176.不要な評価
トンタリオの町で一泊した俺達は、そこからまた南東へ向かい、十日かけて一つの町へと辿り着いていた。
町の名前はグレッシェル。特に噂も何も聞かない町だが、スティアが言うにはヴァイスマン領ではかなり治安の良い町なのだそうだ。
そんな話を聞いていたからだろう。俺はその町に足を踏み入れた途端、困惑から声を漏らしてしまった。
「……なんだありゃあ」
町の中にはちらほらと、傭兵らしき男達の姿がある。彼らは周囲の目も気にせず、ガハハと笑いながら大通りを我が物顔で闊歩していた。
そんな彼らを見る町人達の目には怯えの色が浮かんでいる。奴らに近寄らないように、皆こそこそと大通りの隅を小さくなって歩いていた。
とてもじゃないが治安が良いようには見えない。念のため、俺はさりげなくフードを深くかぶり直した。
「以前来た時とは随分と様子が違いますわね」
「そうなの?」
スティアが言うと、彼女と手をつないでいるホシがその顔を見上げた。
「ええ。以前はこんな傭兵達に、町を我が物顔で歩かせるなんて事はありませんでしたわ。町人達も明らかに彼らの様子を伺っておりますし……。何かあったのでしょうか?」
スティアは小首を傾げてそう言うが、それが何年前なのか分からない以上、俺からは何とも言いづらい。
まあ昔は昔、今は今だ。俺達にとってはただの通り道。一泊してそれで終わりというだけの町なんだから、あまり気にしない事にしよう。
今はまだ昼を少し過ぎたくらいの時間帯だ。急いで宿を取る必要もない。
トンタリオの件もまだ報告していないし、到着の連絡も兼ね、まずはギルドに行こう。
「スティア、この町に冒険者ギルドがあるんだろ? 場所は覚えてるか?」
「えーっと。……どこでしたっけ。ちょっとうろ覚えですわねぇ」
どうにも自信がなさそうに言うスティア。この様子だと、やはり彼女がここに来たのは随分前の事なのだろう。
スティアは「んー」と記憶を掘り起こそうとする。だがその手をホシがぐいぐいと引っ張った。
「歩いてたら思い出すんじゃない? 行こう行こう!」
「そうでしょうか? うーん、確かこっちだった気がしますわ」
ホシに引っ張られるまま二人は前を歩きだす。俺とバドは顔を見合わせた後、ゆっくりとその背中に続いた。
西門からずっと続く大通りを歩く。旅人目当てだろう、食べ物のいい匂いが漂ってくる。だがそれに反して、街には妙に活気が無かった。
普通ならこう、店の中から明るい声が聞こえてくるはずなのに。
冷え切った空気が街を覆っている。あまりにも不自然な雰囲気が、俺をどうにも困惑させた。
「何なんだこの町は?」
誰ともなしに呟く。
最初俺は、魔族に襲われた影響なのかと思った。しかしこうして町を歩けば戦闘の影は殆ど無く、深刻な影響があったようには見られない。
だというのに、周囲を歩く町人達の表情はすこぶる辛気臭いものだ。
どうにも気になってしまい、目だけを動かして周囲の様子を伺いながら歩く。
そんな時、バドが視界の端でサッと動いたのが分かった。
「バド?」
何か気にかかるものでもあったのだろうか。俺は声をかけながらそちらを見る。
だがその先にあったものを視界に捉え、肩を落とした。
「……まあ、お前はそうだよな」
バドはただ露店に並びに行っただけだった。売っている食い物が気になったんだろう。まるで躊躇いが無いその背中に脱力してしまう。
一方、前を歩く二人は全く気づいていない。握った手を楽しそうに振り、話をしながらどんどん遠くへ行ってしまう。警戒している俺が馬鹿みたいだ。
「ああもう……しょうがねぇな」
俺は頭をガリガリとかきながら、前の二人へ声をかけた。
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「ヌォッホッホッホ! ようこそグレッシェル冒険者ギルドへようこそ!」
予想したくなかったが予想通り。そこには奴がいた。
頭の両脇を刈り込み中央をアップにするというツーブロックの髪形に、丸眼鏡に蝶ネクタイ。とは言え今回は別人なんだろうとすぐに分かったが。
だってさ。
「わたくし、グレッシェルギルドの窓口を担当しております、ウーケィと申します。どうぞよろしくお願いしますどうぞ! ヌォッホホ!」
そいつはもっさりと蓄えたあご髭をしごきながら、バチリとウインクをした。
気持ち悪いからやめろ。剃り尽くしてやろうかその髭をよ。
俺達はあの後バドの買い食いに付き合いながら、観光がてらゆっくりと大通りを歩く事にした。
しばらくそうして歩いていると、スティアも町並みを見て段々思い出してきたらしい。彼女の指差す通りに道を進み、こうして冒険者ギルドまで真っすぐ来ることができた。
まあそこでこいつが例の如く待ち受けていたわけだが。
「ねえねえ! 何かお手紙来てない!?」
げんなりする俺をよそに、ホシがカウンターにへばりつく。ルーデイルで手紙を返して以来、コイツはずっとそれを楽しみにしていたのだ。
「お手紙ですかな? ヌォッホッホ! その前に冒険者証を拝見しますな!」
「はい!」
元気よくホシが渡した冒険者証を手に取ったウーケィ。奴はパーティ名に目を落とし、そして首を横に振った。
「”エイク様親衛隊”宛ての手紙はありませんなぁ」
「ぶーっ……」
ルーデイルでエーベルハルトに返した手紙。それにはホシの悪戯書きが残ったままになっていた。
当初、ホシが書いた部分は切り取ろうと思っていた。だがそうしようとしたところ、「せっかく一生懸命書いたのに!」とホシの奴が大騒ぎをしてくれたのだ。
結局人目を避けなければならない事情もあって根負けし、そのまま出したのだが、どうも返事はなかったようだ。
ホシは期待が外れたと頬を膨らませる。だがあの手紙じゃエーベルハルトも困惑しただろうし、当然だと思う。
「それはそれとして、ですな。パーティ”エイク様親衛隊”を、グレッシェル支部に登録しましたな!」
「どうせ明日出ていくけどな」
「そうですか! それは残念ですな! ヌォホホホ!」
台詞と違い、ちっとも残念そうじゃないウーケィ。満面の笑顔が非常に腹立たしい。
奴の顔にイラついていると、珍しいことにスティアが口を挟んできた。
「ちょっと貴方、よろしいですか?」
「はい? ああはいはい! 何でもどうぞはい!」
「何だか町の様子がおかしいのですけれど、何かあったのですか? 以前来た時はもっと活気があったように思うのですけれど」
「以前? はて? この町はずっとこんな感じですが、はて? 何十年前の話ですかはて?」
ウーケィは満面の笑顔で首を傾げる。しらばっくれてるのか本当に知らないのか全然分からん。
確かなのは、目の前の不審者に聞いても無駄だという事だろう。
何十年前と言われたためか、スティアは少しムッとする。しかしすぐため息を吐いて頭を振った。どうやら諦めたらしい。
「ああもしかして、傭兵が多いとか、そういう事ですかな? 確かにこの町では傭兵の姿がよく見られますからな! 違和感を感じるかもしれませんな! な!?」
「はぁ」
何かを思いついた様子のウーケィが、満面の鬱陶しい笑みを浮かべる。だが疲れたのかスティアは気のない返事をした。
「傭兵が多いって、何か理由があるのか?」
なので彼女に変わって今度は俺が口を挟む。するとウーケィはその胡散臭そうな笑顔をこちらにぐりんと向けやがった。控え目に言って動きがキモい。
「この町の代官、グレッシェル子爵が傭兵を重用しているのですな! 衛兵や騎士も勿論いるにはいますがな、あまり立場は良くないようで、肩身が狭いようですな! まるでわたくしのように、ですな!」
「お前のどこに肩身の狭さがあるんだよ……」
でかい声で心にもないことを言うウーケィに呆れ声が出る。だが奴は最後まで満面の笑みであご髭をしごいていた。
本当に何なんだよこいつの一族はよ!
「この前の戦争で、魔族がこの町を襲ってきたのですがな。その時に撃退したのは主に傭兵らしいのですな! だからか、最近は余計に気が大きくなっておりますな!」
それが本当なら大したものだ。
だがそう言いつつも、ウーケィは俺達に注意を促してくる。
「ま、あまり傭兵には関わらないほうがよろしいですな! 彼らは自分達の立場というものを、それはもうよぉく知ってますからな! 下手に因縁をつけられると、それはもう面倒臭くなりますな! ええそれはもう!」
ウーケィはそう言って、ヒゲの間から白い歯をのぞかせた。
情報は有益だった。しかしこれ以上コイツに関わるのはよそう。無駄に疲れる。
俺は奴に軽く手を上げて返し、すぐに背中を向けた。
「しかしすみませんなぁ、手続きが遅くなっておりまして」
「ん?」
が、奴の口から出たその一言に引っ掛かり、不本意にもまた振り向くことになってしまった。
「何の話だ?」
「おや、ご存じない? 皆さんの事なのにご存じない?」
不機嫌を隠さずつっけんどんに聞き返すが、馬鹿の耳に風。奴は愉快そうにあご髭をしごき続けた。腹立たしい事この上ない。
とは言え奴の言う事に心当たりがないのは確か。俺達が皆黙っていると、奴はニヤリと目を細めた。
「本当にご存じないようですな。宜しい、わたくしからご説明致しますな!」
そしていかにもわざとらしく咳ばらいをした。
「皆さまは今冒険者ギルド本部にて、審査の真っ最中なのですな!」
「審査って何だよ」
「それはもちろん、ランク昇格に決まってますな!」
「えっ!? ランク昇格!?」
得意そうにニヤリと笑うウーケィに、スティアが俺を押しのけ、ずいと身を乗り出す。
「左様ですな! パーティ”エイク様親衛隊”は、先日発生した大海嘯を制した立役者。ハルツハイムの伯爵様からの後押しもあり、ランクA、もしくはランクSに上がることが既に確定しておりましてな。今はそのどちらかにするか協議中というわけですな! ご理解いただけましたかな? かなかなかな?」
「なるほど! それは朗報ですわ!」
嬉しそうな声を上げ、スティアは興奮気味に何度も頷く。だがそれに反して俺の顔は引きつっていたと思う。
昇格すると言う事は、つまりドッグタグもそれに伴い変わると言う事を意味する。
俺達は自分達の素性を隠して旅をしている身だ。それなのにランクAだのSだのになったら否が応でも目立つ。それはあまりにも都合が悪かった。
このままEでいたいところだが、どうするか。昇格するなら冒険者を辞めると言う手もあるが。
色々と考えつつ、はしゃぐスティアを黙って見ていると、そんな俺のローブをホシがくいくいと引っ張ってきた。
「えーちゃん、どうかしたの?」
彼女は俺を丸い瞳で見上げ、どうしたのかと問うてくる。
「いや、ランクなんて上げたら目立ってしょうがないだろ? わざわざ偽名まで使ってるってのに、自分から人目に付きに行くとか、ありえねぇからな」
「なら断ったらいいんじゃない?」
「断れるもんかね?」
「聞いてみればいいじゃん」
ごもっとも。何言ってんだと当然のように言うホシに、それもそうかと納得して、俺は騒いでいるスティアをぐいと押しのけた。
「それ断れんのか?」
「ヌォホ? お気に召しませんかな?」
「召すか召さねぇかって言われたら、もちろん召さねぇな。断れんなら断りたいんだが」
「そ、そんなぁ! 貴方様と駆け上がるサクセスストーリーがっ!」
まだ言ってんのかそれ。駆け上がる予定なんてねぇって前にも言ったろうがっ。
騒ぐスティアを尻目に、ウーケィは目を細めて髭を三つ編みにし始める。不覚にも凄ぇ気になるから止めろ。
「ヌォホ……そうですなぁ。しかしこれほどの成果を上げた方々を評価しないと言うのも、ギルドとしては宜しくありません。冒険者達の不信感にも繋がりますからな。不信感に」
不審者が何か言ってるが、まあ言われればそうだ。正当な評価を組織の上がしないとなれば、不信感が生まれて当然だ。
俺はこれでも山賊の頭や、師団長をやってきた経験がある。その理由に共感できてしまい、どうしたもんかと腕を組んでしまった。
こちらの事情を優先しつつ、相手の意見も汲む方法が無かろうか。
うーむと悩む。そんな俺の肩を、今度はバドがつんつんと突っついてきた。
「どうした? ――うん?」
何かと思い振り向けば、バドが冒険者証を持って、これこれと指さしている。……なるほど。その手があるか。
俺はバドに軽く手を上げてから、またカウンターに振り返る。
「なら個人のランクじゃなくて、パーティランクをAかSに上げてくれ。それなら飲む」
「しかしですなぁ――」
「どうしても個人のランクを上げさせろって言うなら、俺達は冒険者を辞めるぞ」
「そ、そんなぁ! それはあんまり――むぐぐぐっ!」
抗議するスティアの口をバドがそっと黙らせる。俺はそれをチラと横目で見てから、正面に座る奴を見据えた。
「分かりましたな。上にはそう報告を致しましょう。どうせわたくしには決定権などありませんからな! ヌォッホッホーッ!」
こちらの意思を感じてか、無責任な台詞を吐いたウーケィ。
その場は結局、そんな奴の言葉で解散となった。
「先ほども申しましたが、傭兵にはお気を付けを。面倒事があっても我々は一切関与しませんので、ご心配なく、ですな!」
何の心配だ。言葉がおかしいだろうが。結局自分の尻は自分で拭けって事かよ。
奴の楽しそうな笑顔に呆れつつ、俺達はギルドを後にした。
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「――っつってもなぁ」
これは不可抗力だよ。
「貴様ッ! 誰が下らないブ男だッ! 言えッ! 言ってみろッ! このド腐れがぁーっ!」
ぐったりと四肢を伸ばした傭兵に掴みかかり、スティアが何か言っている。
周囲には同じくのされた傭兵達が大通りに大の字になっており、それを遠巻きに町民達が眺めている。
その視線には恐れが混じっていて、誰も口を開かない。大通りにはスティアの声だけがやけに響いていた。




