172.情報屋
結局その塩漬け依頼を請け負った俺達は、冒険者ギルドを出て、服飾店リィリンに向かおうとしていた。
が、思いがけずそんな俺達の背中に声がかかった。
「ちょっとちょっと、おにーさん。そんなに急いでどこ行くんですかー?」
おにーさんではなくおじさんだが、つい振り向いてしまう。違ったら赤っ恥だったが、幸いにもそこにいる人物は俺に向かって笑顔を見せていた。
「どうもどうも。初めましてー。ちょっとお話いいですかー?」
そこにいた人物は、長いピンクブロンドを後頭部で一まとめにした、スレンダーな体系の若い女だった。
革のジャケットを羽織り、パンツスタイルで長いブーツを履いている。特徴的なのは、背負った背嚢と左右のウエストバッグだろうか。いずれもかなり大きいサイズのものを身に着けている。
背はあまり高くない。女の細さも相まって、やけに背嚢が目立って見えた。
その女は妙にニコニコとこちらに近づいてくる。だが、それを警戒したスティアが俺の前に歩み出た。
「貴様、そこで止まれ。もしそれ以上近づくようなら――」
「待って待って! そんなに警戒しないで下さいよー! 変なことはしませんって!」
スティアのあげた低い声に、女は慌てたように両手を振る。しかしそんなそぶりを見ても、スティアは警戒を緩めなかった。
そうだろう。その女、妙に気配が”薄い”。ホシもそれを感じてか、バドの肩からぴょいと飛び降りてきた。
「お前は一体何もんだ? 俺に何か用か?」
「あっ、そうですそうです! ついテンション上がっちゃって、名乗るのを忘れてましたよーアハハー!」
可笑しそうに笑った後、その女はコホンと咳ばらいを一つすると、右手を胸に当てる。
「私の名前はローズ。しがない情報屋をやってましてー。どうぞお見知りおき下さいな」
「ローズ、ねぇ……。明らかに偽名じゃねーか」
「そーいうことは分かっても黙っていて下さいよー。せっかくの雰囲気が台無しじゃないですかー」
身体的な特徴を取って偽名にするなんて、使い古された手段だ。そのピンクブロンドに視線を向けながらカマをかければ、女は悪びれもせずにへらりと笑う。
「で、何だって? 情報屋だ?」
「ええ、ええ。そうなんですよ。それでね、耳寄りな情報があるので、どうかと思いましてね。どうでしょー? お一つ買っていきませんかー?」
彼女は俺を見てにんまりと笑う。だが。
「しだんちょー様には有用だと思うんですけど、ねー?」
女がそう口にした瞬間。スティアの体が弾かれたように動く。
俺がそうと気付いた時にはすでに、スティアはその女の首筋に刃を添えていた。
「貴様……何者だ? 吐け」
「ちょ、ちょっとちょっと! だから何も変なことはしませんって!」
「黙って答えろ。返答次第では――」
スティアは短剣を彼女の首に軽く当てる。女は参ったとでも言うように、両手を高々と上げた。
「あ、あのですねー! シュレンツィアであんなに騒いだ癖に、ばれないとでも思ってるんですかー!? 私らも商売ですから。舐めてもらっちゃー困るんですよねー!」
「む……」
口を尖らせて女が言えば、スティアもためらうように声を漏らした。
確かにあの騒動を知っていれば、俺達が誰かなんてすぐ分かる。まだ疑いは晴れないが、王都からの追っ手ではなく、本当にシュレンツィアから俺達を追ってきた奴かもしれない。
「あー、スティア。もういいわ」
「……承知しましたわ」
俺はがりがりと頭をかく。スティアも渋々と言った様子で短剣を降ろすと、鞘に戻しながらトントンと後ろに飛んで戻ってきた。
女はわざとらしく息を吐き出しながら首元を撫でている。だがその顔には汗の一つも浮かんでいなかった。大したタマだ。
「いきなり悪かったな。で、情報が何だって?」
「あのあの、できればもっとちゃんと、心を込めて謝って貰いたいんですけど。私が詰め所に駆け込めば、そちらも都合が悪いでしょー?」
「あのな。そう言うなら気配を消しながら近づいてくるな。警戒されるのも当然だろうが。暗殺者かと思ったわ」
「あ、あれ? そうでした? んー……で、でもでもっ。こーんな可愛い美少女捕まえて、暗殺者は無いと思いますけどー?」
頬に人差し指を当ててにぱっと笑うローズ。自分で美少女とか言ってたら世話ねぇわ。
ってーかその言い草、暗殺者はみんなブスって言ってるのと同じだぞ。お前暗殺されたいのか? スティアが青筋立ててるぞ。
「で、一体何の用ですの? わたくしたちも暇ではないので、さっさと済ませて頂きたいのですが」
彼女の笑顔に露骨に顔を歪めるスティア。こいつは変に愛想を振りまくタイプが好きじゃないからな。
そんな冷たい態度の意味を知ってか知らずか、ローズはたははと困ったように笑った。
「あらら。ちょーっと雑談でもと思ったんですけど、まーお急ぎなら仕方ないですねー。早速本題に入りましょーか。とは言えこういうのはまず信用が必要だと思いますから、先にサービスで一つ、お役立ち情報を教えちゃいましょーかねー」
「そりゃ景気の良い事だな」
「ふふん、そうでしょう? さてさてっ。なーんにしよーかなー……っと」
情報屋にとって、情報は飯のタネだ。それをタダとは太っ腹なことだ。
ローズはウエストバッグから手帳を一つ取り出してパラパラとめくる。
「あ、こんな情報でどうでしょーかね? 北部のとある領のことなんですけど。ピンコット領って知ってます?」
そして、あるページでその指を止めた。
「ピンコット……? あ、確か、お前と初めて会ったとこじゃなかったか?」
王子軍がまだ王都に帰還しておらず、各地を回り戦力を募っていた時の事。そのピンコット領にも行ったが、その時に偶然スティアと会ったのだ。
当時、スティアは森に繁殖した魔物、巨大百足の駆除依頼を引き受けてそこに来ていたのだが、その繁殖数が予想を遥かに超えており、苦戦をしていたのだ。
そんな時、偶然そこに来た王子軍が加勢し、討伐に協力することになった。それが俺達の縁となったのだ。
「そうですわね。懐かしいですわ」
スティアはわずかに頬を緩ませる。あの時、このスティアがこんな柔らかな顔をするとは思えなかった。
常に人を射殺すような目つきだったスティア。それが随分と変わったものだ。
「さてさて。その北部のピンコット領の話なんですけど。とある町では今、村を騒然とさせる大変な事件が起きているんです……」
ローズはそう言って俺達にぐるりと視線を巡らせる。
その表情は真剣そのもの。こちらも釣られて真顔になる。もしかして、また魔物が繁殖したとか、そういう話だろうか。
彼女はこちらをぐるりと見回すと、静かにその口を開いた。
「丁度レンコンの収穫期なんですよねー。で、農家の皆さんは収穫した後豊作に感謝して、レンコンを両手に、スータロ! スータロ! って叫びながら町を練り歩くんですよ。面白くないですか?」
「いきなり何の話だ!?」
だがそれは、思ったような情報と違った。
農家の皆さんがレンコンを突き上げて行進する情景が脳裏に浮かび、慌てて頭を振って消し去る。
「え、面白くない? あ、じゃあ私のスリーサイズとか?」
「いらねぇよ! 何だその情報!?」
「上から129.3、129.3、129.3です!」
「ビア樽かテメーは!」
いきなりクソみてぇな情報をブッ込んでくるんじゃねぇ!
ホシが「すーたろ!」とか叫び出したじゃねぇか! どうすんだこれ!
「あはは、気に入ってもらえたみたいですね。まあ今のは小手調べです。本命は別ですよー」
「なんの小手調べなんですの……」
毒気が抜けたように肩を下げるスティア。警戒するのも馬鹿らしくなったようだ。
これがローズの狙いだったら凄いが、まあ違うだろうなぁ。何なんだコイツ。
ケラケラと笑いながらローズはまたもペラペラとページをめくった。
「えー……これなんてどうでしょうかね」
「次は何だよ……全く」
「二つの大盗賊団が抗争を続けてた話なんですけど」
正直言って俺も気が抜けていた。だから、思わず眉がぴくりと動いてしまう。
それを見たローズの口がゆるりと弧を描いた。
「ここから南東のディストラー領に”汚れ狼”って大きな盗賊団がいたんですけどね。まあどんな犯罪行為にも手を染めるっていうので、すごーく凶悪卑劣な連中でして。そのせいでディストラー領は荒れに荒れてましてね? いやー、あそこでの商売はですね、私が女だってのもあると思いますけど、それはもう命がけのことも多くて――」
「おい、話がずれてるぞ。その盗賊団がどうした?」
こいつ口が軽そうだな。これで情報屋なんてやれるのか。
俺の指摘にローズは軽く笑った。
「おっとぉ、失礼失礼。で、ですね、その”汚れ狼”なんですが。割と最近ですが、ずっと争っていたもう一つの盗賊団に潰されたらしいですよ。どうもディストラー領の兵士と挟み撃ちにしたそうです。その盗賊団、下手をしたら自分達もお縄だというのに、いやはや全体どうやったんでしょうね? ま、とにかくそう言う事なんですよー。もしかしたら残党がこの辺にもいるかもしれませんから、皆さん気を付けて下さいねー」
ローズはそう結んで、パタンと手帳を閉じた。
「もう一つの盗賊団ってのは?」
俺がそう問うと、
「そちらの方が良く知ってるんじゃーないですかー?」
ローズは軽く首を傾げ、目を細めた。
俺も釣られて口角が上がる。なるほど、こいつは使えそうだ。
「えーちゃん」
「おう」
隣のホシが片手を真上に上げた。俺はその手にバシンと手の片を叩きつける。
ホシの顔に満面の笑みが浮かぶ。ついでにローズの顔にも。
「さてさて、これで信用してもらえたかと思いますが、どうでしょー?」
「分かった。その耳寄りだって言う情報、買ってみよう」
「えっへへ! 話が早いのはいいですね! まいどまいどー! あ、今回に限り、前金は結構ですよー」
俺をその盗賊団の関係者だと知り、こいつはわざわざ接触して来た。その情報の確度は高いと見込んだ。
後は売り込んできた情報とやらが俺達に役立つかどうかだが。
聞いてみないことには分からないものの、しかし損はしないだろう。不思議とそんな気がしていた。
ローズは懐からある一枚の羊皮紙を取り出し、広げて目を落とした。
「しだんちょーさん。貴方には、とある人物から追っ手が差し向けられてますねー。どうも大物らしくて特定はできませんでしたけど。でも、気を付けた方がよろしいですよ」
だが、その口から出てきた話に俺は気が抜けた。そんなもんは知っている。盗賊ギルドでも確認済みだ。
そう言おうと口を開く。しかし出そうとした言葉は、喉元で止まった。
「追っ手もまあ、随分な人達ですね。私も噂くらいしか知りませんが、皆さん聞いたことないですか? ”断罪の剣”って。いやーこんなの雇うなんて、相手は本気で本気ですねー。他人事ながらぞっとしますよ」
”断罪の剣”。どこかで聞いたような気がして、俺は記憶を辿る。
しかしスティアが上げた驚愕の声に、そんな思考は吹き飛んだ。
「ばっ――馬鹿なっ! ”断罪の剣”だと!? そんなわけがっ!」
「あるんですよー、残念ながら。対策必須ですよー? どうですか?」
あまりに驚いたためか素に戻ったスティアに、ローズがゆるりと笑って答える。だがその目だけは笑っていないように見えた。
その表情を見て悟ったのだろう。スティアは下唇を軽く噛む。
かと思えばすぐにウエストバッグに手を突っ込み、そこから取り出した何かをローズへ放り投げた。
「おおっ! この魔石! この大きさだと三等級は固いですよー!」
「そいつをくれてやる。継続して情報をよこせ。貴様から売り込んできたんだ、できないとは言わせないぞ」
「もっちろんですよ! 危ない橋を渡ったかいがありましたねー! どうもどうも! これからもごひいきに―! ではではっ、また会いましょー!」
「お、おいっ!」
二人の間で会話が勝手に進み、そして終わってしまった。
俺はローズへ手を伸ばすが時すでに遅し。彼女は俺に目もくれず、風のように走り去ってしまった。
「すーちゃん、”断罪の剣”って何? 知ってるの?」
唖然とする俺の耳にホシの声が届く。いつもにはない、若干の緊張感をはらんだ口調だった。
「知っては、います。いますが……」
反対にスティアの口から出てきたのは、らしくもない弱々しい声だった。
「申し訳ありません……。この話はいずれ。断罪の剣についてもう少し分かってから……必ず致しますので」
結局スティアの口からは語られず。だが俺達も、下唇を噛む彼女の様子に、それを促すようなことは出来なかった。
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「きゃーっ! やっぱりよくお似合いですよ!」
「思った通りすっごく奇麗ね!」
「見たか我らの職人根性! なめるなクソッタレーッ!」
新しくデザインされた服を着たスティアを取り囲み、店員達が黄色い声を上げている。
猛々しい雄たけびも聞こえるが、はてさて誰に向けたものだろうか。
「やっぱりパンツスタイルよりスカートの方が似合いますね! 私の目に狂いはなかった!」
「すーちゃん奇麗!」
ホシも店員達に加わり騒いでいる。俺とバドはその輪には加わらず、少し離れてスティアの様子を見ていた。
少し影のある表情でリィリンまで歩いてきたスティア。だが店に入った瞬間店員達に取り囲まれ、あれよあれよという間に着替えさせられることになった。
彼女が今着ているのは、淡い若葉色のワンピースだ。スカート部分はプリーツスカートで、全体がふんわりとした作りになっており、腰の部分を革のベルトで軽く締めている。
上半身は丈の短い白いカーディガンを羽織っていて、品の良いお嬢さんと言った見た目に仕上がっていた。
ただ、問題はその当の本人である。スティアは先程から曖昧な笑みを浮かべ、まるで心ここにあらずと言った様子だった。
「スティア、ちょっとこっち来い」
「え?」
俺はそんな彼女を手招きし、引いた椅子に座らせる。そして櫛を手に、彼女の後ろに立った。
「せっかくめかし込んでるんだ。俺にも手伝わせろよ」
櫛を彼女の髪に通し、梳かしていく。上品な髪形なんてのは俺には無理だが、しかし昨日、スティアはあんなにも楽しそうにしていたのだ。
先ほどの話で色々と思う事があるんだろう。だが、はしゃいでいたスティアの事を思えば、こんな形で終わらせてやりたくはなかった。
慌てるスティアを気にせず、俺は髪を一つに編んでいく。耳より少し上の部分の髪を後ろでまとめ、そこにいつもの黒いリボンを通す。そして髪と一緒にリボンを編んでいき、毛先を少し残して紐で縛った。
スティアの銀色の髪に黒いリボンが映え、いいアクセントになっている。
店員達も「キャーッ!」と歓声を上げているから、出来栄えは良いと思う。バドもぐっと親指を立てていた。
「あ、貴方様……」
「うん、美人さんだ。ほれ、鏡見てこい」
スティアはゆっくり立ち上がると、姿見の前に立つ。何を思うのか、スティアはしばらくその前にじっと立っていた。
二、三分そのままでいたスティアは、くるりと体を翻す。
こちらを向いた彼女の表情は、いつも通りの、柔らかさを湛えた笑みだった。




