186.探し人からの手紙
ルーデイル代官、ライナルディ男爵家を騒がせた次女誘拐の一件から、もう二十日が経とうとしていた。
動かせる衛兵全員を動員し、数日をかけて魔窟を捜索した男爵家。しかし誘拐犯と思われる七人の男の死体が残されていたのみで、他には何も見つけられずに終わった。
見つかった死体を検視した結果、確認できた刺青より、男爵家は男達を盗賊団”汚れ狼”の残党だと断定。それによりルーデイルの町を騒がせた誘拐劇は盗賊の仕業だとされ、幕を下ろすことになった。
ちなみに。実際に被害を受けた男爵家の次女、および居合わせた長女から、アルバーノ・ラウロ・ドラーツィオの関与が告白されたが、しかし他に魔窟で見つかったのは数人分の白骨死体のみだった。
当人と思われる死体が出てこなかったこと、そしてドラーツィオ伯爵家から既に廃嫡した息子だとの返答もあって、結局伯爵家が罪に問われることはなかった。
ただ、それは表向きの話。
裏ではドラーツィオ伯爵家から男爵家へ、多額の賠償金が支払われたのだが、その事実を知る者は伯爵家と男爵家の極一部に限られた。
当然、当事者であるルフィナやリーザにも知らされたが、しかしそれは賠償金を受け取った後の事だった。
納得できない思いを抱きながらも、二人は伯爵家相手では飲み込むしかないと理解を示した。
だがどうしても納得できないことがたった一つだけ、彼女らの内には残ったままとなっていた。
「全く、どこに行ったんだろうね、カーテニアさんは」
ルーデイルの町を歩きながら、サリタはぽつりと呟いた。あんな事件があったというのに、町は衛兵の数を多少増やした程度で、平和な雰囲気をすでに取り戻していた。
まるであの事件が夢だったかのように、町民達は笑顔で町を歩いている。それがどうにも不思議に思えてならない。
消えた恩人のこともどうにも気にかかる。彼女らの口からその名前が度々ついて出てくるのは、致し方のない事だった。
あの後、関係者であるカーテニアという冒険者のことも当然、男爵家は調査を行った。
しかしカーテニアという冒険者のことも、ランクBパーティのことも、冒険者ギルドは把握しておらず、手がかりは何も見つからなかった。
助けられた当人達にとっては、気にならないというのが無理のある話であろう。
「無事だといいんですけどぉ」
「大丈夫でしょ。魔窟を守ってた衛兵達が言ってた事、聞いたでしょ? 私達と一緒にいた人相の悪い男に殴られた挙句縛られたって。いい気味よ」
心配そうなマリアネラに対して、ルフィナはフンとつまらなそうに吐き捨てる。
あの時、過去のトラウマが発症したルフィナだったが、被害を受ける直前にエイクに回収されたことが功を奏し、再び人間嫌いが再発することなく済んでいた。
これにはサリタとマリアネラも、大いに胸をなで下ろした。
ただ、何も問題なく終わったわけではない。ルフィナの妹、リーゼの事だ。
盗賊達に人質として捕らえられたリーゼ。最近の彼女の行動が、男爵家の面々を悩ませることになってしまった。
というのも、だ。リーゼはローブを目深にかぶり、男爵家の中を度々徘徊するようになったのだ。
そして、何か困っていそうな使用人がいると、そこに近づいてこう言うのだ。
「よく頑張ったね!」
そして使用人にローブを着せ頭を撫でた後、そそくさと去っていく。まるで意味の分からない奇行に、皆は困惑してばかりだった。
しかも後でローブを返さないと怒るのだ。わけが分からない。
困惑を滲ませる男爵家の面々。事情を知っているサリタとマリアネラだけは、それを見て隠れて笑っていたようだが。
さて。人間嫌いが発症しないまでも、少し不安定になっていたルフィナを心配し、外出を控えていた三人娘。
しかしルフィナが行きたいと強く言い出した事もあって、相談の末に、今日再びあの魔窟へ足を向けているところだった。
徐々に人の往来が消え、冒険者ギルドが見えてくる。チラとギルドに目を向けたルフィナは、何を思うのか表情を引き締め、魔窟へ向かおうとギルドの前を通り過ぎる。
「ちょっと! ちょっと待って、サリタ!」
が、それを呼び止める声が聞こえ、足を止めることになった。
「あれ、どしたのパウラ。何か用?」
声をかけて来たのは、冒険者ギルドの受付嬢、パウラだった。彼女は慌てた様子でギルドから出てくると、通り過ぎようというサリタを大声で呼び止めた。
「何か用じゃないわよ! 何で今日に限って素通りするの!」
不思議そうな顔を見せるサリタに、パウラは声を荒げる。
いつもならカーテニアという変な名前の冒険者について、何か分かったかと聞いてくるのに、なぜ今日は素通りなのか。間が悪いにも程がある。
「男爵様の屋敷に行こうと思ってたところに丁度アンタの姿が見えたから、手間が省けたと思ったのに! 通り過ぎるとかありえないから!」
パウラはぷりぷりと怒りながら、ギルドを指さした。
「来てるわよ!」
「何が?」
サリタは首を傾げる。それだけで分かるはずもない。
だがパウラが次に放った言葉に、三人娘は一斉に駆け出した。
「アンタが探してた”エイク様親衛隊”! そのメンバーが一人、アンタ達を探しに来てるわよ!」
それはエイク達が代官の息子を救って欲しいと頼まれてから、僅か三日後の事だった。
------------------
ギルドの一角にあるテーブルについた三人娘は、目の前に座る人物を見て困惑の表情を浮かべていた。
二人が見たカーテニアの冒険者証は確かに金――ランクBパーティだった。だからそのメンバーと聞いて、どんな屈強な人間だろうかと無意識に思っていたのだ。
「サリタとマリアネラって誰? この手紙、えーちゃんが渡せって」
しかし目の前に座る人間は、彼女らの想像をはるかに超えた姿をしていた。
屈強どころか、まだあどけない顔立ち。椅子に座り足をぷらぷらさせている姿は、誰がどう見ても幼さの残る少女そのものだった。
「え、えーちゃん? って、誰かなぁ? あ、私がマリアネラだよ。貴方はぁ?」
困惑しながらもマリアネラが反応する。それに少女はにーっと白い歯を見せた。
「アタシはアンソニー! えーちゃんは、えーちゃん!」
「は、はぁ……」
少女からの自己紹介は、なぜか男性名だった。しかも”えーちゃん”が誰かも分からなかった。
マリアネラは困り果て、二人の顔に視線を向ける。しかし二人もどう返したらいいか分からず、困り顔で見返した。
「ねぇ。貴方、カーテニアさんのパーティメンバーなの?」
「そうだよ! ほら!」
少女はごそごそと背嚢を漁ると、冒険者証を取り出す。それは確かに金の輝きを放つ、ランクBを示すものだった。
また顔を見合わせる三人。しばらくの間、三人の間には困惑の沈黙が降りていた。
「これ、見てもいいの? あ、私がサリタね」
「うん! いいよ!」
だが、ただこうしていては何も分からない。一先ず現状を受け入れることにして、サリタが手紙に手を伸ばす。
元気よく頷いた少女に曖昧に笑ってから、サリタは手紙を開こうとするが――
「あのねぇ、その内容、早く読んでくれって。人が死んじゃうから」
ケロリとした表情で言い放った少女に、三人娘は目を剥いた。
人が死ぬ。あまりにも軽く言うが、到底聞き流せる言葉ではない。
サリタは焦りながら手紙を広げ、素早く目を通し始める。手紙を読み進むにつれて、サリタの手には、無意識にだが徐々に力がこもっていった。
「何これ!? どういうこと!?」
最後まで読み終えた途端、サリタは叫ぶように声を上げる。
だが、対する少女は呑気なものだ。
「アタシだけでもいいって言ったのに、手を貸して貰えってえーちゃんが言うんだもん」
少女はぷうと頬を膨らませる。仕草は可愛いが、言っていることは滅茶苦茶だ。
サリタは頭を抱える。その姿にルフィナは我慢ができず声を上げた。
「ちょっと、一体何なの? 説明しなさいよ、説明を」
「ちょっと待って……情報が飲み込めない」
「飲み込まなくていいから、そのまま言いなさいよ。ほら早く」
眉を八の字にするサリタに、ルフィナは詰め寄る。だがサリタの口から出て来た内容に、ルフィナも頭を抱えることになった。
「グレッシェル子爵の息子さんが死にそうだから、トンタリオにいるお爺さんを連れてすぐにこっちに来いって……」
「な、何それ!? ――ちょっとそれ貸しなさい!」
サリタの手から手紙を奪い取り、目を走らせる。マリアネラも彼女に顔を近づけて、その手元を覗き込んだ。
読み進めると確かにそこには、呪いによって瀕死である少年を助けるために、知り合いの呪術師を連れてきて欲しいとの記載があった。
依頼料は金貨1枚。彼女達のランクでは、破格の内容だった。
ルフィナは混乱する頭で、その短い文章をもう一度読み直す。そして重大なあることに気が付いた。
「このお爺さんがいるってところ、トンタリオの町中じゃないじゃない! 森の中よ!?」
トンタリオ南の森の中に居を構えている呪術師。確かに手紙にはそう書いてあった。
「あの森、ロアムースの棲家じゃなかった!? あんなの私達の手には負えないわよ!?」
ロアムースはランクEの魔物だ。一般人ならともかく数年も冒険者をやっていれば、単体を相手取る程度なら、複数人であればそこまで恐れる相手ではないだろう。
ただし。ロアムースの討伐難度は、ランクよりも高いDである。その理由は威嚇の際に放つ叫び声にあった。
ロアムースは戦闘に入る際、必ず威嚇の声を上げる。それは森全体に響くほど大きいが、それが問題だった。
それを聞きつけて、別の魔物や、他のロアムースも集まってしまうのだ。
ロアムースを倒すには、高い残滅力と離脱力が必要とされる。ランクEパーティの三人では、森に入るのは死を意味するに等しかった。
ありえないと声を荒げるルフィナ。
だが、そこで気付いた者がいた。
「ここ……魔物は全部ぅ、この子に任せろって書いてあるんですけどぉ……」
マリアネラは震える指で手紙を差す。彼女の言う通り、森の魔物の相手はこの少女にさせろと、手紙には書いてあった。
これには流石のサリタも激怒した。
「ば、馬鹿じゃないの!? こんな子にあんな魔物の相手をさせろって!? 何考えてるのよカーテニアさんは!」
急に発生した理解不能の出来事に、混乱も手伝って声が大きくなる。思わず椅子から立ち上がったサリタだったが、それに少女はきょろりと目を向けた。
「ねぇ、手伝ってくれるの? 無理だったら別にいいよ。あたし一人で行くから」
「だ、駄目ですよぉ!? あの森は危険なんですからぁ!」
「そ、そうだよ! 手伝うのはいいけどさぁ! ……ねぇ? ルフィナ」
無茶苦茶なことを言い出す少女を、慌てて止めようとするマリアネラとサリタ。
「まあ……そうね。あいつには借りもあるし、ね」
ルフィナも手伝う事自体は構わないと頷くものの、
「でも私達だけじゃ、あの森に入るのは無理よ。もう少し戦力が必要ね。お父様に頼んで、衛兵を何人か借りようかしら……」
と、現状の戦力不足を少女に説いた。二人も神妙な顔で頷く。常識的に考えれば当然の判断であろう。
ただ。目の前に座る少女は、その常識が通用するような存在ではなかった。
「じゃあ模擬戦しよう!」
「も、模擬戦ですって?」
突然放たれた言葉にルフィナは戸惑いを隠せない。
困惑顔を浮かべるルフィナへ少女は白い歯を見せる。そして楽しそうにこう言い放ったのだった。
「えーちゃんがね、時間が惜しいから、ぐだぐだ言って来たら模擬戦で黙らせろって言ってた! だから、やろうやろう!」
その判断は確かに、時間のない今効率的な判断だったのだろう。
しかし出立の前からボロボロとなった三人娘は、どこに感情をぶつければいいか分からず、馬の上で能面のような顔をして、ただただ無言であったそうな。
とっぴんぱらりのぷう。