192.解けたもの、解けぬもの
翌朝。どピンクのローブを着たスティアに例の女騎士はまんまと釣られ、婆さんの家までのこのことやってきた。
婆さんの家に入った後、傭兵団の二人の姿を見た彼女はこちらの弁明など耳に入らない様子で、「傭兵団の罠か!」とか、「これ以上愚弄されてたまるものかぁっ!」とか喚き散らして剣を抜いてきた。
勘違いも甚だしいとはこの事だ。どういう思考してんだと呆れたが、とにかく暴れられてはたまらない。
なので一旦物理でお話――つまり力づくで取り押さえたわけだ――することにして、今は後ろ手に縛った状態で、地下の大部屋で床に転がし放置をしていた。
「くっ――こんな真似をして、ただで済むと思っているのですか!?」
そんな状態の女騎士は、当然だが、怒気を露にして俺達を睨み付けていた。
これでは誤解も解けないだろう。何らかの手を打ち、騎士の信頼を得る必要がある。でなければここまで連れて来た意味が無い。
手としてはいくつか考えられる。
ここにはとても悪人には見えなさそうな連中がいる。そんな彼女らに説得を任せれば、多少なりとも敵対心を静める効果があるだろう。
俺には相手と自分の感情を共有する、≪感覚共有≫という魔法がある。そんな搦め手を使って、騎士の昂ぶりを無理やり落ち着かせるという手も考えられる。
そんな手の内から、では俺達が何を選択したのか、と言うと。
正解は、何もしていない、だった。
今俺達は特に何もせず、黙って椅子に座っている。今回に限っては、回りくどい事をする必要が全くなかったからだ。
皆で地下の大部屋に集まり、時が来るのを待っている。この、俺達を睨み付けてくる騎士を、説得しうる状況が整う時を。
それは同時に俺達――特に婆さんが待ち望んでいた報せでもあった。
女騎士は依然として、ブツブツといら立たしそうな声を上げ続けている。だがそれ以外、俺達四人も、三人娘も、一人として口を開かなかった。
皆何をするでもなく、ただじっとその場で静かに待っている。あのホシでさえも、俺の隣で足をぶらぶらさせながら、椅子に黙って腰かけていた。
そんな空気を不思議に思ってか、騎士の感情も徐々にだが静まっていく。代わりに疑義の念が胸に生まれ始めたが、大人しくなったなら今は何でも良かった。
「まだ、ですかねぇ……」
マリアネラがぽつりと呟く。
「大丈夫だって、マリー」
「今は黙って待ちましょう」
「はい……」
サリタとルフィナの言葉に、マリアネラはこくりと頷く。それ以降口を開く者はなく、すぐに部屋には沈黙が降り、重たい雰囲気が充満した。
「貴方様」
後どのくらいだろうか。重苦しい空気にあごを撫でていると、正面に座るスティアが不意に、顔をあげて俺を呼んだ。
「来たか?」
「はい」
言葉少なに視線を交わし合う。静まり返った部屋に響いた短い会話に、皆の視線が俺達に集中した。
皆が一斉に立ち上がる。それと同時にバタバタという足音が部屋の外から聞こえ、ドアの向こうから男が一人、転がるように飛び込んできた。
「終わったぞ! 助かった! やった! やったぞーっ!」
その男、傭兵団のバルテルは、大声を張り上げると両拳を天に掲げた。
その声を皮切りに、部屋はわっと歓喜の声で満たされる。俺も、ニーッと歯を見せたホシの頭を、ぐりぐりと撫でくりまわしてやった。
やれやれ、骨を折ったかいがあったか。
「バルテル、代官の息子の様子はどうだ?」
「回復したばっかで衰弱してるが、意識は戻った! 今爺さん達が呪いで受けた傷を回復してる! 三、四時間もすれば立って会話できるくらいにはなるらしいぜ! ま、しばらく安静だがな! 全く、やってくれやがったぜアイツら!」
興奮気味にまくしたてるバルテル。彼は右拳を左手に叩きつけ破顔した。
そんな彼に頷いて返してから、俺はチラリと転がされている騎士の表情を盗み見た。
「代官様の、息子……? そんな……まさか、フリッツ様? 確かに、帰還されてから姿をお見掛けしていなかったけれど……」
呆然とした様子でぽそぽそと女騎士は呟いている。感情に注意を向ければ、彼女の猜疑心に隙が生まれ始めていた。今が好機だろう。
「なぁアンタ。そろそろこっちの話を聞く気になったか?」
俺は女騎士に向かって声を投げる。返された視線は敵意を感じさせるものだったが、しかしそこに僅かな興味が滲んでいる事を、俺は見逃さなかった。
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代官の息子が顔を見せるまでの時間。その間に、俺達は話を聞く姿勢を見せた女騎士と、お互いの立場や問題について会話をすることに成功していた。
「そんな……フリッツ様の身にそんなことが起きていたなんて……」
悪人には見えなさそうな連中――ホシやマリアネラ、サリタの三人だ――の説得もあって、こちらを信じる気になった女騎士、フェリシア。
彼女はこちらの事情を聞いて、驚愕に目を見開いていた。
なお、せっせと食事を運ぶバドに甘え、今は昼食を取りながら話をしている。騎士も食卓を囲むとは思っていなかったらしく、気の抜けたような顔をしていた。
バド自身には客をもてなそうという気持ちしかないんだろう。だが騎士の口を軽くしようという今の状況的には、あまりにも効果が抜群だった。
「代官様は確かに、何を考えているのか分からないお方です。私達騎士も、随分冷遇されていますし。でも傭兵団の者は皆、代官様の傀儡だと思っていたのですが……」
彼女は思案顔をしてスプーンを持つ手を下げる。
ずいぶん口に合ったらしく、スープのお代わり二杯目だ。
「悪いがそいつは合ってるぜ。傭兵団で代官に口出しできる奴はいねぇ。俺達だって、団長の頼みをちょちょっと聞いて、少し動いてるだけだからな」
「しかし……代官様が手を下したフリッツ様を、貴方達は助けようとしているのでしょう? これは明らかな謀反ですよ。露見すればどうなるか……」
つい先ほどまで噛み付かんばかりの態度だったフェリシア。だが今はフリッツ様とやらの話を、真面目くさった表情でバルテルと続けている。
「若は俺達に取っちゃ戦友だ。危険な橋なのは確かだけどよ、見捨てるって選択肢はまぁ、ねぇよ」
「戦友、とは?」
「俺達ゃついこの間まで、魔族との戦争に参加してたからな。子爵の名代だっつって。初めは若一人で行けって言われてたんだが、流石に見てらんなくてな。俺とヘルマンだけだが、付いて行ったのさ」
「何と!? そうだったのですか!?」
俺の真向かいに座り会話を続ける二人。それを俺と、隣のスティアは黙って聞いていた。
なお三人娘はソファに並んで就寝中だ。息子が助かったと聞いて、張っていた気が緩んだんだろう。昨日もあまり眠れていない様子だったしな。
ホシもマリアネラの膝の上で熟睡している。随分と懐いている様子だ。
もう一時間以上ああしているが、起こす理由も無し、今はそっとしておいてやろう。
「全く、全員無事に帰って来れたって喜んだ矢先にこれじゃあな。若だって、死んでも死にきれねぇだろうよ」
「お労しいことです……。くっ」
初めて聞く情報がボロボロ落ちてくる。だが、まさかこいつらが王子軍に加わっていたとは知らなかった。
俺の顔を知らないようだから、きっと第一師団に所属していたんだろう。
しかし名代として参加するって言うなら、ある程度の戦力を伴うはずが、それが本人含めて三人とは。
これは実質死にに行けと言うのと変わりがない。代官が息子をどう扱ってきたのか、聞いただけで分かってしまう話だった。
「あんな子供を一人で戦争に行かせようなんてな。胸糞悪い話だ」
嫌な話につい口を挟むと、二人の目が同時にこちらを向く。だがどうしてか、二人の顔には不思議に思う感情がはっきりと浮かんでいた。
「子供? 何言ってんだお前ぇ」
「は? いや、あの顔はどう見ても子供だったろうが」
「顔……? 確かに若は童顔だけどなぁ――」
「フリッツ様は今年で二十五になられます。立派な成人男性ですよ」
バルテルの言葉にフェリシアも続く。一瞬、思考が止まってしまった。
「貴方様。確かにわたくしが聞いた話でも、あの方はすでに成人しているらしいですわ。もしかしたら呪いのせいで、子供に見えたのではありませんか? 顔なんて膨張していてよく分かりませんでしたから」
混乱する俺に、スティアも二人の言葉が正しいと言う。
少年じゃなく、青年だった?
俺は自分が見た、伏せた男の顔を思い出そうとする。しかしそれと同時に部屋のドアが開き、思考がぱっと離散した。
「ちょっとアンタ達、この子を座らせるから場所を開けな」
入ってきたのは婆さんだ。後ろにはバドと、彼に抱えられるようにして立つ男の姿もあった。
婆さんはずかずかと入ってくると、眠っている三人娘+αをソファから追いやり始めた。
彼女達は寝ぼけ眼をこすりながらも大人しく場所を譲る。そして空いたその場所に、その男は疲れた様子でドカリと腰かけた。
「わ、若。大丈夫かよ?」
バルテルが席を立ち、男に近寄る。男は顔をあげないものの、無言で小さく頷いていた。
(こいつが子爵の息子か。確かに、子供には見えないな)
その男はフェリシアが言った通り、二十代の若者に見えた。
少しウェーブのかかったプラチナブロンドを、邪魔にならない程度の長さに整えた細身の青年。
バルテルが言うように、確かに幼く見える顔立ちだ。だが、流石に子供には見えない。呪いがかかった時の顔と比べれば、全くの別人だった。
彼は重く、そして深く長い息を吐いて顔を上げる。そしてこの場所に誰がいるのか確かめるように、俺達の顔を順繰りに見始めた。
一人一人に視線を巡らせる青年。その表情には強い疲労がありありと浮かんでいる。
あんな呪いをかけられていたのだ、体に相当の負担がかかったのだろう。
そう思う俺に、彼は最後に目を向ける。そして目を大きく見開き、感情を露にした。
どうやらこいつは知っているらしい。
察した俺は、こちらから口を開くことにした。
「調子はどうだ? 随分疲れてるみたいだが」
声をかけると、男の顔から驚愕の色が徐々に薄れていく。
「死の縁から帰ってきたと思えば、こんなところで貴方の顔を見る事になるなんて……。一体何を企んでいるのか分からないけど、でも、僕に関わっても得なんて何一つ無いと思うよ」
代わりに現れたのは、強過ぎる程の警戒の表情だった。