161.代官の娘
ランク昇格を見送り、町に滞在する報告を済ませた俺は、何の気なしにギルドの依頼票が張られている掲示板を眺めていた。
今戻っても、きっとテンションの高い店員の姿を見るだけだろう。スティアには悪いが、そんなものに付き合うのは勘弁願いたい。つまりただの暇つぶしであった。
なお今は皆に断って、一旦聴覚の≪感覚共有≫を切ってしまっている。興奮した店員だったりオーリだったりが騒いでいて、やかましいだけだったからだ。
助けを求めるようなスティアの声も聞こえたが、頑張れとエールを送り、容赦なく切った。途端に騒々しい声達が消え、耳が束の間の平和を取り戻していた。
ギルド内はもう昼と言うこともあって、冒険者の姿は殆ど無い。若い男が二人、テーブルについて何やら相談している姿があるだけだった。
彼らの首には青銅色――ランクFのドッグタグがかけられていた。駆け出しの冒険者なんだろう。これからどうするか、二人で相談でもしているのかもしれない。
ただ。今までのギルドではよく見た魔物の討伐依頼が、シルキーモスが鉄壁の守りを敷いている影響だろうか、ここでは一件も見当たらなかった。
あるのは商人の護衛依頼や、町の雑用や紡績工場の手伝い、そして魔窟に生息する怪物の討伐依頼だけだ。彼らにとって、あまり選択肢が多いようには思えなかった。
(どうもこの町の魔窟は、オーク魔窟に比べて随分難易度が低いみたいだな)
オーク魔窟は第一階層でもランクDのオークが生息しており、そしてそれが最低ランクの怪物だった。
だがこの町の掲示板にはランクF怪物の討伐依頼があり、最高ランクの討伐依頼でもCだ。
オーク魔窟にはランクBの依頼もあったのだ。俺の想像は間違っていないだろう。そうと予想しつつ、討伐依頼一つ一つに目を向ける。
ランクFの怪物の名前はブラックドッグ。名前を見る限り黒い犬なんだろう。
他にも、コボルド、ライラプス、ガルム、ライカンスロープ、オルトロスと、そんな名前が書いてある依頼票が張ってあった。
ライラプスやガルムなんかは聞いたこともないのでよく分からないが、コボルドは人間のように二足歩行をする犬、ライカンスロープは確か狼人間だった気がする。
オルトロスは俺でも知っているくらい有名だ。頭を二つ持つ犬のことだな。
これらの名前を見る限りだと、恐らくこの魔窟は犬とか狼とかの怪物が出てくる魔窟なんだと思う。
魔窟には魔窟ごとにそれぞれ特色があって、出てくる怪物の傾向は一貫していると聞く。間違いないだろう。
また、張りだされている依頼票のランクから、まだ冒険者になって間もない若手が腕試しに挑む魔窟のように思う。
ギルドにいる冒険者達もランクFだしな。経験の浅い若者には、腕試しに丁度良いのかもしれない。
(まあどちらにせよ、俺達は長く滞在する予定はないからな。明日か明後日にはまた出発だ。オーリには悪いが、魔窟はお預けだな)
アゴを撫でつつ、ブラックドッグの依頼を何と無しに見ながらそんなことを思っていた時。
俺の背後に、カツカツと靴音を立ててこちらに向かってくる気配が一つあった。
「ちょっとアンタ。斥候なんですって?」
そいつは俺の後ろに立つと、そんな言葉をかけてきた。
「……俺に言ってるのか?」
俺がそう言いながら振り向くと、そいつはフードで隠れた俺の顔を覗き込むように見て、途端に顔を歪めた。
「ちょっと何、おっさんじゃない。それにランクEですって? 全く、こんな時に使えないわね……!」
そこに立っていたのは、ローブ姿に杖を持つという、典型的な魔法使いの出で立ちの若い女だった。
「でも……まあ、コイツしかいないんじゃ仕方がないか。背に腹は代えられないし、今は我慢するしかないわ」
ウェーブのかかった藤色の髪を鬱陶しそうに片手で払うと、俺をジロリとにらむように見る。その眉間には皺まで寄っていた。
成人はしているのだろうが、しかし顔には微かにあどけなさが残っている。年の頃は恐らく十七、八といったところか。
視界の隅に何かが映り、女の後ろをチラリと見れば、離れて立つツーケィの奴が目に映る。
奴は俺と目が合うと、両手の親指をぐっと立てて見せやがった。くそウザイ笑顔つきでな。
なるほど、この状況はこのバカのせいか。余計なことをしやがってと、俺は内心舌打ちをする。
そしてすぐにまた目の前に視線を戻した。
先程からずっと、女は不機嫌そうな顔を崩していない。元々気の強そうな顔をしていることもあって、かなりキツイ印象を受けるが、だがなかなかの美人だった。
スタイルも非常によく、まじまじと見なくても分かるくらいには発育が良い。
しかも服は胸元が開いてるもので、谷間が見えそうなほどだった。
思わず顔をしかめる。だが俺のそんな表情を見てか、女も不機嫌そうな色をさらに濃くした。
「……何よ。私が誰か知ってるの? 私はこの町の代官、オネスト・ライナルディの娘、ルフィナ・ライナルディよ。文句なんて無いわよね。さあ、分かったなら付いて来なさい」
彼女は言うだけ言ったかと思えば、身を翻してさっさとギルドから出て行こうとする。だが、説明も無しにいきなり来いと言われて、はいという奴は普通いないだろう。
なんのこっちゃとその場に立ったまま、俺はギルドの出口へ歩いていく彼女の背中を黙って見送る。だが靴音で分かったのか、彼女はくると振り向き、
「早く来なさい!」
そう怒鳴りつけてきた。
このくらいだと神経質になりがちな年齢だ。そんなガキ共のことを今まで何人も面倒見てきた俺は、彼女のこんな無礼さにも、しょうがねぇなぁぐらいの気持ちしか湧いてこなかった。
とは言えこれはなかなかに酷い部類だ。初対面の人間に対して取る態度ではない。もし俺が親だったら、尻を百裂叩きの刑に処すだろう。
しかしどうやら彼女を見るに、このルーデイルにおいての代官の権力というものは、随分高いようだ。まあこの町が領主主導で興った産業で成り立っているのだから、その代官が町に及ぼす影響が大きいというのも頷ける。
なら娘がこうまで居丈高に突っかかってくるのも、さほど珍しくもない。
親の権力を笠に着た振る舞い。貴族じゃよく聞く話だった。
(ま、何だか知らないが、話を聞くくらいならいいか。気になることもあるし……それに、今は暇だしな)
子供のやんちゃなぞ慣れたものだ。軽く肩をすくめると、素直に彼女の後ろに続く。
代官の娘が何をしようとしているのか知らないが、少しくらい楽しめれば良しとしよう。そんなことを思いながら、俺はギルドを後にした。
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ルフィナと名乗った女は不機嫌そうに肩を怒らせながら、ずんずんと路地を進んでいく。何が何やら分からない俺も、とりあえず黙ってその後に続いた。
しばらく路地を進むと視界が開け、今度は一面の緑が眼前に姿を現した。
どうやら森に踏み入ってしまったようだ。ギルドに入る直前の事が瞬時に浮かび、俺はハッと、咄嗟に周囲に視線を巡らせる。
だが思ったようなことは特に何も起こらず、内心首を傾げた。
森の中は確かシルキーモスの縄張りだったはずだ。しかしこの場所にはシルキーモスの気配は全く感じない。それがなぜなのか、理由が分からなかった。
(ここは町の中なのか? 明らかに森の中に見えるが……)
ルフィナに続く道すがらに、シャドウに出して貰った斥候用装備。腰に吊るした短剣から静かに手を離していると、またルフィナがいら立たしそうに声を飛ばしてきた。
「何やってんの! 早く来なさいって言ってるでしょう!?」
彼女の様子を見ると、ここでシルキーモスに襲われるわけはないと思っているようだ。これが確信なら良いが、先ほどの俺のようにただの思い込みだと共倒れになりかねない。
俺は念のため警戒しながら、彼女の後に続いた。
「まったく……! さっさと来いって言ってるのに、これだから男は……!」
ぶちぶちと文句を垂れながら足を進めるルフィナ。俺はそれを聞き流しながら遅れまじと付いて行った。
警戒のため足音を立てないよう歩いていたせいか、ルフィナがいぶかしい顔で何度か振り向く。そして俺の姿を認めると、ふん! と鼻から息を吐き、また前を向いて歩く。
その繰り返しを三、四度はしただろうか。
前の方から賑やかな声が聞こえ始める。かと思えばすぐに、二人の女が何やら話をしている様子が目に映った。
「ルフィナちゃんに任せて大丈夫かなぁ? 私ぃ、心配なんだけどぉ……」
「本当にあの子はっ! でも勝手にどこかに行っちゃったしなぁ~、もう少し待ってみる?」
困った様子でおろおろしているのは小柄な女。不自然なほど真っ白な服装をしているが、なぜかは特徴的すぎて遠目でもすぐに分かった。
あれは慈愛の神ファルティマールの信徒が着る服だ。頭巾こそかぶっていないものの、恐らく彼女は神官なんだろう。
手にはそれと分かる杖も持っているため、見間違いようがなかった。
もう一人の女は革鎧を装備し、腰にはショートソードを吊るしている。小手やグリーブも装備しているが比較的身軽な恰好で、盾は持っていないようだから、軽戦士といったところだろうか。
彼女らは森の中だというのにも関わらず賑やかに会話していたが、俺達が近づいて行くと存在に気づいたらしく、揃ってこちらに顔を向けた。
「あ! ルフィナちゃん! とぉ……」
「あははは! 本当に連れて来たよこの子! 見直した! やるじゃん!」
「るっさいわねぇ……!」
神官の女は嬉しそうな声を上げたが、後ろの俺に気づくと、急にもごもごと口ごもる。反対に軽戦士の方は俺を指さして愉快そうに笑った。
ルフィナは軽戦士の女に対していらついた声を上げたが、慣れた様子で神官の女がまあまあと二人の間に割り込んでとりなしていた。
恐らくルフィナのパーティメンバーなのだろう。三人の様子を眺めつつ、俺はその後ろにある光景に目を向ける。
そこにはこのルーデイルの町に発生した、魔窟がぽっかりと口を開けていた。という事はつまり、そういう事なんだろうか。
俺を置いてけぼりにして、ぎゃあぎゃあと戯れ始めた三人。彼女らはいずれも首に、赤銅色のドッグタグをぶら下げていた。俺と同じランクE冒険者だ。
彼女らは一頻りわちゃわちゃしたかと思うと、気がすんだのか今度はこちらに視線を向けた。
「で、この人がそうなの?」
「そうよ。暇そうにしてたから連れてきたの。男だけど、仕方ないわ」
軽戦士の女が俺を指差しながら聞くと、ルフィナは不満たらたらでそう答えた。
確かに暇なのは暇だったが、いきなり魔窟に引っ張って来られるとは、おっちゃん全く思ってなかったわ。最近の若い子の行動力を舐めてた。
「へぇ~……! おじさん、斥候なんだ?」
軽戦士の女が興味深そうにこちらを見る。その表情は楽しそうに見えるが、しかしその内にはしっかりと警戒心が湧いている。
女三人パーティだ、これは当然の反応だろうな。
「まぁな」
感心しつつ短く返す。正確に言えば斥候じゃなくて元山賊です。でもそんなことを馬鹿正直に言ったら捕まるので、斥候ということでここは一つ、よろしくお願いします。
「あのぉ……。私ぃ、マリアネラって言います。よろしくお願いしますぅ」
少々舌ったらずな口調で、神官の女がおずおずと頭を下げる。胸元まで伸びる栗色の髪がさらりと揺れた。
「はーい! 私はサリタです! おじさんは!?」
対する軽戦士の女は元気よく片手をあげる。こちらは髪をショートヘアにしており、髪色も活発そうな印象に合う赤銅色をしていた。
「俺はカーテニアだ」
「カ、カーテニア?」
「へ、へぇ~……。め、珍しい名前ですねぇ……」
名前の由来がカーテンだから、珍しいもの当然だろう。
待望の子が生まれたわ! 名前を何にしましょうか? そうだ! 昨日買ったカーテンが安かったからカーテニアにしましょう! ……なんて親はいるはずがないしな。頭がどうかしている。
俺の偽名に三人はそれぞれの反応を示す。
サリタはどう反応して良いか困惑したような声を上げ、マリアネラは何か言わなければといった様子でわたわたと声を上げる。
ただルフィナだけはフンと鼻を鳴らし、つまらなそうにこちらを横目でじっとりと見ていた。
さてと。何となく状況は掴めた。
だが念のため、彼女らには聞いておかねばなるまい。
俺はこちらに意識が向くよう、コホンと一つ咳払いをする。
「で、俺は何でここに連れてこられたんだ?」
目的が明確でなければ、何をすべきか判断がつかないからな。
そう思い質問を飛ばしたところ、マリアネラとサリタの表情がピシリと石のように固まってしまった。




