167.待ち構えていたものは
「よくここまで来たなルフィナ! 褒めてやる!」
そう言って俺達の前に立ったのは一人の男。防具を一切まとわず腰に剣を帯びただけという、魔窟には似つかわしくもない貴族然とした装いのそいつは、両腕をおおげさに広げて笑顔を見せた。
そいつの後ろには六、七人の男達が立っている。こちらはちゃんと武具を装備しており、離れていてランクまでは判別できないが、首に冒険者であることを示すドッグタグをぶら下げていた。
魔窟に冒険者。これは珍しくもない光景だろう。だがしかし。
≪感覚共有≫は先ほどからずっと、ビンビンに警鐘を鳴らし続けていた。
「アルバーノッ! あんたぁッ!」
後ろから激情のこもった声が飛ぶ。ちらりと見れば、ルフィナの顔には憎悪がありありと滲んでいる。
――なるほど。これがお前の理由というわけかい。
「そう怒るなルフィナ。そもそも、悪いのはお前なんだぞ? この僕の誘いを何度も袖にするとは……。随分と恥をかかせてくれたものだ。たかだか男爵の娘風情が、何か勘違いしているようだ」
アルバーノと呼ばれた男は鼻で笑いながら肩をすくめる。だがそんな言葉を聞いているのかいないのか、ルフィナは俺の横を肩を怒らせて通り過ぎ、
「約束通り衛兵無しでここまで来てやったわよ! さあリーザを出しなさい、アルバーノッ!」
そう言って男に指を突き付けた。
「は? リーザちゃん?」
「え? えぇ? ど、どういうことですかぁ?」
ルフィナを追って俺のそばまで駆けてきたサリタとマリアネラ。二人は困惑の声を上げながら、視線をルフィナとアルバーノの間で行き来させる。
「まぁそう急ぐな。僕はお前に話があると――」
「ふッざけんじゃないわよ! さっさと出しなさい! もし何かあったら、私はあんたを許さないッ!」
「……チッ! まあ、そうだな。いいだろう。おい!」
アルバーノは冒険者風の男達に、あごで何かを前に出すような仕草を見せた。
動き出す男達。そいつらが前に押し出したのは、後ろ手に縛られた一人の少女だった。
「~~~~~っ!」
少女はワンピースの下着姿だった。突き飛ばされた少女は足をもつれさせ、受け身も取れず草原に倒れた。
彼女は顔を上げ、こちらを見てボロボロと涙を零す。何か声を上げているが、猿轡のせいで、くぐもった声しか聞こえなかった。
周囲の男達はそれを見てニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。アルバーノはチラリとそれを横目で見ると、またルフィナを見て、今度は不敵に笑った。
「手を出さないはずだったじゃないっ!」
「何、お前とそっくりでお転婆が過ぎるんでね。武器など隠されても面白くない。まあ少々手荒にはなったが、怪我をさせてはいないよ。まだ、な」
「アンタ……ッ!」
ギリ、と歯を食いしばる音がかすかに聞こえる。困惑していた二人も、やっと状況を把握できたのだろう。ルフィナの隣に素早く陣取った。
バッと腰の武器に手を伸ばすサリタ。だがそれにアルバーノは目を細める。
「おっと。そちらがその気なら、こちらも抵抗させてもらおう。ダリオ!」
「へいへい、と」
一人の男がスラリと剣を抜き、躊躇う様子もなく少女の首へ突きつけた。これには三人娘も分かりやすく取り乱す。
「ア、アンタ! こんなことして、ただで済むと思ってるのっ!?」
「勘違いするな。約束通り、そちらが何もしなければこちらも手を出すつもりはない。用があるのはお前だ、ルフィナ」
さあ来い。そう言ってアルバーノは手をルフィナへと差し出した。
「ルフィナ……どういうことなの」
サリタが低い声でルフィナに問う。だが返ってきたのは、問いに対しての回答ではなかった。
「アンタ達はリーザを連れて逃げて」
ルフィナはそう言って二人の顔を見る。一度振り向き俺にも視線を向けたが、しかしルフィナの口からは、特に何の言葉も出てこなかった。
ルフィナはまた前を向き、一人で足を踏み出す。
しっかりとした足取りで進み、怒りも露にアルバーノの前に立ち、そして彼を見下すように、ルフィナは顔をくいと上げた。
「さあ来てあげたわ。早くリーザを解放しなさい」
「ふ、相変わらずだな、ルフィナ」
差し出された手を取るそぶりもない相手。肩を揺らしてアルバーノは笑う。
そして――
「相変わらず頭にくる奴だな貴様はッ!」
アルバーノは目の前のルフィナの横っ面を、思いきり平手で打ち据えた。
「ルフィナッ!」
「ルフィナちゃん!」
草原に倒れたルフィナに、サリタとマリアネラの悲鳴のような声が重なる。
二人はすぐさま駆け寄ろうと動くが、だが男の低い声がそれを止めさせた。
「おっと。お前達はそこで大人しくしてろや。でなけりゃ――」
先ほどダリオと呼ばれた男が、剣の腹で少女の横顔をぺしぺしと叩く。
彼女の目からまた、大粒の涙がボロボロと零れた。
「な、何で! 貴方達、一体なんなんですかぁ!?」
「アンタ達こんなことをして……どうなるかも分からないの? 私達はライナルディ男爵家の人間よ? しかもその令嬢に手を出したんだから、当然覚悟はできてるんでしょうね?」
その場に足が張り付いてしまったように地面をぐっと踏みながら、二人は感情の昂ぶりそのままに、男らに食って掛かる。
だがその台詞の何がおかしいのか、男らは大口を開けて笑い出した。
「覚悟ぉ? 覚悟ねぇ。悪いが、そんなもんはねぇなぁ」
「な、何がおかしいの!?」
「お前ら気付かなかったのかぁ? この魔窟に他の冒険者がいたかどうか、よぉく考えてみろや」
言われて思い出す。確かにここに来るまでに、俺達以外に人の姿はまったく無かった。
広い草原だということもあってそういうものかと思っていたが、目の前の男の口ぶりではどうやら違うらしい。
この魔窟に入るのは、この三人娘も初めてだと言っていた。だから男の言う違和感に俺達は気づけなかったのだろう。
ダリオは小バカにしたようにニヤリと笑みを浮かべる。
「旦那がちょいと頼めば衛兵だってこの通りよ。男爵家だかなんだか知らねぇが、伯爵家に盾突くとはなぁ。立場が違うんだよ、立場が。それが分からねぇとは、所詮田舎貴族ってか。はっはっは!」
ダリオの言葉に、魔窟の入り口を守っていた衛兵達を思い出す。
鋭い視線を俺達へ向けていた彼ら。あれは俺達が入り口付近で騒いでいたからだと思っていたが、どうやらこの連中に買収されていたからこその、あの目だったようだ。
「だ、だからってぇ、そんなこと許されるはずがぁ無いでしょう!? まだ間に合いますぅ! リーザちゃんを放して下さいぃっ!」
マリアネラが必死に彼らを諭そうと声を張り上げる。だが、それを聞いた男達はまた笑い出した。
まるで分からないらしく、困惑を隠せないマリアネラ。だが俺としては、まあそうなるだろうなとしか思えなかった。
「慈悲深いことですなぁ。さすが慈愛の神、ファルティマールの信徒です、ってか? ありがたくて涙がでらぁな」
「な、何がおかしいんですかぁ!?」
「おかしいのおかしくねぇのって。まだ分からねぇのか。この魔窟は今、俺達が封鎖してんだ。なぁ旦那?」
「そういうことだ」
ダリオから得意そうな目を向けられたアルバーノは、よろよろと立ち上がるルフィナを見ながらいら立たしそうに声を上げる。
「この僕がなんて言われているか知っているか? 暴れ馬に縋り付き、何度も振り落とされたマヌケだと。全くいい笑いものだよ。お前のせいでな」
「くぅっ……。そ、そんなの。私には、関係ないじゃないっ」
「あるのさ。お前も、お前の父親も。男爵家風情が盾突くとは、身の程知らずもいい所だ。貴様らなど、ただ黙って頷いていればいいものをっ!」
アルバーノはルフィナの横っ面をまた平手で叩く。倒れる彼女に、アルバーノは怒りのこもった目を向ける。
「フン! 終いには、戦争から帰ってきてみれば、どこぞの馬の骨に傷物にされただと? 気分よく凱旋したというのに、僕を待っていたのは嘲笑の雨だ! お前の事など、もうどうでもいい。そんな女などこっちから願い下げだ。だが……このままで済ませては、僕の気持ちはどうにも収まらない!」
アルバーノが手を上げると、男らは一斉に武器を抜く。
「少しは痛い目を見せてやろうと思ったが、意気揚々とここまで来てくれる始末だ。つくづく鼻持ちならない奴だよお前は!」
「旦那ぁ! もう好きにやっちまっていいんだな!?」
ダリオは大声を上げる。それは下卑た感情を一切隠さないものだった。
「好きにしろ。だがルフィナにだけは手を出すなよ。こいつは僕の獲物だ」
アルバーノは倒れたルフィナに目を向ける。
だが今度ルフィナに向けた視線は、今までのような怒気を感じさせるものではない。目の前の相手を舐め回すような、卑しい感情を孕んだものだった。
ルフィナもそれが分かったんだろう。地面に尻を突いたまま、じりじりと体を後退させ始めた。
「ま、待ちなさい! 私以外には手を出さないって約束は……っ!」
「僕は出すつもりはない。が、他のことまでは知らないな」
「そっ、そんな――!」
心に絶望が滲んだのがはっきりと伝わってくる。
「いい加減……自分の立場を受け入れろ、ルフィナ!」
手前勝手な理屈を口にしながら、アルバーノはルフィナへ飛びかかる。
彼女は抵抗も虚しく、あっと言う間に地面に組み伏せられてしまった。
「お前が逆らうからだっ! この僕の言う事を大人しく聞いていれば良かったものを! 今更後悔しても遅い! 今までの鬱憤をここで晴らさせてもらうぞ!」
「や、やめなさいっ! このっ! 離れなさいっ! アンタ気持ち悪いのよ! 私に触るなっ! 向こうへ行けぇっ!」
「うるさい! 黙って僕を受け入れろ!」
じたばたと暴れるルフィナ。だが女が男の力に敵うはずもない。
一、二発と平手が入る。乾いた音が平原に響いた。
「姑息よ……っ! この卑怯者! 約束も守れないなんて、男なんて皆最低よ! 男なんて! 男なんて――!」
徐々に声に悲痛な音が生まれ、涙声へと変わっていく。
「もう止めて! いやぁっ! やだぁっ! いやだぁぁぁあッ!」
サリタとマリアネラの感情が怒りに染まっていく。だが依然として人質は奴らの手中にあった。
二人は武器を構えることすらできず、ただただその場で身を固くしている。
それとは反対に、男達は一斉に雄たけびを上げた。
「よっしゃあ! 見た目は随分劣るが、オマケが二人もついてくるたぁついてるぜ! 早いもん勝ちだっ! 行くぞーッ!」
『うっしゃぁああーっ!』
リーゼのもとに一人を残し、男らは歓喜の声を上げてこちらに突撃してくる。
哀れ女達はこうして悪漢の毒牙にかかり、悲惨な運命を辿りましたってか。
まったく胸糞悪い話だ。反吐が出る。
ただ、なぁ。さっきから思ってることなんだが。
俺を無視するんじゃねぇよ。
「ハッハァーッ! おらぁっ! 覚悟しやがれ小娘共っ!」
男達は猛然と駆けてくる。連中の顔は愉悦で大きく歪んでいた。
すでに見えた未来を、奴らは揺ぎ無いものとして考えている。
それがまた俺の癪に障った。
「風の精霊シルフよ、我が呼び声に応じ、そよ吹く大気の恩寵を――」
俺は詠唱しながら、二人のもとへ駆ける。そして、もう彼女達の目前まで迫ろうかという男達の、その目の前に割って入った。
「な!? テメ――」
「荒ぶ颶風となりて今、遮る者を消し去り賜え!」
先頭の男は目を見開く。だが構うか。
俺は練り上げた魔力を全て、目の前の男達に叩きつけた。
「”荒れ狂う颶風”!」
俺は両手を男達へ突き出す。
突如吹き荒れた暴風に、男達は瞬く間に吹き飛ばされていった。




