159.紡績の町ルーデイル
「おー、ここがルーデイルか。初めて来たが、結構良さそうなところだな」
目深にかぶったフードを指でちょいと摘まみながら、きょろきょろと周囲に目を向ける。
通りに並ぶ木で建てられた家々と、町の中にまで入り込んでいる木々が作る町並みは、色合いの調和が絶妙だ。
恐らく景観を損なわないように、意図して作られているのだろう。
「わたくしは何度か来たことがありますが、昔と全然変わりがありませんわね」
隣のスティアが空を見上げながら、俺の独り言に応える。
ここは全体が森と一体化しているような町で、視界に映り込む緑が非常に多い。町の上方も例外でなく、広がった枝葉が空を半分以上覆ってしまっていた。
おかげで昼だと言うのに日が陰って、町全体は微かに暗い。とは言え陰鬱な印象は全く受けなかったが。
町を柔らかく照らす、葉の隙間から零れる日の光。輝きながら降り注ぐその様子は、神秘的にすら見えた。
スティアは手をかざし目を細める。肩をさらりと流れた銀髪が、木漏れ日を浴びて美しく煌めいていた。
スティアは人族のように見えるが、その実ハーフヴァンパイアだ。寿命は人族よりもずっと長い。
俺達と出会う以前、彼女はずっと冒険者をしていたらしいし、人族と上手く馴染めず、どこかに定住することもできなかった。あちこち旅をすることも多かったはずだ。
きっとこの町にもそうして訪れたのだろう。だがしかし空気の読める俺は、昔って何年前? とは聞かない。きっと碌なことにならないだろうから。
「昔って、どのくらい前?」
しかし空気を読まないホシが、スティアにくりくりとした赤い瞳を向けた。
見た目は年端もいかない少女のホシ。だが実際は、推測で二十歳は超えている。オーガである彼女は、見た目と年齢が人族と大分違っているのだ。
頭の方は大人並みに回るが、反面精神年齢は子供のそれである。そんな空気の読めない二十歳超児は、こてりと首を傾げていた。
「そうですわねぇ……。たぶん、八年くらい前でしょうか?」
んー、と人差し指をあご先に当てながら、スティアは思い出すようにして答える。
これが二十年前とか三十年前だったなら、年がどうとか言って微妙な空気になっていただろう。意外に近くて助かったと、俺は人知れず胸を撫で下ろした。
「ふ~ん。あの屋台もあった?」
「さぁ……そこまでは覚えてませんわねぇ」
俺の心配など知りもせず、ホシは通りの屋台を指差す。その屋台には二、三人ほどの人が並んでいるが、その最後尾には先ほど並んだバドの姿もあった。
町の門をくぐり少し歩くと、旅人目当てなのか屋台がぽつぽつと目に付くようになったが、バドがそれを目ざとく見つけ、さっと並んでしまったのだ。
屋台の店主は、黒一色の全身鎧を装備したニメートル越えの大男に、かなりびくついていた。加えて言えば、バドの前に並んでいる人達の表情もどことなく固かった。
料理のことになると珍しく暴走しがちにはなるものの、彼は心根の優しいダークエルフである。
特に危険な人物ではないのだが、とはいえ見た目があれでは、怖がられるのも無理はなかった。
「ほら、俺達も並ぶぞ」
「ほーい」
緊張しすぎて固くなっている店主達と、そんな表情を向けられているバドのため、俺達も揃ってバドの後ろに並ぶ。
「バド、俺達を置いていくなよ」
彼の肩辺りを拳でコンコンと叩くと、振り向いたバドはやっと気づいたらしく、ぺこぺこと謝り始める。
彼は言葉が喋れないので無言だが、恐縮しきりの彼の様子に、周囲の人達も安心したらしく、一様にほっとした表情を見せていた。
この町の名前はルーデイル。ハルツハイム領の南東に位置する、森に囲まれている珍しい町だ。
森と言うのは本来、動物や魔物が住む場所である。人間はそんな森を切り開き、自分達の居場所を主張してきた。
しかしこの町は森に飲み込まれたような様相を、もう二百年以上の間保ち続けている。それには、そうでなくてはならない重大な理由があった。
”紡績の町”。ルーデイルは誰からもそう呼ばれている。
この森にはシルキーワームという芋虫の魔物が生息しているが、シルキーワームは穏やかな性格で、人間を襲うことは全くない。それに仮に襲われたところで、子供でも倒せるほどに弱い魔物だった。
しかしこの魔物は、非常に質の良い糸を吐く魔物でもあった。それに目を付けたハルツハイム家は、この森に住む魔物を淘汰し、シルキーワームを保護、養蚕業を立ち上げたそうだ。
そうしてこのルーデイルは、その魔物から取れた生糸を使い発展してきたというわけだ。
ルーデイルの人間にとってシルキーワームは、昔から町人と共存してきた魔物。慈しみこそすれ、恐れる者はいないらしい。
今も上を見れば、枝葉の隙間から、シルキーワームが羽化した魔物、シルキーモスが一匹飛んでいるのが見える。だが町行く人は逃げるそぶりもない。
それどころか、子供が指を差して「しるきーもすだ!」などと、親に笑顔を見せるほどには、魔物を共に暮らす住民として迎え入れている様子が見られた。
ちなみに。シルキーワームはランクGの魔物だが、シルキーモスはランクCの魔物である。
一旦襲われると仲間を大量に呼び、毒のある鱗粉を飛ばして敵を毒殺するというなかなかに危険な魔物なのだ。
しかしその性格は孵化前と変わらず温厚らしく、不用意に近づかなければ危険はないそうだ。
空を飛んでいたシルキーモスも特にこちらを襲うでもなく、ヒラヒラとどこかへ飛び、視界から消えていった。完全に町に馴染んでいるようだった。
そんなルーデイルの町には大きな紡績工場があり、町に住む人間の殆どがこの養蚕に関する仕事に就いているそうだ。
町を訪れる人間も、生糸や絹、洋服などを買い求める商人ばかり。だから冒険者などの無骨な人間との関係は殆ど無い――はずだった。
「スティア、冒険者ギルドってどこにあるか知ってるか?」
俺は串に刺された肉の塊にかぶりつきながらスティアを見る。
店主から聞いたが、この肉はグレイウルフの肉だそうだ。ルーデイル周辺にはめぼしい魔物がおらず、弱い魔物ばかりだ。
必然的に弱い魔物の肉を使った料理が屋台に並ぶわけだが、まあ美味けりゃそんなもん何でもいい。強いイコール美味いではないのだ。
「確か、町の南のはずれだったかと」
「南の外れ? 随分邪険にされてるみたいだな」
「いえ。南には魔窟がありますから、単純に近いという理由があって、その場所を選んだのだったかと思いますわ」
スティアもはぐはぐと肉をかみちぎると、上品に口に手を当てながらそう答えた。
百年ほど前に、ルーデイルのすぐ南の森の中に魔窟が発生したのだ。
大海嘯を恐れた町人たちは領主に嘆願し、駐留する兵士の増員を決めた。だがそれだけでは間引きの人員は到底足りない。
そうして必然的に冒険者を誘致する運びとなり、冒険者ギルドの設置も行うことになったのだ。
こうして紡績の町は関係者だけの町から、今の形へと変わっていった。
当時を考えれば、こんな屋台も恐らくなかったのだと思う。町に住んでいる人間ばかりだったら、こんなに屋台ができるのも変だしな。
「冒険者ギルドに行くの?」
「それが義務だってんなら、しなきゃならんだろうなぁ」
両手に肉の串を持ちながら、リスのように頬張るホシがもごもごと言う。口の周りはソースでべたべただ。後で綺麗にしてやらないといかんな、あれは。
冒険者ギルドの規約で、ギルドのある町に滞在する際および出ていく際には、ギルドに申し出る必要があった。
実はセントベルから出る際にそれを忘れていて、シュレンツィアに着いた時に受付のマァドに指摘されてしまったのだ。
さらに言えば、シュレンツィアから出る際にも、夜逃げ同然で町を出ることになったので、そこでも申し出をしていない。
そろそろ連絡ぐらいはしておかないと不味い気がしていた。
「面倒ですけれど、致し方ありませんわよね。さっと行って、さっと帰ってきましょう」
体面を繕うこともなく本当に面倒くさそうに言うスティアに、バドもうんうんと首を縦に振る。
しかしよく見ればバドの両手にも肉の串が握られており、スティアの言うことに頷いているのか、肉の味に頷いているのかよく分からなかった。が、まあ、どっちでも良いか。
「ほんじゃまずギルドに行くかぁ」
「道なら覚えておりますわ。わたくしが案内致しますわね」
「すーちゃんよろしく!」
「はい、よろしくされました」
ホシが調子良く手を上げると、くすりとスティアが頬を緩ませた。
そうして冒険者ギルドに向かうことにした俺達。スティアの案内で町を歩いていると、徐々に町並みの様子が変わっていくのに気付いた。
俺達が入った西門近くは家屋と思われる建物が多かったが、南へ向かうにつれて明らかに商店が多くなっているのだ。
思うにこれは先ほどスティアが言っていた、冒険者ギルドの場所と関係があるのだろう。
冒険者の受け入れを決めてギルドを設置したはいいが、町の外れなどに建っていれば普通、不便すぎて不満が出るはずだ。最悪冒険者が寄り付かなくなってしまうことも考えられる。
しかし冒険者ギルドに近い場所に冒険者ご用達の商店を配置して一画を設ければ、町の端にギルドがあったとしても、当の冒険者達にとっては何の問題ないだろう。
町の景観を可能な限り残しつつ、必要なものを受け入れていく。そうした配慮の結果がこうして表れているのだと、俺は変わっていく町並みを見ながらそう考えていた。
そうしてきょろきょろと周囲を見ながら歩いていると、不意に一つの店舗に視線が止まった。
「あっ」
正確には、飾られている品物に、だ。
つい声を漏らしてしまい、皆の視線が俺へと集まる。
「貴方様? どうかなさいました?」
「あっ、いや……。その、だな」
くるりと振り返ったスティアに口ごもっていると、
「あーっ! あれ、すーちゃんのリボンだ!」
またもや空気の読めないホシが、びしりと指を差して大きな声を上げてしまった。
そう。その店舗の商品の中に、俺がスティアにプレゼントしたリボンと同じものが飾られていたのだ。
当時俺は王都のとある商店で、最後に残る一品だと店主に言われそのリボンを購入した。
渡した後、そのリボンの値段をスティアが知りたがったが、俺は当然言わなかったし、店に在庫もない状況になっていたので調べようもなく、スティアにばれることは無かったが。
ところが。
「小銀貨5枚だって!」
ちょこちょこと店に入ったホシが大きな声で暴露した。このおバカ。
つーか、俺が買ったときは銀貨1枚だったぞ。俺の月給の四分の一。
当時戦時中だったから、その分高かったのだろうが、なんだか損した気分になっちゃっただろうが。
「貴方様ぁ……そんな高価なものを……っ!」
急にスティアが頬を染めた。心なしか目も潤んでいるように見える。
あーもう。頑なに黙ってた値段をこんなところで暴露されるなんて、どんな羞恥プレイだ。小っ恥ずかしいから勘弁してくれ!
「いらっしゃいませ! 何かお求めですか?」
捨てる神あれば拾う神あり。そんな時、丁度良いタイミングで店員が中から姿を現した。
この機を逃すわけにはいかないと、俺は空気を断ち切るためその女に話を振る。
「いや、それと同じリボンを買ったことがあってな。それで――」
「本当ですか!? ありがとうございます! これ実は私がデザインしたものなんです! 愛用して頂けると嬉しいです!」
「もちろん愛用しておりますわ!」
「そうですか!? ありがとうございますっ!」
店員は俺の話を遮るように大きな声で話し始める。ただまあ、単に喜んでいるだけなので嫌な感じはしない。
彼女の表情も、買ったという話を聞いた途端、客向けの笑顔から本来のものに変わっていたように見える。ぱっと花が咲いたような笑顔だったため、本当に嬉しかったのだろう。
ペコリと大きく頭を下げた店員は、ばっと勢い良く頭を上げる。そしてスティアの顔を見て大きく目を見開いた。
「すっごい美人!」
そしてまたでかい声を上げた。随分賑やかな人のようだ。
「は、はぁ? それはどうも――」
「ふんふん。なるほど。うーん……。パンツも良いけど、でもちょっとなぁ。もうちょっと品の良い感じにして……。何これこの髪すっごいサラサラ! 肌もすっごく白くて奇麗じゃない! ちょっと体が細すぎだけど、それはどうとでも誤魔化せるわ。そうするとなると――」
「あ、あの、なんでしょうか?」
店員はアゴに手を当てながらスティアの周りをグルグル回る。まるで檻に閉じ込められた猛獣のようだ。
いきなりのおかしな行動に、スティアも珍しくたじたじだ。
「貴方、ちょっと来て!」
「え!? あ、ちょ、ちょっと貴方――ぐぇっ!?」
そして店員に腕を握られたスティアは、店の中へ引きずり込まれて行った。
「何あれ?」
ホシが不思議そうな声を上げる。
だが……うん。
俺に、聞くな。




