するつもりは無かったんだ。すまない。確かに、礼がまだだったね」
彼はそう言って顔を上げる。
「もう知っていると思うけど。僕はフリッツ・グレッシェル。この町の代官、グレッシェル子爵の……息子だ。君達のおかげで命を拾うことができたことを、本当に感謝しているよ。ありがとう」
先ほどまでの険のあったものから一転。
彼は柔らかい口調で、皆に目を向けた。
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「時間もない。それじゃ早速本題に入るか」
先ほどの険悪な空気が有耶無耶になったところで、俺はそう切り出した。
皆の顔が一斉に向く。一対の目が嫌疑の色に染まったが、特に気にせず、俺は皆の顔をぐるりと見回した。
「代官がスラムを潰すって話だが、どうも明日の早朝になるらしい。ほら、面子もそろったんだ。お前ら、適当に席につけ」
「な――何だって!? そんな話を信じられるものか!」
思わずと言った様子でフリッツが立ち上がる。そりゃ親がスラムを潰すなんて聞いたら、まともな奴はそういう反応をするだろう。
彼は信じられないと声を大にする。だがそんなもん、信じたくもないのはこっちも同じなんだよ。
俺から言っても駄目だろう。そう思い、俺は視線をバルテルに送った。
「若、こいつの言ってるこたぁ本当だ。俺も耳を疑ったんだが、団長が実際に代官から命令されたみてぇなんだ」
フリッツは驚愕の目をバルテルに向ける。
「俺とヘルマンはスラムに逃がしたアンタを探して助けるように、団長から言われて動いてたんだわ。いや、探そうとした瞬間無理やり連れてこられたっつー方が正しいんだがな……。今ヘルマンだけ団に戻らせて、状況を確認させてる。このおっさんが変な魔法を使えるってんで、あいつが聞いたことはこっちにも伝わんだ」
「そ、そんな……。流石に父上でも、そんな真似……する、はず、が……」
バルテルに説明を受け、流石に信じざるを得なかった様子だ。フリッツの否定する声が徐々に勢いを失っていく。最後には、彼は脱力したように、ぽすんとソファに腰を下ろした。
他の面々はそんな彼をチラチラと見つつ、椅子を引いてテーブルに座り始める。
「あたし、寝ててもいい~?」
まだ眠いらしく、目をこすりながらホシが言う。コイツの直感は頼れる時も多いが、基本お子様なため、おねむの場合はいても役に立たない。
俺が手だけを振って返すと、
「それじゃアタシが連れて行ってやるよ。ほらこっちにおいで」
そう言って、婆さんがホシの手を引いて部屋を出て行った。
この光景だけ見りゃ平和なもんなんだがなぁ、全く。
「で、どうするのよ。何か考えがあるの?」
まず最初に口を開いたのはルフィナだ。話を振られた俺に皆の視線が集まる。
今テーブルについているのは、俺とスティア、フェリシア、バルテル。そして三人娘の七人だ。
部屋にはバドの姿もあるが、しかし体がでかすぎて座る場所が無い。
俺がクッションを取り出してひょいと投げると、バドは受け取って、それを敷いて地べたに座った。
なおバドは今私服姿だ。だからダークエルフであることを全く隠していない。
とは言え皆はもう見知っているため、特に何の反応も無しだ。
最初は皆、服がぱっつんぱつんのマッチョダークエルフに驚いていたが、流石にもう慣れたらしい。
ああ、いや、フェリシアだけは未だに緊張しているみたいだな。チラチラとバドを見ながら、頬を少し赤く染めている。
……ってこれは緊張の意味が違うようだな。まあいい。放っておこう。
「それを今相談しようってんだ。やっと役者が揃ったんだからよ」
「役者ねぇ……。役に立つのかしら」
歯に衣着せぬルフィナの物言いに、フェリシアが悔しそうな顔を見せる。
この町の騎士が期待できなさそうだと言う話は聞いているが、しかしそう虐めてやるな。それが事実だったとしても、わざわざ気落ちさせる必要はないだろが。
「今何とかしなきゃならんのは、スラムを潰しに来る馬鹿共をどうするかってことだ。迎え撃つか、逃げるか。二つに一つだ」
俺は皆に、指を二本立てて見せる。
「逃げるってぇ……! じゃあ、このスラムの人達はどうするんですかぁ!?」
「ただ逃げるってわけじゃない。当然スラムにいる奴らにも事情を話すさ。逃げたい奴は逃がす。とは言え確実に暴動が起きるだろうけどな。で、代官の思惑通り、殆どの奴が鎮圧されて終わりだ」
「そ、そんなぁ!」
意外にも真っ先に口を開いたのはマリアネラだった。
スラムに住んでいるような連中は、放逐されれば生きて行く当ての無い奴ばかりだ。自分の居場所を守るために、必死に抵抗するだろう。
そうなれば最後、この場所は多くの人間達の墓場に変わる。言っておいて何だが、流石にそれを見過ごすと言うのは、俺の中では無い選択肢だった。
「まあ待てって。俺が言いたいのは、このスラムを助けたいなら、襲ってくる奴らを撃退する以外に無いってことだ。アンタはどう思う? 騎士さんよ」
切羽詰まった声をあげるマリアネラを両手で制しつつ、目だけを動かして騎士を見る。
「……私もそう思います。あと、私はフェリシアです」
すると思った通り、彼女は低い声で肯定を返した。
こいつとしては悔しい所だろうな。その暴漢共の中に騎士もいるってんだから。
苦々しい表情を浮かべる騎士を見ていると、次にルフィナが口を開いた。
「ねぇ。傭兵達が言ってたけど、その襲ってくる奴らって、傭兵だけじゃなくて騎士もいるんでしょ? なら騎士だけでもフェリシアに説得させればいいんじゃないの? そうすればこっちのもんでしょ。騎士がごろつき傭兵に負けるわけないし」
「あ、それ良い考え! ルフィナ、アンタたまには良い事言うじゃん!」
「サリタ! アンタ、たまには余計よ!」
ルフィナがバルテルを横目で見つつ、どうだと自信満々に言う。まあ案としては平凡だが、悪い手ではないと思う。
問題は、今の状況では不可能だという点だ。俯き加減でいるフェリシアの表情が、それを如実に物語っていた。
「そりゃ無理だぜ嬢ちゃん達」
明るい声を出し始めた二人に、バルテルが割って入る。
「今まで何で騎士達が代官に反抗してこなかったか忘れたか? あいつらには、そうできねぇ理由があんだ。そこを何とかしなきゃ、協力なんてして貰いようがねぇぜ」
そう。問題はそこだ。
騎士の中には、代官に人質を取られている者達がいる。動くに動けない理由があるのだ。
バルテルに指摘され黙った二人。すると、フェリシアが勢いよく顔を上げる。
「人質を解放すれば、絶対に騎士団は動きます! 皆、こんなことを喜んでするはずが! 望んでするはずが無いのです! それさえできればっ!」
そりゃそうだ。スラムを喜んで潰す騎士がどこにいる。そんなもん騎士じゃなくただの快楽殺人者だ。
とは言え彼女の希望を叶えてやることはできない。呆れ声を出したのはスティアだった。
「人質の解放なんてやっている時間はありませんわ。スラムを守りたいのなら、傭兵だろうと騎士だろうと、とりあえず皆倒せばいいのですわ」
「ウ、ウィンディアさんって、意外と好戦的なんだね……」
「そりゃ俺達を問答無用でボコって連れて来たくらいだからなぁ……」
この言い分にはサリタとバルテルも呆然とする。とは言えスティアの言うことは全くもって正しかった。
今はあれこれ策を弄している時間が無い。ある程度力技になるのは避けられなかった。
「俺もその案に賛成だ。襲って来た奴らはもれなく倒す。スラム鎮圧に対してはそんなもんだろうな」
「ねぇ……。ウィンディアさんもカーテニアさんもそう言うけどさ。そんな簡単にいかないんじゃないの? 相手もどれだけ来るのか分からないし。そもそも騎士になんか勝てなくない?」
「で、ですよねぇ? 私も、そんな簡単にいくのかなぁって、そう思ってましたぁ」
ただこれには疑問の声も上がる。サリタやマリアネラが不思議そうに言えば、それに続いて皆も疑問を口にしだした。
そしてその中には、今まで口をつぐんでいたこの男も含まれていた。
「貴方達にできるのか? 戦時でも遊び惚けていた貴方達が。とてもじゃないが、僕にはそうは思えない」
今まで黙っていたからだろう。皆が一斉にフリッツの方へ顔を向けた。
しかし彼はこちらに一瞬横目を向けただけで、すぐに下を向いて黙り込んでしまう。その様子はどこか、いじけているようにも見えた。
「ちょっとアンタ。さっきから何なの? というか、コイツの事知ってるみたいだけど。何? アンタ達、因縁でもあるの?」
ジロリと彼をにらみながら、ルフィナがいら立たしそうな声を上げる。
因縁なんてもんは当然無い。俺とこいつとは初対面だ。
しかし面識が無かろうと、軍に属していたと言うのなら、知っていることはあるはずだった。
「因縁なんてものは無いよ。ただ、軍にいた人間なら誰もが知っている話さ。そうだろう? バルテル。第三師団長がどういう人物か、君も当然知ってるよね?」
「第三師団長だ? あの、盗賊上がりの陸でなしだとか言う? それがどうし――っておい若。まさか」
「そうだよ」
フリッツは顔を上げる。彼の視線は再び鋭さを帯び、俺を捉えていた。
「貴方は僕の事なんて知らないだろうけど。でも、僕は貴方を見た事があるんだ。王都でね。それに噂も嫌と言うほど聞いたよ。だから貴方がどういう人間か、よく知ってるんだ。第三師団長のエイク殿」
どうだとでも言うように、彼は語気を強めてそう言った。