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元山賊師団長の、出奔道中旅日記  作者: 新堂しいろ
第四章 薬売りの天使と消えない傷跡

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158.王都にて エーちゃん、動く

「でな、アゼルノが言うんだ。怖い顔してさ。我らが今ストライキをしていることを、貴方も知っているでしょう。だと言うのに、どうして第一師団がいらぬ口出しをしてくるのか、ご説明願いたいのですが……ってさぁ」


 ランプが一つだけ灯った薄暗い部屋。そんな一室で、一人の男がブランデーの入ったグラスを軽く揺らしながら愚痴を言う。

 ため息をついて項垂れる男。そんな彼の背中を、隣に座るもう一人の人物がバンバンと叩いた。


「あっはっは! アゼルノは頭が固いからなぁ! しっかしこのピーナッツほんまに美味いなぁ。もっとない?」


 男は無言のまま、空になった皿に追加でピーナッツをざらざらと放り込む。

 軽い音を立てて皿の上をすべるピーナッツに、女はたちまち目を輝かせた。


「俺も分かってる。でもあいつ冗談通じない時あるしさ。今日だってさぁ、あんな険しい顔することあるか? あいつの場合、妙に迫力があって怖いんだよ」

「んー? いっつもあんな顔してへんか? うち、他によー覚えとらんわ」


 女は笑いながら皿に手を伸ばし、ピーナッツを数個口へ放り込む。そしてポリポリとかみ砕くと、ぐびりと酒で流し込んだ。


「ストライキしてる理由は、まあ、予想はできるよ。でもさぁ、そのせいで割を食ってるのは俺なんだよ。貴族が叙爵(じょしゃく)賛成派と反対派に割れるわ、軍部に不満が溜まるわ……そんな面倒事を一手に引き受けてるのはさぁ、俺なんだよ? もうちょっと労わってくれてもいいと思わないか? なあ?」


 男は昼の事を思い出し、深い溜息を吐く。怒気を露にして自分の前に立ったアゼルノは、まるで戦の神のように男には見えた。

 そんなアゼルノに対して何も言い返すこともできず、ただただ「はい……」としか言えなかった男。

 だがあれはどうしようもない。貰い事故のような出来事だったのだと、男は諦めの境地に達していた。


「大体、アウグストも何考えてるんだ……。軍議じゃ、第三師団の協力が得られたならって条件つけたのに、あの後すぐに喧嘩売りに行ったらしいじゃないか。そりゃアゼルノも怒るって。……って、なんでその結果俺が怒られてるんだ、って話なんだけど」

「そもそもすとらいきって何や? うち、何も聞いとらんからサッパリなんやけど。エーちゃん、何か知っとるん?」


 ぽりぽりとピーナッツをかじる女に男は言葉を返さない。

 ただ彼女の空いたグラスに、無言でブランデーをなみなみと注いで返した。


 男が必要としてるのは会話ではない。誰かに愚痴を聞いて欲しいだけなのだ。

 とは言え誰でもいいというわけではない。聞いた話を誰にも漏らさないという条件が、男の面子上どうしても必要であった。


 その点、この女はピーナッツと酒さえ用意しておけば、全く内容のない話でもずっと付き合ってくれるし、何より明日の朝には話の内容が頭から抜け落ちる特異体質だ。


 今もまた女は注がれた酒に手を伸ばし、ぐびりと流し込んでは美味そうな声を上げている。自分が口にした質問など、もう忘れてしまったのだろう。

 立場もあって、大っぴらに愚痴を吐けないその男にとってはまさに、最良の愚痴吐き相手だった。


「そこはどうでもいいんだよ。俺が言いたいのはさ、もうちょっとこっちの事情も分かって欲しいってことなんだよ。俺だって頑張ってるのにさぁ……。皆好き勝手なことばっかりやっててさぁ。俺、最近誰かの尻拭いしかしてない気がするんだ………」

「アハハ! そらおもろいなぁ!」


 全然面白い事などない。男はグイと酒を煽り、ため息とともにグラスを置いた。

 そしてまた愚痴を吐こうと口を開いたその時。部屋の外が急に騒がしくなったことで、男はハッと顔を上げた。


「ここかぁ! もう逃げられんぞ!」


 バン! と勢いよくドアが開かれる。そしてそこから雪崩れ込むように入ってきたのは、騎士や鳥人達だ。

 彼らは足音を立てて駆けてくると、瞬く間に二人を取り囲んだ。


「うわっ! な、なんやお前らあべらぼぶべごはっ!」


 慌てる女は数人の鳥人達にあっと言う間に簀巻きにされ、猿轡(さるぐつわ)まで噛まされ、床に雑に転がされてしまった。

 くぐもった声を出して抵抗する女。そんな彼女に対して、一人の鳥人が怒気を露に詰め寄り、大声で怒鳴り始めた。


「貴様ぁ! 俺がいなくなった後について、話をすると言うとったやろが! こんなところで何をしとるんだ、このアホ!」


 その鳥人、カカーは、簀巻きにされた女――ククウルに説教を始めた。

 もはや愚痴を吐くような状況ではない。ここまでだと男は息を吐く。

 そして人目を避けるように静かに席を立とうとして――


「どこへ行くつもりですか殿下」


 ガシッと肩を掴まれ、男は逃げられないことを悟った。



 ------------------



「――で、これだけの書類を放り出して何をしていたんですか、貴方は」


 執務室に連行されたエーベルハルトは、山積みの書類を前にイーノに詰められていた。


「……お、俺だって、息抜きをしたい時くらい、ある」

「ええそうでしょうとも。それはもう存分にして下さって構いません。執務をこなした後でね」

「ぐぅっ!」


 正論である。伏せている国王より全権を委任されているのは、宰相のデュミナスだ。しかしそれでも、王子の決裁なくして動けない事案というのは山ほどある。

 酒を飲み管を撒いているような余裕は、王子である彼には一秒たりとも無いはずだった。


 それを理解しているからこそ、エーベルハルトは言い返すこともできず、言葉を詰まらせる。ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 黙って視線を逸らしたエーベルハルトに、イーノは軽く息を吐く。彼は軽く頭を横に振りながら無言で足を進めると、今はまだ空席の、秘書官が座るべき机に静かに座った。


「イーノ?」

「私も手伝います。急ぎの案件だけ仕分けますから、今日はそれだけ何とか片付けましょう」

「お、おぉ! 助かる!」


 弾かれたように動き始める王子。彼は執務机にドカリと座り、積まれた書類に手を伸ばす。そんな姿を横目で見ていたイーノは、思案するように軽く目を閉じた。


 文官すら少なくなった今の状況で、父のデュミナスも寝る間を惜しんで執務を行っている。エーベルハルトの負担も父同様に重いだろうということは、イーノもよく分かっていた。


 とはいえこの二人の経験には大きな差があった。

 父は宰相として、長年国を支えてきた歴戦の猛者だ。だが王子はこの五年間、魔族との戦争で指揮を執っていたし、それ以前も王が健在であり、バリバリと執務をこなすような必要は無かった。


 捌いても捌いても終わりの見えない執務など、経験したことも無いはず。だから彼がいかにストレスを抱えているか、イーノも承知していた。

 ただ。それでも彼は、これからこの国を背負い立たなければいけない身だ。この程度の苦境、簡単に跳ね返して貰わなければ、下の者に示しがつかない。


「さ、時間は止まってくれませんよ。気分転換もできたでしょうから、さっさと片付けていきましょう。それくらい殿下なら余裕でしょう」


 そんな思いから、イーノは厳しい言葉を王子にかける。


「……分かったよ。まったく、厳しい幼馴染殿だ」


 それに軽口を叩きつつも、王子は書類から目を離さなかった。


 二人はしばらく黙して書類を片付ける。部屋にはペンを走らせる音と、羊皮紙が擦れる乾いた音、そしてランプの魔法石が魔力を放出するときに発する、かすかな音だけが響いていた。


 日付はすでに変わっている。王城では就寝している者の方が圧倒的に多い時間だ。

 しかし二人は、朝日が昇るまでに片付けられればいいと考えながら、目の前に積まれた決裁待ちの書類と静かな戦いを続けていた。


「……そうだ。思い出した」


 最初にその静寂を遮ったのはエーベルハルトだった。


「君に頼みたいことがあったんだ。今日あんなことがあったから、すっかり忘れていた」


 そう言って彼はキャビネットから六通の手紙を取り出す。

 装飾も見事なキャビネット。しかし出された手紙は、王家の人間が使うような優美なものではなかった。

 非常に簡素な作りの、庶民が使うようなものだった。そう、まるで黄鳩便(おうきゅうびん)に使うような。


「……これは?」

「ハルツハイム卿から報告があっただろう。エイク達が数日前までシュレンツィアに滞在していたと。あいつらはまた逃げ出したみたいだが、東に向かっている以上、通る町は限られる。サディナか、もしくはルーデイルか。二つに一つだ」

「そうでしょうか。町を通らない、という可能性もあるのでは?」


 イーノの冷静な指摘に、エーベルハルトは首を横に振って返す。


「それはないはずだ」

「なぜ言い切れるのです?」

「分からないか?」


 王子は目を細めて鼻で笑う。


「あいつらが、追っ手なんて気にしてコソコソ町を回避するような連中だと思うか?」

「……思いませんね。現にシュレンツィアであれだけ騒いでくれましたし」


 二人は顔を見合わせ、苦笑いを交わす。大海嘯(スタンピード)が起きたという報告に目を剥いて慌て、終息したという結びに混乱を隠せず、その感情をどこへぶつければいいか呆然としてしまった、あの日のことを思い出したのだろう。


「まったく、どこにいても騒がせてくれる連中だ。だから俺には、あいつが必要なんだ。常識なんてものを蹴り飛ばしてくれるあいつが」


 おかしそうに目を細めるエーベルハルトにイーノは思う。

 確かに戦後の混迷を極める今、彼らの存在は王子に必要なものなのかもしれない。だが同時に彼らの存在は、王国にとって猛毒のようなものでもあった。


 貴族は貴族として生を受け、貴族として学び、貴族として生きる人間だ。

 その思考はすべて貴族的であり、寄り添おうと努めたところで、平民の生活苦や思考など実感できないし、真に理解できはしない。

 貴族は所詮貴族であり、言ってしまえば平民とは異なる人種であるのだ。


 だからこそ貴族は、自然に平民を下に見る。人が生きるために息を吸うのと同じ程には、そこに疑問を持っていなかった。

 そんな貴族らを傲慢と見る平民は少なくない。立場によって生まれた溝は、場所や人によって大小の違いはあれど、決して無くなることのない隔たりとして、両者の間に根深く刻まれているものだった。


 そして、イーノは知っている。エイクという人間が、いかに貴族を疎んじているのかということを。彼が生きて来た道が、平坦な道などでは決してなかったことを。


 友として、エイクのことは何とかしたいと思っている。だが一方で、彼らの存在がこの国に、どう影響するか危惧もしていた。

 エーベルハルトの言葉に無言で返したイーノ。そんな彼に、エーベルハルトはずいと手紙を押し付けた。


「三通ずつ、サディナとルーデイルに送ってくれ。また逃げられても困るからな、すぐに頼む」

「かしこまりました」


 そして王子は更に言葉を続ける。


「可能ならこちらを片付けるタイミングであいつを迎えられればいいんだが……。こればかりは分からんな……」


 その口調は今までの楽しそうな表情から一転、固く暗いものに変わっていた。

 イーノは真剣な眼差しを返す。その言葉の意味を、彼は正確に理解していた。


 戦火によって隠されてきた三大公(さんたいこう)の一件に、いよいよ王家はメスを入れる。

 王子の固い表情に、自然とイーノの口も固く結ばれた。


 二人の声は夜の闇に消え、部屋は沈黙で満たされる。ただランプの発する音だけが、部屋に小さく響いていた。

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