168.浅からぬ因縁
風の中級魔法、”荒れ狂う颶風”。吹き荒れる暴風はリーゼちゃんを人質に取る男も巻き込んで、奴らを激しく吹き飛ばした。
「ずあぁぁぁぁっ!?」
「チィ! クソがぁあっ!」
男達は宙を切り揉んで飛んで行く。だがこの程度でやられるようなタマじゃないだろう。こいつらは。
「野郎――!」
男達は空中で体をひねると、姿勢を整えて地面に着地する。
元々相手を吹き飛ばしたり、強風で動きを封じるための魔法だ。あまり攻撃面には期待していなかったが、しかしこうまで上手く捌かれるのは正直面白くなかった。
「大盤振る舞いだ、食らいやがれっ!」
とは言え俺の攻撃はまだ終わっちゃいない。俺は懐から取り出したそいつを、奴らとアルバーノに向かって数個、思いきり投げつけてやった。
「” 惑いの霧”!」
唱えると同時に白い霧がぶわりと発生する。たちどころに周囲は白一色に染まった。
連中と俺達の間に濃い霧が充満する。この霧はアーススパイダーの毒入りだ。ただの霧だと油断をすれば、手痛い目に遭うこと請け合いだ。
「くっ! こりゃぁ魔法か!? チッ……魔法使いとは面倒くせぇ!」
「馬鹿、突っ込むな! 少し下がれ! こっちにゃ人質が――おい、人質はどうした!?」
「な、何だ!? 何も見えんぞ! 誰か何とかしろ!」
連中も馬鹿ではないようで――例外も一人いるが――、不用意に踏み入るのを躊躇していた。が、それは俺の思惑通りだ。
「今だシャドウ!」
俺は相棒の名前を口にする。待ってましたとばかりに影がぐんと二方向に伸び、霧の中へと入って行く。
数秒もして戻ってきたシャドウは、俺の後ろに二つの影を吐き出した。ルフィナとリーゼちゃんの二人だ。
地面にペタンと座る二人はどちらも酷い顔つきだった。
俺はリーゼちゃんの前に片膝を突き、短剣で手早く縄や猿轡をブツリと切ると、ローブを脱いで羽織らせる。さすがに下着姿じゃ不憫すぎるからな。
「あ――」
「よく頑張った。後は任せろ」
頭に軽く手を置くと、少女の顔がくしゃりと歪み、目からぽろぽろと涙が流れ落ちた。
「えぇ!? ルフィナちゃん!? それにリーゼちゃんも!」
「何!? 何がなんなの!? カーテニアさん!?」
突然現れた二人に、サリタとマリアネラは目を丸くする。だがそんな悠長なことを言っている場合じゃなかった。
あの程度の魔法、すぐに消されてしまうだろう。霧の向こうからも、何とかしようと騒ぐ男達のダミ声が聞こえてくる。
ここで時間を食っている暇は無かった。
「サリタ、マリアネラ。その二人を連れてここから逃げろ」
『え!?』
彼女達は同時に疑問を口にして、俺の顔を凝視する。気持ちは分かる。理解が追い付いていないんだろう。
ただそれを配慮してやれるほど、状況は待ってはくれなかった。
霧の向こうから何かが飛んでくる。俺は太刀を抜き、それをはじき落とした。
軽い音が二つ。連中お得意の暗器、毒飛矢だろう。
「呆けてる場合はねぇぞ! さっさと動け!」
つい声を荒げる。流石にこいつらを守りながら戦えるだけの自信は、俺には無かった。
「カ、カーテニアさん? 何でぇ?」
「何がなんだか分からないよ……! 何がどうなってるの!?」
「バカ野郎! ルフィナを見やがれ!」
混乱しているサリタとマリアネラ。俺はその二人を怒鳴りつけ、そこにへたり込むルフィナを指さした。
「いや……! いやだぁ……っ!」
そこには乱れた衣服をそのままに、自分の体を抱きしめてガタガタと震えるルフィナの姿があった。
「お前らはこいつを守るためにいるんじゃねぇのか! 今すべきことは何だコラッ! いつまでもボサッとしてんじゃねぇ! 尻引っぱたかれてぇかッ!」
彼女達はルフィナへ顔を向ける。その瞬間、まるで切り替わったかのように、二人の表情がカチリと変わった。
この二人はルフィナと違い、初対面の時から俺には友好的だった。
だがその表層とは異なり、俺を非常に警戒していることに俺はすぐに気づいていた。
最初はルフィナと同じように、男嫌いなのかと思った。だがそれなら、俺に友好的にする理由がいまいちはっきりしない。
だからなぜと、少し不思議に思っていたのだが。
それが、今の出来事で何となく分かった。もしかしたらルフィナは、似たような被害にあった経験が過去にあるんじゃないだろうか。
だからこの二人は自分達が矢面に立つことで、ルフィナを守ろうとしていた。
そんな俺の想像は、機敏に動き出した二人を見て、確信に変わった。
「マリー、リーゼちゃんをお願い! 私はルフィナを!」
「はい!」
リーゼちゃんをマリアネラに任せたサリタは、ルフィナに駆け寄り彼女を素早く背負う。
俺はその間に、霧を晴らし始めた連中に、もう二つほど仕掛けを投げてやった。
霧の向こうから「おいまだ霧がなくならねぇぞ! 何やってる!」「あのヤロウ、また魔法を使いやがったんだよ!」「ヤバイぞ、これ毒が入ってやがる!」なんて怒鳴り声が聞こえる。
ホントこのアーススパイダーの毒入り噴霧弾、使い勝手がいいわ。
嫌がらせには最適だ。いい気味だバカが。
「カーテニアさん!」
サリタの声に振り返る。二人はすでにルフィナ達を背負い、退却準備万端だ。
「よし、ならお前らはさっさと行け。ぐずぐずしてる時間はねぇぞ」
「そ、そんなっ!」
「お前らは衛兵を呼んで来い。走り抜ければ二人でもなんとか帰れるだろ」
「いえ、カーテニアさんも一緒に――!」
食い下がる二人に、俺は懐からそれを取り出す。
二人は金色に光る冒険者証を見て、あっと口を噤んだ。
「ここは俺が引き受けた。……あいつらとはちと因縁があってな。足手まといはさっさと帰んな」
言うだけ言って、俺は二人に背を向ける。
「……絶対に、絶対に死なないでよ! すぐ衛兵呼んでくるから! だから待ってて!」
「そんな!? サリタちゃん!?」
「分かったから、さっさと行け」
「行くよマリー! ――早くッ!」
俺は彼女らに背を向けながらひらひらと手を振る。
少しマリアネラがごねていたが、それも僅かの間。後はただ草を踏む音だけが、徐々に小さくなっていった。
罠の見破り方も教えたし、魔力も温存させた。魔窟を抜けるくらいなら何とかなるだろう。
そう思っていたところ、不意にマリアネラの大きな声が響いた。
「慈愛の神ファルティマールよ、彼の者に疾き風の加護を! ”勇壮の風”っ!!」
驚いて後ろを振り向く。俺の目に、杖を構えたマリアネラの姿が小さく映った。
「カーテニアさん! どうか……っ!」
彼女はそう言い残し、サリタに急かされて背を向けた。
まったく、自分達の心配だけしてりゃいいものを。
とは言えアイツら相手じゃ厳しい戦いになるだろう。マリアネラの気持ちは正直ありがたかった。
となりゃ礼はしとかんとな。
「聞いてたか? デュポ、コルツ」
視線を下に落とす。俺の足元に伸びる影。草に隠れてはいるが、しかしそこには二対の耳が確かに、地面からピョコリと上に伸びていた。
俺の声に耳がピクリと反応する。その直後、影から二人が飛び出してきた。
「悪い、あいつらに見つからないように、出口まで護衛してやってくれ」
「ガッテン! あの嬢ちゃん達なら、ちゃんと送り届けるぜ!」
「心配いらない。任せておいて」
二人はニッと牙をむき出すと、弓と矢を手に、身を低くして草原を駆けていく。
「オーリ悔しそうだったなぁ。あいつ弓使えねぇから」
「それ、戻ってもオーリに言わないでよ? うるさくしたらまた殴るから」
「ウゲッ!?」
草原を駆ける二人の背中。そこから視線を戻した時、丁度良く目の前が晴れていく。
射貫くような男達の視線が、俺に突き刺さった。
「……毒入りの霧たぁ、やってくれるじゃねぇか。ええ? せっかくの獲物を逃がしちまったじゃねぇか」
男達が忌々しそうに顔を歪める。麻痺性の毒が入っていたというのに、目の前の男達はしっかりと地面に立ち、こちらをねめ付けている。
あれだけの霧を出してやったのだ。多少は吸ったかと思ったが、どうも解毒を済ませたようだ。
まあ当然、毒を使うんだから毒消しは持ってるよな。言う程期待はしていない。
「お、おいお前! な、何なんだこれはぁ!? 何とかしろぉ!」
だがしっかり毒が効き、立てなくなった奴もいたみたいだ。
俺は怒鳴るアルバーノに視線を向けることもなく、男達にはただ冷たく答えた。
「盗賊相手だ。まさか卑怯だなんて、つまらねぇ事は言わねぇだろうな?」
「ほお。よく俺達が盗賊だと分かったな」
一人がニィと口を歪める。その目は探るような警戒の色に染まっていた。
「分かるさ。その刺青を見ればな」
それに、俺は指を差して応える。
ダリオの少々はだけている胸元。そこに彫られた刺青を。
ピクリ、と男達の眉が動いたのが見えた。
「そりゃ”汚れ狼”のもんだろうが。見りゃ一発で分かる。だが分からねぇな。お前らはもっと南東にいるはずだろう。こんなところまで勢力を伸ばしやがったのか? 犬っコロが」
その刺青はダリオだけではない。胸元が開くような恰好をしている男にはいずれも同じ模様があった。
大盗賊団と呼ばれる”汚れ狼”。奴らは主にここから南東、王国と帝国との境界線近くでの活動を主にしていた連中だった。
だというのにこんな場所にいるとは、何か理由がありそうな話だ。
俺がそう問えば、目の前の男達はギリと奥歯を噛んだ。
「……テメェに教えてやる必要はねぇな。何で逃げなかったのかは知らねぇが、テメェはここで殺す。んで女共も逃がさねぇ。テメェのやったことはただの悪足掻きでしか無かったってことだ」
「おい、こいつは俺達が殺る。お前らは先に行って女共を捕まえとけ」
俺の質問になど答える気もないようだ。連中はすぐに方針を決め、二手に分かれ始める。
だがそれは困る。俺にはコイツらを逃がしたくはない理由があった。
「まぁ待てよ。こいつを見な」
「何だ――」
俺は左腕をまくって見せる。男達はさして興味もなさそうに俺の二の腕に目を向け、そして目を見開いた。
「テメェ――その刺青はッ!」
俺の二の腕に入れた刺青。それは俺が率いた山賊団を示す証であり、目の前の男達にとっては見過ごすことなどできないだろう、宿敵の印だった。
サリタ達を追おうとしていた男達の足が止まった。俺はニヤリと口角を上げる。
「俺はお前らを一匹たりとも見逃すつもりはねぇ……。逃げようったってそうは行かねぇぞ」
「まさか、テメェ――!」
「昔っから気に食わねぇんだよ、お前らは。その汚ねぇ面を見るだけでも吐き気がしやがる」
男達は殺気をたぎらせ武器を構える。
俺もそれに応えるように、右足を引き、刀を右後方へ構えた。
「天秤の野郎かぁッ! お前ら、こいつを絶対に生きて返すな! ここでブッ殺せッ!」
「そりゃこっちの台詞だ。今すぐまとめてブッ殺してやるから、さっさとかかってきやがれ、このクソ犬共がッ!」
弾かれたように、男達が一斉に飛びかかってきた。




