156.王都にて 送られてきた手紙
王都の城壁内部、西側に有する広い一画。そこは軍関係の施設が立ち並ぶ駐屯地となっている。
戦争が終わり、すでに軍は縮小され始めているが、それでもまだ軍人は多く、そこには多くの人間の姿があった。
彼らの殆どは人族だ。だがよくよく見れば、耳の長い者や、人族にしては異様に上背の高い者もちらほらと見られる。
この区画には兵の宿舎も設けられており、王国軍に籍を置く者は皆、そこで寝食をしている。
森人族や龍人族などの人族以外の人間達も、戦争が終わった今もなお、当時同様この駐屯地で生活を続けたままだ。
ただ、現在ストライキ中の異種族達は、軍務についてはいない。駐屯地で生活しながらも、町へ繰り出したり、魔法陣の研究を行ったり、料理を楽しんだりと、勝手気ままに日々を過ごしている状態だった。
そんな中で、それら趣味や興味本位といった行動とは異なり、己の腕を磨くべく、毎日鍛錬に勤しむ者達もいた。
訓練場では今日もまた、威勢の良い掛け声が上がっている。その土むき出しの広い一画には、背に翼を生やした一団が槍を振り回している姿があった。
「はっ! はっ! はぁっ!」
鳥人の青年が鋭い槍さばきで次々に突きを繰り出す。だがそれを受ける鳥人の男は、眉一つ動かさずにそれを軽々と受けていた。
青年のほうも並みの腕前ではなく、流れるような連撃を男に放ち続けている。
だが男と青年とでは実力に差があるらしく、青年の攻撃は全く通用していない。軽く笑みを浮かべられる程度には、男の方には余裕があるようだった。
「はぁぁっ!」
大きく足を踏み出し、青年は槍を振り回す。石突が男の喉元をかするように飛び、男の足が止まる。そこへ狙いすました青年の穂先が胴目がけて飛んだ。
だが――
「甘い」
男は一言それだけ言うと、青年の渾身の突きを叩きおろす。そしてくいと手首を返して青年の喉元に穂先を突き付けた。
「ま、参りました……」
青年にとっては一瞬にも足らない間の出来事。まるで見切れなかった攻撃に、青年は驚きを滲ませる。その様子に男は柔らかく笑った。
「三年前とは見違えるようだ。もう一人前の狩人だな、ウルルガ」
「……まだまだや。カカーさんには未だに歯が立ちまへんし」
そう言ってウルルガは苦笑いを浮かべる。だが、かつて男として頼りない印象の拭えなかった青年がここまで成長したことに、カカーは頬の緩みを抑えられない。
彼を見る目は優しく、そして暖かで。それを見たウルルガもへへっと楽しそうに笑った。
今から五年前のこと。ゼ―ベルク山脈にある霊峰の一つゲルホルン山にて、通年通り鳥人族の成人の儀が執り行われた。
このウルルガもその儀式に臨むうちの一人だったが、当時彼はまだ少年と言ってもよい見た目の、線の細い男児であった。
鳥人が成人として扱われるのは十歳からだ。他の種族からすれば異様な早さだろう。
しかしこれには鳥人族なりの理由がある。その理由というのが、この成人の儀の内容に大きく関わっていた。
鳥人族は空を飛ぶことのできる稀有な能力を持っている。しかし男性は十二、三を過ぎた辺りから身長が伸び始め、非常に体格が大きく変わるのだ。
普通なら喜ばしい事だが、しかし空を飛ぶという観点からすると、短所が際立ち過ぎていた。体重が重くなり、空を飛翔することができなくなってしまうのだ。
成人の儀とは、ゲルホルンに吹く風を我が物にできるかどうかを試す儀式だ。つまり、鳥人として必須である風を読む力を試すわけなのだが。
これが男の場合、成長期を過ぎてからでは飛ぶことができなくなるため、儀式を受けられなくなってしまうわけだ。
そんな理由から、男も女も例外なく、十歳で儀式を受け成人となる。それが鳥人族の中での習わしとなっていた。
しかし、儀式はただ飛べばよいという、形だけのものではない。時として死者が出るようなこともある、非常に危険なものだった。
常に風の吹き荒れるゲルホルン山は、強風が山を抜ける度に獣の唸り声のような音を発するという特徴を持っている。そのことから”風声の山”とも呼ばれ、王国北部では危険な山として非常に有名だった。
徒歩ですら常に強風に煽られる危険な山だ。そんな山で空を飛ぶなど自殺行為にも等しい。
鳥人達もそれは理解しており、比較的穏やかな季節に儀式を行うようにはしていた。だが予想外の事態というのはいつでも起こり得るものだ。
鳥人達は慣例として、五年前もまた儀式を行った。そしてその結果、行方不明者を一人出してしまう事となった。
それが他でもない、このウルルガであった。
結論から言えば、彼は怪我こそ負ったものの無事だった。
だがゲルホルンに吹いた季節外れの突風に制御を奪われ、彼は山裾まで飛ばされたうえ翼を折ってしまうことになった。
まだ未熟だった彼は、麓に広がる森に生息する魔物達に追われ、人族の集落近くまで降りてきてしまう。そうして、偶然そこに居合わせた王子軍に保護されたのである。
人族を警戒する彼の面倒は、ダークエルフやスティアなど、異種族のいる第三師団に任せられる。
そうして彼は次第にエイクらと親睦を深めていく。またそれが縁で、鳥人らが軍に加わることとなった。
カカーがエイクに槍の指南を提案した時、既に彼に懐いていたウルルガもそれに手を上げた。
つまりウルルガは、エイクの弟弟子と言ってもよい男だった。
自分の弟子が腕を上げていく様を、カカーは頼もしく思う。
彼ら鳥人族は風の山に暮らす、空を友とする戦士達だ。”蒼空の狩人”とも呼ばれる彼らは、空を飛翔する大型の魔物なども集団で狩ることもある。
そんな彼らを束ねる副長の立場があるカカーだからこそ、その喜びは一入だったのだろう。きっとその上に立つ戦士長も、カカーと同じ思いを抱くだろう。
頼もしい仲間ができることは、誰にだって喜ばしいはずなのだから。
そう。そうなのだろう。
その人物が普通であったならば。
「おーい! 何や今日は張り切っとるなぁ!」
頭上からの声に二人は空を見上げる。それと同時に、バサバサと純白の翼をはためかせ、一人の鳥人が空から降りて来た。
「ウルルガー。そないに張り切っとるなら、今度はウチが相手しよかー? 胸貸してもええでー?」
それは鳥人族の戦士長であり、第三師団、第五部隊の隊長も任せられている彼女、ククウルだった。
彼女は手元の槍をクルクルと回しながら明るく笑う。そんな突然のリーダーの登場に、周囲はビシッと背筋を伸ばす――ことはなかった。
「何やねん従姉ちゃん……向こう行ったってや。訓練の邪魔や」
「そうだぞ。お前が誰かにものを教えられるはずがないだろう」
ウルルガはうざったそうにシッシッと手を振り、カカーもカカーで槍を肩にかけ、呆れたような眼差しを向けた。
「な、何や! ウチだって槍くらい教えられるわ!」
「前そう言うて教えてもろたけど、擬音ばっかりでわけ分からんかったし。ホシちゃんといい勝負や、アレは。少なくとも俺には分からん」
「なっ……! そ、そないなことあらへんわ! ウチをバカにするのも大概にしぃ!」
焦りからか声を荒げるククウル。だが二人の反応は非常につれないものだった。
鳥人族のリーダーは三年に一度、一番強い者の中から選ばれる。
だが、それは男性からは選ばれない。選ばれるのはいつも女性からだった。
空を飛べることを誇りとする鳥人族にとって、何より優先されるのは、空をどれだけ華麗に舞えるかどうかだ。
それ故に、空を飛べない男性はそもそもその選定から外れてしまうのだ。
代わりとして、副長は男性の中の最も強い者から選ばれる。しかしどうしても不満が残ってしまうのは、致し方のないことだろう。
鳥人族の歴史の中で、副長と戦士長の仲が良好だったという話は、全くと言って聞かない。そのためか、男女間の仲もまた然りであった。
だが、ククウルをリーダーとする昨今の鳥人族は、例年と違っていた。むしろ団結していると言っても良い。
理由は言わずもがな、そのククウルにあった。
ククウルは確かに鳥人族の長を任せられている優れた戦士だ。空を自分の庭だと言い張り、まるで踊るように空を駆ける。
風魔法も巧みで、魔術師と言えるだけの腕前もある。この魔族との戦争で、”蒼天の雷槍”の二つ名もつけられたほどだ。
その腕はまさに随一で、戦闘センスは追随を許さない、圧倒的なものだった。
そのため、ククウルが戦士長を務めるのはこれで四期連続となっている。
偉大な戦士として鳥人史に名前が残りそうなほどに、彼女は強かった。
しかし。
残念なことに、彼女はアホだった。
鳥人族は成人となるとすぐに独り立ちし、一人で暮らすようになる。
鳥人族はかなり克己的で、良く言えばストイック、悪く言えば石頭と言っていい性格の種族だ。
そのため独り立ちした後も、自分の事は全て自分で解決するという意識が強く、戦闘のみでなく家事炊事全般ですら、誰に頼るでもなく己でこなす者ばかりだった。
当然ククウルも――と思いたいが。
彼女はそうではなかった。
家事全般は全滅。自分の身の回りの事も全くダメ。
相当のずぼらで、誰かに面倒を見てもらわなければ死ぬのでは? と周囲を心配させるようなダメ女だったのだ。
そんなちゃらんぽらんのダメ女が戦士長だったからこそ、周囲の者達は「俺らがしっかりしないと駄目や」と結束し、結果として鳥人族は異例にも団結を見せたのだ。
今も皆が訓練に励んでいるところにククウルが現れたが、これは彼女が遊んでいたところ皆がいるのが見えたため、たまたま降りてきたに過ぎない。
一応、毎日この時間に訓練することをククウルも教えてもらっている。
しかし興味のないことは三秒で忘れ、興味のあることも一日で忘れると言われているククウルだ。きっと覚えてすらいないだろう。
皆もそれを分かっている。だからこそ戦士長が来たにも関わらず、誰も気にしなかったのである。
気にしても時間の無駄だからだ。合理的な判断であった。
「何や! 皆してウチのことバカにしよって! ふーんだ! もう頼まれたって教えてやらんもん!」
「いや、せやから誰も初めから頼んでおらんから」
ぷりぷりと怒るククウルにウルルガは呆れた声を上げる。
こんな子供のような仕草をするが、しかし彼女は今年で二十だ。十四、五が適齢期と言われる鳥人族からするともう行き遅れなんだよなぁと、彼はアホな従姉のことを少し心配そうに眺めていた。
「ウルルガ、放っておけ。その方がすぐ忘れて都合がいい」
「いや、そうなんやけど。一応こんなんでも従姉やから、そうはっきり言われると俺も複雑やなぁ」
「こんなんって何や! 見てみい! 可愛いククウルちゃんやで!?」
「もう可愛いっちゅう年やないやろ……」
キーキーと騒ぐククウルに眉間にシワを寄せるウルルガ。そんな二人のそばで、カカーは既に目を閉じて、イメージトレーニングを始めようとしていた。
そんな時だった。
「何やらうるさいと思えば、やはりお前か」
彼らのもとに足を運ぶ者が一人。
声をかけられた三人は、そちらをそろって向いた。
「アゼルノさん」
「おー、アゼルノやん。どしたん?」
そこにいたのは腰に愛刀を差した一人の男。その黒い長髪の男――黄龍族のアゼルノは、呆れたような表情を浮かべながら、彼らのもとへ真っすぐに歩いてきた。
ウルルガとククウルが同時に彼の名を呼ぶと、アゼルノは手に持った何やらを顔の横に上げて応える。
「要件はこれだ」
「それは?」
カカーはそれをいぶかしそうに見た。
アゼルノの手の中には、何やら手紙のようなものが見て取れる。しかしそんなものを受け取る者が、ここにいようはずもない。
彼らは皆人族ではない。ここへ手紙を送る知り合いなど、まるで覚えがないからだ。
「師団長宛ての書類に混じってこちらに来ていたのでな。たまたま受け取ったのが私だったので、ついでに足を運んだのだ」
彼らの前でアゼルノは足を止める。その目の前に、ククウルがぴょこりと身を乗り出した。
「ついでって、何のついでなん?」
「無論、これだ」
アゼルノは愛刀の鯉口に手を添える。ククウルはそれを見てやれやれとため息を吐いた。
「何や、皆頭の中まで筋肉やねぇ。どうしようもない男共や」
呆れたような様子のククウル。しかしそこにいる男三人は皆、もっと呆れたような視線を彼女へ向けていた。
「いや……頭空っぽの従姉ちゃんに言われたくないで」
「なっ! か、空っぽって何やねん! 入っとるわ! えーっと、その……そう! アレがぎょうさんなぁ!」
「アレって何や……。従姉ちゃんの好物のピーナッツか?」
「ん? あ、ピーナッツ! そうそう、アレ美味いよなぁ。ウチ、はまってしもて! アハハハ!」
ウルルガが皆の言葉を代弁する。それにククウルが食ってかかるが、軽くいなせばすぐに変な方向へ話が流れていく。
だがそんなものはいつものこと。皆それに呆れた顔を向けながら、またかと肩をすくめるのだった。




