157.王都にて 軍部の衝突
「で、アゼルノ殿。それは一体何なのだ?」
騒いでいるククウルとウルルガのことを完全に無視して、カカーが話をもとに戻す。
エイクやホシがいたら、きっとこれを餌に大騒ぎをしただろう。悪ノリをしない人間とはこういう時貴重である。
「ああ。宛先は第三師団長だったのだが、中を検めてみたところ、どうも貴殿宛てだったようでな」
長が不在の第三師団。これを現在まとめているのは、第四部隊の隊長であり、師団長補佐に任命されているアゼルノだった。
彼もまた森人族や鳥人族達が行っているストライキに参加しているが、師団宛てで送られてきた手紙を放置せず確認したのは、元来の生真面目さによるものだった。
この手紙の差出人もきっと、彼のそんな性格に救われたことだろう。
「私宛て? それは一体……?」
「中身を見てみれば分かる。これを」
「いや、言いにくいのだが……貴殿とは違い人族の文字には堪能ではなくてな」
「あ、ああ。そうか。すまない、失念していた」
言いにくそうに口を開くカカーに、アゼルノは差し出した手紙を引っ込めた。
鳥人達はこの四年近くを人族と共に過ごしてきた。しかし行うと言えば確かに訓練ばかりで、机に座っている所など見たことが無かったなと、アゼルノは彼の言葉で思い出した。
なお、カカーは”人族の文字には”と発言したが、正確にはこれは誤りだ。
正確に言えば、彼らはどんな文字にも堪能ではなかった。鳥人族に文字という文化は無いのだから。
「ならここで私が読もう。少々騒がしいが、今いいだろうか?」
「ああ、それは助かる。是非に――」
そう言ってカカーが嘴の端を上げた時の事だ。
訓練場へ、数名の兵を伴った一団が足音を立てて入ってくる。気配を隠しもせず、むしろ露にして向かってくる一団の姿に、二人だけでなく、その場にいる皆の視線が一斉に向いた。
その一団を引き連れているのは、鳶色の髪を後ろに流した一人の男。彼らは浴びせられる視線に臆することもなく、胸を張って向かってくる。
そしてアゼルノ達の目の前で、揃ってその歩みを止めた。
「ここにいたか。探したぞ、アゼルノ殿」
一団の先頭にいた男が口を開く。それにアゼルノは険しい顔を隠さなかった。
男の名前はアウグスト。第一師団の長であり、多くの民に英雄とも呼ばれる男。
赤獅子とも呼び称えられる、アウグスト・ガヴェロニアその人であった。
「何用か。こちらには無いが」
「フッ……わざわざ通達を伝えるため足を運んだというのに、その態度はいかがなものだろうな。軍議にも出席せず、第三師団長室には誰もいない。責任感が欠如していると見える」
冷たくあしらおうとするアゼルノに、アウグストは呆れた様子で肩をすくめて返す。
二人の交錯する視線に、周囲の空気が一気に凍り付いた。
「何を言うとるんやっ! 自分らのせいやろうが!」
だがそんな空気など意に介さず、ウルルガがたまらず食って掛かる。
「自分らがエイクさんを追い出したんやろが! それを俺らのせいにするつもりなんか!? 責任感が欠如しとるんはおのれらや、馬鹿にすな!」
まるで噛み付くようにして怒鳴りつける。だがそれでも、アウグストは涼しい顔を崩さなかった。
「我々が追い出した? 違うな。奴は逃げ出したのだ。無責任にも、自分から責任を放棄してな」
「何やと!?」
「そちらが聞いているか知らないが。私は軍内部で不信な噂が流れていると、問題を提起したに過ぎない。もし自分の身が潔白ならば、奴は逃げ出す必要など無かったのだ。違うか? 鳥人の君」
アウグストはまるで諭すように問いかける。その口調は鼻持ちならない。しかし内容が正論であるが故に、これに反論することがウルルガにはできなかった。
無言でにらみ合う二人。方や余裕の表情で、方や歯噛みをしながら、激しい火花を散らしている。
だが、先程の言葉を聞きとがめた者は、ウルルガただ一人ではない。その張り詰めた空気に、割って入る者が一人いた。
「その噂という物が、貴殿らの自作自演だった、という可能性もあるだろう」
それはカカーだ。彼は普段背に折り畳んでいる、鷲のような焦げ茶色の翼をわずかに広げて前に出る。
アウグストもこれには眉をピクリと動かした。
「そのような事実などない。言いがかりは止めてもらおう」
「言いがかり? フン、怪しいものだ。貴様ら第一師団が我らに対してどれだけ陰険な真似をしてきたか、まさか忘れたわけではあるまい? 十分あり得る話よ。少なくとも、私はそうにらんでいるがな」
カカーは翼をはためかせながらアウグストに相対する。それを見たウルルガは驚いたように、じりと後ずさった。
普段畳んでいる翼を広げる行為は、鳥人族にとって気分が高ぶっていることを示す。それはつまり、目の前の相手を明確に敵と見なしていることを表していた。
アウグストも目の前の男から滲む気配に気づいたらしく、口を引き結ぶ。
だが残念なことに一部の人族には、そんな狩人の前に出ることがどういうことか、全く伝わらなかったようだ。
「貴殿らっ! 団長に対してその物言い! 流石に看過できんぞ!」
にらみつける一団の中から一人の男が歩み出で、カカーに指を突き付けた。
「あの男の罪を我らにかぶせようなどと! 証拠すら無いものをさも事実であるかのように言われれば、我慢できようはずもない!」
それは第一師団長の補佐役だった。彼の剣幕に後ろの一団からもヤジが飛ぶ。
「そうだっ! 我々がそのようなことをするはずがないだろう!」
「我らを侮辱するか! 訂正しろ!」
「姑息な真似などするものか! 大概にしてもらおう!」
張り上げられる大声に、カカーの翼も呼応するようにはためく強さを増していく。
今までなら、第三師団の面々を制止するエイクがいた。皆を止めようとするバドがいた。
だが今、これを止めようという者はいない。第一師団と第三師団は、一触即発の様相へと変わっていく。
そして――
「あの男が罪人であることは紛れもない事実なのだ! そのような姑息な振る舞い、まさに奴の領分ではないかっ!」
補佐役の男のそんな台詞。それが最後の引き金を引いてしまった。
わずか一瞬の出来事だった。
カカーの鋼のような筋肉がしなり、握る槍が空を穿つ。
一切無駄な動作のない突きは男の反応を許さない。彼に指一本動かすこともさせず、穂先は男の喉を貫いた。
「そこまでにしてもらおうか」
――貫いた、はずだった。
「身内同士で血を見るのは見過ごせん。王子殿下も良しとは思わんだろう。貴殿らもそれは本意ではあるまい」
カカーの繰り出した突きはアウグストの槍によって、補佐役の首、その横を素通りしただけに終わった。
カカーは握る槍にぐっと力を籠める。しかし彼の突きを防いだ槍は微動だにしなかった。
「それに……あの男もそう言うはずだ。そう思わんか」
アウグストは真っすぐにカカーを見据え、そう問いかける。
更に、一呼吸置き、もう一人の人物に対しても声をかけた。
「貴殿はどう思う? アゼルノ殿」
補佐役の喉元に刃先を突き付け、アゼルノがそこに立っていた。その表情には静かな怒りが滲み、鋭く光る龍眼は、わずかに瞳孔が開いている。
アゼルノの放つ殺気はその場の人間を縛り付ける。周囲はまるで時間が止まったように、冷たく凍り付いていた。
「……我らの長は魔王封印に尽力した。それを理解しようともせず悪し様に言う輩を、私は決して許さん。命が惜しければ二度と口にしないことだ。次はこの愛刀が止まるかどうか、私は保証しない」
アゼルノは刀をゆっくりと下ろし、鞘に戻す。時が動き出したかのように、補佐役はドッと冷や汗を噴き出しながら、その場に尻もちを突いた。
「……ごっついなぁ、あの気迫。なぁ従姉ちゃん?」
ウルルガはごくりと唾を飲み込みながら、隣の従姉にささやく。
だがそれにククウルは呑気な表情を浮かべ、
「ん? そうかぁ? っちゅうか、こいつら何の話しとったん? 小難しい話でよく分からんかったわ。アハハハ」
そう言って可笑しそうに笑った。
ポンコツに話を振ってしまったことに肩を落とすウルルガ。そんな二人を尻目に、アゼルノは静かに拒絶を告げる。
「……我らは今、すべての軍務を放棄している。何用かは知らないが関係ない。早急にお引き取り願おう」
だがアウグストも引かない。カカーの槍を力強く払うと、アゼルノへ向き直った。
「これより半月ほど後、第三師団には我らと共に出撃してもらう。これは軍部の決定だ。軍に籍を置いている以上、いかに貴殿らと言えども従ってもらおう」
「我ら不在で進められた軍議で、勝手に決定されたことに従えと? 傲慢なものだ」
「軍議の通達は出した。それを無視したのはそちらだろう。それを勝手に進めたなどと言ってもらっては困るな。我々は軍人だ。行動には責任を伴う。そうだろう? いつまでも幼子のように遊んでいれば良いなどと、思っていられては困るのだ」
「遊び……か。そこまで言うのならば、聞かせてもらおう」
「何?」
アゼルノはその龍眼に威圧を込め、アウグストの双眸に叩きつけた。
「我らが今、どんな覚悟を持ちこの場に残っているのかを。幼子のように無邪気に見えると言うのなら、貴殿は所詮そこまでの男だったと言う事だ」
鞘に添えたままの左手。その親指で静かに鍔を押し、彼は再び鯉口を切る。
「もう一度言う。お引き取り願おう。ここが戦場になる前にな……」
アゼルノがそう言えば、カカーも槍の石突をドシッと地に叩きつけた。
いつの間にか周囲には鳥人達が集まってきている。彼らの視線には、第一師団の兵達を射貫くような鋭さが含まれていた。
いつの間にか無勢になっていた兵達は、その顔に焦りを浮かべる。この状況にアウグストも、これ以上は無意味だと悟ったのだろう。
「……貴殿らが従わないと言うのであれば、軍部の規律に乱れが生じる。この件、王子殿下に報告させて頂く」
そう言い残し、マントを翻してその場を颯爽と去って行った。残された兵達も慌ててその背に続き、訓練場を後にする。
結局第一師団はそのまま足を止めず、彼らの前から消えていった。
「ハッ! アホやあれへんか。俺らがストライキしとる時点で、もう乱れとるっちゅーの!」
彼らの背中へウルルガが悪態をつく。他の皆も厳しい視線を彼らに向けたまま、その場に黙って立っていた。
剣呑な空気が周囲を包む。そんな中で最初に口を開いたのは、やはりというか、そんな事態をよく分かっていない様子の彼女だった。
「なあ。ほんで、さっきの手紙は何やったん?」
不思議そうな眼差しをアゼルノへ向けるククウル。
その何も考えていなそうな眼差しに毒気を抜かれ、アゼルノは深く息を吐く。そして呆れた様子で先ほどの手紙を広げ、目を落とした。
「ハルツハイム伯爵家から第三師団へ、相談――というか、依頼のようだな」
「……ハルツハイム伯爵家?」
「二年前、我らが魔族共を追い込んだ町があっただろう? あの一帯を治めている領主の名だ」
カカーの問いに答えながら、アゼルノは更に説明を続ける。
「要点だけ摘まんで言えば、だ。先の戦で負傷した、元騎士達を再登用する計画があるそうだ。だが今までにない新しい試みのため、助力が欲しいらしい。具体的には、元騎士達のブランクを埋めるため、槍の指南をカカー殿、貴殿に頼みたいとのことだな」
そう言ってアゼルノは顔を上げる。そこにあったのは憮然としたカカーの顔だった。
「なぜ私が。それになぜ私のことを知っている。人族の知り合いなど私には多くない。少なくとも領主に知り合いなどいないぞ」
カカーは如何にも不服だと、むすっとした表情を浮かべている。
しかし次の瞬間、その顔つきが変わった。
「どうやらエイク殿が手ほどきをした騎士がいるらしいな。その際に貴殿のことを師だと、エイク殿が話していたそうだ」
「――! ほう……」
「貴殿の槍さばきが世界一だと、何度か聞いたらしい。だから是非とも、一目だけでも見てみたいらしい。可能ならご教授頂きたいが、何にせよまず貴殿の都合を聞きたいそうだ」
カカーは興味のなさそうな顔つきを一転、きりと引き締める。そして先程の言葉を噛み締めるように、静かに目を閉じた。
まだカカーが若かりし頃の話。彼は自分よりも弱い者が戦士長となる現実に、腹に据えかねる思いを抱いていた。
空を飛ぶことのみに重きを置く同族のしきたり。そんな習いを、彼はどうしても認めることができずにいたのだ。
悔しさから己の腕を磨くことに心血を注ぎ、槍の腕なら右に立つ者が無いまで、その技を研ぎ澄ませた。しかし族長が彼を認めることはなく、副長のまま、彼はずっと悔しさを胸に募らせ続けていた。
歴代戦士長の中でも最強との呼び声も高いククウル。だがそんな彼女も、槍を構えての地上戦ではカカーには敵わない。
そんな現実もまた彼に暗い感情を抱かせた。
自分がもし空を自由に飛べたなら。そんな思いを槍にぶつけたまま、彼は己を鍛え続けた。
今回の戦争も、人族と魔族との諍いなどに興味はなかったが、しかし鳥人族の誰よりも戦果をあげればもしや、という下心から参戦したに過ぎなかった。
しかし。そんな戦争で、彼の生き様を真っすぐ受け止め、認めてくれた男がいた。
――お前の槍はこの大陸一……いや、世界一だ! お前ほどの男は、鳥人族にも人族にもいやしねぇ!
その男は言った。鳥人族の戦士長など小さいと。お前は鳥人族にとどまらず、この世界において一番の戦士なのだと。
酒が入ったせいか、珍しく少しグチを言ってしまったカカーに対して、男は饒舌にそう語った。
男も酒に酔った勢いだったのかもしれない。しかしその言葉は、長年募らせていた彼の内にある重い気持ちを、確かに軽くしてくれたのだ。
その礼として、彼は男に己の槍を教えることを申し出る。そうしてカカーはエイクと師弟の絆を結んだ。
しかしカカーがエイクに対して抱く気持ちは、弟子を見守るような温かいものではない。
かけがえのない戦友として認める、揺るぎのない熱い思いだった。
「なるほど。弟子の弟子なら、私の弟子も同然。その腕前を見に行くのも一興か」
カカーはニヤリと笑みを見せる。アゼルノもそれに軽く笑った。
「向こうは迎えを寄越すつもりだろうが、どうする? 待つようなら返事を代筆するが」
「どうせ馬車とか言う、あの狭苦しい乗り物だろう? 不要だ。あれにはもう乗りたくない。それにこちらから出向いたほうが早く着く」
人族の作った馬車は、あくまでも人族用の乗り物だ。大柄な龍人族や、翼のある鳥人族にとっては、ガタガタ揺れるせまっ苦しい檻同然だった。
嫌そうに顔を歪める彼に、気持ちが分かるアゼルノは深く頷いた。
「ならこの手紙を持って行くと良い。伯爵家直々の手紙だ。招待状代わりに使えるだろう」
「うむ。分かった。感謝する」
そう言って手紙を折り畳み、カカーへと差し出す。
カカーも感謝を伝えつつ手を伸ばすが――
「何やそれ! おもろそうや、ウチが行ったる!」
二人の間に割り込んだククウルが、手を伸ばしてパッと奪い取ってしまった。
皆が目を丸くする間に、彼女はそのままタッと走り出す。そして翼を大きく広げ、地面を蹴り、ふわりと宙に浮きあがった。
「風の精霊よ! 猛る乱流を――おおおおっ!?」
そしていざ飛び立たん! ――というところで何者かに足首を掴まれ、彼女はビタンと地面に顔を打ち付けた。
「グヘッ!」
「貴様……何をしとるんや!」
彼女の足を掴んだのは、誰あろうカカーだった。
彼は翼をバサバサとはためかせ、ククウルに詰め寄り、手紙をバッと奪い取った。
「い、痛いやんかぁ……。何するんやぁ!」
「貴様が行っても何の役にもたたへんやろうが! それに貴様は戦士長やろう! 皆を置いて行ことすな! このアホたれが!」
怒りのあまり鳥人なまりが出始めたカカーに、ククウルは涙目で抗議する。
しかしそんな彼女に味方する者は誰もいない。
「いっつもいっつも遊び惚けてるんや、こんな時くらい仕事せえ! このひょうろく玉が!」
「う、うるさいわ! ウチだって、ウチだってなぁ! うわぁぁぁん!」
結局カカーに正論で詰められ、まともに反論できず泣きながら敗走して消えていく。
「全く……。あいつはどうして、いつもああなのだ」
「……何かすんません」
その後姿を、アゼルノとウルルガは呆れた様子で見送っていた。




