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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第一章 元師団長と孤軍の残兵
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18.狂爪ガザ

「うぅ……。はぁ、はぁ……っ」

「ガザ様、もう少しお待ちを。どうか――」

「誰か来る……」

「え?」

「誰かが、こっちに、向かって、来る……」


 ガザは鉛のように重い瞼を何とか持ち上げ、虚ろな目で周囲の様子を伺った。

 彼は目だけを力なく動かし周囲を見渡す。ここにいるのがガザのそばにいる、愛嬌のある狸の顔をした人物、ロナ一人だけだと分かると、ガザはロナへとその視線を戻した。


 先ほど出て行った三人はまだ帰って来ていない。

 彼は体を起こそうとするが、自分の体がまるで炎に焼かれているように熱く、そして鉛のように重く、動かない。


 それでも、と身をよじれば、今度は全身に激痛が走った。結局身を起こすことすらできず、彼は後頭部を再び地に突いた。

 状況を考えようにも、頭も朦朧としていて全く役に立たない。彼はただ、熱い息を吐き出すだけで精一杯だった。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ」

「少し外を見てきます。あまり無理をされないように。ここで安静にしていて下さい」


 外を見ようと立ち上がりかけたロナ。しかし腕をガザに掴まれ、驚いて彼へ顔を向けた。

 なぜ、とロナは困惑を滲ませる。それにガザはゆっくりと首を横に振った。


 確かにガザの頭は朦朧としていたが、だが迫りくる危機に関しては、直感が正確に察知していたのだ。

 鉢合わせさせてはいけないと、ガザはなけなしの力を使ってロナの腕を強く握り締めていた。


「悪ぃ……気づくのが、遅れた……。もう、そこに……」

「え?」


 ロナはそこでやっと振り返る。洞穴の入り口にはガザの言う通り、いつの間にか一人の女が立っていた。


 逆光でよく分からないが、若い女のようだ。

 ロナはその女からガザをかばうため、弾かれたように動く。いや、動こうとした。

 しかしそれすらもガザに必死に制止されてしまった。


 戦士であるガザは、彼女が相当な手練れである事がすぐに分かった。

 自分の実力にはそれなりの自負があるガザだったが、それでも目の前の女が漂わせる気配は、如何ともしがたい実力差があるとひしひしと伝えてくる。

 恐らく万全の状態であったとしても、無事に逃げるのが関の山だろうという重圧がそこにあるのを感じていた。


 自軍から(はぐ)れてしまい、それでも機を伺いながらこの森に潜伏し、もう三年が経とうとしていた。

 なんとか希望を捨てずにこの森で生き抜いてきたが、自分達の命運もここまでなのだと、あの女を見てそう思ってしまった。


 自分の状態と、そして今の状況を知り、ガザの心は諦めの境地に達してしまった。

 もはや抵抗する気すら失せた。ガザは自分達の運の無さを、そして仲間を救うこともできない自分の不甲斐なさを、歯を食いしばって強く呪った。


 ガザは手負いであった。

 五日ほど前、この場所の近くにある湖を探索していた際に魔物の襲撃に遭い、仲間をかばって手傷を負ってしまった。

 また悪いことに、それは毒を持っている魔物であった。

 なんとか新しく見つけた隠れ家に逃げ帰ったものの、毒が体を蝕み、連日炎に投げ込まれるような熱さと痛みに彼は激しく喘いだ。


 ロナがこの森に自生していた薬草で解毒に効果のある薬を作ってくれたため、なんとか死なずに済んでいるが、こんな状況下では万全の治療とはいかず、その毒はいまだに彼を苦しめていた。


 負った手傷も軽くはなかった。内臓には達していないものの、わき腹を腹から背にかけてざっくりと深く抉られ、出血も(おびただ)しい。

 加えて、清潔な環境など用意できるはずも無く、傷から入り込んだ雑菌が体を蝕み、傷口は化膿し、痛みと発熱によってガザの体力を徐々に奪っていった。


 いくら体力のある戦士とはいえ、すでにこの状態で五日目が経っている。ガザの肉体も精神も、もはや限界に近い状態に追い込まれていた。


「そこの……お前。話が、ある……」


 痛みを堪えながら頭を起こし、ガザはその女を呼ぶ。女も彼の状態を把握したのだろう。警戒しながらも、ゆっくりと近づいてきた。


 ロナがこれに反応を見せるが、しかしガザはまたもロナの腕を強く握って押し留める。

 驚きで振り返ったロナに、ガザは力なく頷く。それを見たロナは目を見開き、そして力なくうな垂れた後、片手で顔を覆い、静かに嗚咽を漏らし始めた。


「俺は、ガザ……。アレキウス王国軍、第二師団、第四中隊……隊長のガザだ。頼みが、ある……」


 女はガザを冷たい目で見つめた後、ため息を一つ吐いた。


「狂爪のガザ。貴様がこんな人気(ひとけ)の無い森の中で死にかけの状態でいるとは、思いもよらなかったな」

「俺を……知って、いるのか……?」

「私はアインシュバルツ王国軍、第三師団所属、第一部隊隊長、スティア・フェルディール。貴様には第一師団が随分世話になったらしいからな。当然知っている」

「フ、これも……巡りあわせか。悪く、ない」


 相手が軍人と分かると、ガザは瞑目して唇を歪ませた。

 スティアと名乗ったその女は、ガザの仕草に片方の眉を上げ、僅かに反応を見せる。だがその真意を追及することは無かった。


「頼む、俺の――」

「待て」


 ガザが気力を振り絞り、体を起こして話をしようとした瞬間。まるで抑揚の無い口調でぴしゃりと静止がかかった。


「ここには私の上官もいらっしゃる。貴様のその頼みとやらを聞くかどうかは、その方に判断して頂く。今お連れするから、それまで死なずに待っていろ」

「なっ……なんだ、と……!?」


 ガザはその言葉に虚ろだった目を見開いた。

 目の前の女は大隊の隊長だと名乗った。それが事実であれば、その上官は最低でも師団長クラス。軍の最高幹部ということになる。


 そんな大物が部下を引き連れ、こんな森の中まで遠征に来ているなど思ってもいなかった。

 ガザは驚愕すると共に、森に大勢の兵士が来たであろうことを想像した。そして、ここから出て行った三人の仲間がどうなったのかを案じて、激しく動揺した。


「俺の、仲間は……!? 他に……三人、いる!」

「ああ、それなら既に身柄を預かっている。……今はな」


 スティアは事も無げに言いながらも、今は、の部分のみを強調してじろりとガザを見る。

 先ほどよりも冷たく、そして射抜くような視線。ガザの心臓はドクンと跳ねた。


「だが、もしあの方に失礼でも働いてみろ……。貴様も、貴様の仲間も、命はない。いいな」


 しばらくの間をおき頷いたガザの様子を見ると、彼女は踵を返し、そこから立ち去って行く。

 女の姿が無くなってからしばらくして、緊張のせいで意識の外にあった傷の痛みが急激に蘇り、ガザはその熱さに呻き声を漏らした。


 倒れ込みそうになったガザの体を慌てて支えたロナは、優しく彼を仰向けに寝かせる。その仕草からは、彼への情がはっきりと感じられた。


 だが現実は非常だった。


「ロナ……すまん……。今まで……世話に、なったな……」


 覚悟を決めたようなその言葉に彼の心中を察し、ロナの目からは涙が溢れた。



 ------------------



「貴方様、あそこですわ」

「みたいだな。スティア、ご苦労さん」

「いえいえ、ですわ」


 先行していたスティアと合流すると、俺達はその魔族の新しい隠れ家へと向かった。


 スティアが指を差した場所に目を凝らすと、確かにまた洞穴のようなものがあるのが見えた。

 感覚だが、先に見つけた洞穴を出発してから、もう五時間近くが経過していると思う。森の中にいると太陽がよく見えず、時間が分かりづらいが、昼過ぎを回っているのは間違いない。早朝に出発したのは正解だった。


「中には手負いの魔族と、恐らく非戦闘員の魔族が一人ずついますわ。ですが、どうかご注意を」

「分かった。スティアもな。先頭は頼む」

「ええ、承知しておりますわ」


 先頭を歩くスティアが振り向き注意を促してくる。俺も≪感覚共有(センシズシェア)≫で見ていたから分かるが、中にいた魔族は抵抗できる状態ではなかった。

 それに、そいつらの仲間も俺達が捕まえている三人のみだということが分かった。一先ず他の魔族からの奇襲はないと判断しても問題ないだろう。


 ただ、それでも魔族の底力は到底侮っていいものではない。いかに手負いとはいえ、奴らの棲家に入ってしまえば、甘い考えを捨てなければこちらの身が危ない。

 窮鼠猫を噛むなんて言葉もあるくらいだ。油断は禁物だと気を引き締める。


「俺はスティアの次に入る。その次はホシ、最後はバドだ。バドは入り口で警戒を頼む。ホシは状況に応じてフォローしてくれ」

「りょうかーい!」

「あそこに入ればお前達に≪共有(シェア)≫は使えない。適宜頼む」


 歩きながら三人の顔を見渡し隊列の指示を出す。

 ふとスティアが言っていたことを思い出し地面に視線を向けると、確かにこの洞穴の入り口付近は雑草が生い茂っていて、殆ど地面が見えていなかった。

 と言うことは、つい最近奴らがここを棲家にしたということに他ならない。


「スティア、よくここに連中が潜んでるのが分かったな」

「わたくし、血の臭いには敏感ですもの」

「……そう言えばそうだった」


 まるで無い痕跡によく見つけたなと感心したものの、スティアがクスリと笑う様子を見て思い出した。

 言われてみればスティアはハーフヴァンパイアだ。血の臭いには非常に鼻が利く。あまりにも話に聞くヴァンパイアらしくないから忘れてた。


「と、とにかくだ。洞穴に入ったら警戒は怠らないようにな」


 何が嬉しいのか、目に見えてニコニコと機嫌が良くなったスティア。俺は誤魔化すように言うと、持っていたランタンに”灯火(トーチ)”で火を灯す。


 手元で燃える”灯火(トーチ)”をどうしようかと少し悩んだが、先ほど≪感覚共有(センシズシェア)≫で見た限りでは、あの中はかなり狭かった。たぶんランタンの明かりだけで十分だろう。

 まだ何があるか分からないし、魔力を節約するに越したことは無いか。そう思い”灯火(トーチ)”を消してしまうと、再び洞穴へと意識を向けた。


 俺が手渡したランタンを受け取り、スティアは一番先に洞穴へ入って行く。俺もその背に続き、魔族の棲家へと足を踏み入れて行った。

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