幕間.来訪者、来る
石造りの階段を、カツカツと靴音を立てながら男はゆっくりと下りていく。
壁には一定の間をおいて魔石が埋め込まれており、ぼんやりと周囲を照らしている。だが壁も天井も、何もかもが灰色の石で作られている通路が放つ雰囲気は、そんな仄かな明かりでは払拭できないほど、冷え冷えとしたものだった。
そんな不気味さを放つ空間を表情一つ変えず、その男はゆっくりと進んでいく。
いや、その男だけではない。その後ろに続く二人の神殿騎士達もまた口を開くことなく、先頭の男の後ろに続き、静かに歩を進めていた。
ここは王都の一角にある、聖皇教会の内部。その中でも、聖皇教会に所属する神殿騎士と、ごく一部の者のみしか立ち入ることを許されていない、地下へと続く階段である。
先頭を歩く男は、現教皇を除けば実質的に聖皇教会の頂点に立つ男、枢機卿ルートヴィッテ・ジョン・ボルドウィン。彼はゆったりとした祭服を着ており、いかにも聖職者然とした穏やかな表情で階段を下りていく。
しかし実際のところは、六十近い年齢だというのに衰えを感じさせないほど鍛え上げられた肉体と、切れ目で異様なまでに鋭い眼光が周囲を押しつぶすような威圧感を放っており、本来まとうはずの荘厳な雰囲気をぶち壊しにしている。
更に腰に携える剣がまた、彼の外見の異様さを一層際立たせていた。
そんな泣く子も殺すような風体の彼は、誰が見てもまるで聖職者のようには見えない。が、そんなことを知らぬは本人ばかりなり。
彼は枢機卿らしく威厳たっぷりに、ゆっくりと階段を下りて行く。
そして最後の階段を降り、開けた空間へとたどり着くと、ニィ……ッと凶悪な笑み――本人は柔和な笑みのつもりだ――を浮かべて周囲をぐるりと見渡した。
そこには数千もの神殿騎士が整然と並んでいた。神殿騎士としての正式な装備をきっちりと着込み、規則正しく隊列を組んでいる様は、まるでこれから戦争に向かうかのような異様な雰囲気を醸し出している。
ここは神殿騎士の修練場。そして、主神フォーヴァンに命を捧げ、信仰のために剣を取り、人の世の身分を返上し下界との縁を断ち切り神の兵となった、神殿騎士のみが訪れることのできる神聖な祭場でもあった。
足元はすでに石造りから土へと変わっている。ルートヴィッテが足を進めると、ザッザッと乾いた音がその場に静かに響いた。
彼は後ろの騎士二人を伴い、並ぶ神殿騎士達の前へと進む。そしてくるりと向き直ると、静かに、しかし良く通る声で、その場にいる全ての神殿騎士へと語りかけた。
「主神フォーヴァンの敬虔なる信徒達よ。今日この日、皆が心待ちにしていた通り、我らが主よりありがたくも神託を賜った!」
この日は、聖皇教会の信徒が待ち望んだ日。主神フォーヴァンより直々に、神託を賜る日である。
なおこの事実は教会の神殿騎士達の他に、ごく一部の上層部にしか伝えられていない極秘事項でもあった。
なぜ極秘事項となっているのか。それはその神託があまりにも、人の世に多大に過ぎる影響を及ぼす力があるという理由があるためだった。
「今から五十年前、我らは主よりありがたくも、この神剣ヴォルファンを授かった!」
ルートヴィッテはそう言うと、腰の剣をスラリと抜き高く掲げる。勇者を選定すると言われる神剣の輝きが、間違いなく彼の手の中に存在していた。
彼は少し間をおいて静かに神剣を降ろすと、また言葉を紡いでいく。
「また更に過去、この地を魔王ディムヌスより奪還してから今日まで、五度もの神託を賜るという幸運に我ら信徒は恵まれ、その度に神剣を授かるという主の寵愛をその身に受け続けてきた!」
ルートヴィッテの後ろに控える二人、そして神殿騎士の最前列に並ぶ者の中から二人。計四人がルートヴィッテの前へと歩み出て、それぞれが腰に携える神剣を引き抜き、目の前に掲げる。
そう。主神フォーヴァンより神託を賜るこの日。それは三百年前に魔王ディムヌスより王都を奪還して以来、五十年ごとに神託を授けられてきた日であり、勇者と共に在ると言い伝えられている神剣が、新しくこの世に生み出される日でもあった。
「主の寵愛によって生み出された神剣により、此度蘇った魔王は再び封ぜられた! これは正に主が我らを愛し、いつの日も我らを見守って下さっている証左である!」
元々教会が保有していた神剣は、なんと六振り。そのうちの一振りを魔王の封印のために使ったことで今は五振りとなっているが、それでも恐るべき戦力であることには全く変わらない。
この事実が世に公表されることになれば、大陸のパワーバランスは一気に崩れるだろう。
神剣の一振りは国をも揺るがす。神剣の、ひいては勇者の力とは、それほど強大なものなのだ。
それが五振り。そのうち二振りは常に王都に保管されている。
これが五年前、王都が魔族の強襲を退ける事ができた理由の一つでもあった。
望むのであれば、国の一つを落とすことも可能とする。そんな戦力を教会は秘密裏に保有していたのである。
しかし。聖皇教会は武力で人間を支配することを目的としていない。弾圧することを目的としていない。
振るう力は全て、彼らの信仰のためだけに振るわれるのだ。
あくまでも主神フォーヴァンのために。フォーヴァンの愛する民のために。
その理念だけが彼らを動かす理由になり得る。
武力としての望まぬ利用を避けるため、今日と言う日を、そして五十年ごとに神託を授けられるという事実を、教会は公表していない。
無論そこに、神託を授かることができるという優越感からくる選別があったことは、否めないのだが。
「残念だが諸君の知る通り、未だに我らに刃を向ける者がこの地に存在している! だが我らは決してそれに屈しない! 主ある限り、我らの命ある限り、悪は必ず滅する! それが主の寵愛を一身に受けることのできる、信徒たる我らの義務である!」
神殿騎士たちは次々に剣を抜き、目の前に掲げる。
これは無言の宣誓。神の信徒であり、神の兵であることを示す、心魂の誓い。
「だが、慈悲深くも我らが主は仰った! その勤めを果さんとする我らの身を案じ、新たな力を授けると! 行く末を照らす新たな光をもたらすと! 今ここに、その力を顕現せんと!」
ルートヴィッテは神剣ヴォルファンを高々と掲げる。
他の神剣を携える四人の騎士もそれに倣い、握る神剣を高く掲げ、ヴォルファンと剣先を交差させた。
「主よ! 我らが主神フォーヴァンよ! 今こそその御力をもって、我らの歩むべき未来を示したまえ!」
「我らが主に、栄光あれ!」
『我らが主に栄光あれ! 我らが主に栄光あれ! 我らが主に栄光あれ!』
神剣を掲げる一人の騎士の言葉に追従し、全ての騎士が唱和する。
地鳴りのように主神を賛美する言葉が紡がれると、掲げられた五つの神剣が次々に煌めき、光をまとい始める。
『我らが主に栄光あれ! 我らが主に栄光あれ! 我らが主に栄光あれ!』
それらの光は徐々に大きくなっていく。かと思えば次の瞬間、弾けるように一斉に広がり、周囲を光で覆い尽くした。
神殿騎士達は主神への絶対の信仰からか、その目も眩む光の中でもなお唱和を続けている。
ルートヴィッテもまた全く動じることもなく、微動だにせず神剣を掲げ続けていた。
その光は魔力の光。精霊達が猛り狂う、力の奔流。突然発生した異常な魔力に、精霊たちは混乱し、泣き叫び、恐慌し、絶望する。
しかしそんな声は人間達には届かない。ただただその光を神の奇跡と信じ、神を賛美しながらその場に立ち続けた。
数分の後、修練場一杯に広がった夥しいまでの魔力は、渦を巻くように収束し、光の繭のような形を成す。そして数秒の後、閃光と共にパッと弾け飛んだ。
その場の人間達は激しい光に瞼を閉じる。そして次に瞼を開いた時に、彼らの目に映った光景は、誰もが信じがたいものだった。
光の繭が消えたその場に、見慣れぬ白いローブを着た一人の青年が、目を閉じて横たわっていたのだ。
「おお……っ!」
ルートヴィッテは感嘆の声を漏らしながら神剣を鞘へと戻し、その青年の元へと急ぐ。
主神から賜った神託の通りであれば、その青年は間違いなく。
ルートヴィッテは衣服が汚れることも躊躇わず、両膝を突き優しく彼を助け起こす。青年は黒い頭髪と浅黒い肌という、この大陸では見慣れない容姿をしていた。
青年は気を失っているようだったが、すぐに目を覚まし瞼をゆるゆると開いた。わずかに見えた双眸は、黄金の光を湛えていた。
「こ、こは……?」
まだ意識がはっきりしないのだろう。弱々しく尋ねる青年。
ルートヴィッテはにっこりと、凶悪な顔面を歪めるように笑った。
「ようこそいらっしゃいました、勇者様。我らが聖地へ」
「ば、化け物ッ!? う、うぅ……っ?」
彼の顔を見たからかなのか、青年は小さく声を漏らすと、今度こそがくりと気を失ってしまう。
ルートヴィッテは特に気を悪くする様子もなく、彼を休ませようと抱き上げる。そして目の端に映ったある物に気が付き、青年が倒れていた場所にまた目を向けた。
そこにはあったのは一振りの剣。その剣の柄には、まるで海を思わせる、青く輝く宝玉が埋め込まれていた。
ルートヴィッテは満足そうに目を細める。それに対して剣は銀の輝きを放ちながら、静かにその場に横たわっていた。




