185.取るべき方針
「力を貸してくれ、って言われても。呪いなんて……なぁ?」
頼まれれば吝かじゃないが、でも俺達だってそんなもん門外漢だ。何となく呪いに関係ありそうなバドを見上げると、彼も俺を見下ろしていた。
顔は真顔だが、彼も困ったと言っているように見えた。
そも、これは本当に呪いなんだろうか。寝かされている男を観察していたスティアも同じことを思ったんだろう。
「これ、病気ではないんですの? なぜ呪いだと?」
そう言い出した。
「あたしもよくは分からないけど、でもコイツは病気じゃあない。こんなに体を変えちまう病気なんて聞いたことがないしね」
婆さんは眉間にしわを寄せる。
確かにここまで異様な風貌に変わる病気なんて、見たことも聞いたこともない。だが、かと言ってこれが呪いだという確証もないだろう。
今分かっているのは、病気ではなさそうだという事と、呪いの可能性がある事。そして、呪いだとしてもエクシル草が効かない。この三つだけだ。ろくな情報がねぇな。
「助けるはいいが、確かな情報が欲しい所だな……。何も分からないんじゃ手の打ちようがねぇぞ」
「そこを何とかならないかい? もうアタシじゃお手上げなんだよ」
婆さんは弱り切った声を上げた。こんな姿を見るのは初めてで、どうにもばつが悪い。
俺は視線をさまよわせる。最終的に目が止まったのは、スティアの顔だった。
「……むぅ」
スティアは嫌そうに顔をしかめる。俺の言いたいことを理解したんだろう。
正確な情報を得るためには彼女の力が必要だ。だが、スティアが喜んでやるとは俺も思っていない。
彼女の顔を見てしまったのは、ただ考えが行動として出ただけだった。
縁も所縁もない相手だ。そんな奴に嫌な思いをしてまで、人族嫌いのスティアが動くだろうか。その答えは否だった。
加えて言えば、この男は俺達に絡んでくる傭兵団の親玉、代官の息子だ。婆さんは悪い子じゃないと言っていたが、良い感情なんて持てるわけが無かった。
(やっぱ、こっちから頼むしかねぇか)
とは言え、瀕死の相手を見捨てるというのも気分が悪い。婆さんにこうも懇願されればなおさらだ。
目を落とし、頭をガリガリとかく。
スティアは基本的に面倒見がいい性格をしている。だから仲間の頼みには基本首を横に振らない。
だがどうにも嫌がることを強要しているようで、例え人命に関わるとは言っても口には出し辛かった。
「やりますわよ」
「――え?」
そんな時、意外な言葉が聞こえた。俺が顔を上げると、スティアが諦めたような顔でこちらを見ていた。
「言い出しっぺはわたくしですからね。流石に、その責任くらい取りますわよ」
そう言って肩をすくめる。
まさか自分から言い出すとは。読めなかった。この俺の目をもってしても。
「お前……ホント、いい女だなぁ」
「おほっ!? お、おほほほほぉーっ!」
「共通語喋れ」
変な声をあげるスティア。もう台無しだ。
ばっと胸に飛び込んでくるスティアをかわして、その尻をバシンと叩く。
しっかりしろ。ゴリラかテメーは。
「で、では。早速やっていきましょうか」
こほんと咳ばらいを一つ、スティアはくるりと向き直る。そしてベッドを見下ろしながら、腰の短剣をスルリと抜いた。
「ちょ、ちょっとアンタ、何をするつもりだい!?」
「大丈夫だ。騒がず見てろ、婆さん」
これには婆さんも慌てる。まあ何をするか分からないのだから当然だ。
ただ、俺はそれを腕で制して、よく見るようにアゴで促す。
スティアはおもむろに短剣を子供の腕に当てると、僅かに力を込めて押し当てた。
腕に一筋の傷が生まれ、じわりと血が滲む。婆さんはそれを見て近寄ろうとするが、俺がそれを押しとどめる。邪魔になるから静かにしててくれよ。
滲んだ血はすぐに球になり、腕から滑り落ちる。それを人差し指で受け止めたスティアは、そのまま口へと運び、ぺろりと舌先で舐めとってしまった。
しばらくの間味わうように、もにょもにょと舌を口の中で動かしていたスティア。その後ウェストポーチから出した手巾に血を吐き出すと、渋い顔をしながら彼女は言った。
「確かに魔力におかしな淀みがあるようですわね。呪いという線は間違っていないかと、わたくしも思いますわ」
スティアはハーフとは言えヴァンパイアだ。種族の特徴として、相手の血液から情報を読み取る術が彼女にはあった。
相手の血から魔力を吸収することだってできる。今回はそんな能力から、この人物の状態を見定めて欲しいと、そういうわけだった。
実のところ、バドが呪いにかかっているようだと言ったのも、このスティアだった。
実際はリンゲールの爺さんから呪いではないと断定されたわけだが――ただそれでもスティアが当時言った、魔力に淀みがあるという見立ては正確だった。
今回もまた、その見立ては正しいはず。
なら俺達がとるべき行動はたった一つだ。
スティアは指先で彼の腕に付けた傷をなぞる。彼女の指が通った後は、傷が完全に固まり、かさぶたとなって塞がっていた。
目を丸くする婆さん。そりゃ説明なしに見せられれば、わけが分からないだろうな。
婆さんの横顔を見ながらそんなことを思う。
だが次にスティアが放った一言に、俺もまた目を丸くする事になってしまった。
「生命力も随分と失っているようですわね。もって二週間というところでしょうか」
「な、なんだって」
確かに婆さんは徐々に衰弱していっていると言っていた。だが、だからってそういう事をさらっと言うんじゃない。
「……そうかい」
突然の余命宣告に、婆さんも顔を暗くする。
この代官の息子が婆さんにとってどういう人間なのかは知らないが、しかし助けようとしている以上、その言葉は辛いものがあるだろう。
まったく、そういう所はどうにかならんのか。基本スティアは懐に入れる前は塩対応だからなぁ。困ったもんだ。
沈黙が部屋に降りる。そんな中俺はアゴを撫でながら、すべきことを考えていた。
先ほども言ったが、俺達の取るべき行動はほぼ決まっている。
これが本当に呪いだと断定したところで、俺達には何もできない。そんなものに通じている奴はいないのだ。
一番知識のありそうなスティアでさえ、解呪の経験はないそうだからな。
だが手はある。俺達ができないのなら、できる奴を呼べばいい。
幸いにして、俺達はトンタリオで自称大家の爺さんと面識を得たのだ。
「あの爺さんをここまで呼ぶか、それとも俺達がトンタリオまでこいつを連れて行くか。二つに一つだな」
ここから爺さんのところまで、歩きなら所要十日。急げば五、六日ってところだろう。
仮に爺さんを連れて来るとなれば往復になるが、ただそうすると単純に十二日というわけにはいかない。戻りは爺さんも一緒になるからだ。
爺さんを連れてでは、当然行き足は鈍る。そうなれば二週間という制限はかなり微妙な線だった。
呪いを解くのにどれだけかかるのかも分からない。
俺は選択肢が二つあるように言ったが、実際はたったの一つしかなかった。
「ちょっとお待ちを。先程血から読み取った情報で、少々気になったことが」
こいつを連れて行くしかないか。俺がそう思い始めた時、スティアが俺の言葉に難色を示した。
「何だ?」
「どうにも魔力の様子がおかしいのです。言葉ではお伝えしづらいのですが……以前バドを見た時よりもずっと、魔力が濁っていたというか」
思わずバドを見る。急に皆の視線が集まり、バドはびくりと反応した。
「普通の呪いじゃなさそうだ、ってことか?」
言う事がよく分からず、そうスティアに返す。
いや、呪いに普通とか、普通じゃないとかがあるのかは知らないけども。
「分かりません。ですが、あのお爺さんも言っていたでしょう? 解呪するにはその呪いの事を、まず良く知る必要があると」
俺のよく分からない質問にも、スティアは真面目な顔で答える。
「呪いなんて、呪術師でもなければかけることができません。ただの一貴族がかけられるはずもありませんわ。きっと呪いをかけた呪術師がどこかにいるのでしょう」
そこまで言われてやっと理解した。呪いを確実に解きたいなら、その呪術師とやらを捕まえろって話だな。
スティアの感じた通り複雑な呪いだってなら、この子をあの爺さんのもとに連れて行っても、解けず終いになる可能性が捨てきれない。
だがかけた調本人を確保できれば、そいつに解かせるという手も打てるし、それが不可能でも爺さんが解呪する助けにはなるはずだ。
スティアの言いたいことは理解した。問題は、俺達がこの町で呪術師を確保しようとしたなら、爺さんをこっちに呼ぶしかないってところだ。爺さんが間に合うかどうかが非常に微妙になってくる。
あっちを立てればこっちが立たず。制限時間がある以上、失敗しましたでは済まされない。
確実に成功する方法に舵を取る必要があった。
「なぁ婆さん。これ、本当に代官がかけたのか?」
「ああ、間違いないよ。アタシは聞いたんだ。この子を助けた時にね。父に、呪いを……って、確かにそう言ってたよ。声がかすれてて、良くは聞こえなかったけどね……」
俺の質問に婆さんは目を伏せる。
なるほど、婆さんがこの子を拾ったとき、まだ意識があったんだな。
なら話は早い。
「爺さんをここに呼ぶしかないか」
スティアは頷く。それにバドは腕まくりをした。
自分が連れて来ようと言うのだろう。だがそれでは時間的に、どうしても無理があった。
「駄目だバド。それじゃ間に合わん。他の方法を取る」
「他の方法……ですか」
がくりと項垂れたバドを横目で見ながら、スティアが思案するように頬に指を当てた。
「爺さんにここに来てもらうまでに、俺達はこの町で、その呪術師とやらを探して取っ捕まえる。それはスティアがやって欲しい。必要に応じてバドもサポートしてやってくれ」
俺は二人に呪術師の捕縛を頼む。バドはちょっと目立ちすぎるため怪しいが、潜入捜査なんてお手のもののスティアがいるのだ。そちらの心配はないと思う。
問題は爺さんをどうやって連れてくるかだが。
「爺さんを連れて来る役目は、ホシに頼もうと思う」
俺はその役目を、ホシに任せようと考えていた。
これはホシにしか頼めない。だがその手段には大きなデメリットがある。
俺にとってはなかなかに危険な手だった。
「貴方様は、どうするんですの?」
「……俺は使い物にならなくなるからな。悪いがバドは俺のフォローも頼むわ」
こちらに目を向ける二人。俺がそれに答えると、何をしようとしているのか、二人はそこで気付いたらしい。急にあわあわと慌てだした。
「貴方様、こんな場所でそれは、流石に危険では――!」
だが確実な手はこのくらいしか考えつかない。危険があると言っても俺の身が無防備になるだけだ。バドもいるし、たぶん大丈夫だろう。
「他に手があるか? 呪術師を捕まえつつ、爺さんをこっちに連れてくる手が」
「そ、それは――そうだ! わたくしがここに残って、呪術師を捕まえますわ! 貴方様はこの者を連れて、先にお爺さんのところまで行って下さいまし! 後から追いますので! それが良いですわ!」
スティアがパンと胸の前で手を打つ。
だが、それじゃ駄目だ。
「あのな、呪術師がこの町にいない可能性もあるだろ。爺さんを連れてくる日は大体読めるからいい。けどな、呪術師をとっ捕まえるのにどれだけ時間がかかるか分からない以上、そっちに一番余裕を持っておくのが普通だろ」
「う、うう~っ!」
代官の周囲を洗えば、呪術師の身元が分かる可能性は高い。だが捕縛に十日かかりました、なんて言ったらどうにもならない。
聴覚を共有できる距離なら良かったが、流石に歩いて十日の距離では≪感覚共有≫の範囲外だった。
「俺だってやりたいわけじゃねぇ。でもこいつを助ける手がそれしかないってんなら、やるっきゃねぇだろ。バドもいるんだ。心配すんな」
説得するように言うが、スティアはまだこの方針の穴を探しているらしく、眉間にシワが刻まれたままだ。
俺とバドは顔を見合わせる。少し会話に間が開いたからか、今まで黙っていた婆さんが口を挟んできた。
「アンタ達が何をしようとしてるかは分からないけど。でも、この子を助けられる可能性があるんだね?」
俺はこくりと首肯する。すると婆さんはずいと身を乗り出した。
「アタシにできる事があるって言うなら何でもするよ。遠慮せず何でも言っておくれ。もうアンタ達にすがるしかないんだ。頼むよ」
その目は真剣だ。婆さんから、この子を助けたいという真っすぐな気持ちが伝わってきて、俺の首をまた縦に振らせた。
もうこの手で行くしかない。そう思うも、まだ諦めず水を差す者がいた。
「で、でも! ホシさん一人で向かわせるなんて、きっと何かありますわ! そう! 今日の森での事のように、暴走するかもしれませんし! ね!?」
だろうな。だが俺とホシの付き合いは長いのだ。
その程度考えなかったと思うのか? 甘いぜすーちゃん。
「ルーデイルに知り合いがいる。そいつらにホシの面倒を見させるつもりだ。それなら大丈夫だろ?」
最後の望みを絶たれたスティア。彼女は俺の言葉を聞くと、がっくりと肩を落とした。