177.グレッシェルの牙
無駄に疲労が溜まったが、無事に冒険者ギルドでの用事を済ませた俺達。
もうこの町では特にするべきことも無い。
なので次に宿を取ろうと、通りをゆっくりと歩いていた。
「貴方様、宿は確かこちらの通りにありますわ!」
スティアが前を指を差しながらこちらを振り向く。俺の手を引く彼女の顔は、機嫌が良さそうなニコニコ顔だった。
「傭兵に絡まれると面倒そうだから、今日は宿で一日過ごした方がいいかもな。飯が出る場所にしとくか」
「じゃあ大きい所に泊まろう! いいでしょ!?」
ギルドでの話を思い出しながら言うと、ホシがきょろりと目を向けてきた。
寝るだけのせまっ苦しい宿だと、確かに長時間の滞在は息がつまる。落ち着きのないホシや体の大きいバドならなおさらだろう。
幸い今の俺達は、魔族達が魔窟で稼いできたおかげで資金が潤沢だ。軽く笑いながら頷けば、ホシが「やった! やった!」とぴょこぴょこ跳ねた。
心なしかバドも嬉しそうだ。喜んで跳ねるホシの頭をそっと撫ぜていた。
「大きめ、食事つきの宿ですわね。ふっふっふ。それなら心当たりがありますわ! わたくしにお任せくださいまし!」
スティアが任せろと胸を張る。話を聞けば、彼女が以前泊まったことのある宿らしい。
この町に古くからある老舗で、値は張るがサービスが良く、食事も美味いそうだ。そう聞けば、バドも早く行こうとせっついて来る。
そうなれば、どんな宿かと自然に会話に花が咲く。
だからだろうか。ただ歩いている俺達の前に、一つの集団が姿を見せたのだ。
「何だか騒がしいと思えば、なんだぁ? 随分奇麗な姉ちゃんがいるじゃねぇか」
「おっ、ホントだぜ。見ねぇ顔だが……こりゃかなりの上玉だな」
通りの十字路からぞろぞろと現れた傭兵達。連中はそんなことを口にしながら、こちらへゆっくり近づいて来た。
顔にはニヤついた笑みを浮かべ、ジロジロと舐めるような視線を送ってくる。だがその目はスティアにのみ注がれていて、そばにいる俺達の事など全く気にしていない様子だった。
「これから飯を食いに行くんだがよ、そっちの姉ちゃんも来いや。俺達と飲もうぜぇ」
「当然金は俺達が出すからよ。俺達ゃ泣く子も黙る”グレッシェルの牙”! 魔族すら退けた英雄よ! ケチくせぇこたぁ一切言わねぇよ」
「そうそう。まぁお望みなら、その後も付き合ってやってもいいけどな? へっへっへ」
先ほどまで笑顔を見せていたスティアの顔が、スンッと仮面を被ったような表情に変わる。
スティアは見た目が奇麗なだけに、こういったトラブルが実はかなりあった。
軍に所属していた際も、貴族の息子が絡んできて――なんてのも珍しくなかったくらいだ。
だがそんな時非常に役に立つのがバドの存在である。遠目から見ても威圧感抜群のバドの見た目は、人除けに最適なのだ。
バドがくるりとそちらを向けば、大体がそそくさと去っていく。だから質の悪いナンパなんかはあまり寄り付くことがなかったのだが。
しかし目の前のこいつらは、バドの存在を全く気にした様子が無い。
余裕たっぷりの表情で俺達の進路を塞ぎ、目の前に立ちはだかった。
俺はスティアをかばうように前に立つ。
ホシとバドもサッと俺の横に立ち、スティアを奴らの目から隠した。
「なんだ、お前ら? 俺達が誰か分からねぇ、なんて言わねぇよな?」
急に殺気をぎらつかせる傭兵達。どうにも堪え性のない奴らのようだ。
冒険者ギルドで聞いた、面倒事になっても知らんという台詞を、今になってまた思い出してしまった。
全く、面倒臭ぇ連中だ。
「悪いが俺達はこれから用があってな。そこを通らせてもらいたいんだが?」
野生の動物をなだめるように、一応話し方に気をつけたつもりだった。
「やかましい! 野郎はすっこんでろ!」
しかし、帰ってきたのは言葉ではなかった。
目の前の男は躊躇いなく剣を抜き斬り上げる。その剣先が俺の顔を掠めるように通り抜け、剣圧でフードがばさりと脱げた。
「――けっ。テメェらこの町は初めてか? いい度胸だぜ。俺達の後ろに誰がいるか、直々に教えてやろうか? ああ?」
剣を抜いた男は腕をだらりと下げ、無遠慮に殺気をぶつけてくる。
周囲の傭兵達はそれを止めるでもなく、楽しそうに見ていた。
「ちょっとベルンハルトさん。アンタ相手じゃこんな奴、秒ももちませんって」
「おいお前、気をつけな。このベルンハルトさんはな、俺達傭兵団の中じゃ一番の剣の達人なんだ。魔族だって切り捨てた凄腕だぜ? 気づいたらバッサリ! なんて事になるかもしれねぇから、口の利き方には気を付けな」
「おいお前ら。俺を狂人みてぇに言うんじゃねぇよ。俺が斬るのは気に入らねぇ奴だけだ。そう――こいつみてぇな、な」
ベルンハルトと呼ばれた男は俺の喉元に剣先を向ける。
「分かったろ? 嬢ちゃん。こんなブ男といるなんて下らねぇ。俺達と来いや。ククッ……いい目を見せてやるぜ?」
そして奴はスティアに目を向けて不敵に笑った。
――だがそれは、絶対に犯してはならない間違いだった。
「ガハァッ!?」
俺の目の前から突然、剣を向ける男の姿が消えた。代わりに目に映っていたのは、後ろに隠していたはずのスティアの背中だった。
スティアは前に突き出した拳をだらりと下げる。
そして、吠えた。
「今の台詞……もう一度言ってみろ貴様ァーッ!」
男の一言は、軽く聞き流せる程度の軽い挑発だった。だがその言葉は一瞬で、スティアの堪忍袋の緒をブチ切ってしまった。
溢れる殺気を全く隠さず、そこにゆらりと立つスティア。だがすぐに、彼女は止める間もなく地を蹴った。
「ぅおぉぉぉおーッ!」
「な、なんっ――ぐは!」
「こ、この女ごへぇっ!?」
スティアは獣のような声をあげて傭兵達に突っ込んでいく。そして男達を秒で叩き伏せてしまった。
バタバタと倒れる男達。だがそれに構わず、スティアは最初に殴り飛ばした男に近づき、その胸倉を掴んだ。
「起きろ貴様っ! いつまでだんまりを決め込むつもりだ! もう一度言ってみろと言っているだろうがッ! このまま絞め殺すぞ!」
黙ってるんじゃなくて気絶してるわけだが、頭に血が上ったスティアにそんな事情は通用しない。
スティアはバシンバシンと男の頬を張り続ける。彼の頬はもう可哀想なくらい赤々と腫れ上がっていた。
「えーちゃん、これどうするの?」
「あー……どうすっかなぁ」
ビンタされてる男の事なんぞどうでもいいが、スティアを止めないと死人がでかねない。
あの細腕のどこにと不思議に思うほど、暴走時のスティアは桁違いのパワーがある。本当にあのまま絞め殺しかねない凄みが、今のスティアにはあった。
だが下手に止めに入るとこちらも被害を受ける危険がある。正直凄くやりたくなかった。
俺とホシはチラリと視線を交わす。そして、一緒にバドを見た。
じりと一歩下がるバド。だが俺とホシはじっとバドを見つめ続けた。
「バド」
「ばどちん」
「頼む」
「お願い」
もう一歩下がるバド。相当嫌なようだ。
バドも俺達同様、この状態のスティアにぶっ飛ばされた経験がある。それも一度や二度どころじゃなかった。
彼の性格上、こうなった場合駆り出される事が非常に多い。嫌な記憶もあることだろう。
しかしそれだけに、一番対処に慣れているのもまたバドだった。
俺とホシは願いを込め、じっとバドを見つめ続ける。すると観念したらしく、彼はガクリと肩を落とした。やったぜ。
俺とホシは道を開ける。バドは観念したようにとぼとぼと俺達の間を通り、未だに騒いでいるスティアの背中に手を伸ばした。
だがそんな時だった。
「おいっ! お前ら何やってる!」
「見ろ! あいつらやられてるぞ!?」
俺達の後ろから大声が聞こえた。見ればそこには新手の傭兵達。
やばい。俺とホシは反射的に声を上げた。
「ずらかるぞお前らー!」
「とんずらだーっ!」
俺とホシはダッと走り出す。バドも慌ててスティアの襟首をむんずと掴み、俺達を追いかけて来た。
「待てッ! 逃げるな貴様ーッ! もう一度、私の前で言ってみろ! 今度は八つ裂きにしてくれるッ!」
スティアがまだなんか言ってるが、それどころじゃねぇんだよ!
「逃げやがったぞ!」
「追え! 追えーっ!」
後ろから傭兵達が怒鳴りながら追いかけてくる。だが、待てと言われて待つ奴がいるか! そんな奴はそもそも逃げねぇんだよバカが!
「そうだ! その調子でこちらに来い! 残らずぶちのめし、門に並べて吊るしてくれる! かかって来いド腐れ共がァッ!」
「煽るんじゃねぇバカ! いい加減頭ぁ冷やせ!」
「――はっ」
傭兵達に向かって中指を立てるスティア。俺がその頭をペーンと叩くと、そこでやっと駄々洩れの殺気が収まった。正気に戻るのが遅ぇんだよ!
俺達は大通りを疾走する。しかし相手の傭兵達もしつこく、どこまでも追ってくる。
あー面倒臭ぇことになったな、くそがっ。
「しょうがねぇ路地に入って撒くぞ! お前のせいだ責任取れスティア!」
「お任せあれ!」
スティアはパッと進路を変えて細い路地に入っていく。俺達もその後に次々続き、スティアの背中を追った。
だが傭兵達も喚きながら、足音を立てて路地に入ってくる。
まあ路地に入った程度で諦めるわけないが。とはいえ狭い路地なら、足止めする手はいくらでもあんだよ!
「ホシ、任せた!」
「あいさー! ほれっ!」
懐から炸裂弾を一つ出し、後ろにぽいと放り投げる。ホシは楽しそうにピョイと跳ねると、くるりと回転しながら後ろに蹴り飛ばした。
細い通路を真っすぐに炸裂弾が飛ぶ。それは傭兵達の目前まできた瞬間、突然大きな火炎を噴き出した。
「うおぉっ!?」
「何だ!? 止まれ!」
目の前が急に赤く染まった傭兵達は、驚きに足を止める。
実はあの火炎、見た目だけで殺傷能力は殆どない。でも流石に知らなきゃ驚くよな。
「よっしゃ!」
「いえーい!」
俺とホシはパシンとハイタッチを交わす。この隙にさっさと逃げてしまおう。
足の止まった傭兵達を置き去りにして、俺達はその場から一目散に走り去った。
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しばらく路地をジグザグに走った俺達は、傭兵を完全に撒いた所で、ようやく足を止めた。
「全く、酷い目に遭いましたわね」
スティアが呆れ声を出す。だがしかし、殆どこいつのせいだと思う。
俺達がじっとりと視線を送ると、スティアは戸惑うように一歩下がった。
「な、なんですの?」
「はぁ……何でもねぇよ」
「本当に? 本当にですの?」
「それより宿をどうするか考えねぇとなぁ」
「ねぇ、貴方様? 本当に、本当に、何でもないんですのよね?」
この町を牛耳る傭兵達を完全に敵に回してしまった。この路地から出れば即見つかり、また執拗に追われるだろう。
この路地からどうやって町に出るのか。スティアがおろおろしているが、そんなことよりも今の状態を何とかするのが先決だった。
「どうする? もう町を出ちゃう?」
確かにホシの言うように、ひっそりと町を出るのも一つの手だろう。
ただそれは最終手段にしておきたい。
だって、なぁ。
「いや、俺はベッドで寝たい」
「あたしもー」
バドも大きく頷く。
つい先程まで宿に泊まろうと話をしていたせいで、頭の中の自分は既に、宿に泊まってまったりしているところなのだ。
トンタリオから十日かけて歩いてきた俺達にとって、寝心地の良いベッドは何よりの優先事項だった。
あんなチンピラまがいの傭兵なんぞ、それを揺るがす程の障害にはなり得ない。
目を盗んで宿に駆け込めば何とかなるだろ。そう適当に考える程度には、先程のトラブルは些事だった。
「それじゃそういう事で。引き続き宿探すか」
「わーい!」
「だからスティア。案内頼むわ」
「え? え、ええ。構いませんけれど……」
俺達三人が目を向けると、置いてけぼりだったスティアは戸惑いがちに首を縦に振った。
しかしまだ何か言いたそうな顔をしている。しょうがねぇなぁ。
「ほれ、さっさと行こうぜ。いい加減疲れたわ。お前お勧めの宿ってのに連れてってくれよ。期待してるからな」
「あ、は、はい! このわたくしにお任せあれ!」
ニッと笑うと、スティアはぱあと表情を明るくする。そんな彼女の手をホシもぐいぐいと引いた。
「すーちゃん、早く行こう?」
「ええ。こんな所からはさっさと出てしまいましょう。ちょっと待って下さいね。えーっと、今の場所は、と」
スティアはそう言って周囲の様子を伺う。
だがここはどこにでもあるような、ただの細い路地だ。目印になるような目立ったものは何もない。
スティアもそれにすぐ気が付いたようだ。バドに向き直り、
「バド、ちょっと腕を拝借しますわね」
と、上を指さしながらそう言った。
バドがこくりと頷けば、スティアはタンと地面を蹴る。
すぐに両手を前に組み、腰を落とすバド。その手に足を置いたスティアは、バドがすくい上げる力も利用して、上空高くに跳び上がった。
「おーっ! 高い高い!」
屋根より高く跳んだスティアに、ホシが両手を上げて楽しそうな声を出す。
スティアは上空で周囲の様子を確認すると、くるりと回りながら降りてきて、華麗に着地を決めた。まるで曲芸師だ。
「ばどちん、あたしも! あたしも!」
「ホシー、後にしろー」
すぐに自分もとバドに絡み始めるホシ。それに釘を刺すと、ホシはむーっと頬を膨らませた。
「今の位置ですと、少し回り道をした方がよさそうですわね。こちらから参りましょうか」
スティアはホシのそんな表情に軽く笑いつつ、進むべき方向をピッと指差す。
あの一瞬で向かうべき場所と、傭兵達を避ける道順まで確認したらしい。
何と言ったらいいのだろう。にこやかに顔を向けるスティアに、俺はただただ舌を巻いた。




