180.町の現状
スティアと婆さんの不毛な戦争が汚部屋という強敵に阻まれた後のこと。
俺達総出で掃除をする羽目となり、流れで夕飯を取った後、なし崩しに婆さんの家に泊まることになってしまった。
汚さはまあ何とかなったが、しかし物理的な狭さはどうすることもできない。
二つしかない部屋を、婆さんと俺達で一部屋ずつ分ける形となり、渋々ながらもその日は川の字で床に寝ることにしたのだが。
その結果散々な目に合うことになるとは、一体誰が思うだろうか。
「貴方様。少々お疲れなようですが、いかがなさいました?」
今俺達が歩いているのは、グレッシェルの町から南に広がる森の中だ。
婆さんが薬草を採集に行きたいとのことで、彼女が傭兵達に見つからないよう先導して町を抜けた後、そのまま目的地へ進んでいるところだった。
隣を歩くスティアが滅茶苦茶いい笑顔で話しかけてくる。
だがな、主にお前に原因があるって分かってんのか。
「いかがも何もねぇよ。誰のせいだと思ってんだ……」
「あら。きっとホシさんの寝相が悪かったせいですわね」
口に手を当ててスティアはくすくすと笑う。俺はそれに大あくびを返した。
昨日横に並んで寝ることになった俺達は、思い思いの場所を適当に陣取った。俺はと言えばそう深く考えず、ホシとスティアに挟まれる形で床に就いたのだ。そこまでは良かった。
ホシの寝相はスティアが言うほど悪くない。だが今回は狭っ苦しい場所で並んで寝たせいか、よく寝返りをうった。
結果、隣の俺は何度か足や腕を食らう羽目になってしまったのだ。
夜中に何度か叩き起こされ、あまり良く眠れなかったのは確かだった。
だが俺の寝不足の主犯は、誰あろうこいつだ。
じっとりと視線を送ってやるが、しかし彼女の機嫌は大変よろしく、うふふと笑い返されてしまう。こうなってくると柳に風だ。
俺はこの気持ちを一人飲み込むしかなく、諦めと共に嘆息した。
俺達四人に対して狭い一室だけという部屋割りに、スティアが真っ先に食って掛かるだろうと俺は思っていた。
だが意外なことに彼女はそれに抗議しなかった。
婆さんと一番やり合っていたのはこいつだ。だから相当怒るんじゃないかと思っていたのに、なぜだろう。
俺はそう不思議に思っていたのだが。理由はもう、すぐに分かった。
こいつ、一晩中俺に引っ付いて来やがったのだ。
そのおかげで俺は寝返りを打つこともできず、ホシの攻撃から守る盾となり、浅い眠りと覚醒を繰り返す羽目になったのだ。
もうコンディションは最悪だ。まだ朝飯を食ったばかりだが、もう昼まで寝ていたいくらいだった。
「何だい、まだ若いくせにダラダラ歩いて。こんな子だってちゃんと歩いてるんだから、しゃっきり歩きな!」
だが、状況がそれを許してくれそうにもなかった。
前を歩く婆さんが発破をかけてくる。言うだけ言った後、婆さんは手をつないでいるホシと一緒に、話をしながらまた前へ歩いていく。
「全くだらしないねぇ。あんたの……何だ。父ちゃんかい?」
「違うよ? 弟みたいな感じ!」
「弟か! はっはっは! できの悪い弟で苦労してそうだねぇ!」
やかましい。誰が弟だ、誰が。
俺のむすっとした表情にスティアがまたくすりと笑う。バドが俺を気遣うように、でかい手を肩に置いてきた。
この森にも魔物はいる。しかし婆さん情報では温厚な魔物ばかりで、不用意に近づいたりしなかれば危険はないそうだ。
それを証明するように、婆さんの歩みには迷いが無い。何度も森に入った証だ。
比較的安全な森だというのは都合がいい。ただそれでも森に単身入るなんて、正直危険な話ではあった。
彼女がなぜそんな危険を冒してまで森に入るのか。気にはなるものの、その理由までは分からなかった。
「随分と気を許されていますわねぇ。ホシさんにしては珍しい気もしますが」
スティアが不思議そうに言えば、バドもうんうんと首を縦に振る。確かにホシの場合、精神年齢が近い子供とはすぐに仲良くなるが、相手が大人の場合、理由もなく自分から関わろうするのはあまりない事だった。
だが今回ばかりはその理由とやらに、俺には心当たりがあった。
「ま、似てるからだろうな」
「似てる、ですか?」
あの婆さん、似てるんだ。よく見れば違うが、雰囲気とか、話し方とか、声とかが、盗賊ギルドの妖怪ババアに。
ホシはあのババアによく懐いていた。だからあの婆さんにもすぐ懐いたんだろう。
ただの空似だ。だが俺もあの婆さんをどこか憎めずにいた。無茶苦茶な理屈を言われた結果、こうして働かされる羽目になったってのにな。
「わたくしには分かりませんけれど。まあ、ホシさんがああも楽しそうにしているのでしたら、悪い人間ではないのでしょうね」
ホシの直感はよく当たる。時には予知かと疑いたくなることさえあった。
それを知っているからこそ、会ったばかりの怪しい婆さんの家に泊まることを、スティアも拒否しなかったんだろう。
バドも何かを伝えようと必死でぐねぐねしている。だが悲しいかな、彼の気持ちは何も伝わってこない。
俺とスティアはそのひたすら気持ち悪い動きを見て、どうしようかと顔を見合わせた。
「この辺りにしようかね」
魔物の縄張りを避けるようにして森の中を進むことニ十分程。きょろきょろと周囲を見回しながら婆さんが小さく溢す。
だがここは静かな森の中。そんなわずかな声も耳に届くには十分なものだった。
揃って皆、足を止める。そして周囲を見回した。
「……それっぽいもんは無いみたいだけどな」
「そうですわねぇ」
俺が独り言ちた所をスティアも肯定する。すると婆さんがくるりと振り向いた。
「あんたらはその辺りで警戒でもしていておくれ。勝手にほじくり回されても困るしね、こっちはこっちで勝手にやらせて貰うよ」
手伝いたいなら別だがねと、からかうような目を向ける婆さんだったが、
「はいはい! あたしやりたい!」
そうホシが元気よく手を上げると、ゆるりと頬を緩めた。
「そうかいそうかい。ならこっちに来な。教えてやるよ」
「うん!」
そして二人は手をつなぎ、少し歩くと地面に座り込んだ。
俺達は婆さんが言った通り、周囲の警戒のためにその場を散る。
バドは二人の近くに位置取り、何があっても彼女らを守るというスタンスだ。反対にスティアは俺達の中で一番遠くに陣取り、どんな物音も聞き逃すまいと警戒を濃くしていた。
一方俺は、二人の丁度中間ぐらいの場所で待機していた。
二人の良いとこ取りと言えればいいが、実際はただ何の特徴もない凡庸な位置取りだ。まあバランスが取れているとポジティブに考えておこう。必要ないとか言わないで。
婆さん達が何やら話す声、そしてザクザクと地面を掘る音が周囲に微かに響いている。
地面に屈む二人の丸い背中を見ていると、いつぞやの光景が不意に脳裏を過ぎった。
――あのね、ホシちゃん。この薬草はね、こうやって掘るんだよ。
――うー?
――分かるかなぁ? これ、移植ごてって言うんだけど。これをこう地面に刺して、こう掘るの! ……やってみる?
――う? うー……うーっ!
――あっ! ダメだよそんなに振り回したら! 薬草がバラバラになっちゃうから! 待ってっ! エ、エイクちゃん、見てないで助けてぇ!
まだ言葉を理解できないホシの面倒を一生懸命みていたあいつ。その姿が婆さんに重なって見えた。
あの後、ホシ相手に悪戦苦闘しているのを笑って見ていただけだったと、随分怒られたんだったか。ただ護衛のために着いて来てって話だったのにな。
あれからもう十年以上。ホシは堪能に喋るようになり、俺は日々歳を感じるようなおっさんになった。
今の俺を見たらあいつはどう思うかね。普通に「おじさんになったねぇ」って、笑って言われそうだ。
故郷に戻るのも五年ぶりになる。見た目の感想を言われる前に、戻ってくるのが遅いなんて文句を言われなきゃいいんだが。
ふっと笑い、二人から視線を外す。すると、こちらを見ているスティアの顔が目の端に映った。
何だろうかとそちらを向く。だが見えたのは、彼女の引き締まった横顔だけだった。
見間違いだったのだろうか。俺は一人首をひねりながら、また周囲の警戒へと気を引き締めた。
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その後、婆さんは採集ポイントを転々と変えつつ、森の中をあちこち回り続けた。結局婆さんの家に戻ったのは、昼も過ぎた後だった。
家に戻ってからは薬草の整理だ。採ってきた物だけでなく元々家にあった物もあるので、山のような量だった。
そんなものを弄っていると一体何なのか気になってしまう。婆さんに聞いてみると、意外と素直に答えてくれた。が、しかしどれも俺が知っているような薬草ではなかった。
聞けば、これらは傷薬といった魔法薬を作る原料ではなく、傷の化膿を防いだり、腹痛を治めたりする場合に使うらしい。つまり生薬というわけだ。
傷薬だって作れるだろうに、なんでこんな金にもならないものを採集するのか。そう聞いたところ、
「スラムの人間が傷薬なんて買えるかね。作るには作るけどね、私のメインはこっちだよ」
と、婆さんに睨まれてしまった。
傷薬は大体銅貨2、3枚くらいのお手頃価格で販売をしている。外食を二回我慢すれば買える程度だ。だから高いという感覚はあまりない。
だがスラムの人間は別だ。日々を暮らすのにも困窮している人間に、そんなものを買う余裕なんてあるはずがない。
元山賊の俺にも覚えのある話だ。だから婆さんの返答は、俺の予想通りのものではあった。
ところが、だ。どうやら言葉選びが不味かったらしい。
気に障ったらしく、婆さんはそれ以降むっつりと黙ってしまった。
俺やホシなんかは長い事底辺で生きて来た人間だ。だが今は小奇麗とは言わないまでも、普通に街中を歩ける恰好をしている。スラムとは縁遠い人間に見えるはずだ。
そういった人間がスラムに住む人間の振る舞いに口を挟む。そんな姿勢は、住人の目には鼻持ちならない存在として映るだろう。
分かっているのにやってしまったようだ。少々ばつの悪い思いを感じながら、俺は止まっていた手を動かし始めた。
「わたくしからもお聞きしたい事がありますわ」
だが怖いもの知らずはいるものだ。今度は、俺の隣にいたスティアの方が婆さんに質問を投げかけ始めた。
次は何だと、また皆の手が止まる。
「昨日から思っていたのですがどうにも解せなくて。なぜこの町は傭兵がこんなにも力を持っているんですの? 子爵に重用されている、という話は聞きましたが、しかし騎士達が黙っているとは思えませんが」
全然違う話になったが、確かにこれも気になる話ではあった。俺達が一斉に婆さんの方を向くと、彼女は面白くなさそうな表情を更に深くした。
代官というのはその名の通り、町や村を守るため、領主の代わりに派遣された人間のことだ。
それは子爵や男爵が任命されるのが普通だが、役割上、私兵を持つことは基本的にない。代官に求められるのは基本的に政治面で、軍事面は騎士や兵らに一任されているからだ。
無論有事には代官の命に騎士達は従う。しかし騎士は領主の私兵なのだ。だから代官が私兵を持つというと、話がちょっと変わってくる。
代官が私兵を持つというのは、有事平時関わらず、軍事にまで食い込むということだ。
これを許すかどうかは領を治める領主の采配次第。なので領によって事情は変わってくるわけだ。
傾向としては、辺境伯領では許可している場合が多い。一方伯爵領では特別な事情が無い限り、これを許してはいない。
なのでこの町もきっと、伯爵の許しを得ていないはずだ。
そう考えた時に思い出すのが、冒険者ギルドで聞いた、” 騎士達の肩身が狭い”という情報だ。
伯爵直属の部下である騎士達を冷遇しているということは、つまり代官が伯爵の采配に不満を持っているという意味になる。
こんな堂々と歯向かうような真似をしたら、代官にとっては不味い状況なのではないかと思う。
スティアの疑問はもっともだ。だが婆さんはこれに軽く首を振った。
「かつてこの町を治めていたグレッシェル子爵は、それはもう素晴らしいお方でねぇ。町民のために骨を折ることを厭わない、本当にお優しい方だったんだ。その優しさは町民だけじゃなく、当時若くして御父上を亡くし、領主になったヴァイスマン伯爵にも向けられていてね。それに感謝した伯爵が、この町の名前を代官の家名にしようなんて話にもなったくらいさ」
婆さんは当時を懐かしむように話し始める。その口調は柔らかく、眼差しも優しい。それだけで、当時の代官がいかに町民に慕われていたかが伝わってきた。
だが。温かかった婆さんの感情が、突然鈍く淀んだ。
「でも……その子爵が早世されて息子が後を継いでから、何もかもが変わっちまった。その息子はあのお優しい子爵からは考えられないほどの悪辣な男でね。気に入らない者には容赦が無いことで、この町では有名だよ。傭兵達はその威を借りてやりたい放題さ。領主様もきっと知ってるんだろうけど……何もしちゃくれない。皆、口を噤んで生活しているのさ」
婆さんは重苦しい溜息を吐き出す。彼女のやりきれない思いを含んだその吐息は、部屋に重苦しく広がった。




