175.王都にて その返事は
聖魔大戦を魔王封印という形で終えた事実は、国民にとってはまだ記憶に新しい偉業である。
とは言え時が経つのは早いもの。新たな英雄譚が紡がれてから、もう二か月の月日が過ぎていた。
当時、まだ夏から秋へと向かう残暑の続く時期だったが、今はもうそれを懐かしく感じられる程には、肌寒い時期へと移り変わっている。
王国中央に鎮座するゼーベルク山脈には、気の早いことに、もう頂きが白く染まり始めている霊峰もある。
そんな山の表情に冬の訪れを感じ、準備を始める国民は多かった。
とは言え王国に雪は降らない。降ったとしても精々、北部西端のごく一部地域くらいだ。
準備と言っても慌ただしく動く必要もなく、皆ゆっくりと冬への準備を始める。
それはこの王城に住む者においても例外ではなく、そろそろかと、腰を上げ始める者もぽつぽつと現れ始めていた。
ただ、それは王城勤めの下働き達のことであって。
今この庭園で顔を合わせる者達においては、全く関係のない話であった。
王城ファーレンベルクが誇る庭園には、今日も美しい花達が咲き誇っている。
春には春の。夏には夏の。冬には冬の。
そして今は、秋色美しい可憐な花々が、庭園を明るく彩っていた。
そんな花達に囲まれて、庭園中央のテーブルに集まる者達の姿がある。
お付きと思われる数人や、一人の騎士。そしてテーブルには、それらの主君だろう三人が、相対するように座っていた。
そんな三人の内の一人。ライトエルフの女王、ヴェティペール・フォヴァニ・クルエストレンは、いつものように、輝くプラチナブロンドを美しく結い上げた姿でそこに座っていた。
ただ、浮かべる表情は普段のすまし顔ではない。控え目ではあるものの、明らかに楽しそうな感情が含まれており、いつものたおやかさは少々隠れてしまっていた。
もう一人の女性は、ダークエルフの女王、ドロテア・ラヌス・ジェドライゼ。彼女もまたいつものように煽情的な装いに、腰まであるシルバーブロンドを肩にかけ、足を組んでゆったりと椅子に腰かけている。
余裕たっぷりの姿勢。だがその表情に浮かべるのは、苦笑だった。
きっとヴェティペールの浮かべる笑みに、心当たりがあるのだろう。
そして、それは目の前に座る男もまた同様であった。
「今日はお招き頂きありがとうございます。ヴェティペール様。ドロテア様」
「お久しぶりです、エーベルハルト様。またお顔が見れて嬉しく思います」
「うむ。思いのほか元気そうで安心した。実に喜ばしいことじゃ」
その男、王子エーベルハルトは、その笑みの意味をある程度理解しつつ、二人と挨拶を交わす。
二人もまた柔らかい言葉を口から紡ぎ、彼を快く迎え入れた。
「さて、固い挨拶は最初だけで十分じゃ。ここからはいつも通りで良かろう」
「そうですね。誰が聞いているでもなし。まあ、聞いていても全く問題はありませんが」
最初こそ立場もあり、ある程度儀礼的に挨拶を交わした三人。だがこの五年の内に、友誼を深めた仲でもある。
威厳のある空気は離散して、あっという間に弛緩する。エーベルハルトもその例に漏れず、二人の笑顔に軽くため息を吐いて返した。
「しかし、全く……随分と白々しい事を言ってくれますね。何がまた顔が見れて嬉しい、ですか。一体誰のせいで、こちらがこうも忙しくしていると思っているんですか」
「お主のせいじゃろ」
「貴方のせいですね」
エーベルハルトは恨めしそうに二人を見る。しかし二人の女王は頬を緩めつつ、そんなことを口を揃えて言い始めた。
「お主も理解しておるのじゃろ? 我らがすとらいきをしている理由を。流石に分からんとは言わんよな」
「以前からあった問題に、目を塞いでいた代償でしょう。我々は友誼を結びましたが、しかし許容できる限界と言うものがあります。こうなっては動かぬ方が不自然です」
穏やかな表情とは裏腹に、二人の言葉にはいくつもの鋭い棘があった。その棘はエーベルハルトの良心にグサグサと突き刺さり、彼の表情を歪めさせた。
「……俺も、何もしてなかったわけじゃないんだがなぁ」
「その言葉は聞き飽きたわ」
バツが悪そうに呟いた彼だったが、しかしその言葉を聞きとがめたドロテアは、厳しい視線を彼に向けた。
「のぅ、エーベルハルトよ。お主はこの国の次期国王なのじゃろう。どのような行動をしようと、民が見るのは過程ではなく結果じゃ。お主が板挟みになっていたのは知っておる。じゃが儂の目から見ても、お主の行動には甘さがあった。それを自覚せねばならんのではないかの」
三百年前に勃発した第一次聖魔大戦。その経験から人族を信じられず、同族からは魔族に参戦すべしとの声が当初は上がっていた。
だがそれを跳ね除け人族との共闘に踏み切ったのは、ひとえにドロテアに対しての、民が抱く信頼によるところが大きい。
そしてその信頼は、間違いなく彼女が出してきた結果によるものであった。
三百年以上に渡り、ダークエルフ達の未来のため、身を粉にしてきたドロテア。そんな彼女だからこそ、エーベルハルトのやり方にむず痒さを覚えずにはいられなかった。
とは言え人族の問題は人族の問題だろう。ダークエルフに直接の被害が無かったこともあって、そう考るに至り、本格的な口出しは避けていた。避けていたのだが。
戦争が終わり、エイクの功績を無下にする結果に終わったこの結末に、ついにダークエルフ達が爆発することとなり。結果ドロテアも静観することを止めたのだ。
「お主はもう少し、誰かを頼ることを覚えた方がよい。一人でできることなど限られておるのじゃからな。のう、イーノ?」
もう言いたかったことを我慢する必要はない。そうして口から出てきた言葉は、的確にエーベルハルトの痛い所を突いた。
渋い顔を見せるエーベルハルト。そんな彼から目を外し、ドロテアはその後方に立つ騎士へ同意を求めた。
「全くです。殿下は自分でできないことも一人でしようとするので、私もほとほと困り果てているのです」
「……お前、そんなこと思ってたのか?」
「ええ、常々思ってましたよ」
「言えよ、そういう事は……」
「失礼かと思いまして」
「今の台詞の方が失礼だよ!」
全くである。だがイーノはしれっとした表情で、その場に立つばかりだ。
二人のやり取りに女王二人はくすりと笑う。こんな掛け合いも、この五年の間に見慣れたものだった。
こんな気安いやり取りは、一国の王子であれば到底考えられないものだ。
目にした当初は、ヴェティペールもドロテアも、立場のある物が見せる姿ではないと眉をひそめたものだった。
しかしエーベルハルトの気安さは、人族だけではなく、当時険悪だった他種族に対してまでも分け隔てなく向けられる、尊いものだった。
暇を見つけてはエイクらに混じって騒ぐエーベルハルトの姿に、他種族の皆は徐々に心を開いていく。
そんな姿に感化させられたからこそ、ヴェティペールもドロテアも、最終的に人族を信じることに決めたのだ。
きっとこの王子が治める国ならば、信じるに足るであろう、と。そう思わされたのだ。
エーベルハルトの持つ気安さは、本来人を統べる王族には、あってはならないものだったのかもしれない。しかし彼は気安さと共に、王族であることの矜持も持ち合わせていた。
そのカリスマ性は、他種族の信頼を勝ち得る大きな勝因となり、未曽有の危機から王国を救い、結果王子は英雄となった。これは誰もが認めるところだろう。
だがそれは、信頼を得た要因の半分でしかない。残りの半分はと言えば、こちらは人族に認められず、この王都から失われることになってしまった。
その半分の価値を認めさせるため、行動していた他種族達。その結果が今日王子の手に戻ってきたと聞いては、じっとなどしていられなかった。
「王子の振る舞いについては、私も思うところはありますが。ただ本日お招きしたのは、小言を言うためではないのです。それは後程」
ヴェティペールはこほんと一つ咳払いをして、皆の視線を集める。後で小言があるのかとエーベルハルトは一人げんなりしていたが、空気を察してそこには口を挟まなかった。
「本日、非常に良い知らせを耳に致しまして。どうやらエイク殿から、何らかの報せが届いたそうですが、いかがでしょう」
「……随分耳が早いことですね」
エイクから届いた手紙は、冒険者ギルドに届いたものだったが、しかし王家へ届ける文でもあるため、扱いは慎重に扱われた。
だと言うのに、森人族には筒抜けだったらしい。
呆れたように言ったエーベルハルトに、ヴェティペールは笑みを返した。
「差し支えなければ内容をお聞かせ頂けないかお願いしたく、こうしてお招きしたのです。不躾だったことは申し訳なく思いますが、しかし私達二人が執務室に押し掛けるわけにも参りませんからね」
「そういうわけじゃな。何かあったのかと勘繰られても、面白くないからの」
今現在ストライキを行っている森人族の女王二人が、王子の執務室へ押しかけた、なんて話が広まれば、いらぬ想像をする者がでる可能性もある。
それを想像できないエーベルハルトではなく、彼も二人に問題ないと返した。
だが――
「別に話をするくらいは全く構わないんですが。ただ、な……」
王子の表情に困惑の色が浮かんだ事を見て取って、二人の女王は不思議そうな表情を浮かべる。
「いや、言うよりも見てもらった方が早いか。これは口じゃどうにも、説明できない」
「説明できない? どういう意味ですか?」
「言葉の通りですよ。……これがその手紙なんですが。どうぞ」
そう言って、王子はエイクからの手紙を懐から取り出した。
テーブルの上に置かれたのは三通の手紙。二人の女王は身を乗り出してそれを見る。
そして、同時に固まった。
そこに書かれていたのは、「いやどす」というわけの分からない返事。その他には、子供の手によるものだろう、何人かの似顔絵だけが書かれていた。
予想もしていなかった内容に、女王二人は言葉を失う。王子も渋い顔を浮かべていた。
何とも言えない気まずい空気が三人を包み込む。ただ一人、後ろの騎士だけは頬をひくつかせて笑いをこらえていたが。
「あいつ、こんなものを返して寄越したんですよ。断るにしても、もっと言い方があるだろうに。いやどすって何だよ……。どう反応したらいいんだ、俺は」
「笑えばいいと思いますよ」
「うるさいよお前は! さっきから何なんだよ、俺に恨みでもあるのか!?」
「ええまあ」
「ええまあ!?」
茶々を入れるイーノに突っ込むエーベルハルト。急に始まった二人の漫才に、女王二人の時はゆるゆると動き出した。
「いやどす、のぅ……」
「いやどす、ですか……」
二人は同時にぽつりと呟き、再び手紙に目を落とす。その手紙には、共に旅をしているだろうエイクら四人の他に、エイク様親衛隊のメンバーの顔も、拙いながら描かれていた。
アゼルノやククウル、カカー。他にも数人の顔があり、そこに自分達の顔も同じく描かれているのが二人の目に映っていた。
エイク様親衛隊No.8、ヴェティペール・フォヴァニ・クルエストレン。
エイク様親衛隊No.9、ドロテア・ラヌス・ジェドライゼ。
スティアが親衛隊を作ったと聞いて、呆れながらもメンバーに入った二人。
だが女王自らが一個人のため、武器を取るなどありえないことだ。彼女らがそこに名前を連ねたのは戯れであり、本当に親衛隊員として戦うという意味は含まれていなかった。
しかし、戯れというのは意図の半分。もう半分の意図は、意思の表明。
女王の名が親衛隊に刻まれている。それはつまり、必要とあれば森人族が後ろ盾になるという、エイクに対しての親愛を示すものだった。
手紙にある皆の顔は、誰も彼もが笑顔だった。親衛隊ではないが、イーノやエーベルハルトと思われる顔もある。それもまた、にこにこと非常に嬉しそうな顔をしていた。
皆が見せる無邪気な笑顔。それにヴェティペールもドロテアも、徐々に頬が緩んでいく。
「この似顔絵のように皆が笑顔であれたなら、どれだけ良かったことじゃろうの」
「そうですね……。たったそれだけのことが、何と難しい事か。あれだけの戦火を経ても尚、醜い争いを続けようなんて……人間とはなんて愚かなんでしょう」
ヴェティペールの呟き。その声色に滲む自嘲に、ドロテアはかつてのことを不意に思い出していた。
森人族らが王子軍に接触したのは、元々、バドのことを取り返すために過ぎなかった。
森人族にとってバドの存在は、見ぬふりをするなど到底できないものだった。
彼を発見したという報告を受けた森人族達は、人族と事を構えることも辞さない覚悟で戦士達を引き連れて、王国北部を巡っていた王子達に接触したのだった。
彼らは王子軍に接触してすぐに、バドを解放するよう彼らに要求した。が、しかしそれを王国軍は飲まなかった。
その理由は、彼らが一人だったバドを保護しており、バド自身もエイクらと離れることを拒否したという、たったそれだけの事だったのだが。
それでも森人族達は原因が人族にあると疑わず、彼らに付きまとい、事あるごとに散々噛み付いたものだった。
王子軍やエイク達のことを、バドを理由もなく拘束する卑劣な輩だと。人族はやはり仁義など持ちえない非情な種族であると。そう何度も痛烈に食って掛かったものだった。
最終的に、魔族との戦争が終わったら、バドを里に連れ帰るという話に落ち着いたため、それなら手を貸してもいいと戦争に参加しただけだった。
それがまさかここまで入れ込むことになるとは、当時は誰が思っただろう。
ドロテアは自分の似顔絵をじっと見つめる。
ここには共に戦った仲間達がいる。ダークエルフだけでなく、ライトエルフ、鳥人族、龍人族に、人族に。
だから自分は笑顔でいられるのだろうか。
そして里に帰った時、果たして自分はこのような笑顔でいられるだろうか。
(全く……本当に、嫌になるの。人間と言うものは……。長く生きれば生きる程、思うようには生きられぬ。儂もそろそろ隠居をするべきかの)
里を離れて間もない頃、一体何度故郷を思っただろう。だがしかし最近は、殆ど思い出すことが無くなっていた。
ドロテアは隣をチラリと見る。そこに座るライトエルフの女王は、寂しそうな、困ったような、そんな感情を顔に浮かべていた。
未だに言い合いをしている王子と騎士団長。その声を聞き流しながら、ドロテアはティーカップに手を伸ばす。
不意に目を落としたカップの中身。そこに映る自分は、寂しそうな、困ったような、そんな笑みを顔に浮かべて、自分をじっと見返していた。




