165.隠された気持ち
この第一階層には怪物がわんさといるらしい。
遮蔽物の無い場所だと言う状況もあるだろうが、俺達はあれから十分程の間隔で襲撃に遭い続け、その度に足止めを食らっていた。
遭遇した割合は、ブラックドッグが六、コボルドが四というところだろうか。
素早く駆けてくるブラックドッグと、中距離から弓を射てくるコボルドは、一緒くたに出てこられるとなかなか面倒な相手ではあった。
ただ、それも魔法なしの真っ向勝負であればの話。
こちらには”風の障壁”を使えるルフィナがいる。魔法を使ってしまえば矢は完全に無効化できるのだ。
となればコボルドはただの動く的でしかない。つまり魔力が尽きない限りは、この階層の脅威はブラックドッグだけだと言っても良かった。
余談だが、俺はコボルドのことを人間のように二足歩行をする犬と思っていたが、実際は大分違っていた。
確かに犬のような頭部をしていたが、よく見れば、それはただの被り物だったのだ。
上背は小さく、深緑色の肌に、頭には犬の被り物。例えるなら、コボルドは犬に扮したゴブリンのような生き物であった。全然犬じゃなかった。
そんな怪物がなぜファング魔窟に? と思ったが、考えてみれば狼人間も狼なのか微妙な所だ。
犬っぽい奴は犬系の怪物として、同じくくりに入れられたのかもしれない。
そんな何とも言えない気持ちを抱きつつ、怪物を撃退しながら草原を進むこと約一時間半。俺達は特に危なげなく、第二階層への階段へと辿り着いていた。
「ふーっ。ちょっと休憩ねー」
以前のオーク魔窟と同じくこのファング魔窟も、下層へ降りる階段の周辺は安全地帯のようだ。
草原を歩いていくと、目の前に五メートルほどの縦穴がぽっかりと空いており、そこを降りると――ご丁寧にはしご付きだ。冒険者がかけたのだろうか? ――少し開けた空間と、下層に下りる階段が目の前に現れたのだ。
サリタは言うが早いか、土の床にペタンと座り休憩を始める。
ルフィナは少し不満そうな顔をしながらも、渋々といった様子でマリアネラと共にサリタのそばに腰を下ろしていた。
最初の戦闘を見届けた後、魔力事情に余裕がないことを悟った俺は、サリタの援護に回るように立ち位置を変え、彼女らの魔力節約に努めてきた。
しかしここに来るまでに、ルフィナは”風の障壁”を六回、マリアネラは”勇壮の風”を五回も使ってしまっていた。
ルフィナの魔力が後どの程度残っているかは分からない。
しかしマリアネラに関しては彼女から申告があった通り、残り五回。つまり魔力を丁度半分使ったわけだ。
これから第二階層に行くにあたり、もしかしたら”治癒の光”が必要になるかもしれない。
この休憩で多少は回復するだろうが、帰ることも考えれば残回数は心もとない。このまま先に進むなど、到底考えられない状況だった。
「カーテニアさんもこっち来なよー」
突っ立っている俺をサリタが手招きして呼ぶ。俺はそれに応えず、その場でドカリと座り込んだ。
決してルフィナが嫌そうな顔を見せたからではない。ここで言っておかなければならない事があったからだ。
「このまま下に降りるつもりか?」
笑顔だったサリタの表情が固まる。和やかだった空気にピシリと、ヒビが入る音が聞こえた。
「はぁ? 今さら何? 最初からそう言ってるでしょう。もしかして怖気づいたのかしら。情けない奴ね」
ルフィナが険しい顔を見せながら声を上げる。まあ予想できた反応だ。
しかしそんなわがままを通してやれるほど、その要求は簡単なものじゃなかった。
「ここに来るまでにマリアネラは五回”勇壮の風”を使ってる。なら戻るのにも五回使うだろうな。だがマリアネラの魔力はそれで終わりだ。そうだろ?」
俺に視線を向けられたマリアネラの体がビクリと跳ねた。
「だっ、だから何よ!?」
「帰りを考えれば、ここからは”勇壮の風”は使えない。それで第二階層をまともに戦えるのか? まさか算段が付いてない、なんてことは無いよな?」
「私の魔力はまだあるわよ! 私が戦えるわ!」
「ここに来るまでに”風の障壁”を六回も使ってか。……じゃあ聞くが、”風の障壁”はあと何回使えるんだ?」
「――っ!」
今の状況で第二階層になど行けないことは、誰が見ても明らかだった。
当然分かっていたんだろう。ルフィナは俺をにらみ付けながら、しかしそれ以上反論できずに歯噛みする。
サリタとマリアネラも急にやり合いだした俺達に、戸惑いの目を向けていた。
「そんな程度でよく第三階層を目指すなんて言えたもんだな。お前は自分の意志で行くんだから構わねぇだろうが、そっちの二人も道連れにする気か? え?」
「ちょ、そこまで言うことじゃ――」
「ないってか? サリタ……お前、それ自分が死んでから言えるか?」
反論しようと腰を浮かせかけたサリタ。だが俺がジロリと見れば、彼女も声を詰まらせた。
互いの主張を譲ろうとしない気配が、ピリピリとした空気を生み出す。見かねてか、マリアネラが取りなすように声を上げた。
「きょ、今日はぁ、ここまでにしませんかぁ? ほらぁ、カーテニアさんも都合がありますしぃ。ね、そうしましょう? ルフィナちゃん」
「そ、そうだよ! 今日は一旦帰ってさ、明日また来ればいいじゃん!」
マリアネラに便乗してサリタもルフィナをなだめにかかる。これで三対一だ。
どう考えてもルフィナの言うことは滅茶苦茶だった。このまま進んでも全滅するのが目に見えている。普通なら首を縦に振って当然だ。
サリタとマリアネラも薄々分かっていたのだろう。心配そうな目をルフィナに向けていた。
しかし、これは逆効果にしかならなかった。
「それじゃアンタたちだけ帰りなさいよ! 私は行くから、もうほっといてっ!」
「ちょっとルフィナ!?」
「ルフィナちゃん!?」
皆の視線を受けたルフィナは癇癪を起こしたように立ち上がり、第二階層への階段へ足早で歩き出してしまう。これには二人も驚きの声を上げた。
俺にとってルフィナという女の印象は、高飛車でわがままな、しょうもないガキ、というものだった。
普段の俺だったら、そんな奴は相手にせず無視をしただろう。
そこに平民も貴族も男も女も関係ない。どんなに暇だろうと、気に入らない奴に手を貸すなんてのはまっぴら御免だった。
こいつは成人してはいるが、まだ若い。だからしょうがないなと目を瞑れる部分はある。
しかし成人しているが故に、許容できない範囲もまたあった。
こんな嫌悪感丸出しの挑発的な奴に関わろうなんて、大抵の人間なら普通、誰も選ばない。避けられて終わりだ。
「言い負かされて、逃げんのか?」
だと言うのに、なぜそんな奴にこうして付いてきたのか。
それにはちゃんと、俺なりの理由があった。
「何ですって!?」
「癇癪起こせばどうにかなるとでも思ってんのか? ただ我武者羅になれば思い通りになるとでも思ってんのか? だからお前はガキだってんだ。しっかりしろぃ」
俺とルフィナが初めてギルドで会った時。余裕そうな表情を見せながらも、ルフィナの胸には不自然な程の強い不安と焦燥感、そして恐怖といった感情が、激しく渦を巻いていた。
最初は身元の分からない男に対しての警戒心かと思っていた。
しかし、魔窟の入り口に立つ衛兵のわきを素通りするときにも、ルフィナの胸に恐怖が生まれたのを俺は感じていた。
ルフィナに対してサリタが言った、男へのキツい態度を止めろという台詞。
そこから俺は、ルフィナが普段から面識あるなし関わらず、男には辛辣なんだということを理解した。
そして、思う。
もしかしたらルフィナは、男という生き物自体を恐れているのかもしれない。そして、そんな恐怖を虚勢を張ることで隠しているのかもしれない、と。
これは気の強い人間にままある行動だ。相手の感情が分かる俺には、見せる態度と感情の隔たりがすぐに分かる。
だから目の前のこいつがそう言った人間だろうと、確信に近い物を抱いていた。
だがそう考えたとき、一つの疑問が生じる。男に恐怖を覚えつつも、なぜルフィナは俺に声をかけてきたのか、ということだ。
普通に考えて、パーティに不和を招くような存在をわざわざ呼ぶ理由は無いし、そもそも魔窟なんてのは、リスクを犯してまで攻略を急ぐようなものでもない。
ではルフィナがこうまでして第三階層を目指す理由は、一体なんなのか。
今の会話の中でも、ルフィナの感情は不自然な揺らぎを見せていた。
俺が話を振った時に、胸に怯えが現れたのは今までと変わらなかった。だが、サリタとマリアネラを置いて行くと言ったとき、ルフィナの心にわずかな安堵が生まれたことを俺は見逃さなかった。
第一階層を進むのすら余裕が無かったくせに、一人で進むことに安堵する?
あまりにも不自然すぎる感情の動きが、この先に何かがあることを、俺へ明確に告げていた。
「な、なんであんた何かにそんなことっ!」
「全く、仕方ねぇ奴だな」
俺は膝に手をあてて立ち上がる。そして、いら立たし気な視線を向けるルフィナを真っ向から見据えた。
「俺は気になったことはどうにも放っておけない性質でな」
懐に手を入れ太刀をずるりと引き出す。三人が目を丸くする中、俺はそれを腰に吊るした。
俺の率いていた山賊団には子供も多くいた。ホシよりちっこいのもいれば、思春期真っ盛りで面倒臭いのもおり、なかなか手を焼かされたものだ。
目の前のこいつを見ていると、どうにも昔を思い出してしまう。
「俺が連れて行ってやる。第一階層の様子は見た。第二階層程度なら、俺一人で何とかなるだろ」
それに、俺はルフィナの胸に隠された感情を知ってしまった。
俺と会った時からずっと、ルフィナが一番強く抱いている気持ち。それが誰かを案じる、心配という感情だったからこそ。
このまま放置という気には、どうしてもなれなかった。
おせっかいだとは分かっているんだが、どうにも。
この性分は治せそうにねぇな。




