163.鬼門
「それじゃあこの――ファング魔窟? に入るために、俺を連れてきたってことで良いんだな?」
「コボルドが罠をあちこち仕掛けるからさ、どうしても斥候が必要なんだー。だから皆で探そうって言ったのに、どっかの誰かが勝手に突っ走って、今がその結果ってわけ」
サリタは肩をすくめながら、じっとりとした視線を後ろの相手に向ける。
だがルフィナはそれを面白くもなさそうに、フンと鼻で笑い飛ばした。
俺がルフィナよりマリアネラの方が良いなどと言ってからというもの、ルフィナは口を開かなくなっていた。
何も言えることがなくなったからか、はたまた不愉快すぎて口も利きたくないからか。
感情を読む限り後者だろうが、まあ理由はどちらでよく、静かになったことで、俺達はようやっと実のある話をし始めていた。
「あのぉ……。それで、カーテニアさんは大丈夫ですかぁ? 準備とか……いりますよねぇ? 普通はぁ……」
マリアネラはおずおずとその淡黄色の双眸を向けてくる。
「マリぃー。その前に、来てくれるかどうか聞いた方がいいでしょ」
「あっ! そ、そうでしたぁ!」
だがサリタにそう突っ込まれると大きく目を見開き、ついでにあっと大きく口も開いた。
どうせ暇だったから、日帰りなら特に問題はない。準備に関しても、俺の場合よく使う物はウエストバックに突っ込んでいるから、そちらも大丈夫だった。
それに俺には頼れる相棒シャドウもいる。
俺の物だけでなく仲間の持ち物も預かっているため、見た目以上に物を持っているのだ。
なので不測の事態に対してもある程度の対応は可能だろう。
大丈夫だと伝えると、二人はきゃっきゃとはしゃぎだす。だが後ろのルフィナはやはり変わらず、フンと鼻を鳴らしていた。
この魔窟はシュレンツィアのオーク魔窟よりも難易度が低いようだし、今の持ち合わせで十分斥候役をこなせると思う。
ただ俺にとって、自身に問題は無くても、懸念材料と言うものはある。この三人娘がどれだけの実力をもっているか、ということだ。
実力が不明な相手といきなり組むと言うのは、なかなかにリスクを伴う行為だ。
もし足手まといを抱える羽目になってしまったなら、いかに難易度の低い魔窟だろうと、万が一と言うこともあり得た。
「それよりも、サリタさん達は大丈夫なのか? たぶんだが、ファング魔窟に入った経験はあまりないんじゃないか?」
「えっ!? どうして分かるの!?」
ランクEだからある程度は大丈夫だろうとも思うが、念のためそれとなく探ってみる。
これに目を丸くするサリタだったが、
「多分ですけどぉ、私達のパーティに斥候がいないからですよねぇ? だから魔窟に入れなくてぇ、カーテニアさんを呼んだんですからぁ」
「あ、そっか。考えてみれば当然だったね。アハハ!」
そうマリアネラが答えると合点がいったらしい。彼女は頭を掻きながら笑みを見せた。
「何がアハハよ。普通分かるでしょうが」
その後ろでルフィナが何か言っていたが、俺には小声過ぎて分からなかった。むっとした表情を浮かべたため、サリタにはどうやら聞こえたらしいが。
「俺はこの魔窟には入ったことがないし、調べたこともないから、内部がどうなっているか全く分からないんだが。それでも大丈夫か?」
「このファング魔窟ですけどぉ、第一階層には、ランクFのブラックドッグとコボルドだけが生息しているらしいんですよぉ。でもブラックドッグに注意さえしていれば、そこまで危険もないそうなんですぅ。私達はできれば第三階層には行きたいんですがぁ、まず第一階層で様子を見てぇ、行けそうならその先に行ってみようかって感じですぅ」
「そうそう!」
のんびりとした口調で説明するマリアネラ。サリタがそれに合いの手を入れる。
そのまま聞けば、第二階層には第一階層の布陣にガルムが追加され、第三階層にはガルムとライカンスロープ、そして少数のライラプスがいるらしい。
ちなみにこの魔窟はすでに最下層まで踏破されており、第四階層で終わりなのだそうだ。たぶんそこにオルトロスが出るんだろう。
それは分かった。分ったけども。
「第三階層って言うと、どれだけかかるんだ? 悪いが、俺は日帰りじゃないと無理だぞ。仲間も町に残したままだしな」
「えっ、お仲間さんがいるんですかぁっ!?」
「あーあ……。誰かさんが無理やり連れてくるから、こういうことになるのよ」
「何よ、私のせいだって言いたいわけ?」
責めるような視線をルフィナへ向けたサリタだが、相手は謝意どころか後ろめたさすらおくびにも出さない。
ツンと澄ましてプイと横を向く問題児の様子に、サリタは深いため息を吐いていた。苦労してんなぁ。
しっかし、ルフィナはさっきからツンとしてプイばっかりだな。もうルフィナのことはツンプイと呼ぼう。
「でもぉ、もしかしたら第一階層も難しくてぇ、すぐに帰ることになるかもしれませんしぃ……カーテニアさんが良いなら、このまま行ってみませんかぁ?」
「だね。行けるとこまで行って、そんで日が暮れる前に帰ってくればいっか」
俺もそれでいいと思う。それならスティア達にも迷惑をかけなくて済みそうだ。
二人の意見に首肯しようとする。しかし、これにルフィナがまた怒鳴り声をあげた。
「はぁ!? 馬鹿言ってるんじゃないわよ! 今日目指すのは第三階層! それ以外ないわ!」
折角まとまりかけた意見だと言うのに、自分の言うことは絶対だとばかりに噛みついてくる。これにカチンと来たらしく、サリタが怒鳴り声を返した。
「うるさいわねっ! アンタがカーテニアさんを連れてきたんでしょう! そのカーテニアさんが日帰りしないとって言ってるんだから、日帰りなの! 分かった!?」
ルフィナはそれに対して反論しようと口を開くが、しかしサリタは攻撃の手を休めなかった。
「大体ねぇ、アンタのために皆がこうして集まってるの! それなのにアンタは自分の事ばっかり! さっきアンタは男が自分勝手で嫌いだなんて言ったけど、今のアンタのほうがよっぽど自分勝手よっ!」
事情は知らないが、どうもルフィナのために魔窟にもぐるらしい。痛いところを突かれたのか、ルフィナはカッと顔を赤くする。
「~~~っ! 分かったわよっ!」
言い負かされたルフィナはそれ以上抗議することもなく、最後に俺をギロリとにらみ付け、プイと顔を背けた。何で俺?
「すみませぇん。こんな調子でぇ……」
ルフィナとサリタが顔を背け合うのを合図に、マリアネラがまた俺に対して頭を下げる。この子、貧乏くじを引くタイプみたいだな。
俺としては日帰りで魔窟にもぐると言うなら、付いていくのは吝かじゃあない。それは良しとしよう。
ただそうなると、今度は別の疑問がむくむくと胸に湧き上がってきた。
「まあいいけどな。それよりも、この辺りにはシルキーモスが来ないんだな。普通こんなに騒いでいたら一匹ぐらいは来そうなもんだが」
俺が言うと、マリアネラが「ああ」と軽く笑いながら少し頷いた。
「この周辺はぁ魔窟があって危険なのでぇ、シルキーモスが嫌う臭いのする植物を植えてぇ、あの子達が来ないようにしてるんですよぉ。育てるときにもぉ、この辺りには来ないように教えて育てるんですぅ」
「へぇ」
マリアネラの言うことに、俺は素直に驚いた。シルキーモスをそれだけ大切にしているとは、本当にこのルーデイルの人々はあの魔物を町の住人として見ているんだな。
ランクが高く毒もある危険な魔物だと言うのに、頬を緩ませながら説明をするマリアネラの様子を見て、人と魔物の間に強い信頼関係があるのをひしひしと感じた。
そうして俺とマリアネラが話していると、またツンプイが声を上げる。
「何話し込んでるのよ! 時間がないならさっさと行くわよ!」
そしてこちらの返事も待たずに魔窟に向かって歩いて行ってしまった。サリタがその背中に思い切り舌を出しているが、これでまともにパーティとして機能するのだろうか?
ルフィナの背中にサリタが続き、マリアネラがルフィナと俺を交互に見ながらも、わたわたとまた続く。
結局彼女らの実力がどうなのか分からず終いだったが、まあ不味ければふん縛ってでも連れて帰ればいいか。
俺も三人娘の後ろに続き、魔窟へ足を進める。オーク魔窟は岩肌剥き出しの洞窟だったが、このファング魔窟は一体どんな場所なんだろう。
魔窟の入り口に目を向ける。そこには魔窟を守っているであろう衛兵二人が立っていた。
彼らの顔には、早く行けと書いてある。そりゃ目の前でああも騒がれたら不愉快だろうよ。
騒がせてすまんなと思いつつ、俺は彼らの横を通って行った。
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魔窟の入り口から続く短い洞窟を抜けると、緑の平原が広がっていた。
なぜ地下に平原があるのか? そんな質問をしてはいけない。魔窟とはそういう理不尽なものなのだ。
したいけど、してはいけないのだ。どうせ答えなんて返ってこないのだから。
空があるように見えるのも、明るいことも、ずっと向こうにまで草原が広がっていることも、そよ風が吹いていることも。何もかも気にしてはならない。
何てことを頭の中で思いながらも。
やっぱり気になってしまうのが人間と言うものだった。
「ほら! さっさと行くわよ!」
膝に届くかという高さの草が生い茂る平原。視界はもう緑だらけだ。
俺含む三人が唖然として立ち尽くしていると、この光景に大して興味がないのか、平常運転のツンプイが声を荒げる。
そしてさっさと前を進もうとして――盛大にすっ転んだ。
「な、何してるのルフィナ!?」
「大丈夫ですかぁ!?」
慌ててルフィナの元に駆け寄る二人。一方ルフィナは相変わらずで、
「な、何なのよ一体これはぁっ!?」
と騒ぎながら慌てて立ち上がった。ここはもう魔窟の中だというのに、相変わらずうるさい奴だ。
呆れながらゆっくり近づき、ルフィナの足元を見る。そこには草を結んで足を引っかける、非常に原始的かつ初歩的な罠があった。
「コボルドの罠って……これか?」
「こ、子供騙しじゃないっ!」
「足を封じる罠だとは聞いてましたけどぉ、これがそうなんですかぁ?」
俺がアゴを撫でながら言えば、ルフィナは顔を真っ赤にして文句を言った。
確かにルフィナの言うように子供騙しの罠だ。目の前のガキが引っかかるくらいだからな。
だが。この罠はあまりにも単純で稚拙なものだが、実際そう馬鹿にしたもんじゃない。罠を笑うものは罠に泣くのだ。いや、泣く程度で済めばいいが。
「待て。この罠、なかなか厄介だぞ」
「はぁ!? これのどこが――」
俺に食って掛かるツンプイ。だが至って真剣な表情を返した俺に、ルフィナは出しかかった言葉を飲み込んだ。
「確かに殺傷能力なんてない、ガキの嫌がらせみたいな罠だが……。ここは見渡す限り一面の草原だ。足元は隠れるし、罠自体草で作ってるから同化して分かりづらい。もっと言えば、この罠は気が向く限り無限に作れるし、場所も選ばねぇ。もう作りたい放題だな」
ルフィナ以外の二人にも視線を向けると、マリアネラは首を傾げていたが、サリタのほうは気づいたらしく、途端に顔を強張らせた。
サリタは足が頼みの軽戦士だ。この怖さが想像できたのだろう。勘は悪くないらしい。
「この魔窟は犬だの狼だのが多いんだろ? 怪物と魔物に、習性の違いがあるかどうかなんて俺は知らないが、仮に同じだって考えると、群れで行動する素早い相手がわんさといるって事になる。それなのに俺達は、常に足元に気を配らなきゃならん。攻撃するときも攻撃をかわすときも、追うときも……もちろん、逃げるときもな」
それはつまり、あらゆる素早さが殺されてしまうという事。ここファング魔窟は、どうやら身軽さを売りにする人間にとって、鬼門となる場所のようだ。
怪物の方も罠にかかってくれれば状況的には互角なんだが、流石にそんな間抜けな事にはならないだろう。相手は犬だしな。
つまり戦う前から、こちら側だけが不利な状況が確定している、というわけだ。
子供騙しの罠が命を脅かす魔窟とは、まさか思いもしなかった。
言わんとしていることがやっと通じたのだろう。俺の目の前で、ルフィナとマリアネラが同時にはっと息を呑んだ。




