21.湖の魔物
今日の晩御飯はパン粥だった。恐らくガザが食べやすいようにとバドが気を利かせてくれたのだろう。できる男は流石に違う。
狩ったばかりのフォレストウルフの肉や根菜を細かく刻み多めに入れて、トロトロになるまで良く煮込んである。
野菜の甘さと肉の旨みが引き立つ少しとろみのあるスープがパンによく染みて、非常に美味い。
「美味い……っ! 美味い……っ!」
「野菜なんて食べてもいいのかしら……っ!」
「美味いぞぉぉぉーっ!!」
そのせいか知らないが、陰鬱な洞穴の中だと言うのに随分とにぎやかな食事になっている。にぎやかというか、洞穴の中で反響して非常にうるさい。
ホシも首をすぼめて両方の耳を手でふさいでいるくらいだ。
「おい貴様ら! 静かに食べられないのか!? 怪我人が寝ているんだぞ!」
言わんこっちゃない。早速スティアに怒られ、三人はしょんぼりと耳と尻尾を垂らしていた。
しかし口調は厳しいままだが、あれだけ嫌そうに助けたガザに気を使うところはまあ、スティアらしいと言えばらしい。
そう思って見ているとスティアと目が合う。だが慌ててぷいと目を逸らされてしまい、吹き出してしまった。全く取り繕えてねぇぞ、すーちゃんよ。
今は賑やかし要員のホシも騒いでおらず大人しい。珍しいその様子に、やっぱり魔族が気に入らないんだろうな、と俺は思っていた。
だが今のスティアの台詞で気づいたが、もしかしたらホシなりに気を使っていたのかもしれないな。
そう思うと何だか、俺だけ気を使っていないような気がする。彼らに関わると言い出したのは俺なんだし、言い出しっぺなのだから、もう少し気をつけることにしよう。
俺はスプーンを静かに口に運びながら、魔族達へと目を向けた。
夕食を食べ始める前のこと。ただ黙っているのもどうかと思い軽く話を振ったところ、三人から一通り自己紹介があった。
俺と最初に話をした、剣を使っていた奴がオーリ。スティアに捕まっていた奴がコルツ。そして禿げた奴がデュポという名だとのことだ。
彼らはいずれもガザ率いる第四中隊所属の兵で、ロナを守りながら退避しているところを途中でガザと合流し、この森まで逃げてきたらしい。
今までフォレストウルフやビッグホーンなどを狩ったり、森の果実を食べながらなんとかしのいできたが、当然穀物や野菜を手に入れる方法が全く無いわけだ。
パン粥に大喜びするのも当然だった。
「ロナちゃん、おいしいね……!」
「う……ぐすっ、はい!」
そして驚いたことに、ロナはガザの義妹なのだとのこと。
ロナ、メスだったの!? というか、狼と狸が結婚したの!? 二つの意味でびっくりだ。魔族は神秘の塊そのものだな。
いや、もしかしたら俺達が知る常識というのは世界にとってはちっぽけなもので、世の中の大半は驚きでできているのかもしれない。
なんて柄にもなく哲学的になってしまうほどに驚いてしまった。哲学的すぎて、自分でも何言ってるかよく分からんくらいだ。
さらにロナだけでなく、今ロナに声をかけたコルツもメス――いや、女とのことだ。だがそう思ってよく見ても、俺には見た目じゃ性別の判断が全くつかなかった。
人族なら、顔立ちや、髪型に声色、体型などが性別を判断する主な要素だと思う。だが狸頭のロナはともかく、彼らの顔は皆狼で差異が分からんし、俺達のような頭髪っぽいものはあるが、皆ボサボサのぼうぼうだしで、まあ分からん。
声色は、コルツがちょっと高めか? と、そんな程度で、完全に見分けるのは俺にはまだ難しいようである。
まあ下手なことを言う前に分かって良かったと言うべきか。とりあえずホシに引きずられて禿げたのがコルツじゃなくて良かった。
一方ガザはどうしているのかと言うと。彼はロナにパン粥を一口二口食べさせてもらうと、すぐに眠り始めていた。
あの様子では血も体力も不足していることだろう。
大地の穢れに冒されているなら、これからどうなるか分からないし、眠れるときは眠らせておいたほうがいい。スティアが怒るのも無理はないのだ。
スティアに一喝されたことで騒いでいた連中が落ち着くと、焚火がパチ、パチと爆ぜる音が洞穴に響くようになり、閑寂な空気が生まれる。
炎が赤々と照らし出す彼らの様子は、スティアに怒られて落胆しているからか必要以上にみすぼらしく見えた。
ところどころ穴が開いている、綺麗なところを探すのが困難なほどボロボロの衣服に、あちこち壊れてまるで手入れなどされていない革鎧。そして獣のようなフサフサの体毛で最初気付かなかったが、体はまるで骨が皮を着ているようにやせ細っていた。
スティアがまるで手ごたえが無いと言っていたが、この様子ではそれも頷ける。
こんな衛生上も栄養上も悪い状態では、いつ誰がどうなってもおかしくは無かっただろう。
旅先で食べるような簡易的な食事だと言うのに、それをああまで喜ぶ姿を見れば、その過酷さが良く分かった。
もしここに潜伏していた魔族が見境無く人族を殺める者だったなら。こんな状況で我慢できるはずもなく、略奪や殺戮によってあの村は、とうの昔に無くなっていたことだろう。
改めて、チサ村の近くにいたのが彼らであって良かったと、その幸運に感謝しなければならないと思った。
彼らを見ながらそんなことを思っていると、後回しにしていた疑問が頭をもたげてきた。
俺はトロトロになったパンを口の中へ放り込み、その話を振ってみた。
「そういえば、ガザはどこで怪我をしたんだ? あの傷、どう見てもフォレストウルフなんかの魔物にやられた傷じゃないよな。何にやられたんだ?」
俺の質問に魔族らは顔を見合わせた。誰が質問に答えるか迷っているのだろうか。
しかし四人のうち三人の視線は最終的にオーリ一人に集中した。俺もそれにならい彼へ視線を向ける。
オーリは少し目を伏せ、そして観念したように俺に向き直った。
「あれはフォレストウルフにやられたわけじゃない。あれは……アクアサーペントにやられたんだ」
「……アクアサーペントがこの近くにいるだと?」
俺が魔族達の近くにいるせいか、珍しく俺と距離を取り、我関せずといった様子でパン粥を食べていたスティア。しかしオーリの発言に興味を示し、会話に混ざってきた。
「沼にそんな大物がいるとは思えないが……」
「沼? いや、俺達が奴と遭遇したのは湖だったが」
「湖? 沼じゃないのか?」
「いや、湖だな。ここを出て左に真っすぐ行ったところにある」
オーリの説明だと、ここから東の方向に湖があるらしい。距離を聞けば半日かからず行ける場所のようだ。
鍋のそばに陣取っているバドも、興味深そうにこちらに目を向けた。
「北東に沼があるって話だったが、その南だか南東だかに湖があるのか?」
「その湖と沼は続いているのかもしれませんわね」
「かもな。で、その湖にアクアサーペントがいたと。そういうことか」
俺の言葉にオーリが頷く。俺とスティアが表情を険しくしたためか、ホシがきょろきょろと俺達の顔を交互に見た。
アクアサーペントはつまるところ、水棲のでかいヘビだ。他にもサーペント種といえばシーサーペントやサンドサーペントなどが有名だが、いずれもその討伐難度は、有毒生物であり、高い生命力を持ち、機敏であり、そしてなにより単純にでかいという点から、非常に高いものだった。
またその生息域の特色を生かした生態も持っており、水中に潜る、地面に潜む、擬態するなど、相当な難敵だと聞く。
強い上に能力が厄介で、まあ面倒くさいヘビ野郎なのだ。
ただこれは結構知れた話だ。
人間は魔物と生存圏を常に争っている。人間が平穏無事に暮らしていくためには、強い魔物の情報というのはどうしたって人の耳に付くものなのだ。
この大陸に住む人間が外界への航路を持たないという理由は、誰もが知っている。シーサーペントが海にいるせいで、遠洋では船が沈没させられるからだ。
この大陸には未踏破地域となっている広大な地帯がある。獲得できれば国土を広げることもできるが、誰もしようとはしない。サンドサーペントの群生地帯であり、足を踏み入れれば最後、生きては帰って来れないからだ。
魔物という生物は、人間の暮らしに大小様々な影響を遠い昔から与え続けている。サーペント種はその中でも、とりわけ危険な魔物だった。
ではそのサーペント種の中の一種、アクアサーペントの場合はどうかと言えば、だ。
「スティア、アクアサーペントの討伐難度がいくつか知ってるか?」
「アクアサーペント自体はわたくしも把握しておりませんが……他のサーペント種のランクがAやSだったのを覚えていますわ。それを考えますと、湖にいるとなるとサーペント種の中でも小柄になるでしょうから、恐らく討伐難度Aかと」
「最低でAか……」
討伐難度と言うのは、確か冒険者のパーティランクがA以上でないと討伐が難しいと言う意味だったような気がする。
で、冒険者のパーティランクがAというのは、確かパーティメンバーの実力が総合してランクAに匹敵するとか、何とか。うーん。まあ……そんな感じだ!
「Aってなーに?」
「とっても強いってことですわ」
「そんなに強いの!? あたしよりも強い!?」
「ホシさんよりは弱いと思いますけれど」
「ならあたしはAの上なの? Aの上って何?」
「Sですけれど。でもホシさんに討伐難度はつきませんわよ?」
「あたしも討伐難度が欲しい!」
「討伐されたいんですの?」
急にホシが口を挟んで来たため話が変な方向へと向かってしまったが、今重要なのは俺達にとって討伐難度Aが難しいかどうか、と言うことだな。
結論から言えば、討伐難度Aだったら俺達四人でも問題なく倒せるだろう。俺を除く三人が規格外過ぎるからな。
たぶん俺だけだったなら、俺が十人いても無理なんじゃなかろうか。
最悪、アクアサーペントの討伐難度がSだったとしても、その点は変わらないだろう。俺がいなくても十分すぎるくらいだと思う。
いや、だからと言って三人に丸投げせず、一応俺も行くけれども。
「それならここにいる面子でなんとかなるか。スティア、サーペント種について知ってることがあったら教えてくれ」
「話にしか聞いたことがありませんが、承知しましたわ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! なんでアレを倒しに行くんだ!? というか、倒せるのか!?」
討伐する方向で話を進めようとしたところ、オーリが急に慌てだした。まあガザがあれだけの目に遭ったんだ、嫌な想い出の一つ二つあるだろうが、あいにく無視はできなかった。
これからスティアに話を聞いてみないとなんとも言えない部分はある。しかし倒せそうなら倒すと返すと、オーリは言葉も出ない様子で固まってしまった。
先ほどから言っているが、アクアサーペントは有体に言えばでかいヘビだ。つまり、水棲生物ではあるが、エラ呼吸ではないため陸に上がることがあるのだ。
俺の知っている話だと、縄張り争いに負けたアクアサーペントが逃げ出して陸に上がり、新しい住処を探す途中、近隣の村落で暴れ回った、なんて事もあるそうだ。
この近くの湖がどれだけの大きさかは分からないが、その規模によっては縄張り争いが起きる可能性を捨てきれない。
そして、この近くにはチサ村がある。
取り去れる危険があるのであれば、なるべく対処しておきたかった。
オーリにそう説明していると、デュポが「ならここも危ないんじゃねぇか!?」と騒ぎ出した。そうとうトラウマになっていそうだな、こりゃ。
「サーペント種は基本に昼行性だ。今は問題ない」
「そ、そうか。そりゃすまねぇ」
スティアにぴしゃりと指摘され、デュポは安心したのか深く息を吐いた。
「あんな奴は、今の私達には到底無理だ。万全ならやれたかも知れないけど、でも私のせいでガザ様が……っ」
「いや、そりゃ俺達のせいだ。俺達がもっとうまくやってりゃ……!」
コルツがポツリとつぶやくと、デュポが声を荒げてそれを否定し、拳を地面に叩きつける。話を聞いていくと、どうやらガザは不意に現れたアクアサーペントから彼らをかばって負傷したらしい。
確かにそれは悔しいだろう。しかし冷たいようだが、今優先すべきことはそれじゃない。
彼らを軽くなだめると、俺達は明日の予定について話を進めた。
さて。俺達四人はアクアサーペントの討伐を目標にするが、魔族達にもやることがある。
彼らに明日の予定を指示すると四者四様に不思議そうな顔をしていたが、説明すると合点がいったようで頷いていた。
まさか魔族と協力することになるとは思わなかったが、これも運命という奴なんだろうか。王子にスカウトされてから、ありえないことばかり起こっているような気がする。
ふと昔の山賊時代を思い出し、王子と共に行けない仲間達を置いて来た事が頭を過った。
今、あいつらはどうしているだろうか。この旅の終着地点と考えていた故郷を懐かしく思い、ふっと穏やかな気持ちになる。
珍しく望郷の念にかられながら静かに夜が更けて行く。
洞穴の中にまで届く野鳥の鳴き声が、昔聞いた記憶に残っているものとは違い、どこか寂しそうに鳴いているような、そんな気がした。