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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四章 薬売りの天使と消えない傷跡

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174.名誉か自由か

「儂は元々こんな名前ではなかったんじゃ、腹立たしい。不名誉にも程がある」


 乱雑な部屋から部屋を移した俺達。そこは先ほどの部屋とは逆に、棚が一つ、中央に広いテーブルがあるのみの、簡素な部屋だった。

 ぶちぶちと文句を言いながら、ジジイは上半身裸になったバドに、テーブルの上にうつ伏せで寝るように指示を出した。


「儂はもともと名のある呪術師だったんじゃ。じゃが勘違いするな。儂はかける側の人間ではない。人を守るために呪いを研究しとった魔術師じゃ」

「へぇ、そんなのがいるのか」

「フン。ま、平民には関係ないじゃろ。呪いをかけられる人間……つまり、そういう事をされる可能性が少しでもある人間というのが、いるところにはいるもんなんじゃ。この世にはな」


 面白くもなさそうにジジイは言うが、それですぐに分かった。為政者だったり権力者だったり、そういう奴らの事を言ってるんだな。

 確かに呪いなんてかけられそうな奴は、この国にもごろごろいることだろう。


「じゃがの。儂の名声に嫉妬したどこぞの呪術師が、儂に呪いをかけよった。自分の本来の名を忘れ、代わりにおかしな名前を名乗ることしかできなくなる呪いじゃ。おかげで儂はこの通り。しかもその呪いを解く事もできんときた。こうなっては呪術師として終わりじゃよ。こんなつまらん嫌がらせの呪いも解けんようではな」


 バドの背中を両手でまさぐりながら、苦々しい表情でジジイは言う。

 確かに大家(たいか)なんて名乗っておきながら、呪いをかけられた上解く事もできないなんて、いい笑いものだろう。


「それでこんなところで隠遁生活してるってのか」

「可笑しいか? 無様に転がり落ちた儂が」

「別に可笑しかねぇよ。ただ同情しただけだ」


 ジジイは不機嫌そうに俺を見る。だがそれもつかの間の事で、すぐにまたバドの体をまさぐり始めた。


「安っぽい同情じゃの。何じゃ、お主も覚えがある話か?」


 確かに俺はジジイの言うように、王国軍の最高幹部の身分を捨て、今こうして冒険者なんてやっている。

 他人から見れば転落人生なのかもしれない。師団長がいきなりただのプーさんだからな。

 でもそれは違う。転落したわけじゃあない。ただ、俺の意思だったのだ。


「俺は自分から捨てたんだ。(しがらみ)なんて、あっても何にも良い事ないからな。今じゃ清々してるくらいだ」

「……なんじゃと?」


 肩をすくめていう俺に、ジジイは不思議そうな目を向けた。


「むかつく野郎共の言う事を聞く必要もなけりゃ、気を使う必要もねぇ。したいこともしたくねぇことも、自分の好きにやれるし拒否もできる。何もかも思うがままだ。それ以上の事があるかよ?」


 師団長なんて肩書は、俺にとっては何の益にもならない称号だった。

 立場は高いが誰にも優遇されない。そのくせ義務だの責務だの言ってストレスのもとを押し付けてくる。

 はっきり言って、足枷のように思ったことしかなかった。


「俺は立場だの権利だのなんて、縛られるばっかりで好きじゃねぇんだ。自分の身一つ。ずっとそうやって生きて来たんだ。自分にゃ嘘はつけねぇよ。自由が一番だ。な?」

「ねー?」


 笑って顔を見合わせる俺とホシを、ジジイは唖然として見ていた。

 しかし次第にゆるゆると口角が上がり、終いにはニヤリと笑みを見せた。


「はっ! 自分に嘘はつけない、か。言いよるわ。……じゃが確かにお前さんの言う通りかもしれん。儂は元々呪術師として、己の宿願を果たすため研究に勤しんできた。敬われた昔も、転がり落ちた今も、やってることはずっと変わらんわ。生き方は変えられんらしい」


 ジジイは可笑しそうに言うと、俺の顔に目を向けた。

 その目は先ほどまでのものとは違い、緩やかな弧を描いていた。


「今まで呪いをかけられ、隠遁していることを苦々しく思うとった。じゃがやってることは変わらん上、ここじゃ何もかも自由じゃ。偉いと勘違いしとる愚か者の言うことを嫌々聞く必要もなければ、研究の成果をまとめるなんて面倒な仕事もせんでいい。考えようによっては悪いばかりじゃないの。クックック」


 何がおかしいのか、ジジイは先ほどとは打って変わって、楽しそうにバドの背中をまさぐり始めた。

 そしてその間数分。ジジイは微かに唸りながらその手をピタリと止めた。


「……これは、呪いではないの」


 俺を見る。眉間にはくっきりとシワが寄っていた。


「呪いじゃない?」

「確かに、似たような形跡はある。じゃがこれは……呪いであって呪いではない」

「呪いであって、呪いではない?」

「じーちゃん、どういうこと?」


 謎かけのようなセリフに、俺とホシは首を捻る。


「そうじゃな……。儂もこんな症状を見たのは初めてじゃ。じゃからなんと表現してよいか分からんが……」


 ジジイは俺達に向き直り、表情を真剣なものに変える。


「呪いとは、魔術――魔法の一種じゃ。人間の体には魔力が絶えず循環しておる。この流れを阻害する魔力を相手の体内に打ち込むことで、体に変調をきたす効果を生み出す。これが呪いというものじゃ。じゃが、こやつの体を見てはっきりと分かった。原理は同じじゃが、これは全く別物じゃ」

「すまん、全然分からねぇんだが」


 呪いの講釈なんて受けても、今まで興味もなく、知識もない内容だ。全然頭に入ってこない。

 一番興味がありそうなスティアも、先ほどから黙って何かを考えこんでいて、全くあてにできない状態だ。首を捻ることしかできない。


 ジジイはウームと唸り、考えるそぶりを見せる。


「そうじゃな。人間の体に流れる魔力を川とする。そのど真ん中に大岩を投げ込むと、流れは二つに分かれるじゃろ。じゃがそれは元々の川からすると不自然な状態じゃ。雨などで増水すると川が決壊するかもしれん」

「ほうほう」

「ふむふむ」


 俺とホシが相槌を打つ。でもホシは俺の真似をしているだけで、きっと分かってないだろう。こいつは興味ないことは全く覚えないから。


「人間の体も同じじゃ。ちょっとしたことで魔力を乱されると、体がおかしくなる。これが呪いの原理じゃよ。そして、こやつにも魔力を乱す何かが体にある。それは儂にも分かった」

「じゃあ、それが呪いなんじゃないのか?」

「違う。これを見よ」


 ジジイはバドの両手をまさぐっていた両手をこちらに見せる。その両手は焼け焦げたように真っ黒になっていた。


「お、おい! 爺さん、その手――!」

「まっくろだ!」

「少しちょっかいを出したらこのザマじゃ。呪いは確かに解こうとした者にも伝染(うつ)ることがある。じゃが、反撃をしてくることは絶対にない」

「んなこと言ってる場合か! 傷薬傷薬!」


 俺はポンと影から飛び出してきた傷薬を引っ掴むと、ジジイの両手にぶっかける。

 しかし当人はそんなことを微塵も気にせず、むくりと起き上がったバドの顔に視線を向けた。


「お主の体の中にあるそれが何なのか、儂には分からん。じゃが一つ言える事がある。それは、恐らくその所業が人族のものではないという事。お主がダークエルフである事を考えると、エルフのみが知る秘術なのか、それとも……」


 ジジイは両手を包帯でぐるぐる巻きにされながら、ふっと軽く息を吐いた。


「少なくとも呪いではない。儂に言えることはそれだけじゃ。すまんの」


 わずかに肩を落とすバドに、ジジイはそう静かに告げた。



 ------------------



 昼過ぎ。結局何の収穫もなく、俺達はその家を去ることになった。


 一応ジジイには、”無害な魔法使いが住んでいて、魔物が大人しくなったのは、彼の魔法でこっぴどく撃退されたためだ”と、冒険者ギルドに報告すると伝えた。

 かなりいい加減な報告だが嘘はついていないし、町人達も忘れているくらいだから、特に問題にはならないだろう。


「その程度構わん。家の補修もしてもらったし、儂には得しかなかった。一々気にするな」


 ジジイはフンと鼻から息を吐く。最初は眉間にシワを寄せているばかりの気難しい爺さんだったが、何があったのか今は少し険のとれた顔を見せていた。

 そんなに家の事が気がかりだったのかね? ホシじゃないが、本当に引っ越ししたらどうなんだ。


「儂はここで呪術の研究を続けていく。たまに魔物の邪魔は入るが、基本静かじゃからな。儂の性分に合う。それに、もうここには長い事住んどる。こんなボロ屋じゃが、愛着もあるんじゃ」


 俺の思っていた事を見透かしたのだろうか、ジジイはそう言ってニヤリと笑った。


「お主ら、これからどこに行くつもりなんじゃ?」

「ん? そうだな……」


 俺達の目的は、一旦俺の故郷に寄った後、魔族達を故郷に返してやることだ。

 ただこの場所は俺の故郷にはまだ遠い。だから今は東に向かう以外に具体的な場所はなかった。


 トンタリオの東には一体何があったか。俺はそう考えるが、ド忘れして出てこなかった。


「なぁスティア。次にあるのって何の町だっけか?」


 俺は隣のスティアに顔を向ける。しかしスティアは悩ましい顔をしているばかりで、聞こえていないようだった。


「すーちゃん、えーちゃんが呼んでるよ?」

「……え? ホシさん? 何ですの?」

「だから、えーちゃんが呼んでるよ!」


 ホシがくいくいとスティアの服を引っ張ると、そこでやっと気づいたようだ。急にわたわたと慌てだした。


「貴方様、申し訳ありません! ちょっと考え事をしてまして!」

「いや、別に構わんけど。さっきから何考えてるんだ?」


 俺が聞くと、スティアは爺さんの方へ視線を向けた。


「いえ、その解呪の大家(たいか)って言葉、どこかで聞いたような気がするんですの。どこで聞いたのか、ちょっと思い出せなくて。ここまで出かかってるんですが――」

「な、なんじゃとぉっ!?」


 スティアの言葉にジジイが大きな声を上げた。スティアにぐわと詰め寄り、更にけたたましい声を上げる。


「わ、儂のことを知っとるのか!? も、もしかして、な、名前もか!?」

「い、いえ、名前を知ってるかどうかは分かりませんが。でも解呪の大家(たいか)ってフレーズに聞き覚えがあるんですの。一体貴方、どこでそう呼ばれていたのです? 聞いても?」


 スティアがそう問うと、ジジイの顔はすっと落ち着いた表情に変わった。


「……サーディルナ聖王国じゃよ。儂はずっと昔、聖王様に仕えておったんじゃ。もう四十年も前の話になる」


 四十年前とは随分昔の話だ。俺が生まれるよりも前になる。

 そんな人物を知っているものだろうかと隣を見る。そこにあったのは、納得したような表情をしたスティアの横顔だった。


「ああ。もしかして貴方、バラージィ・リンゲールですか? 確か凄腕の呪術師とかで、わたくしも著書を持って――」

「そ、そうじゃぁぁぁぁぁあーッ!!」


 ジジイの雄たけびが森中に響き渡る。これ魔物来ねぇよな? 大丈夫か?


「儂はバラージィ・リンゲール! 解呪の大家(たいか)とも呼ばれた呪術師、バラージィ・リンゲールじゃあーっ!」


 だが俺の心配など知らず、ジジイは両腕を突きあげ、自分の名を腹の底から叫び吠えた。


「呪いをかけられて四十年! やっと、やっと解呪できたわい! はっはっは! 解けた呪いも今、より完璧にして呪詛(じゅそ)返しをしてやったわ! ザマを見るがよいわ! はっはっは! はーっはっはっは!」


 哄笑しながら物騒なことを言い放つジジイ。

 呪詛(じゅそ)返しって、言葉をそのまま受け取ると、受けた呪いを術者に返すみたいだが、そうなんだろうか。


「そうじゃ! 今そ奴は自分の名を忘れ、おかしな名前でしか名乗れなくなっとるはずじゃ! しかも儂の許可なしには解けんようにしてやった! これほど愉快なことがあるか!」


 ジジイはさも可笑しそうにカッカッカと笑う。おっかねぇなオイ。

 だが呪いが解ける切っ掛けを作ったスティアは、彼にじっとりとした視線を向けていた。


「その呪い、どうして貴方は解けなかったんですの? 今の反応を見るに、誰かに名前を言ってもらえれば解ける呪いだったのでは?」

「うっ!?」


 ジジイは先ほどまでの勢いを消し、急にばつが悪そうに視線を逸らす。

 だが俺達の視線に耐えられなかったらしい。ぼそぼそと喋り始めた。


「当時の儂は、師匠だの先生だのと呼ばれて、まあ、いい気になっとってな……。呪いをかけられたから名前を呼べなど、プライドが許さなかったんじゃ。弟子にも普段から、呪いをかけられる呪術師など三流じゃ! なんて公言しとったからな……」


 どうしても自分の力だけで呪いが解けない事を知った彼は、弟子以外に自分の名を知る者を探してひっそりと王宮を出たらしい。

 しかし彼の名を知るものはおらず、結局四十年もの時が経ってしまった。

 下手な意地さえ張らなければ今でも王宮勤めだっただろうに。

 そう言うと、彼はふぅとため息のような息を吐いた。


「いいんじゃ。今思えばあの時の儂は、他人の事など何も考えない傲慢な人間じゃった。恨みを買うのも当然じゃったんじゃろう。確かに四十年、自分の名前を思い出せん事に私怨はあった。じゃが……もう過ぎた事じゃ。呪詛(じゅそ)返ししてやっただけで十分気がすんだわい」


 そして顔を上げる。その胸には確かに、後悔の感情は含まれていなかった。


「色々と貸しができてしまったの。過去の栄光とは言え、儂もかつては大家(たいか)と呼ばれた人間じゃ。何かあれば呼べ。それと、そっちのお主の事も引き続き調べてみよう。こんなままでは格好がつかんしの」


 爺さんはそう言って、包帯で巻かれた手を軽く振りながら歯を見せて笑った。

 その顔は、今までの不愛想なものとは違い、晴れ晴れとした笑顔だった。


 ちなみに。俺達の連絡先が知りたいというので、パーティ名が”エイク様親衛隊”であることを告げると、彼にはひじょーに微妙な顔をされてしまった。

 いや、俺が呼ばせてるわけじゃねぇんだ。だからその目を止めてくれ。

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[一言] 呪詛返しはハゲ·チャビーンとか名乗らせたのだろうか
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